11
腹ごなしを済ませたところで、アイルたちは二人目の試験官を探すために洞窟に入った。
洞窟内部は入り組んでおり、灯りもないため視界が悪かった。最初に支給されたサバイバル道具の中から松明を取り出し、火の輝きを頼りに三人は奥へ進む。
「思ったより魔物が多いな……!!」
子供の体躯くらいはある蜘蛛の魔物、それと同じくらい巨大な芋虫のような魔物。女子供が悲鳴を上げそうな見た目の魔物たちが、四方八方の薄闇から襲いかかってきた。
「クララ! いったん退いた方が――」
「……あはッ!」
ルウが撤退を提案しようとしたが、クララはこの状況にそぐわぬ獰猛な笑みを浮かべた。
「あはははは!! 最高! 最っっっ高!!」
クララが杖を振り回しながら、炎の弾丸を放ち続ける。
出鱈目に魔法を放っているかのように見えるが、放たれた弾丸は百発百中で魔物を貫いていた。恐ろしく卓越した芸当だが、真に恐ろしいのは魔物たちを狩り続けるクララの過激な闘争本能だった。
「さっきまで俺たちに、国民の血税がどうとか言ってたやつの顔じゃないだろ……」
「でも、楽しそうだね」
「楽しそうって……アイルは暢気だなぁ」
ルウは毒気が抜けたかのように肩を竦めた。
次々と屠られていく魔物。その光景を見て、アイルは少し考える。
(魔物は、倒すしかないんだろうか……)
もしも――。
もしも、人と魔物が共存できるとして、でも互いにその可能性を知らないだけだとしたら……。
それはとても悲しいことだ。
誰かが必ず正さなくてはならないことだ。
「クララ! そっちに試験官はいない!! 移動するぞ!!」
地図を見ながらルウがクララに呼びかける。
「印は任せたわ!!」
「はあ!?」
「私はこいつらを一掃するから!! そっちはアンタたちがやってちょうだい!!」
クララは戦闘を一身に引き受ける代わりに、試験官探しをアイルたちに委ねた。
ルウは不承不承クララの発言を飲み込む。
「ったく、あいつ……洞窟の終点が近いことに気づいて言ってんのか?」
「……そうなの?」
「山の規模と洞窟の方角を考えたら、そろそろ行き止まりになるはずだ。ここ、一つ目の印を貰えた川の近くだぜ」
全然気づかなかった。
川の近くに洞窟の出入り口となりそうな洞穴は見つからなかった。となれば、この洞窟は外までは続いておらず、どこかで行き止まりになる。
クララも凄いが、やはりルウも特殊な技能を持っている。これほど入り組んだ洞窟の中で、常に現在地を把握するのは至難の業であるはずだ。
「印だ。これでお前たちは二つ目だな。……ところで他のメンバーは?」
「あっちで魔物と戦ってます」
無事、試験官に印を貰った後、ルウがムスッとした顔で答えた。
二つ目の印は、軍の紋章が記された盾の絵だった。
「クララ! 印を貰ったから帰るぞ!」
「え~! まだ血が滾ってるのに!!」
不満そうなクララの声を聞いて、ルウの額に青筋が立った。
だがその時、遠くから一斉に魔物が襲いかかってくる。
「あは……っ!! 向こうがまだまだやり足りないみたいよッ!!」
嬉々として杖を構えるクララ。
洞窟から一刻も早く出たかったルウは、舌打ちして剣を抜いた。
「アイル、壁を背にしろ!! その方が守りやすい!」
「わ、分かった!」
戦力外のアイルは、とにかく迅速に指示に従うことを心に決めていた。
洞窟の冷たい土の壁に背中を預け、できるだけ魔物の標的にならないよう息を潜める。
クララは押し寄せる魔物たちの群れに魔法を放ち続ける。
取りこぼした魔物は、ルウが的確に処理していく。
「――アイル! 逃げろッ!!」
その時、不意にルウが叫んだ。
薄闇の中で気づかなかったが、いつの間にか人影がアイルに肉薄している。
「寄越せ」
「え――」
懐に潜り込んできたその男は、アイルの腹に拳を打ち込んだ。
肺に溜まった酸素が口から吐き出される。痛みのあまり視界に火花が散る中、アイルはその男が、自分から鞄を奪い取っていく姿を見た。
「アイル、大丈夫か!?」
倒れるアイルに、ルウが慌てて駆け寄る。
ルウがあまりにも悔やんでいる面持ちだったから、アイルは反射的に「大丈夫」と答えた。だがその声は自分でも驚くほど小くて震えていた。痛みのあまり上手く喋れない。
「クララ! こっちに来いッ!!」
丁度、魔物との戦闘が終わったクララを、ルウは激しい怒り込めて呼んだ。
「何よ、いきなり叫んじゃって」
「罠だ! 俺たちは魔物を押しつけられてたんだ!」
「押しつけられたって、何のために……」
ルウのもとまでやって来たクララは、そこで倒れるアイルの方を見て気づく。
「……アイルはどうしたの? それに、食料が入った鞄は?」
「お前が魔物と戦っている間に奪われたんだよ! 食糧を失った連中が、俺たちに魔物をけしかけて、戦っている隙に鞄を奪ったんだ!!」
事の深刻さを理解したのか、クララは沈黙した。
アイルは上半身を起こし、二人に謝罪する。
「……ごめん、二人とも」
「アイルが悪いわけじゃねぇよ。そうだよな、クララ――ッ!!」
ルウは眦を鋭くしてクララを睨んだ。
「お前、なんでそんなに魔物ばっかり見るんだ!! 仲間よりも魔物の方が大事か!? 相手が受験生じゃなくて盗賊だったら、アイルは今頃殺されてるんだぞ!!」
アイルが男に襲われた時、ルウは魔物と交戦している最中で対処できなかった。
だがクララなら守れた。魔法使いである彼女の射程は広く、その場から動くことなく男を止められたはずだ。――余所見さえしていなければ。
守れたか守れなかったか。それは時の運にも左右されるため、ルウはさほど気にしていない。彼が激昂しているのは、クララが仲間の命よりも魔物との戦いを優先してしまったことだった。
「……ごめんなさい」
「謝ったって、済む話じゃ――」
謝罪するクララに、ルウはまだ言い足りない様子だった。
だが、ルウは……その後ろにいるアイルも、クララの顔を見て驚く。
「ごめん……なさい……っ」
クララは大粒の涙を流して謝罪していた。
先程までの気丈な振る舞いからは考えられないその態度に、ルウは困惑する。
「そ、そんなに泣かなくてもいいだろ……」
気まずい雰囲気の中、アイルたちは洞窟の外に出た。
状況は、様々な意味で最悪だった。
◆
二つ目の印を手に入れたから、一時間ほど経過した。
日が暮れて闇に包まれた山の中で、アイルたちは焚き火を囲む。
「……クララ、帰ってこねぇな」
しばらく一人にして――そう告げて去ったクララは、まだ帰ってこない。
奪われたのは食料だけだったので、サバイバル道具はまだあった。道具の中には動物を解体するためのナイフなどもあったが、この辺りには食用に適した動植物が見当たらない。どうりで食料が給付されるわけだと納得したルウは、夕飯を抜きにするという判断を先刻下した。
「食糧がないなら、急いだ方がいいかな?」
「そうだけど、この暗さだと危険だ。今日は休んどこう」
夜の山は、枝葉の天蓋が月明かりを遮断して一層暗かった。この暗闇の中で行動するのは危険だという理屈は正しいが、きっとルウの判断にはクララに対する気遣いも含まれている。
「ちょっと、クララと話してくるよ」
「おう。……頼む」
クララも落ち込んでいるだろうが、ルウも彼女を泣かせた責任を感じていた。
だからこそ、この場で誰よりも身軽な自分が動かねばならない。アイルはそう思い、立ち上がってクララのもとへ向かう。
松明を片手に持ちながらしばらく歩くと、座り込むクララの背中が見えた。
華奢で小さな背中だった。普段の強気な姿勢からは、考えもつかないほどに。
そんなクララの隣に、アイルは静かに腰を下ろす。
「……何よ、慰めに来たの?」
「ううん、褒めに来た」
怪訝な顔をするクララに、アイルは優しく語りかける。
「クララは真剣にこの試験を受けているんだね。だからこそ、そんなに悲しんでいる」
「……当たり前でしょ。この日のために頑張ったもの」
適当に生きている人間は悩まない。
悩みは、苦しみは、後悔は……真剣に生きている人間の特権だ。
「アンタ、昼に言ってたわよね。私にもできないことがあるって」
三人で携帯食料を食べていた時の会話のことを言っているのだろう。
アイルが無言で首肯すると、クララは自嘲するように笑った。
「私はね……人の気持ちが分からないのよ」
クララは語り出す。
自分がどうして、こんな人間になったのかという話を――。
◆
大都市の一等地で生まれたクララは、両親から充分な愛を受け取りながら健やかに成長した。家の裕福さを裏打ちするかのように両親は優秀で、クララはその資質をしっかり引き継いだ子供だった。
クララは幼い頃から勉強が得意だった。
だがそれ以上に魔法が得意だった。
魔法使いの才能を認められてからは、魔法の学習に没頭した。学園に通い始め、魔法の授業を受けるようになってからは、多くの教員にその腕を褒められた。
クララは強かった。幼い頃から大抵の分野で負けなしだった。
だが、唯一にして最大の欠点もあった。
クララは空気を読めなかった。
「クララさん、私と勝負しない?」
ある日の授業中、同級生の魔法使いから試合を挑まれた。
クララはすぐに承諾した。何故なら試合をするのは初めてのことだった。相手はとある貴族の令嬢とのことだったが、クララにはそんなこと関係ない。爽やかで刺激的な勝負ができると信じて、クララは興奮しながら試合に臨んだ。
全力を出したクララは、圧倒的な力量差を見せつけた。
相手の少女はクララに手も足も出なかった。
だが、決着がつく直前――不思議なことが起きる。
「あのさ……なに本気になっちゃってんの?」
クララは、対戦相手の魔法使いにそんなことを言われた。
最初は意味が分からなかった。試合が始まるまでは彼女も乗り気だったはずなのに、勝敗がつきそうになった途端、急に興醒めした態度を取られたのだ。二重人格を疑ってしまうほど理解不能だった。
だが、取り巻きの少女たちもクララを批難する。
「ださっ」
「空気読みなさいよ」
少女は試合を中断し、クララの前から立ち去った。
それから、学園にいる全ての魔法使いがクララとの試合を避けるようになった。元々王都と比べると魔法使いの母数が少ない都市だ。自分以外の魔法使いに避けられるようになったクララは、あっという間に孤立した。
「誰か、クララと試合をしてくれる生徒はいませんか?」
授業中、一度だけ教師が気を遣ってクララの相手を探してくれたことがある。
一人の男子生徒が渋々挙手した。傍にいた男が「罰ゲーム」と言って笑っていたことが気になるが、クララは無視してその男子と試合を行った。
当然のように、クララは全力で男子生徒を負かした。
途端、最悪の空気がクララの全身に纏わりついた。
「つまんな」
「かっこいいって思ってるのかしら」
「どっか行ってくれねぇかな」
批難の目が、拒絶の目が、白けた目が、侮蔑の目が、クララを見ていた。
腐臭を帯びた、ぬめりのある空気がクララに纏わりついていた。嫌悪されても仕方ない存在として認識されていることが自分でも理解できた。まるで自分が汚物のように感じる。そうでなければ、こんな目で見られることはない。
どうして――?
クララは思った。
私が勝ったのに――。
私の方が頑張っているのに――。
敗北した男子生徒は皆に囲まれて笑っていた。
勝利したはずのクララの周りには誰もいない。
クララの瞳に涙が浮かぶ。
どうして、私は独りぼっちなの――?
クララは、誰よりも強くて、誰よりも鈍感だった。
最初に試合をした貴族の少女は、学園中の人気者だった。だから皆が望んでいたのは、その少女が華々しく勝利する光景だった。
クララの勝利を望んでいる者は、最初から一人もいなかったのだ。
◆
「人間ってめんどくさいわ」
過去を語り終えたクララは、遙か昔に導いた結論を口にする。
「真剣勝負なんてどこにもない。勝ってほしい相手と負けてほしい相手は最初から全部決まってて、その空気に逆らうと、たとえ勝っても批難される」
話を聞く限り、悪いのはその貴族の令嬢だとアイルは思った。
要するにその少女は逃げたのだ。勝てると思っていたのに、負けそうになったから、興醒めしたフリをして逃げた。自分は最初から真剣じゃないことをアピールして、別に本気の勝負でクララに負けたわけじゃないと言い訳をした。
その言い訳を貫くために、少女は二度目のクララとの試合を避けたのだろう。本気でやればどちらが勝つか分からない、と周りに思わせ続けるために、その少女はクララと決着をつけることだけは避けた。……敗北を確信していなければ、そんな振る舞いはしないはずである。
「だから、クララは魔物が好きなの?」
「ええ。だって魔物はいつだって本気だもの。殺すか殺されるかの真剣勝負。どちらが勝っても恨みっこなしの、公平な戦いを許してくれる」
クララにとって人間は複雑すぎた。
だから単純な魔物の方が好きなのだ。
「アンタさ、英雄に選ばれる人間ってどういう奴か知ってる?」
「……強い人?」
「だったらよかったのにね」
クララは儚く笑う。
「英雄に選ばれるのは、皆の人気者よ」
多分、それは英雄に限った話ではないのだろう。
騎士団長とか、将軍とか、大きな商会の代表とか……皆が憧れる全ての立場について、クララは語っているのだ。
「私だって英雄になりたかったのよ。絵本を読んで憧れたことも少なくない。だから一生懸命努力して強くなったわ。……でも私は人気者じゃなかった。私が勝っても冷たい視線を浴びるだけだった」
全ての立場が実力で得られる世の中なら、どれほど簡単だったろう。
クララは、世界が簡単であることを信じて実力を磨き続けたのだ。
彼女は、純粋で、哀れだった。
「だから……そんな世界から離れたくて、少しでも実力で全部決まる世界に行きたくて、この試験を受けたの」
そう言ってクララは立ち上がった。
クララの目は腫れていたが、もう涙は出ていない。
「さっきは悪かったわね、みっともなく泣いたりして。昔のことを思い出して混乱しちゃったわ」
静かに吐息を零したクララは、じっとアイルを見つめる。
「アンタ、魔法使いって言ってたけど嘘なんでしょ?」
咎める目つきではない。
クララは冷静に、落ち着いてアイルに告げた。
「荷物を背負ってても簡単な魔法くらいなら使えるはずよ。アンタが本当に魔法使いならね」
ルウは魔法使いではない。だからアイルが抵抗できず荷物を奪われたことを不自然に思わなかった。だがクララは魔法使いだから、思い至ったのだ。アイルが一切抵抗できなかったことに対する違和感に。
「クララ、僕は……」
「いいわよ、別に」
アイルは何か言おうとしたが、クララは首を横に振って遮る。
「見栄を張るのも……人間の特権よ」
まるで、自分は人間じゃないかのように、クララは言った。
焚き火の場所まで戻るクララの背中を、アイルはすぐには追いかけられなかった。
もしも、生まれ変われるなら――私は魔物になりたい。
クララの心が、そう叫んでいるような気がした。




