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42(8)話

 俺たちはその鳴き声に気をとられる。

 一匹の鵺が天に向かって吠えていた。そして、それを皮切りに、周囲の鵺たちがこちらに向かって駆け出してくる。大量の鵺が自分たちにまるで荒波のように襲い掛かってくる。


「早く逃げてっっ」

 背中から七海の叱咤する声が聞こえた。

 それで我に返った俺は、飛び跳ねるように駆け出す。

「あなたも早くっ」

 直後、一瞬だけ振り返り、自分についてくるよう男に促す。

「あっ、ま、待ってくれっ」

 彼もすぐ俺の後についてきてくれた。

 教室のドアを出た瞬間、中に鵺たちがなだれ込んできた。彼らは床に散乱した机などを踏み荒らし、俺たちの姿を認めると、すぐにこちらに向かって走り込んできた。


 来た道を全力で駆け抜ける。怪我人にはあまり負担をかけるものではないが、このような状況ではそうも言っていられない。むやみやたらに足を動かし、とにかくやつらに捕まらないことだけを考える。

 鵺たちも当然、俺たちに追いすがってくる。我先とこちらに向かってくる。

 やつらに捕まったら一環の終わりだ。それだけは確信できた。

 やつらの怒涛の足音がすぐ後ろから聞こえてくる。まるで、ダムが決壊したようにその勢いは狂暴で、爆発的に恐怖が駆り立てられる。


「あっ」


 そのとき、後方で男の声がした。

「どうしました?」

 俺は足を止めて、後ろに振り返った。

 男は地面に両手をつけて、前のめりに転倒していた。校舎が古く、床板が浮いている部分もあるため、それに躓きでもしたのだろう。

 なんでこんなときに、と彼に苛立ちを覚えるが、助けないわけにはいかない。

 俺は彼を起き上がらせようと、とっさに近づこうとする。


「待ってッ」


 しかし、七海がそれを止めた。彼女が後ろに上体を逸らしたことで、バランスを崩しそうになった俺は、その場で立ち止まる。

「なにするんだっ」

 その声に怒りをにじませながら彼女に問いかける。


「うわあああ」


 直後、男の方から叫び声がした。目線を戻すと、彼の上に鵺が覆いかぶさっているのが見えた。

 男は恐怖に顔を歪め、そんな彼に鵺は口元から涎を垂らしながら顔を近づける。他の鵺たちも彼の周りに群がってきた。

「……彼はもう助からない」

 七海が顔を俯かせて、ぼそりと呟く。

「でも……」

 そうはいっても、ここで彼を見捨てることはできなかった。さっきから彼の助けを呼ぶ震えた声が耳に入ってくる。

「死にたいのっ⁈」

 己の良心と葛藤していると、七海が自分を強く叱咤してきた。

「このままじゃ、私たちも死ぬっ。生き残りたいなら、早く逃げてッ」

 彼女の怒号が耳元から響いてくる。

 たしかに、そうだ。彼を助けに行けば当然、あの鵺たちに襲われる。自分だけじゃなく、七海まであいつらの餌食になってしまう。

 鵺たちが彼に気をとられている今がチャンスなのだ。


「――――ぐっ」


 俺は彼に背を向けると、勢いよく走り出す。

「えっ、俺を助け――――」

 彼がそう言いかけたとき、鵺たちが一斉に襲い掛かった。


「うわあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」


 途端に肉を割く音、骨を砕く音が自分の背後から聞こえてきた。それらは醜い不協和音となって、直接脳に響いてくるようだった。

「痛いっ、痛いよっ」

 男の苦痛の声が嫌でも耳に入り、心が強く締め付けられる。

 耳をふさぎたいが、七海を背負っているのでそれもかなわない。

 俺は後ろに一切振り返ることなく、一心不乱に足を動かす。一度でも振り返ってしまえば、心が壊れてしまうだろう。

「お……ねが……い、ま……って……く……」

 息も絶え絶えな彼の嘆願の声が聞こえた。たくさんの不協和音が響き渡る中で、その声だけはしっかりと聞こえた。

 まるで、人を見捨てた俺に神様が罰を与えるかのごとく。

「た……す……」

 再び、彼の声が耳に入ってきた。しかし、そのか細い声は、一際大きい破砕音とともに聞こえなくなった。


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