30(3)話
「ッッ⁈」
とっさに振り向く。銀色の体毛とそれと対照的に光る金色の両眼。目線の先には、いつかの二足で歩く狼の姿があった。
「な、なんで……」
動揺の言葉が口から零れた。
彼らの存在を目にした瞬間、襲われたときの恐怖が脳裏によみがえってきた。その恐怖が全身を震わせてくる。
「一、二、三、四……」
人狼たちは四匹いた。そいつらはゆっくりとこちらのベンチに向かってくる。しかし、あたりをきょろきょろと見回しながら歩いてくるところを見ると、こちらにはまだ気がついていないらしい。
「か、隠れないと……」
さっさと逃げ出したかったが、あまり大きな音を出すとこちらに気がつかれるおそれがある。それなら、静かにどこかに隠れた方が賢明なように思えた。
運よく、ベンチの近くには共用トイレが設置されている。
「よし、あそこに隠れてやり過ごそう……」
音を立てないよう忍び足で移動し、建物の中に入る。
入口にはライトをつけるためのスイッチがあったが無視した。明かりをつけてしまうと、やつらがここにやってきてしまうかもしれない。
共用トイレ独特のにおいに耐えながら奥に進む。そして、大便器が置いてある個室の中に入り込んだ。カチャリっと、念のためロックをかける。
「はやくどっか行ってくれよ……」
個室の中にあった小窓から外の様子をうかがう。小窓からはちょうどベンチ付近の様子を見ることができた。
「ガルルルウウウウ……」
「グルルルルウウウウ……」
人狼たちはベンチの近くまでやってきていた。
必然的にさっきより俺との距離も近くなったので、奴らの様子をよく見ることができた。
人狼たちもベンチに置かれたあの遺体を発見したようだ。彼らは遺体のそばに群がる。
「ガル」
「グルゥ」
奴らの言語だろうか。彼らは何事か話し合っているようにも見えた。
しかし、その会議はとある声によって中断させられる。
「【接続】――――」
「ガルッ⁈」
「グルルッ⁈」
その詞が凛とした声で響き渡る。その瞬間、人狼たちが一斉の声がした方向へと振り向いた。
そこには、いつもとは異なって黒衣に身を包んだ七海の姿があった。
七海は瞼を閉じ、ゆっくりと詞を紡ぐ。
「《異なる者よ、我が世界から消え失せよ》――――」
詠唱が完成する。彼女が両手に持つ二本の小太刀に漆黒の粒子が収束する。闇に包まれた獲物を携える彼女は、まるで罪人に死刑を執行する処刑人のようにも見えた。
彼女の尋常でない様子に人狼たちがたじろぐ。
しかし、その挙動は悪手だった。
「――――死ね」
小さすぎて聞こえなかったが、彼女の口元がそう言ったように見えた。
直後、彼女が地面を強く蹴る。上半身が地面につくのではないかと思われるほど前傾姿勢で人狼たちに向かっていく。後には彼女の残像しか残らない。
「ガルッ⁈」
「グルッ⁈」
彼女の姿が掻き消えたのも束の間、次に人狼たちが彼女の姿を認めたときには、すでに彼女は彼らの目前にまで迫っていた。
一瞬で距離を詰めて自身に襲い掛かろうとする彼女に、人狼たちは驚愕と恐怖に満ちた表情を浮かべる。
「――――ッッ」
人狼たちが彼女の姿を認めて顔を歪めたのと同時に、彼女は己の獲物を力強く振り払った。漆黒の剣閃がきらめき、一体の人狼がその餌食となる。
「ガッ⁈」
斬りつけられた人狼はその場に崩れ落ち、さらに、あのときと同じように体中に罅がはいっていく。
他方、彼女はそんな崩れ去っていく人狼に目もくれない。
すぐに対応に動いた人狼二匹の波状攻撃を冷静にいなし、さらには、攻撃を加えてきた彼らにそれぞれ、右手、左腕に切り傷を与える。
刻まれる漆黒、飛び散る鮮血。
「ガルルルルゥゥゥゥゥ」
「グラアアアァァァ」
人狼たちが痛みのあまり悲鳴をあげる。しかし、彼らに痛み悶える時間なんて彼女は与えようとしなかった。
「うるさい……」
彼女は一瞬で先ほど斬りつけた人狼二匹へと肉薄する。闇夜に溶け、死を想起させるような暗い影が人狼たちを襲う。
次の瞬間には、彼女の両脇で二つの頭が宙を舞っていた。
続いて、何かが倒れる音、何かがひしゃげる音が、トイレの中にも聞こえてくる。
残る人狼は一匹。そいつは分が悪い――いや、本能的に危ないと感じ取ったのだろう、一目散に逃走を開始する。
やはり人間ではないからだろうか、その足はとてつもなく早い。このままだと、上手く逃げられるかもしれない。
だが、彼女は落ち着いていた。
彼女は逃げる人狼をあの冷徹な眼差しで一瞥した後、左手で持っていた小太刀を人狼めがけて投げつける。
地面と平行に走る小太刀は真っすぐ逃げる人狼に吸い込まれていく。
やがて、
「ガッ」
人狼は胸から黒光りした刃先を生やし、そのまま地面に崩れ落ちた。




