35話★
「―――へっ?」
予想外の言葉に思考が止まる。
「だ、だめ……ですか?」
櫻木さんが不安げに上目遣いで見つめてくる。倉庫で二人きりとなった、あのときの櫻木さんの表情と重なる。
「うっ」
その顔は本当に反則だと思う。断れるわけがなかった。
「わ、わかった……」
その瞬間、櫻木さんがぱっと花が咲いたように笑う。彼女は、俺の右手を両手で包み込むようにして握った。
「ありがとうございます! それではよろしくお願いしますね!」
『これより、二人三脚の招集を始めます。参加選手は入場門付近に集まってください』
そのとき、選手の招集を知らせるアナウンスが流れる。
「あっ、招集が始まりましたね。すみませんが、桂くんは先に入場門へ行ってくれませんか。私は一度テントに戻ってから向かいますので」
櫻木さんの手が離れた。
「うん、わかった。それじゃ、先に行っているね」
そうして、俺は一足先に入場門へ向かうことにした。
入場門付近にはまだそこまで人が集まっていないようだった。せいぜい十数人。しかし、その中には遼の姿があった。
俺は競技を見ている遼のもとに歩み寄る。
「早いな」
遼は俺に気づくと、目を見開いて驚いていた。
「あれ? 昂輝はこの競技に出ないはずじゃなかったか?」
「うん、まあ、いろいろあって、出ることになった」
「えっ⁈ 誰と⁈」
遼が詰め寄る。
「えーっと……」
ここで櫻木さんの名前を出したら遼はどんな顔をするのだろうか。いや、ここで隠したとしてもすぐにばれるのだろうけど。
俺が遼にたじたじになっていると、突如、背後から男子たちの歓声が聞こえてきた。
「おい、櫻木さんだ」
「え、どれどれ……、ほ、ほんとだ!」
「ああ、パンフレットに名前は載っていたけど、マジでこの競技に出るんだ」
どうやら櫻木さんがこちらに来たようだ。やはり彼女に対する関心は高いらしく、声だけでも男子たちみんな彼女に視線を吸い寄せられているのが分かる。
「あれ、でもパートナーの須藤、さっき怪我をしていただろ?」
「あ、そういえばそうだった。え、じゃあ、なんでここにいんの?」
「も、もしかして他の奴と出るとか?」
「はっ、どこのどいつだっ。俺と変われ!」
「そいつも怪我しろ、いや、俺が怪我させるッ」
不穏な言葉に背筋が寒くなった。
「ひゅ~、やっぱり櫻木さん人気はすげーな」
遼は俺への追及をやめて、騒ぎの中心を見ていた。
俺も振り返り、遼と同じ方向へと視線を向ける。
櫻木さんは牧原さんと談笑しながらこちらに向かってきていた。優しく微笑む彼女はまさに天使のようで、周囲の生徒たちは彼女に目を奪われていた。
やっぱり櫻木さんは人気だよな、とか考えていると、ふと彼女と目が合う。
俺は自分の居場所を伝えるため、彼女に向かって手を振った。彼女も笑って手を振り返してくれる。
しかし、手を振ったのは少々うかつだった。これにより、櫻木さんのパートナーが自分であるとみんなに知れ渡ってしまう。
「「「んっ⁈」」」
男子たちの視線が一斉に俺へと集まった。その視線には単に驚きだけでなく怨嗟や殺意を含まれているように感じる。
「あ~、なるほどな~」
遼はというと、俺と櫻木さんを交互に見て納得した様子だった。
「はは……」
俺は苦笑いを浮かべるしかない。
「桂くん、すみません、ちょっと遅くなりました」
櫻木さんと牧原さんは男子たちの視線に気にした様子もなく俺たちの方へと駆け寄ってきた。
「競技までまだ時間はあるから大丈夫だよ」
「遼くんも待たせちゃってごめんね」
「友愛を待っている時間も楽しいから全然いいぜ」
にかっと笑った後、遼は牧原さんの頭を優しくなでた。
「りょ、遼くんっ⁈」
「これぐらいはいいだろ? なんせ友愛が可愛いのがいけないんだし」
「~~っっ」
「……」
どうやらまた公衆の面前でイチャつき始めたらしい。
いつものことだし、放置することにしよう。
「櫻木さん、これからよろしくね」
遼と牧原さんとのやりとりに苦笑していた櫻木さんに話しかける。
すると、彼女はこちらに目線を戻した。
「え、あ、はい、こちらこそよろしくお願いします。足を引っ張らないよう、頑張りますね」
「俺の方こそ櫻木さんの足を引っ張らないか心配だな」
「いえいえ、私の方が……」
「いや、俺の方が……」
「……」
「……」
「……ふふ」
くすりと櫻木さん口元から笑みがこぼれた。
つられて俺も口元が緩む。
「もう、私たち何をやっているんでしょうね」
「た、たしかに……、それじゃあ、二人で頑張ろうか」
「はい、そうですね」
「はーい、それではこれより選手の入場を始めまーす。各自、整列してくださーい」
旗手の子が入場門の前で声をかけていた。
俺たちはその子の指示に従って整列する。
俺たちが並んだのは先頭から数えて三番目。ちなみに遼たちはその前の二レース目だ。
俺が旗手の子を見ていると、体操服の裾がひょいひょいっと引っ張られた。
「ん、どうかした?」
「あ、いえ、走るときの掛け声を決めておきませんか?」
「あーなるほど。えっと、どうしよっか?」
「そうですね……。ここは無難に、いち、に、で、いきましょうか」
「うん、わかった」
「それと、最初の一歩は、右足からでお願いします。私は左足から踏み出しますので」
櫻木さんの提案に、俺はコクっと頷く。
「さすが櫻木さんだね。走るときのことなんて全然考えてなかったよ」
「ふふ、私たちは皆さんのように練習できていないですし、せっかくなら勝ちにいきたいですから」
「そうだね。それじゃあ、さっき櫻木さんが言った通りに動くよ」
「はい、お願いしますね」
『それでは、次の競技に参ります。次の競技は二人三脚です。―――――』
スピーカーを通して、放送部員の声が鳴り響く。
直後、旗手を務める生徒がピッと笛で合図した。
もう一度櫻木さんに視線を送った後、さっと腰を上げる。
「さて、頑張りますか」
誰にも聞こえないような音量で、そっと呟いた。




