恐怖の料理は、手直ししよう
「そんな乱暴なことして、目が覚めるわけないじゃない」
呆れるミシュレの声に、しかし私は必死だった。
聞こえてくる調理過程から不安しか感じられない物を強制的に口に流し込まれる。それってなんて拷問?
ルシタリア君、頑張って! と、応援しながら私も頑張るしかない。
頭を打ち付けたところでこの悪夢からは逃れられない。では何だ。何をすることが正解なのだと必死に考える。
魔術や魔法について、もっとスレイマンに聞いておくのだった。いつもスレイマンが一緒にいてくれるという安心感から、こういうことは頼り切りだったが、習える範囲は習っておいた方が良いのかもしれない。
「ミシュレ」
私はこちらを眺めている少女に声をかけた。
「なぁに?」
「貴方の定めた出口は、私が貴方の復讐を手伝うと同意して体を明け渡すこと、であってます?」
「そうよ。そうね、それに、私の産んだ子供、アゼルをお母さまに会わせたいの。当たり前のことでしょう? 自分の子供を、母親に見せたいって」
「前世でも今でも、私は出産経験がありませんので、その辺りはなんとも」
その場合、絵面的には成人男性を幼女が息子、と扱うもので、ちょっと見たい気もする。だが私が意識を乗っ取られたとか、スレイマンがショックを受けるだろう。
「ミシュレ、聞いてもいいですか? なぜ、生まれ変わるたびに、貴方は19年しか生きられなかったんです?」
「……知らないわ。そんなこと」
「知らないから、じゃないんですか?」
ぴたり、と、ミシュレの表情が固まった。
私は考える。生まれ変わるということ、転生、繰り返す、前の自分。
「貴方の想像力の限界。19歳までの自分しか保てなかった。それ以上は、20歳の自分は想像できなかった。貴方は、19歳までの世界しか、生きて行けない」
強く自分を保つということは、難しい。生きていれば変化、成長していくものだ。私だって、この世界で生きている今の自分の意識は、前世で死んだ自分のものとまるで同一とは思っていない。
前世の私はドゥゼ村で料理を受け入れられなかった事もないし、誰かの為に何かを作りたいと心から求めた事もない。それらを経験した私は、前世の日本人の私とは、違うのだ。
「そういうものでしょう。そういうものだと、思います。けれど、ミシュレ。貴方はそれを嫌がった。何も変わらず、ずっと、このままで。自分のままでいたいと。だから、貴方は十九歳より先を生きられない」
何度も生まれ変わる程の意地。必ず『倖せになる』というその意地。それらの維持は、ミシュレの心のままでなければならなかった、というのもあるのだろう。ミシュレの考えた幸福を幸福と受け取らなければならない。
「どうでしょう? 私の未来のレストランで、ウェイトレスをしませんか?」
「……は?」
「ミシュレ、貴方に足りないのは人生経験です。もっと人をたくさん知った方がいいですし、何より、自分を磨けますよ!!」
飲食店の店員。レストランのウェイトレス、それは……ただ席にお客様をご案内し、メニューを頂くだけではない。身だしなみや歩き方、表情の作り方から、会話の仕方まで完璧にこなさなければならない。料理についての知識は料理人並に必要になるし、常連のお客様対応ともなれば、好みや体調、同行者についてまであれこれ気を回しサービスをする必要のある……プロ!!
「あ、あなた……いきなり、何を言ってるの?」
「いえ、考えたんですよね。本来なら、貴方を成仏とか、それっぽいことして消滅させるのが正解のような気がするんですけど……私、そういうのできないですし……。あ、腕の魔術式を解いて貰えたら、神性付き料理を食べて貰って強制的に成仏とかさせられるかもしれないんですけど、実態のないミシュレに……どうしたら食べて貰えるのか……」
今のところ、私の未来のレストランの従業員は、副料理長スレイマン、ソムリエ星屑さん、バリスタゾットさん、ウェイターにゴーラさんがいるが、やはり同性の従業員がいた方が私も助かる所がある。
「折角、まだこの世界に生きて……存在? まぁ、とにかく、意識があるんですから、どうでしょう? 一緒に人生楽しみませんか?」
「……体はどうするの」
「そうですね。まだどうすればいいかわからないので、方法が見つかるまでは私の体に憑りついて貰って……守護霊的な?」
「今私が貴方に求めてるものと、何が違うの?」
全く違う、と私は大げさに溜息を吐いた。
ミシュレは私の意識を打ち消して、体を支配することを求めているが、私は主導権は私のまま、まずは見ていて欲しい、と言っているのだ。
魂だけの存在のミシュレを、何かこう動かせる肉体的な物を作れるか、それはわからないが……まぁ、スレイマンに相談してみたらなんとかなるだろうという気安さがある。
「……騙してない?」
うん、騙してる。
私とスレイマンの目的は、魔女の腹にあるという種を奪う事。魔女を母と慕う彼女がそれを良しとするわけがなく、彼女は私の中で何もできずにそれを見ていることになる。
だから、私はミシュレの目先を変えた。未来を見よう、と。彼女が歩けなかった、先を提示した。
「貴方の子供の未来も見れます。一緒に生きることも、出来ますよ」
その場しのぎの嘘、というわけではないけれど、言いくるめているんだという自覚くらいある。
私は今この、落とされた悪夢からなんとしてでも出ないといけないし、正直な所、悪夢から出られさえすれば、後の事はどうとでもなるのだ。
私はじっと、ミシュレを見上げる。
彼女はもし、己を貫くのならここで私に騙されてはいけない。彼女の正しい選択は、この場で、この井戸から私を逃がさない事だ。
けれど、彼女はそれを選べない。
私の心は折れないし、このままではずっとこのまま、何も変わらない。それを望んでいたはずの彼女は、けれど、ここにきて、私の囁きで気付いている。
私の手を取れば、自分ひとりでは描けなかった先を見れる、と。
ミシュレはこうも考えているはずだ。
私の心を何とかして折って、母と対面し、己の子を紹介できたとして、そこで終わりだと。それ以上先を、ミシュレは考えていない。考えられなかった。彼女はその場で自分が消滅するかもしれないと。かつて子供を産んで、もう生まれ直せなかったことを省みて、考えているはずだ。
母への恩返しだけなら、それでいい。それでいいはずだから、ミシュレは私の手を取る必要がない。
けれど、だけれど、私はミシュレと同じ境遇であるから、分っている。
いつだって、私たちが望んでいるのは、自分の幸福だ。
「……わかったわ。貴方の中に取り込まれる」
暫くの沈黙の後、ミシュレは呟くような小さな声でそれだけ言った。
よっしゃ! 守護霊と、未来の従業員確保!!!!
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「あら、エルザちゃん。おはよう、よかったわ。目が覚めた?」
私は、何かフツフツと黒い煙を出す鍋をかき混ぜながら微笑むマーサさんに迎えられ、ひくり、と顔を引きつらせた。
「お、おはようございます、マーサさん」
「起きたか!!!! 良かった!!! 僕は殺人の手助けなどしたくないからな!!!」
色々抵抗を頑張ったらしいルシタリア君は、調味料の入った小瓶を片手に半泣きになりながら駆け寄って来た。
私は体を起こし、自分の中にミシュレがいるか感じ取れるか探るが、よくわからない。だが心の中で「ミシュレ?」と呼びかけると「なに?」と返事を返す声が頭に響くので、ちゃんといるらしい。
「……あの、マーサさん……これは、あの、何を……作ろうと?」
「え? あぁ、ほら。前に、エルザちゃんがお野菜をたっぷり入れたスープを作ってくれたじゃない? あれを真似してみたの」
「……」
この街に来る前、スレイマンは見様見真似で、と美味しい料理を作ってくれたが……何故だろう、同じことを言われている筈なのに、嬉しいどころか「え? 私の料理を見て……この地獄が??」とショックしか感じられないのは。
私は恐る恐る、鍋を見た。
何か、油と灰が浮かんでいて……中の野菜は、不揃いなのにクタクタになるまで煮詰められている。
恐ろしいので味見なんかしたくないが、しかし、マーサさんが私の為に作ってくれたものだ。一口くらい、食べておくべきだろう。
「…………ぅッ」
『ちょっと!!? エルザ!!? どうしたの!!? すごい精神攻撃を受けてるんだけど!!』
口にした瞬間、くらり、と世界が周り、私の中のミシュレが叫ぶ。何とか、内側でミシュレが私の精神崩壊を防いでくれたようで、私は気絶せずに済んだ。
「……トマトです」
「うん?」
「トマトですよ!!! トマトをぶち込んで……それで、玉ねぎも!!!」
これを捨てる、という選択肢もないわけではないが、しかし、折角マーサさんが(以下略)死にたくはないが、気持ちを無碍にも出来ない。
私はルシタリア君に叫び、このスープの改善のために袖をまくった。
「さぁ! レッツクッキング!!! 泣きそう!!!」
えぐく、要らない物をすべて溶かしきったスープは布で濾す。野菜は別の鍋にうつし、種を取って潰したトマト、炒めた玉ねぎを加える。
私は自分の服の内側に準備している、いざという時の非常食である干し肉、乾燥ハーブやその他ちょっとした調味料を机に並べた。
干し肉でだしを取り、塩コショウで味付けしてから、先ほどの濾したスープに加える。こちらは一度沸騰させてわざとこぼす。
「ルシタリア君、パンってありますか?」
「用意できたが……日が経って硬くなっている平パンだぞ?」
「好都合です。それじゃあ、ルシタリア君はそのパンに、このトマトソースをよく塗って伸ばしてください」
「エルザちゃん、私も何か手伝えることはない?」
「マーサさんは座って歌でも歌っててください」
そわそわとこちらを窺ってくるマーサさんには着席を促し、私はルシタリア君と調理を続けた。
トマトソースをたっぷりと塗ったパンに、柔らかくした干し肉を並べる。そしてその上には、水切りした真っ白いヨーグルトをかける。
「要するに、ピザですね!」
この街に来てから度々活用されているこの水切りヨーグルト。ヨーグルトはチーズの代用品としても使えるし、トルコやドイツではヨーグルトを使ったピザのような料理がいくつかある。
これを天火で十分程焼けば、とろっとろのピザトーストモドキの出来上がりである。
「それで……現状はどうなってるんです?」
三人で整えた絨毯の上に、ピザトーストモドキとスープを並べる。チーズ程は伸びないまでも、チーズよりクリーミーで甘いピザトーストモドキはこの世界の酸味の強いトマトと良く合った。
ルシタリア君は「王都の在学中食べたブリトに似てる」と言いながら、ぺろりと三枚も平らげる。小食だと言っていたが、あれは嘘か?
「僕が知ってる事は、冬の踊り子たちが街を囲み、大雪を落としたことと、君の養父が領主と氷の魔女を始末しようとしていた事だ」
「ッ、おっと」
「どうした?」
「いえ、私の中のもう一人の私が暴れ……いえ、なんでもありませんから気の毒な物を見るような目は止めてください」
ミシュレ、ステイ、と念じながら、私はこちらに胡乱な目を向けてくるルシタリア君に首を振る。
『嘘よ! お母さまは生きてるわ! でなければ私にはわかるもの!!』
(ってことは、スレイマンはしてないってことでしょうね。偶然逃げ延びれたってことも考えられますけど)
その場合はスレイマンに何かあったかもしれないので私は心配になる。
「私は……アゼル様が、私は部屋にいるべきだって、閉じ込めようとされたので……逃げたの。そうしたら、テオさんが助けてくれて」
アゼル、とはマーサさんを攫ったあの騎士の名か。
『アゼル、あの子はマーサが好きなのよ。だから守ってあげたかったのね』
(男性の『君は僕が守るよ♡』っていうのは基本的に信じないタチなんですけど、ミシュレは信じちゃうタイプなんですね)
心の中でミシュレとも会話をしながら、私は状況を整理した。
確かに窓の外は大雪で、上空には不思議な姿の生き物が多数浮かんでいる。だが、上空の彼女たちは今は怯えたように身を寄せ合い、こちらを窺っているようにも見えた。
「とりあえず、スレイマンと合流しましょう」
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