花街にて(3)
「私たちの間でも噂になっておりますね、その新しい形の見世は」
学校からの帰りの馬車で、いつもなら獅子に乗って空から追従するアゼルさんが珍しく同席させて欲しいと申し出てきたので、ミシュレの隣に座って貰った。
「あら、アゼルもそういうのに興味があったのね。――っていうか、貴方いくつだったかしら?」
「二十四です、母上。ひっつかないでください。私に興味なんかないでしょう、本当は」
一応親子のこの二人。揃って私の協力者になって貰ってからはそれなりに会話をする機会もあって、ミシュレの方は徐々に「これが私の息子」と思えてきているようなのだけれど、アゼルさんの方は三十過ぎの長身の男に笑顔で「ママよ♡」と言われて距離がグッと開いていた。
「っていうか、その後、騎士の人たちとの仲は大丈夫ですか?」
「えぇ。私はいつでもあのダン卿を叩きのめせるのですが、聖騎士の方が間に入られてしまいまして。あれ以来とくに目立つような事はありません」
ご心配をおかけしました、とアゼルさんは言うが、あれは私の配慮が足りないから起きたことだ。
あれ以来、私は一人で授業を受けることになった。
元々最下位で授業内容についていけていなかったので、一度学力レベルを見直した方がいいとルス・タヴェリ先生から提案があったそうだが、隔離された、ともいえる。
いや、隔離というか……。
そのうち、聖女科には通えなくなるかもしれない。
「ところでアゼルさん、何か話があるんでしょうか?」
それとなく打診されている事に思考が沈みかけ、私は首を振って話題を変える。
「少し気になった程度なのですが、件の見世に行った騎士が妙な話をしたのでご主人様のお耳に入れておくべきかと思いました」
「妙な話?」
「その見世で料理を食べてから、他人が羨ましくなってきた、と」
それは当たり前の感情ではないのか?
私がキョトンと首を傾げると、アゼルさんは一寸考えるように口元に手を当て、軽く首を振る。
「嫉妬心や他人を羨む心は私にも覚えがあります。ですが、どうにも、聞いていると……少し、違うようなのです。何と申しますか……隣の間にいる客よりも優れた男だと証明したくなる、と。あっという間にお金を使ってしまうとか」
「まぁ、キャバクラなのでそういう雰囲気なんじゃないでしょうか?」
仕切りがなく隣で女性が高い声を上げ客の男を讃えていたら、自分だって、と負けずに新しい料理やお酒、新しく何人も女性を席に呼んでしまうものだろう。
「……我々騎士は、精神的にも十分鍛えられております。女性の色香に迷って予想以上の出費をしたり、見知らぬ他人からの評価を強く求めることは……ないはずなのですが」
そういうものなのだろうか、とアゼルさんは怪訝そうに眉を寄せる。
「ねぇエルザ……もしかして、私の息子って……女性経験ないんじゃないの?」
「ミシュレ、母親からその手の話題を突っ込まれるのはとても嫌だと思うので止めてあげてください」
もしかして初恋はマーサさんだったんだろうか……。いや、まさか、淡い恋とかこう、ね……二十四歳なんだから、それなりに……してるだろう。
私とミシュレはボソボソっと内緒話のように小声で話し、そしてポン、と手を叩いた。
「それならアゼルさん、ちょっと《緋色の空》で遊んできたらどうです? そんなに高くないって言いますし、私ちょっとならお金がたまってきましたし……」
「いえ!!いいえ!!ご主人様から出して頂くことはありません!! といいますか……時々、ご主人様はお忘れになられているようですが、御身はまだ幼い少女ですので……あまり花街に慣れてしまわれるのは……どうかと」
そうです、私、四歳児ですね。
自分でもこの言動、こんな四歳児がいるか、と思うけど。
「あんたはちょっと一回ハメを外してみるべきよ。あんたのお父さんなんて実は女遊びが激しくて正妻と後妻の他に愛人だっていたんだから」
「これ以上私の中のクリストファ様の評価を下げさせないでください母上」
ケラケラと笑うミシュレに、アゼルさんは心底嫌そうな顔をする。
というか、そうか……あんまり考えないようにしてたけど……アゼルさんの父親って、うん……そうだよね、まぁ、そうなるわな。
「うん? あれ……?」
親子二人の口喧嘩、というか、アゼルさんが一方的に怒っているだけだが、その言葉の押収を聞きながら馬車の外を眺めると、見知った姿があったような気がした。
「どうかされましたか、ご主人様」
「いえ、気のせいだと思いますけど……」
ここは王都なので、あの人がいてもおかしくない、ないが……いたらヤバイひとが、今、ちらっと見えたような……。
気のせいだろう。どこにでもいるような黒髪の青年だった。
私は首を振って、とりあえずアゼルさんは《緋色の空》にものは体験だと、遊んでくることを再度勧めた。
+++
「気付いたら有り金全て使い切っていました」
入る前は『小一時間で出てきますから』と興味なさそうにしていたアゼルさんが一時間たっても二時間経っても帰ってこないので、ミシュレに迎えに行ってもらうと、酔って顔を真っ赤にしたアゼルさんが足元をふらつかせながらも、意識ははっきりしているらしく、自分の醜態を信じられない、という様子で語った。
ここは見世の、メリダさんの部屋だ。見世の娼婦たちはやる気をなくして誰かの部屋に集まってあれこれ話をしているらしい。
「アゼル様のような立派な騎士の方でさえ、でございますか」
部屋には店主もいる。
ここ最近客が寄り付かず、最初は焦っていた店主だが、メリダさんの言葉を信じて騒ぎ立てず、やってきてくれるお客を大事にもてなしていた。
今日はアゼルさんが《緋色の空》に行ってきたというのを聞いて、どんな様子だったのか、普段遊び慣れない騎士様からみてどうだったのかと、それを知りたがって同席している。
メリダさんは窓の近くに腰かけて、夢の中にいるようであれこれ小さく歌を口ずさみ頭を揺らしていた。
「私はあぁいった見世は初めてなので、最初は騒がしいより大人しい女性と話がしたいと頼みました。すると店主は、それならと、まるで娼婦には見えない控えめな……行ってしまえば、地味な、村娘のような女性を紹介してくれました」
マーサさんでも思い出したのだろうか、村娘、と言ったとき一瞬アゼルさんの表情が優しいものになった。
「酒の最初の一杯と小皿の少量の料理は無料だそうで、それを飲みながら話をしました。つい最近仕事を始めたばかりで……家が貧しく、借金を抱えて、売られてここに来たのだと話してくれました。ここでの給金は全て実家へ送り、病の弟の薬代にするのだ、と……それで、殆ど自分の食事もしていない、と恥ずかしそうに話すので……それなら私が料理を頼むので、それをたくさん食べて貰いたいと……あの健気な少女に、何かしてやりたいと思いました」
けれど彼女は見世の人間なので、他の客とも話をしなけばならない。客に指名され(指名制度があるらしい!)申し訳なさそうにアゼルさんの元から離れようとする彼女を、アゼルさんは引き留めたくなったそうだ。
「他の客は……彼女に酷いことを言うかもしれないし、破廉恥なことを求めるかもしれない。それなら、私がいる間は、私の傍で……ゆっくりと食事をさせてやれれば、と……」
なのでアゼルは彼女がここに居続けられるようにと金を払い、お腹がすいている彼女のためにたくさん料理を頼んだ。そのたびに申し訳なさそうにしてくれる彼女に喜んで欲しくなって、楽しい思いをさせてやりたくなって、外の女性も席に呼び、楽しく女性同士で話しができるようにしたらしい。
「…………駄目だわ、この子、完全に……商売女に言いように利用される……カモだわ」
「アゼルさん……チョロすぎる」
話を聞いてミシュレと私は戦慄した。
いくら使ったのかと確認すると、金貨十五枚が二時間で吹っ飛んでいた。
ここまで、花街の餌食になるテンプレのような存在が、まさか身内にいたとは……。
「こうして見世を出て、冷静になると、そんな話はありふれているし、本当だとしても、私がたった数時間彼女に何かしたところで状況が変わるわけではありません。だというのに……私は、一体何を……最初の酒と、小皿の料理を口にしてから、どうにも……自分が自分でなくなったような……」
不覚だった、とアゼルさんは床に頭をこすりつけて反省する。
「どう思います? 店主さん」
「アゼル様の生真面目さは、私も良いカモになると常々思ってはおりましたが……賢い御方ですので、そう簡単には騙せるものではないでしょう」
「え? カモ? 店主殿……?」
私は一緒に話しを聞いている店主さんに感想を求めると、店主さんは中々に失礼なことを言いながらも、ふむ、と口元に手を当てた。
「たとえば、何か……薬を盛られて思考を鈍らせられている、というのは考えられませんかな?」
「それはないわね。アゼルは私の息子だから、毒物……アゼルの体に悪い影響を与えると思われるものはあまり影響を与えない筈だもの」
と、ミシュレが否定する。
だが明らかに、飲み食いしてから、というのが何かしらのスイッチになっているようだ。
私はこれに似たものを知っている。
あの、魔女狩りの行われたトールデ街で、教会が振る舞った神の血は、人の心を操作する効果があった。
あれは人々の不安を煽り、カーシムさんへの敵対心や疑心を植え付けていたが……そういうことが出来るのなら、同じように、人の欲を強く押し出すこともできるのではないだろうか?
「うん? なんの騒ぎだ……? 客引き、とは違うようだが……」
まさか、聖王都の花街で何か教会の仕込みがあるのだろうかと疑っている私の耳に、女性の悲鳴が聞こえた。
外の《緋色の空》の店先からだ。
私たちは窓を開け、バルコニーに出る。
「……あれは」
すっかり日が暮れた花街。
煌々と魔術の灯りがともる美しい見世の前に、この場に最も似つかわしくない、禁欲的な顔をした青年が立っていた。
青年は真赤な神官服に身を包み、背後に黒い服の神官たちを控えさせ、まるで季節の挨拶でもするかのような、丁寧な物腰でゆっくりと口を開いた。
「ごきげんよう、わたくしは異端審問官のモーリアス・モーティマーと申します」
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