117話
奈須神社――、それは、俺と七海が秋祭りのために来た神社だった。
祭りのときはむせ返るような人込みだったのに、今は人ひとりいない。祭りの笛太鼓も人々の喧噪も聞こえてこない。
代わりに続くのは闇に包まれる石畳の参道。代わりに聞こえてくるのは森に潜む虫たちの音色。
あのときと違って、暗くて、寂しくて、どこか不気味。
それでも俺たちは歩いていく。
お互いの存在を感じ取れる距離で、お互いの勇気を分け合うような距離で。
本殿へ続く石の階段を昇っていく。
一段、また一段と昇っていくごとに不安と緊張が高まる。
「……」
「……」
神社の鳥居をくぐってからここまで、俺と七海は一言も話さなかった。話す必要がなかった。
恐怖はお互いが近くにいることで幾分か和らいだ。
不安は相手の目を見ることで分け合うことができた。
一段、また一段と約束の場所が近づく。もう少しで、今回の事件の元凶と、両親の仇と相まみえることができる。
そして、――俺たちは最後の石段を乗り越えて、その場所に立った。
目の前には本殿があった。秋祭りのときも本殿を目にしたし、なんならお参りまでしたが、今はあの時と比べてより厳かに見える。
でもそれは、周囲を篝火が囲っているからかもしれない。
本殿と石段との距離は約三十メートル。境内の横幅は六十メートルくらいだろうか。
俺たちは石段から一歩だけ本殿の方に進み、そこで足を止めた。
「ほほぉ、ようやく来たかぇ」
俺たちが止まった直後、本殿の奥から一人の老婆が出てきた。
紫と黒を基調とした着物。百五十センチもないくらいの身長。床にも届きそうなくらい長い白髪。
現れた瞬間、心臓がドクンッと大きく跳ねた。それほどまでに、視界の奥にいる老婆は凄まじい威圧感を放っていた。
老婆は階の上から俺たちを見据えている。
「おいっ、ちゃんと来たぞっ。早くゆめを返せっ」
畏怖や不安、緊張を抑え込んで、俺は姿を現した老婆に要求した。
俺が叫ぶと、老婆はクツクツと意味の悪い笑みを浮かべる。
「最近の若い者は短気だねぇ。まあいいか、ちゃんとここまで来たことだしね。ほらお前たち、人質を解放しな」
老婆が声を上げると、本殿の奥から紫紺のローブを羽織った二人組が姿を現した。
その二人組は、誰かを抱えていた。一人は腕を、一人は足を掴んでいた。
掴まれている人物は、ゆめだった。いつも一緒だったから、この距離でも分かった。
「ほら、返すよ」
老婆がそう口にした瞬間、ローブの二人組がゆめを放り投げた。
ゆめの身体が夜空を舞う。小さな体が月明かりを遮る。
「ゆめっ」
「ゆめちゃんっ」
とっさに俺と七海は走り出していた。
ゆめと石畳との間に無理やり体をねじ込ませ、ゆめを上半身全体で抱きかかえる。
ゆめをキャッチした衝撃で後ろに転倒しそうになったが、それは七海が支えてくれた。
「ゆめ、だいじょう――――っっ⁈」
間一髪でキャッチしたゆめに視線を下ろして、体が硬直する。
ゆめの体はボロボロだった。
切り傷、火傷に、打撲痕。毒、創傷に、骨折まで。
むしろ怪我をしていない箇所がなかった。でも、かろうじて息はあるようだ。
兄の存在を感じ取ったのか、ゆめが苦痛に悶えながら目を開ける。
「に、にぃ……」
助けを求めるように、存在を確かめるように、こちらへ手を伸ばしてくる。
「ゆめっ」
しかし、あとちょっとで手が届くというときに、ゆめの体の力が抜けた。伸ばしていた腕がだらりと垂れ下がる。
「っっ⁈ ゆめっ、しっかりしろっ」
俺はゆめを地面に下ろした。
「昂輝っ、はやく魔導薬をっ」
後ろから七海が急かす。
「ああ、分かっているっ。ゆめっ、いま助けるからなっ」
鞄から魔導薬を取り出し、片っ端から瓶の蓋を開け、中身をゆめの患部に塗りたくっていく。魔導薬が塗られた箇所から、ゆめの怪我が癒えていく。
そして、最後の一瓶を使い終えたとき、ゆめの身体に無数にあった怪我が全て癒えた。
「よし、治ったっ。ゆ――」
怪我が治ったのを確認して、ゆめの名前を叫ぼうとする。
しかし、名前を呼ぶ前に七海が遮った。
とっさに彼女の方へ振り向く。
彼女はゆめを指さして、ふるふると首を振った。
「……」
俺は視線をゆめに戻す。ゆめは気を失っていた。でも、息をしていたから、ゆめは無事だと分かった。今はそれだけで満足だ。




