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84話

 七海を先頭にして階段を上っていく。一段一段上るごとに階段が軋むので、その音が自身の心臓を締め付けてくるように思われた。

 そして階段上りきり、二階エリアが見渡せるところまできたところで――、


「「っっ⁈」」


 視界の奥で二つの影が映った。

 とっさに身をかがめて、相手の視界に入らないようにする。


「……」

 身をかがめたまま、視線だけ上げて相手の様子を窺った。

 黒い影が急に動いた気配はない。どうやらまだ、こちらに気が付いているわけではないようだ。

「桂君、……ゆっくりと近づくよ」

 隣の七海が声を潜めて話しかけてきた。一回だけ無言で頷く。

 俺が頷いたのを確認すると、七海は即座に動き出す。


 柱の陰に隠れながら、慎重に影との距離を詰めていく。俺も彼女の後について行った。

 一つの柱を超える度に、目の前の影が大きく、鮮明になってくる。豆粒サイズだったのが親指サイズに、親指サイズが手のひらサイズに。丸っこいシルエットに凹凸ができ、それはやがて人型に変わっていく。

 そして四本目の柱の陰に隠れた段階で、その陰の正体が明らかになった。


「……」

 柱の陰から視線だけ覗かせる。

 一人は若い女性。スーツを着ているところから仕事帰りのOLだろう。もう一人はローブを着ていて、フードを目深に下ろしているので詳しくは分からないが、そのがたいのよさからして男性であると思われる。

 男は女性の後ろから抱きつき、その細く白い首筋に顔を近づけていた。フードの奥からは、この闇の中でも十分に目立つ銀色の犬歯がのぞいている。

 間違いない、吸血鬼だ。


「――っっ⁈」


 影の正体が判明した瞬間、七海の表情がこわばった。

 無理もない。自身の仇であるかもしれない怪異がそこにいるのだから。

 しかし、彼女は感情に任せて無鉄砲に飛び出すようなことはしなかった。拳を強く握りしめながらもその場に踏みとどまり、周囲の状況を冷静に分析しようと努めていた。

「あいつのほかに怪異は……いない」

 七海は、吸血鬼以外に敵の気配がないことを確認する。確認が終わると、こちらに顔を寄せて囁いてきた。

「私が合図をしたら、桂君は柱の左方向に向かって、あの爆発する魔導薬を投げて。あいつが爆発に気をとられている間に私があいつに斬りかかる。それと――」

 最後に彼女はもう一つ、俺にお願いをしてきた。そのお願いを聞いたとき、俺は目を見張った。しかし、彼女のその真剣な眼差しを見て、

「……分かった」

 と、深く頷く。彼女はそれを見て取ると、少しだけ頬を緩め、

「ありがとう、信頼しているから」

 それだけ言って、またいつもの真剣な表情に戻った。


 信頼――、彼女の口からそんな言葉が投げかけられるとは思ってもみなかった。でもだからこそ、さっきまでの恐怖が急激に収まってくる。代わりに、彼女の助けになりたいという渇望が湧き上がってくる。


 彼女は突き刺すような視線を柱の向こう側に向ける。


「それじゃあ、三……、二……」


 作戦開始までのカウントダウンを告げる彼女の声がすぐ隣から聞こえてくる。

 すでにカバンから取り出した魔導薬の小瓶をぎゅっと握りしめる。


「一……、ゴーっ」


 合図とともに、魔導薬の入った小瓶を柱の左側へと投げつける。

 小瓶は放物線を描きながら宙を舞う。やがて、地面に到達し、月明かりを反射する破片がきらめいた瞬間――、


 ――――とてつもない爆発音とともに閃光が爆ぜた。


「――ッッ⁈」

 自身の右隣で起こった爆発に吸血鬼がとっさに振り返る。


「――【接続(コネクト)】」


 すでに彼女も行動を開始していた。詞を口にする。

 彼女の周囲を漆黒の粒子が取り囲み、彼女を中心にしてダンスを踊る。


「《()なる者よ、我が世界から消え失せよ》」


 一文しかない短い詠唱。でもその詠唱スピードが近接戦闘を得意とする彼女にとって、強い武器となる。

 彼女を取り囲っていた光粒は彼女の持つ小太刀へと収束していく。彼女の刃を妖刀へと変えていく。

 二本の妖刀を構えた七海は吸血鬼へと直進する。どんどん彼女と彼との距離が埋まっていく。


「ッッ」


 吸血鬼は七海の存在を認め、いつかと同じように被害者たる女性(えもの)を彼女に向って突き飛ばした。

 前回の七海はこの女性をさらに突き飛ばした。それなら、今回はどうか。

 彼女は突き飛ばしもせず、かといって受け止めもしなかった。――その代わりに身を少しだけ横へそらして、突き飛ばされた女性を回避した。

 七海のすぐ隣を過ぎ去る女性。その女性は――、七海から遅れて飛び出した俺が受け止めた。

「んっ」

 足腰に力を入れて踏ん張り、胸に飛び込んでくる女性をしっかりと抱きとめる。

 七海はあのとき、こうお願いしてきた。


「それと――、桂君は私の少し後に飛び出して、あいつが突き飛ばしたあの女性を受け止めて。たぶん、あいつはまた被害者を私に向かって突き飛ばしてくる。だから、助けてほしい。……桂君を危険に晒してしまうことになるけど」


 彼女の想定通りだった。吸血鬼は女性を七海に向かって突き飛ばした。だから彼女の後ろにいた俺は、指示通りその女性を受け止めた。


 最小限の回避行動であったため、七海の接近行動にロスは少なかった。瞬く間に、残りの距離を詰め切った。

 そして、彼女の間合いに入るや否や、

「――ッ」

 妖刀に変わった小太刀を力いっぱいふり抜く。

 完全な不意打ち。


 しかし、吸血鬼はこれに対応してきた。

 七海が飛び込んできた瞬間、力いっぱい後方へ跳んだ。その回避行動はギリギリ間に合い、七海の奇襲はローブの胸辺りを切り裂くに終わった。

「っっ⁈」

 自分の一撃が不発に終わったことに七海が瞠目する。

 吸血鬼は二、三回後方へ跳び、七海との距離をとった。そして、ローブのポケットから前回見た小瓶を取り出す。

 煙幕を発生させる魔導薬。それを使われてしまえば、またあいつを取り逃がしてしまうことになる。

「待てっ」

 逃がすまいと七海が飛び掛かる。しかし、七海が距離を詰め切るよりも吸血鬼が小瓶を地面に叩きつける方が早いのは明らかに思えた。

「くそっ」

 これでもダメなのかと、強く舌打ちをした。体に力が入り、腕の中にいた女性をぎゅっと抱きしめてしまう。

 そのとき、いつか嗅いだ石鹸の香りが鼻腔をくすぐった。

 そして、ふっと――、


「――――川島先生?」


 クラス担任の名が無意識に零れ落ちた。


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