123話
彼の消えた後も、ともえは空を見上げ、呆然と佇む。
「はあ……、はあ……」
一本だけとなった小太刀を杖替わりにしながら、七海はなんとか立ち上がった。
七海が立ち上がると、ともえは我に返って、とっさに七海へと振り返る。
「さっき、私の爪を消し飛ばしたときにも感じたけど、笹瀬さん、やっかいな魔導を使うようね」
短くなった爪を構えながら、ともえは七海を睨みつける。
「はあ……、はあ……、こ、これが私の……魔導だから……」
右足は砕かれ、腹部は貫かれた。満身創痍でまともに話すこともできない。
「なるほど、もう話す体力すらない、か。分かった――」
ともえは身を低くし、靴底を鳴らした。
「俊哉を倒したことに敬意を表して、次で決めてあげる」
彼女の纏う空気が変わる。彼女が言った通り、次で決めるつもりなのだと、七海は悟った。
「はあ……、はあ……」
七海は一本だけになった小太刀を鞘に納め、柄を強く握った。緊張を再び纏い直す。
「ふーん、居合いかぁ……」
七海がとった構えをともえが興味深そうに眺める。
片足を潰された七海はもう移動することができない。だから、迎え撃つことにした。
相手の攻撃が自分に到達する前に、自分の刃を相手に見舞う。それができなければ自分は彼女に殺される。
「俊哉の仇を取らしてもらうよ……」
そう口にした瞬間、ともえが強く地面を蹴った。
一気にともえと七海との距離が縮まる。二人の間に横たわっていた闇がみるみるうちに消えていく。
「すー」
七海は深呼吸をしながら、目を静かに閉じた。余計な視覚情報を遮断し、精神を研ぎ澄ます。
まず、音が消えた。
本殿で鳴り響いていた轟音も、夜風が草木を揺らす音も聞こえなくなった。
次に、痛みが消えた。
砕かれた右足も貫かれた腹部からも痛みを感じなくなった。
時間間隔があやふやになった。
一秒が引き延ばされる。コンマ一秒ですら長く感じる。
まだだ……、まだだ……
暗闇の世界に身を置きながら、七海は息一つ乱さずにそのときを待つ。
そして――、
「――っっ」
そのときが訪れた瞬間、勢いよく小太刀を振るった。
漆黒の剣閃と鈍色の爪閃が交わる。
両者の位置が入れ替わり、時間が停止する。
それから永遠にも感じられた刹那の時間の後、
「ぐっ」
ともえの胸元から激しく鮮血が噴き出した。
ドサッと、ともえが地面に倒れる。
「た、足りな……かっ……た……か」
仰向けになり、真っ暗な夜空を見上げながら、ともえは悔しさを漏らす。
七海は倒れ伏すともえに目もくれず、静かに小太刀を鞘に戻した。
両者の勝敗を分けたもの。それはリーチの差だった。
七海の場合は、自身の腕+小太刀。ともえの場合は、自身の腕+かぎ爪。
しかし、ともえは七海の【虚無】によって、爪が半分程度にまで削られていた。
その分、七海の刃先が先にともえへと到達した。
長さにしていえば、ほんの数十センチ。時間にしていえば、小数点第二位以下の世界。
その僅かの差で地に立つ者と伏す者とが分かれた。
【虚無】によって消滅していくともえに、七海は振り返らない。
いつ倒れてもおかしくない状態だったが、彼女は本殿へと目を向ける。今もなお繰り広げられている激戦に身を置く大切な人の身を案じながら。




