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88話

「ハア……、ハア……」

 煙幕が立ち込める中、笹瀬七海は桂昂輝を引っ張り出した。煙幕であたりは見えなくなっていたが、自分の腕にいた彼の位置が分からなくなるはずもない。

 そうして、彼を引っ張り出した七海は、煙幕で川島先生が自分たちを見失っている隙にあの場を離脱した。

 ちょうど二人の近くに非常階段があったのが幸いした。七海は屋外に出て、その非常階段を昇ることで三階に非難することができた。

 今は三階の屋内に入り、ちょっと奥に入ったエリアで物陰に隠れている。

 本当は一階まで降りて、ビルの外に出たかったけど、この足の傷で、彼を連れて逃げることまでは出来なかった。

 とはいえ、川島先生もすぐにはココを見つけられないはずだ。非常階段に通じる扉は閉めてきたから、階段を使ったとすぐにバレるはずはない。しばらくは、二階エリアを探し回るだろう。


「それじゃあ、早く手当しないと……」

 七海は彼の鞄の中を探る。鞄の中には、彼がいつも作ってくれている回復用の魔導薬がある。

 お目当ての品はすぐに見つかった。七海は、緑色の液体が入った小瓶を全て取り出す。取り出された小瓶は全部で四つ。

 その小瓶の蓋を開けて七海は――、


 ――自分の足ではなく、彼の背中に塗り付けた。


「な、なんで……」

 体を動かすことができず、されるがままになっている彼が息も絶え絶えに問いかけてくる。

 彼が驚くのももっともだった。

 彼の傷の程度は極めて重い。それこそ、今ある魔導薬を全て使わなければならないだろう。

 しかし、彼の傷を治したところで、彼が戦えるわけではない。そうであるならば、彼の傷を治すより、 まだ戦える自分の足の傷を治すべきだ。

 そんなことは七海も分かっていた。十分に理解していた上で、彼の傷の手当を優先した。

 なぜなら、治療しなければ確実に彼が死んでしまうから。

 全身を強く打ち、骨は何本も折れていた。即死を免れたのが奇跡的なくらいだ。だが、即死を免れたとはいえ、彼は重症だった。ほとんど虫の息だった。


 そして、七海は彼に死なれるのが嫌だった。怖かった。

 腕の中で青ざめていく彼が大好きな兄の最期と重なった。

 だから、こうして貴重な魔導薬を惜しげもなく彼に使ったのだ。


 魔導薬が塗られた患部からどんどん傷が癒えていく。

 七海は癒えていく傷を見て、ほっと安堵した。


「おおぉぉぉいぃぃぃ、どおぉぉぉこおぉぉぉだあぁぁぁぁ」


 階下から怒鳴り声が聞こえる。さらには、コンクリを破壊する音まで響いてくる。

 川島先生が当たり散らしながら自分たちを探している。


 治療が終わると、桂昂輝は気を失った。

 痛みが引いたことでアドレナリンが切れたのだろう。

 七海は壁にもたれた。

「さ、これからどうしよっかな……」

 誰に対するものでもないその声はすぐに虚空に消える。

 魔導薬は全て彼の治療に使った。もう自分の足を治すことはできない。

 いや、たとえ治すことができたとしても、自分は川島先生に勝つことができるだろうか。自分は魔導、技、駆け引きを駆使して全力で戦った。しかし、相手は息一つ切らさず、まだまだ余裕を残しているように見えた。両者の間には歴然とした力量差が存在した。

 そうやって七海が途方に暮れていると――、


 ――突如、膝の上に頭をのせていた彼が苦しみだした。


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