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切り札を使う盗賊

 無鬼(ナキ)が、俺を攫う……?

 血に(まみ)れた無鬼(ナキ)の右手が、俺の頬を撫でる。

 無鬼(ナキ)はニヤリと意地の悪い笑みを浮かべ、頬に付けた血を舐め取った。


「妾はな、お主を本当に気に入っておる。憧れていた人の優しさや温もりを、ローブが与えてくれたのじゃ。だからお主を、妾のモノにしようと思っておる」


「そんな事しなくても、傍に居たいなら居れば良いだろ……メシア達なら、俺が説得するよ。だから、攫う必要なんて……」


「ならぬ。妾のモノにすると決めたのであれば、妾が独占するのじゃ。遠く離れた土地で妾と2人、本能のままに互いを求めあう、退廃の生活に身を浸そうぞ?」


「悪いが、それは出来ないな……ぅぐっ……!」


 無鬼(ナキ)の誘いを断ると、頬を撫でていた手が首を掴む。

 そのままゆっくりと持ち上げられ、徐々に力を込められていった。

 俺は無鬼(ナキ)の腕を掴んで抵抗するが、びくともしない。


「すまぬが、よく聞こえなかったのう……? ローブよ、もう1度言ってくれるか?」


「ゴホッ、ゲホッ……聞こえなかったか? なら、ちゃんと聞いておけよ?」


 手を離されて地面に落ちた俺は、フラフラと立ち上がる。

 無鬼(ナキ)に答えが良く聞こえるように、服の襟を掴み上げた。

 約束をちゃんと果たさないとな……!


「俺はお前に攫われるわけにはいかない! 目を覚まさせてやるから、かかってこいよクソガキッ!」


「……それが、お主の答えか。ならば少々、お灸を据えてやろうかのう?」


 無鬼(ナキ)の手が俺の襟を掴み返して、その額を強烈に俺の額に叩き込んでくる。

 威力に耐え切れず、俺は大きくたたらを踏んだ。

 その大きな隙を突かれ、無鬼(ナキ)の右拳が迫る。

 俺は地面を大きく転がり、何とか右拳を躱した。


「クソッ、腹の傷がキツイ……」


「どうしたローブ、動きが酷く鈍いぞ? そのような状態で相手に出来ると思うとは、妾も舐められたものじゃのう」


「流石は魔王だ……正直、このままじゃ勝ち目は無い。そんなの分かり切ってる」


「むふふ、そんなお主も愛おしいぞ。妾は怒っておらぬ、さあ一緒に――」


「だから俺は、仲間に頼る。自分の弱さが分かってるからなっ!」


 俺はそう叫びながら、自分の右胸を強く叩く。

 小さな弾ける音が鳴り、胸から少しだけ炎が散り散りになって消えていった。


「お主、今の炎は……まさか……っ!?」


「お前が【かくれんぼ】で俺を出し抜こうとした時、俺はメシアを引き止めたよな? 無鬼(ナキ)に見えないように背中で隠したから、何をしていたか分からなかった筈だ」


「ずっと仕込んでおったのか……お主の胸元に、メシアの炎の蝶をっ!?」


「お前は上手く、出し抜いたつもりだったんだろうが……」


 俺の目の前に魔法陣が現れ、強い輝きを放ち始める。

 輝きが収まると、魔法陣の中心に2人が立っていた。

 俺を信じて待ってくれていた、大切な2人の仲間。


「待ってたよ、ローブ……!」


「やっと、自分達の出番なのだな?」


「待たせたな、2人とも。かなり色々あって説明する暇は無いけど、今は無鬼(ナキ)を止めるのに力を貸してくれ」


 メシアとシーリアスはゆっくりと微笑み、大きく頷く。

 想定外の出来事に驚愕の表情をしていた無鬼(ナキ)だが、段々と怒りに顔を歪めていった。

 騙していたと思っていたら、騙されていたのだから怒る気持ちも分からなくはない。


「そうやって妾の邪魔をするのならば、力尽くでローブを連れていくまでじゃ。メシアとシーリアスを呼び出した事、後悔すると良い!」


「あの大人が、無鬼(ナキ)……?」


「片角が折れているし、喋り方も一致している。間違いなく無鬼(ナキ)殿だろう……あの大人の姿が本来の姿だったというわけだ」


「そうなんだ……」


 そう言ってメシアは、まじまじと無鬼(ナキ)を見つめている。

 メシアは無鬼(ナキ)と一番仲が良さそうだったからな……

 もしかしたら、あんまり戦いたくないのかもしれない。


「胸が大きくなるの、良いな……」


「こんな時でも、メシアは変わらないな。その余裕を自分も見習いたいよ」


「いや、シーリアスはそのままで居てくれ。頼むから……!」


 メシアだけでもツッコミが追い付かない時があるのに、シーリアスもボケ始めたら……

 ってそんな呑気な事を考えてる場合じゃない!

 とにかく今は、無鬼(ナキ)と戦わないとだ。


「むふふ、ローブよ……メシアはともかく、シーリアスを連れてきたのは失敗かもしれぬぞ?」


「自分を連れてきたのが失敗だと……?」


「確かにローブとメシアは、『勇者』の境地に目覚めており強い。じゃがシーリアス、お主は『職業』すら手にしていない一般人。お主を狙えば、仲間想いのローブは庇ってまともに戦えんじゃろう」


「ならば試してみると良い。自分と言う一般人が、本当にローブとメシアの足を引っ張るのかな……!」


 シーリアスは俺達の前に出て、無鬼(ナキ)の目と鼻の先に立つ。

 こうなる事を見越して、シーリアスはあの『職業』を秘密にしていたのか。


「ならば受けてみると良い。魔王の攻撃を、耐えられるのかどうかなっ!」


 無鬼(ナキ)の右拳が、シーリアスの腹部に放たれる。

 俺の能力値(ステータス)すら貫く、魔王の凶悪な一撃。

 だがシーリアスは左腕にだけピンクの鎧を身に着け、無鬼(ナキ)の左腕を受け止めていた。


「なっ!? シーリアス、お主は……!?」


「耐えてみせたぞ……! 自分はもう、ローブとメシアの横に並び立てるのだっ!」

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