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93話

「……終わったの?」

 残り火がくすぶる中、呆然としていた七海が問いかけてきた。

 先生の姿も炎蛇の姿も今ここにはない。彼は炎蛇に呑み込まれ、その炎蛇も役目を終えたと言わんばかりに霧散した。

 後には、激闘が繰り広げられたことが分かる砕け散ったコンクリートの破片のみ。

「ああ、終わった」

 へたり込む七海の前に腰を下ろす。

「立てないだろ? 背負っていくから掴まれよ」

 先生を倒した今、もはやここに残る意味はない。一刻も早くここを出て、彼女の傷の手当てをしなければならない。

 しかし、七海は、


「ちょっと、待って」


 そう言って、俺の肩に掴まろうとはしなかった。

「は、なんで……」

 彼女の方へと振り返る。振り返ると、彼女はポンポンと自身の隣を叩いた。どうやらここに座れ、と言っているようだ。

「いや、早く七海の手当を……」

「いいから、座って」

 有無を言わさぬ口調だった。

「……分かった」

 抵抗できず、言われるがまま七海の隣に腰を下ろす。

 コンクリートの床は冷えていて、固かった。


「桂君、今回はありがとう。桂君のおかげで助かった」

「いや、いいって。俺だって七海にまた助けられた。七海が魔導薬を使ってくれたから、七海があの変な液体を飲ましてくれたから、俺は今、こうして生きていられる」

「……」

 七海が静かに口元を緩める。


 七海の静かな笑みに戸惑うと同時に、次に返すべき言葉が見つからなかった。だから、俺は話題を変えることにした。

「……川島先生は七海の追っているやつじゃなかったな」

 先生は半年前に吸血鬼になったと言っていた。七海のお兄さんが殺されたのは、たしか七海が小学生のときだったから、先生はお兄さんの仇ではない。

「うん、違った。でも、私としては先生じゃなくてよかった……」

 七海は遠くを見つめるように呟いた。

 それは俺も同じだった。あの先生が彼女のお兄さんを殺したなんて思いたくなかった。


 先生との今までの思い出を振り返っていると、ふっと隣にいた七海が口を開いた。


「ところで、俺にとって一番大切な女の子ってどういうこと?」


「――っっ⁈」

 床に座った途端、七海がそう問いかけてきた。

 大きく肩が跳ねる。

 おそるおそる彼女の方へと目線を動かす。

 彼女は膝で顔の半分を隠すようにしながら、体育座りをしていた。その顔は心なしか少し赤みがかっているようにも見える。


「私を庇った後、先生に言ったよね? 『俺にとって一番大切な女の子が傷ついて、苦しんでいる姿を見たくない』って。……それってどういう意味?」


 言った。間違いなく言った。

 あの場にいた女の子は七海一人。必然的に一番大切な女の子は彼女になる。

 あのときは勢いに任せて馬鹿正直に口にしていた。痛みとかなんやらでテンションがおかしくなっていた。

「えっーと……」

 視線が泳ぐ。

 そのとき、視界の端に彼女の姿が映った。彼女は先ほどより少しだけ膝から顔を出し、こちらを見つめていた。

 ブラウン色の瞳に戸惑う俺を映し、何かを心配するような、何かを期待するようなまなざしをこちらに向けていた。


 ドクンと心臓が大きく跳ねた。

 彼女が俺の言葉を待っているように見えた。


「……言葉通りだ」


 逃げ場がなかった。だから覚悟を決めた。

 七海の目が大きく見開かれる。


「最初会ったときの七海はクラスの人気者で、転校してきたばかりの俺にも話しかけてきてくれた。優しいクラスメイトだと思った。でも、夜に会ったときの七海はいきなり刀を突きつけてくるし、別人のようで怖かった」


 俺は彼女と二度の出会いを果たした。

 一人目の彼女はクラスのムードメーカーで人気者。

 二人目の彼女は怪異を討伐するちょっとおっかない魔導師。


「とにかく戸惑った。ただ、怪異と戦う七海を見て、七海の生き方に憧れるようになった。怪異の恐怖から人々を守る七海がかっこよかった。そして同時に、俺もそんな七海のために何かしたいと思った」


 あのときの光景は目に焼き付いている。

 怪異と戦う彼女。自分に背を向ける彼女。


「でも、七海も普通の女の子だった。おにぎりだらけの弁当に笑みを浮かべて、公園で本心を吐露してくれた。学園で会う七海も夜に会う七海も同じ七海で、俺はさらに七海に惹かれた」


 彼女はこちらをじっと見つめながら、俺の話を黙って聞いていた。


「七海と会うたびに、気持ちの変化が生まれた。戸惑いから尊敬に、尊敬から情愛に。そして、あるときから、情愛は明確な好意に変わった」


 好意、といった瞬間、七海の肩がビクッと震えた。


「ずっと七海を見てきた。学園中でも学園の外でも。気づけば七海を目で追っていた。だから自覚した。俺は七海が好きなんだって」


 ゆっくりと立ち上がり、彼女の前に移動する。七海は顔を真っ赤にしながら、でも視線をそらさないでいた。

 七海の前でしゃがみ、彼女の視線に合わせる。


「七海、俺は七海が好きだ。学園の内外関係ない、どんな七海も大好きなんだ」


 一気にその言葉を口にする。

 彼女にこの気持ちが伝わるよう、一瞬も視線を外さなかった。


「ねえ、こっちに来て」


 こちらの告白に七海は顔を伏せて手招きする。

 一体なんだろうかと困惑しながら、彼女との距離を詰める。

 すると、


 ――トンっと彼女が胸に顔をうずめてきた。


「ちょっ」

 反射的に彼女の肩を掴んで離そうとする。しかし、彼女の肩に伸びた手は制止し、代わりにその細い背中に両手を回した。

 彼女もそれに答えるようにこちらの背中に両手を回してくる。


「ねえ、約束して。私の側からいなくならないって」


 七海が腕の中から声を発する。

「桂君が苦しんでいるとき、私は怖かった。またお兄ちゃんみたいに、大切な人がいなくなってしまうんじゃないかって。もう私は耐えられないの。大切な人が私からいなくなるのが。だからお願い。桂君だけは、私の前からいなくならないで。ずっと側にいて」


 彼女の願い、想いが、彼女の絞り出す言葉から、彼女の力が入る両手から伝わる。

 俺は腕に少しだけ力を入れて、より自分の方へ彼女を引き寄せる。


「言っただろ? 一番大切な女の子が傷ついて、苦しんでいる姿を見たくないって。それなら、七海が傷ついて苦しむようなことはしない。ずっと七海の側にいて、七海を助けるよ」


 彼女を安心させるように優しく囁く。


「うん、……約束、だからね? 私も大好きだよ、……昂輝」


 その言葉はとても小さかったが、自分の耳にはっきりと入ってきた。

 気づけば夜が明け、壊れた窓枠から白銀の朝日が差し込んでいた。

 まるでその光は、悪夢の終わりを告げ、二人の新たな始まりを祝っているようにも見えた。


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