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89話

 額からは玉のような汗が吹き出し、顔がどんどん青ざめていく。

「ど、どうしてっ⁈」

 七海には訳が分からなかった。

 たしかに、彼の傷が重傷だった。魔導薬をすべて使っても全快とまではいかないくらいに。

 それでも彼の命をつなぎとめることはできたはずだ。実際、魔導薬を使った後の彼の血行は随分マシになっていた。

 それにもかかわらず、今、彼はこうして苦しんでいる。

 もしかして、彼の体の中で何か異変が起こっているのだろうか。

 でも、どうしたらいい?

 今は川島先生から逃げ隠れしている最中で、すぐに病院に運ぶことはできない、助けを呼べる状況でもない。


「いったい、どうしたら……」


 七海は途方に暮れる。

 こうしている間にも、彼の容態はどんどん悪くなっていく。彼がもがき苦しんでいる。

 そのとき、徐々に血行が悪くなっていく彼の姿が再び、大好きな兄の姿と重なった。


「いや……」


 口から漏れる声は涙声になっていた。

 瞳から滴が零れ落ち、彼の頬を濡らしていく。


「死なないでっ。もう私の前からいなくならないでっ」


 彼に必死に縋りつく。

 もう懲り懲りだった。自分にとってかけがえのない人が側からいなくなるのが耐えられなかった。

 しかし、運命は残酷で、彼の容態はさらに悪くなっていく。


「お願いだから……」


 彼女の悲痛な叫びが二人だけの空間に響く。

 祈るしかなかった。彼の回復を。

 悔やむしかなかった。己の無力さを。

 何もできず、ただただ彼の胸に顔をうずめる。


――――「今後、あなたが桂君と一緒にいるときに、彼の様子がおかしくなったら、これを彼に飲ませてくれませんか」――――


 そのとき、ふと脳裏に彼女の言葉が蘇った。


「――っっ⁈」


 それは、生徒会長になったばかりの彼女が発した言葉だった。驚くほど不気味で、なにを考えているか分からない彼女の言葉だった。

 七海は自身のポケットから小瓶を取り出した。これは彼女から受け取ったものだ。中には紫色の液体が入っている。


「……」


 七海は視線を下ろす。彼の容態はさらに悪くなっており、自力で液体を飲むことは難しそうだ。


「くっ、こうなったらっ」


 それだけ言うと、七海は小瓶の蓋を勢いよく開け、自分の口に含ませる。ねっとりとした舌触りがして気持ちが悪かった。


「っっ」


 そのまま七海は彼の顔に近づけ、そして、その距離をゼロにした。

 自分の唇に触れる感触。あんなにも青ざめていたのに、その部分だけは少し温かく感じた。


 ――お願い、死なないで


 彼女は強く心の中で念じながら、口に含んだ液体を彼の口の中に流し込んだ。


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