第58話:起死回生兄さん
『行き先を選んでください。現在、農園ダンジョンの3階層、出口、の2つが選べます』
2層の金扉に着くと、また同じ選択を迫られた。
「3層で」
少しだけ声が震えそうになった。扉の向こうには、おじキャタ以上の強敵が待ち構えているかも知れないんだ。そりゃ緊張もする。
「じゃあせーので、開けるよ?」
「はい」
扉の枠に肩だけ預け、ゆっくりノブを捻る。
「せーの」
一気にドアを開いた。
「……」
「……」
異常なし。今までの2層は、扉のすぐそこに潜んでいて、待ちハメみたいなことしてくる敵はいなかったけど。今回もそれは大丈夫そう、かな。
背負っているリュックを手でさする。ポーションの小瓶の感触があった。それで少し気持ちが軽くなる。
向かいの菜那ちゃんに1つ微笑んで、それを合図に、パッと扉の向こうに顔を出し……
――そこで何かが弾けた。
顔が勝手にグルンと上を向いた。天は地上と変わらず青く澄んで。そこに向かって噴き上がる赤を見た。
「お兄ちゃん!!」
悲痛に響く菜那ちゃんの声に、急激に薄れゆく意識に、俺は自身の致命傷を悟る。最期の力を振り絞って、妹の方を向いた。目が霞む。何とか口を動かした。「逃げろ」と。声は出なかった。
神様どうか。あの子を守ってあげて下さい。
……嗚呼。最後に、菜那ちゃんの顔を見たかったな。
◇◆◇◆
兄が扉の向こうを覗き込んだ次の瞬間、反対に仰け反っていた。同時にパーンという乾いた発砲音を菜那は聞いた。そこから、彼女には情景がスローモーションのように見えていた。
仰け反ったまま、額から血を噴き出す兄。体が仰向けに倒れゆく。
「お兄ちゃん!!」
自分の喉から出たとは思えないほどの大声。兄が顔を動かし、こちらを見た。目には既に光がなかった。失われていっている。命が。最愛の命が。急速に、突然に。
「にげろ」
声は聞こえなかったが、兄の唇はそう動いた。それを見た瞬間、菜那は金切り声を上げていた。「キ」とも「ヤ」ともつかない音から始まる大音声。先程より更に何オクターヴも高い音。脳内を駆け巡る激情。
にいにが。
お兄ちゃんが。
兄さんが。
…………死ぬ?
ありえない。
あってはならない。
無理だ。
壊れる。
「時間を」
壊れるくらいなら。
この世界ごと。
「巻き戻して!!!」
◇◆◇◆
扉の枠に肩だけ預け、ゆっくりノブを捻る。
「せーの」
一気にドアを開いた。
それと同時、バクバクと心臓が暴れだす。まるで生命の危機を知らせているような……な、なんだこれ。
と。
「いやあああああああ!!!」
凄まじい声に、俯きかけていた顔を上げる。対面の菜那ちゃんが狂ったように魔法を放っていた。え? な、なにが?
どうしたの、と声を掛けようとして、自分の喉が焼けついたかのようにカラカラになっているのに気付いた。なんだこれ? 多少、緊張してはいたけど、こんなになるほどって……
「あああ!!」
鬼気迫る表情の菜那ちゃん。あんな彼女は初めて見た。本当に幽鬼が取り憑いたんじゃないかと思うほどの。
ゆうに15発は撃っただろうか。扉の枠も少し黒くなっている。そして、コロンコロンと転がってくる何か。銃身のようだった。2個、3個と同じものがドア枠を越えて、2層側に転がってくる。近くで見ると、焼け溶けている部分が多くある。銃身の中で弾が暴発したのか、変な方向へ膨張している箇所もあったり。
「な、菜那ちゃん?」
「はあ、はあ、はあ」
肩で息をする菜那ちゃんが、俺の方を見た。その瞳に涙が浮かんでいる。今にも俺に抱き着こうと、腰を浮かせかけた彼女に、
「ダメだよ! まだ狙ってるヤツがいるかも知れない!」
口が勝手に動いて、注意をしていた。な、なんで狙われてるなんて言いきれる……
「うっ! うえ!」
知らず嗚咽が漏れた。一瞬、脳裏に恐ろしいビジョンが浮かんだんだ。額に向かって飛んでくる鉛玉。首が跳ね上げられ、空が見えて、それから何も見えなくなって……
まさか。まさか。
「死んだのか? 俺」
いや、生きてる。まごうことなく。今ここで息をしている。対面の菜那ちゃんの様子も見えている。俺の言葉で何とか腰を落ち着けたけど、目は真っ赤だ。そうか、彼女が泣いていて、俺が死の明確なビジョンを幻視していて、つまり導き出される答えは。
「クロノスの祝福」
使った、いや、使わせてしまったということだろう。絶望的な気持ちになる。今ですら反作用があるのに……二重になるんだろうか。そんなのって。
いや、今はとにかく、ここの離脱が先決か。いや、この扉を閉じれば良い。俺はノブを押して……転がって来た銃身が邪魔だ。クラブのヘッドとシャフトが交わる直角部で捉え、掻き出すように動かして、ドアの軌道上からどかす。その後、すぐさまドアを閉めた。
「ふう」
流石にバズーカやマシンガンを撃ってきて、ドアを破壊するってことはないハズだけど。
「兄さん!!」
菜那ちゃんがこちらに駆け寄ってきて、そのままの勢いで俺の胸に飛び込む。支えきれずに、2歩3歩とたたらを踏んだ。
「生きてる……生きてますよね?」
「ああ、もちろん」
心臓の鼓動を聞かせるように、ギュッと彼女の頭を左胸に押し付けた。
「菜那ちゃんが……助けてくれたんだよね?」
逡巡したのち、コクンと頷く。助けたと言っても、実感が湧かないのかも。彼女は今回、初めて意識的に時を巻き戻したハズで、でもそんな神の如き所業を自分が成したと言い切るには、まだまだ認識が追いついてないんだろう。
というか、巻き戻してもらった俺の方も、なんだかまだ変な夢を見ているような心地でもあるし。けどあのリアルなイメージは確かに脳が記録したような鮮明さで。でもアレが無かったことになったんだよな。だから今、俺はここに居られるワケで。
ああ、思考がとっ散らかりすぎてる。
もう今は考えるのをやめよう。そしてただ、
「兄さん……兄さん……」
最期に顔を見たいと願った、この最愛の妹を胸に抱いて、互いの体温を通わせ合うことにした。




