誰が駒鳥を、殺したのか(3)
私は思考が自由になるのを感じ、ぱちり、と瞬きをする。
それほど時間が経っていないのか、アゼルさんが考え込むようにして唸っている。
「まだ迷っています?」
「……突然すぎる。自分の母親のことや、それを……領主様が殺めたなど」
「悩むのもわかりますが直感で。この街を助けたいですか?」
「当然だ」
それは即答だった。
「じゃあ今はその感情だけ見ていてください。街を救う為に、行動する。いいですね?」
「そうだな。……悩むのは、あとででもできる」
「そうですよ」
私がミシュレを心象風景の厨房に閉じ込めたからか、モノクロの世界は終わっている。扉からもすんなりと出る事が出来て、私とアゼルさんは再びマーサさんの所まで戻った。
「あぁ、エルザちゃん! よかった。戻ってこないから、どうしたのかって心配してたのよ」
「すいませんマーサさん。……えぇっと、あの、これは?」
屋敷の調理場へ戻ると、そこには笑顔で私たちを迎えてくれるマーサさんと、調理作業をしている使用人さんたちがいた。
「……もしかして、私がいない間にマーサさんが説得してくれたんですか?」
「お願いしただけよ。外には出られないけど、何か起きてるのは皆わかってるもの。ただじっとしているより、体を動かした方がいいでしょう?」
それはそうだが、彼らの不平不満はそんな正論でどうにかなるような類ではなかったと思う。
しかしマーサさんは事も何気に言うのだ。
……そうだ、この人はそう言う人なのだ。
私と最初に会った時も、マーサさんは「優しさは人を優しくしてくれる」とそう信じている人だった。善意は善意に繋がる。
「っ、それでは!! 炊き出し用の食事は継続してそのまま皆さんに作って頂きます! 私とマーサさんは、結界を張る為の料理を!!」
「えぇ、もちろんよ、エルザちゃん」
ぐいっと私は袖をまくり、魔法のテーブルクロスを広げる。
トントントン、と弾むように野菜を切り、マーサさんが流れる水を美しい手つきで操る。
雪と氷に押しつぶされた街。
長く続く、魔女の娘の悪意と意地。
魔女の矜持と、冬の踊り子たち。
「マーサさん」
「なぁに、エルザちゃん?」
「マーサさんは、私が……進みたい未来を、良いものだと信じてくれますか?」
大きな鍋にニンニクと油を入れてしっかりと炒める。かき集めた、乾燥した硬いパンを一口大に砕いて一緒に炒め、油を吸ったところで聖なる水を大量に入れる。
「悪い未来に行きたい人はいないでしょう?」
「私にとっては、良い未来でも……それは、他の人からしたら、邪魔とか、迷惑かもしれません」
「そうね、エルザちゃんはちょっと……猪突猛進なところがあるものね」
「ぐぅっ」
鍋が沸騰して来たら、そこへ香草を入れる。タイムやローズマリーに似たものがあったので、それを括って束にして入れる。
「でも、私はエルザちゃんが思った通りに行動して、それで私がちょっと迷惑だなぁってことになっても、大丈夫よ?」
「どうしてです?」
「だって、私は自分のことは自分でなんとかするもの。エルザちゃんがしたいようにするように、私だって、自分が良いと思う未来のために、歩いているわ。誰だってそうでしょう?」
五分程、そのまま煮てから香草を取り出し、塩と胡椒で味を付けて、最後に溶き卵をゆっくりと、ふんわり広がるように加えて完成だ。
ソパ・デ・アホ。またはファリゴラ。
羊飼いのスープとも呼ばれ、寒い日に母親が子供のために作ってくれる優しい味の、温まる料理だ。
少ない食材と簡単な調理法で出来るが、たっぷりとスープを吸ったパンが入っているのでこれが中々腹に溜まる。
私は温めた器にゆっくりとスープを注ぎ、マーサさんに差し出した。
「味見はしました。完成品としての最初は、マーサさんにおねがいします」
不思議なもので、周囲にはキラキラと光の粒子が漂っている。調理中だった人たちは『本当に、聖女様だったのか』という目でこちらを見ていて、アゼルさんがなぜか自慢そうな顔をしている。
「えぇ。それじゃあ、いただきます」
大きなスプーンを使ってスープを飲む習慣もあるが、マーサさんは器を両手で押さえて、口元まで運んだ。そして傾けて、コクリコクリ、と喉を鳴らす。
コトン、と、マーサさんが器を置いた。
「とっても美味しいわ!」
そう、簡単だがはっきりと、これ以上ないほど晴れ晴れとした笑顔でマーサさんが告げた瞬間、マーサさんの体から光があふれだす。
「!!!? はいッ!!!?」
パァアアアと、光の洪水があたりに勢いよく流れ、部屋中を満たしただけではとどまらず、一気に屋敷中……いや、街中じゃないかという程、大規模な光の渦となった。
「……ゆ、雪が……消えた?」
「空に浮かんでいた氷も、ないぞ……!!」
やっと光が収まって、落ちついてくればおっかなびっくりと、窓の外に顔をやった使用人さんたちが外の変化に気付いて声をあげる。
そしてそれを皮切りに、外へ出られるとあちこちで叫ぶ声が聞こえ、窓から見える屋敷の外に兵士さんたちが飛び出して行くのが分かった。
「自分で毎回思いますけど、なんで料理で結界が……」
私は料理道具を片付けながら、自分で自分に突っ込みたい。
しかし、まぁ、これでスレイマンに頼まれたことはクリアだ。
あとはスレイマンが魔女を討ってきてくれれば、この街の騒動は決着がつくと考えていいだろう。
帰って来た時に、どうせ寒いとか文句を言うに違いないので、しっかりとスレイマン用にもスープを作っておこう。
あれこれ考えていると、外から悲鳴が上がった。
「……あれは?」
「…………雪で、覆われていたものが、明らかになったのだろう」
マーサさんとアゼルさんは窓から外を窺い、目を細めて確認したアゼルさんが首を振る。
雪が消えた。
そして、その下にあるものが、発見された。
それは、沢山の死体だった。
夜間で外に出ている者が少ないと言う考えは甘かった。突然街の上空に現れた踊り子たちを、見た目は美しいその存在を……なんだろうと好奇心で見るために、外に出た者は少なくなかった。そしてまだ起きていた子供が、踊り子の唄につられて外へはしゃぎながら飛び出した。それを追う母親もまた。
私たちは出来上がったスープを、作業する兵士さんや街の人たちに配った。聖なる水や炎で作ったスープは、飲めば体を芯から温め、氷や雪で冷やされていた空気の中でも凍えずに作業することが出来、そして、折れそうになる心をなんとか保たせてくれる効果があるようだった。
そして一回目のスープを配り終えると、私はこちらへ走ってくるラダーさんに気付いた。
「妻を……レヤクを、見なかったか!!!?」
「レヤクさん、ですか?」
「雪が……あの、踊り子たちが、空に現れた時……レヤクは誰よりも素早く、我々に屋根の下に入るように叫んだ。あれが、あんなに大声出すことに驚いたが……いや、そうじゃない。それはいい。それはいいんだ。お陰で大勢助かった。だが、いつの間にか……彼女がいなくなっていたんだ。あの雪を危険だと、分っていたのは彼女なのに、いつの間にか……いなくなっていた」
ラダーさんは体に魔力防御の効果があるマントを巻きつかせている。雪が消える前から、街中を探し回っていたらしい。
私はレヤクさんの正体が精霊種であることを知っている。だから、彼女は彼女の種族として行動しなければならないことがあったんじゃないかと、そう分るが、ラダーさんはレヤクさんの正体は知らないのだ。
探し回り憔悴しているラダーさんは、兵士さんたちが一か所に運び込んで出来た死体の山の中に、に妻がいるか、それを怖くて確認できないと顔を覆った。
「この、ふ抜けがッ!!!」
私がなんと声をかけていいかわからずにいると、いつの間にかルシタリア君がやってきていて、ラダーさんを殴った。ぐーで。
「ッ!! テオ・ルシタリア!!! 何を、何をする!!!」
「貴様は商会の長としての自覚がないのか? 聞いたぞ、ラダー商会はこの雪の中、ただじっとしていたのだな!!!? 長である貴様は魔力のマントを被ってあちこち走っていたというから、何か情報を集め、そして後に行動するのかと思っていたが……なんのことはない、貴様という長が妻探しを優先し、商会へは何の指示も出していなかっただけか!!!!」
ルシタリア君は、この混乱の中で商会の倉庫を開き、魔力のある品や食材、人材を惜しみなく街の人たちのために使ってくれていた。
「つ、妻を見捨てろと言うのか!!?」
「僕だって、母の元へ行けるものなら行っていた!!!! だが、僕はルシタリアだ! 商会の長は自分しかいない! 長の言葉で動かせるものがどれほどあると思ってる!!!」
「だが私はレヤクの夫だ!!! 妻を守る義務がある!!!」
怒鳴り合う二人。一方は中年の男性で、もう片方は男装した女性。ルシタリア君の目には失望の色がはっきりと浮かんでいた。これがかつて一番だった商会の責任者かと、これが自分と同じ商会の長かと、ルシタリア君の目ははっきりと、ラダーさんを見放していた。
そのまま何も言わずに自分の仕事をしに戻るルシタリア君と、悔しそうに唇を噛み締めるラダーさんを、周囲の人たちはどうすべきかと迷っていたが、この状況、誰かに構っている暇はないと、すぐに誰もが自分の役目に戻った。
「マーサさん、あとの調理の指示をお願いできますか? っていうかマーサさん、指示なら抜群に上手いんですね……もう、性質が村長というか、指導者向きなんじゃないですか」
「そんなに褒めないで。ちゃんとお願いしたら、皆さんが優しいから、助けてくれるだけよ」
料理させたら壊滅的だが、指揮能力がヤバイという事実の判明に私はひそかに慄いている。これ、グリフィスさんと結婚したら女主人として物凄く才能を発揮するんじゃないだろうか。
その場をマーサさんにお願いし、私はアゼルさんと対策本部へ向かった。
セレーネさんに会う為だ。
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