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【書籍化】野生の聖女は料理がしたい!  作者: 枝豆ずんだ
第五章 冬の踊り子編
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幽霊の愛の、終わり(1)

すいません、レヤクさんとグリフィスさんの前に、セレーネさんとアゼルさんの話です。

セレーネは屋敷の中から、一人窓の外を眺める。


ドゥゼ村の聖女たちにより雪が消え、露わになった被害のあれこれ、街中のいたるところから嘆きや慟哭の声がひっきりなしに上がり、対策本部としたセレーネの元にも多くの被害状況が報告されてきた。


(これが、わたくしたちの始めたこと)


18年間ずっと一緒にいたイレーネが隣にいなくても、セレーネはこの事実をじっと、受け止められている自分に気付いた。


全て計画通りだから、だろうか。

いいや違う。何もかもが、セレーネとイレーネ、そしてロビン卿の思い通りだったわけではない。予想外の事は多くあった。けれどそのたびに、軌道修正をしてきて、それが上手く行ったから、ほっとしている部分があって、この凄惨な状況にそれほど心を痛めないで済んでいるのだろうか?


(いいえ、違うわ)


そっと、セレーネは窓に手を触れる。


己は今どう感じているか。それをはっきりと、してしまおうとセレーネは目を伏せた。


ふつふつと心の中から湧いてくるこの感情は何というのか?

それは簡単、それはとても単純だ。


(あぁ、ざまあみろ)


にっこりと、うっとりと、セレーネは微笑む。

誰も彼もが慌ただしくしてる中、絶望する中、嘆く中、セレーネの心は誰よりも晴れやかだった。


「失礼します、セレーネ様」

「……あら、アゼル? それに――エルザ様」


振り返れば騎士アゼルと、その騎士に主人と認められた位置に立っている銀髪の少女がいた。

一度は屋敷の外へ出て、外の惨状を目の当たりにしたらしいアゼルの顔には疲弊が見られたが、まだセレーネの腰ほどもない幼い少女の顔には人死にを目にした衝撃は感じられなかった。


「セレーネさん、炊き出しは終わりましたので、私はアゼルさんと魔女のいる霊峰へ向かおうと思うんです」

「まぁ……スレイマン様を追うのですか? こういっては何ですけど、足手まといにしかならないのでは?」

「いえ別に、何か手伝いにとか大それたことじゃなくて、迎えに行こうって、思いまして。スレイマンなら、ちゃっちゃか終わらせてしまうじゃないですか」

「ご主人様のご養父殿は足が不自由な方とお聞きしました。それであれば、我が獅子がお役に立てるかと」


エルザの言葉をアゼルが補足する。

ご主人様? アゼルはエルザをそう呼ぶことに決めたのか。

セレーネは少し驚いたように目を見開き、アゼルとエルザを交互に眺める。


「……アゼル、あなたはそれでいいのですか?」

「? と、おっしゃいますと?」


思わず問うてしまったセレーネに、アゼルが聞き返す。


「……それは」


これは、ロビン卿の計画と違う。

じっと、セレーネはアゼルの瞳を見つめた。そのまっすぐで、痛いほど真面目な青年。イレーネに憑りついたミシュレが自慢にしていた優秀な騎士。

その瞳には苦悩がない。それはおかしい。そんなはずはないのに。


「アゼルさんは、立派な方です。もちろん、セレーネさんもご存じだとは思いますが」


動揺するセレーネの耳に、エルザの少女らしからぬ低い声がかかった。

ハッとして、視線をアゼルからエルザへ移せば、魔王の娘はその美しい冬の泉と同じ色の瞳をこちらへ向けて、にっこりと微笑んでいる。


「自分の出生のあれこれを悩むより、取りこぼした幸せを嘆くより、奪われた未来を求めるより、ただ街の人たちの為に、正義の心を持って立ってくださっているのです」

「……正義、ですって?」


セレーネはエルザの言葉により、やはり計画通りアゼルがその出生の秘密を知らされたということがわかった。


だが、それなのにアゼルは混乱も苦悩も絶望もせずにいる?


そんなバカなことが起こるはずがない。

アゼルが生まれ育てられてからの二十年以上は、そんなに薄く単純な月日ではなかったはずだ。

セレーネは動揺した。この場にイレーネがいれば、即座に二人で話し合えたし、ミシュレがいれば質問もできた。ロビン卿の指示を仰ぐこともできた。けれど今ここには誰もいない。セレーネ一人しかいない。


セレーネはアゼルの手を握ろうと手を伸ばした、けれど、それはエルザによってさりげなく阻まれ、青い目の少女はそんなつもりは欠片もないという顔で、ぺこり、とわざとらしいほど幼子の仕草でセレーネに頭を下げる。


「それじゃあ、セレーネさんに報告もしましたし、私たちはこれで失礼します」


明るい少女の声、付き従う騎士の甲冑の音を聞きながら、セレーネは何もすることができずただその去っていく姿を眺めた。


先程までの、晴れ晴れとした心はもうない。

ただ、あの少女を行かせてしまえばイレーネが自由になれない、その確信があった。


折角ここまで進んできたのに。

折角ここまで進んでやったのに。


セレーネはトン、と床を蹴りエルザへ手を伸ばした。アゼルが扉を開け先に出る、そして遅れて出ようとするその長い銀髪を掴み、自分で自分にこんなに力があったのかと驚くほどの勢いで、床に叩きつけた。


「助かります。やっぱり個別撃破に限りますよね。ずっと単純になってくれます」


エルザの声に怯えはなかった。騎士アゼルが慌てて叫びすぐさま引き離そうとするが、エルザに覆いかぶさったセレーネは体重をエルザにかけて抵抗した。


首を絞め上げるセレーネに、エルザは苦し気に眉をしかめ口から泡を吹く。だが青い瞳に怯えはない。


かつて、母が井戸へ突き落とされるのを目撃してしまったセレーネが父に首を絞められた時は恐怖で泣き叫び全身で抵抗したというのに、その必死さがエルザにはない。


うっすらうっすらと、不気味な程、目尻には笑みさえ浮かべている。


「ッ、御乱心されたか! セレーネ様!!」


得体の知れぬ不気味さにセレーネは怯んだ。その隙に、アゼルがセレーネを引き離し、羽交い締めにする。


「抑えていてくださいね、アゼルさん」


ゲホゲホと咽ながらも、ゆっくりと立ち上がるエルザは何やらキラキラと光る柔らかな液体の入った瓶を取り出し、こくり、とその口に含んだ。


何をするのか、と警戒しているとエルザはセレーネの髪を掴んで自分の顔の高さに持ってくると、そのまま唇を重ねる。


入り込んできたのは甘い、何か、花の香のするもの。蜂蜜とは違う。毒かと恐れ吐き出そうとしたが、エルザがセレーネの顔と唇を抑えそれを許さなかった。抵抗はしたが、しかしコクリ、と喉が鳴って嚥下する。


それを満足そうに眺めたエルザがセレーネから離れ、アゼルもどさり、と腕を放した。


「星屑さんから貰ったお花なんですけど、相手に受け取って貰うっていう定義がちょっと分り辛いじゃないですか? それで、井戸の中で私が自食したのも判定的にOKだったので、ちょっとさっき、ジャム風にしてみたんですよ。あ、貴重なお砂糖たっぷり、ありがとうございました」


毒を飲まされたのか、何なのか、わからぬことが恐ろしくミシュレはくの字になって何度も咳をしたが喉を通ったそれは吐き出せなかった。


意識が朦朧としてくる。

あがきもがく中、自分を見下ろす少女を睨み付けた。


「それじゃあ、ちょっと質問させてくださいね。貴方の、一番悲しかったことを」




+++




魔女というのは、この少女のことを言うのではないかとアゼルは笑い出したくなった。


これまで自分の心にはマーサという心優しく美しい聖女がいた。彼女を守ること、その瞳に自分を映す事に意味があり、手を伸ばし続ければいいのだ、そう感じてきたけれど、今は、まるでそれどころではない。


この少女はなんという、強烈な存在感だろうか。


この一日、いや、マーサがこの屋敷に来てから、いや、それよりも前、もっともっと、前から、己には様々なことが身に起きていたのだ。気付かなかった事も、気付いていた事も。


ロビン卿、この領地最強の騎士が自分の育ての親だった。

それは誇りと自信になっていた。

尊敬すべき領主様。いつも理路整然とされ、的確に判断を下される素晴らしい主君。


アゼルにとって二人に認められ、役立てる事が何よりの誉れであり、騎士としての全てを捧げる事だと信じていた。


しかしマーサと出会い、己が一人の、ただの男でしかないことを知った。

彼女を守り、彼女の騎士であり続けたいと願った。領主様から直々に彼女の任を任されたことで、一層その思いは強くもなった。


己のこの想いは正しい、この己の道は正しい、そう信じ、領主様と、そしてロビン卿がそれを「正しいこと」と保証してくださった。


けれど、それは作られたものだった。


自分の母親は、魔女の娘の生まれ変わりとされたルシア様。

ルシア様は領主様に殺され、自分も領主様に殺される運命だった。

それをロビン卿が救ってくださった。


……いずれ、領主様を殺すために。


次代の領主となるグリフィスの花嫁、マーサに引き合わされたのも、その為だったのだろう。狙い通り、自分はマーサに心を奪われた。グリフィスを憎んだ。

マーサは自分ではなく、愚かなグリフィスを選び、何もかもが作られた関係だったと知った己は、もはや何を信じていいのかわからなくなった。


ルシアの部屋に閉じ込められた時、アゼルの耳には甘く優しいルシアの声が響いていた。


『復讐を』


何に対してか、それはルシアの望むものかそれともアゼル自身のものかわからなかったが、突然知らされた自分の出自や、これまでのこと。何もかも騙されていたのだと、アゼルの心は黒く染まり、泥に飲み込まれそうになった。


囁く声そのままに、身を任せてしまえば楽だと思った。己の身のうちからは確かに、騙された恨みと恥が燃え上がっていた。ルシアの声はアゼルの羞恥心から来る衝動を憎しみに変え、そのまま剣を抜かせるに足る勢いがあった。


『この街を助けたいですか?』


アゼルは剣の柄に手をかけていた。抜いて、まずは最初に目の前の少女を斬ってしまえばいいような、そんな気がした。


だが少女は、エルザはただまっすぐにアゼルを見上げそう問うた。


街を。


いや、そうじゃない。今は、そうじゃなくて復讐をしなければならないんだ。自分に恥をかかせたマーサや、騙していたクリストファ、それにグリフィスも。ぐるぐると自分の中の憎悪がそう告げる。


頭痛が走った。

胸の内が締め付けられるように苦しく、呻き、何かを吐き出しそうになる。


この衝動に身を任せたかった。そうすれば楽になれる。

だというのに、自分を見つめる少女の瞳の青さが、アゼルにクビラ街から見る青空を、思い出させた。


物心ついた時から、両親はいなくて、孤児の自分。


獅子の魔獣が常に影に潜んでいて、それを不気味がられ石を投げられ、化け物だと罵られた。


ロビン卿が拾って育ててくださって、騎士としての訓練を受けたけれど、他の騎士たちからはどこか、違う存在だと遠巻きにされていた。


思えば苦しい事の方が多い人生だった。


誰にも心を開けず、自分が何か人とは違う生き物なんじゃないかと、けれど自分の獅子を気味が悪いとか疎む心がちっともなくて、そういう所がまた、きっと異質なのだろうと閉じこもった。


自分が車輪の騎士という名を頂き、ロビン卿直属の騎士としてどこの隊にも所属しない理由を、それは己が優秀だからと目を背けていたが、本当は、誰も関わりたくないからだと、気付いてもいた。


だから、村から若い娘を無理矢理連れてくる役目を、マーサを連れてくる役目を、自分が任されもしたのだろう。今なら、そうわかる。


街を助けたいか。


そう問われ、アゼルは否定すればよかった。

クビラ街が自分に何をしてくれたのか。そこに暮らす人々が、自分に何をしてくれたのか。

最早領主様も、ロビン卿も、何も信じられない己が、街を助ける理由などあるものか。


そう、即座に否定できるはずだった。

だがエルザの目が青かった。

青く、青く、どこまでも美しい青、それはアゼルが、石を投げられ罵倒され追いかけられ逃げながら、魔獣の獅子と登った屋根の上から見た空。一人任務を終えて駆ける獅子と見た空。


当たり前にいつも平和に平穏に、人の営が広がる街の上に浮かぶ空の色を、思い出させた。


「当然だ」


気付けば、アゼルの口はそう答えていた。


そして、そう答えれば己の中にドロドロとしていた感情が綺麗さっぱり、消えていることに気付いて驚く。


復讐しようと囁いた声に痺れた甘さより、それは真っすぐにアゼルの心に響いた。


まるで新しく生まれ直したような気分だった。


エルザには「悩むのはあとでもいい」などと言いながら、もう悩むことなどなかった。

領主様も、ロビン卿も、母も、魔女の娘も何もかも、これまでそれらが己を作る要員になったとしても、それらによって己の人生が作られていたものであっても、アゼルはクビラ街の空が好きだった。


「君こそが、魔女だろう」


アゼルは先を進むエルザの背に、聞こえぬほどの音でそっと呟く。


この少女は、マーサのような聖女ではない。人の心を汲み、察し、優しく受け入れ最善を考え手を握り返してくれるような優しさは欠片もない。


アゼルは自分は誰かの為に生きるのなら、それは復讐をするべきなのだろうと思った。それが、己を産んだ母の願う、育ててくれた人への恩返し、騙した男への報い。不特定多数の「誰かの為」ではなく、自分に関わった人たちと交わる運命なのだと思う。アゼルはそう望まれた、そう願われて生かされてきた。


だがエルザはそれらを切り捨てさせる。まるで、それはどうでもいいものだと言うように。アゼルが彼らの期待を全て裏切れと言う。


なんと、魅力的なのだろう。


先を行く、揺れる銀髪を見つめる。

彼女を獅子の背に乗せて、街を飛びたいと思った。そして、美しい青空をこの銀の髪に反射させて見てみたい。


きっと美しい青は銀髪によく染まるだろう。




Next

依存先変わっただけじゃねぇか、と思わなくもない。

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