駆けるマーサ
マーサは困っていた。
助けに来たと言うエルザに、酷い言葉を浴びせ追い返してしまってから二週間。なぜあんな酷い事を自分が言えたのか、驚き気持ちの整理がつかなかったけれど、あれから、グリフィス様との距離が少し、近づいてきたようにも思える。
そして再びエルザがここに来たと言うので、気にしているとグリフィス様が様子を見てきてやる、と出ていかれた。
それと入れ違いで入って来た騎士アゼル様が、ずっと一緒にいてくれるのだけれど、マーサは最近、アゼルの事が苦手になってきていた。
何を考えているのか、わからないのだ。いや、他人の心が読めるほど、マーサは自分で自分を賢いとは思っていない。
けれど、アゼル様は……なぜか、最近はまるでマーサが自分のものだとでもいうような眼をしている。グリフィスと親しくなろうとするマーサを「君はそんなことをする必要はない」と叱り、そして「君は私が守る」と、誓うのだ。
守る、一体何から守るというのだろうか?
あれからグリフィス様は自分に酷い事をしなくなったし、元々領主様や屋敷の人たちはマーサを害したりはしない。マーサは貧しい村の生まれであるから、人に恨まれる覚えも、何もない。
けれどアゼル様は「君を守る」という強い瞳で、しっかりとマーサを抱きしめる。抱きしめられながら、マーサは、この人は何を言っているのだろう、何を求めているのだろうかと、不気味に思った。
「……外が」
ふと、マーサは窓を見る。すると素早くアゼルがマーサの腕を掴み、窓から引き離した。
「アゼル様?」
「……踊り子たちが、現れている。あれは一体……?」
「……雪が……!!!」
マーサは目を大きく見開き、悲鳴を上げた。不思議な姿をした、美しい少女たちが踊りながら歌い、そして街には雪が下ろされる。その量は、あまりにも大きく、恐ろしい。
あんなものを落とされたら、街はひとたまりもない。
マーサはエルザが来ているのなら、スレイマンも一緒だと考えた。魔術師であるスレイマンならなんとかできるかもしれないと、そう素早く考えて部屋から飛び出そうとする。
「どこへ?」
「っ、助けを呼びに行きます!!!」
「危険だ。君も中にいろ」
言って、アゼルは中から扉をがっちりと閉め、窓には布をかけしっかりと覆ってしまった。
「……何を、しているんです?」
「冬の踊り子たちの雪だ。ただの雪ではない。大丈夫だ、君は私が守る」
この男は、何を言っているのだ?
マーサは唖然とした。
車輪の騎士アゼルは、翼の生えた獅子を操る制空権のある騎士だ。
それがこの状況で……村娘一人を守りために、部屋に閉じこもる?
そう言っているのだろうか?
いや、マーサは自分に他人の行動が決められるわけはないと、そう頭を振る。こんな状況だし、騎士アゼルの判断は何か理由や意味があるのだろう。非難しかける自分を抑えて、マーサは扉に近づく。
「魔術師の知人が、今このお屋敷に来ているはずなんです。その方なら、この雪をどうにかできるかもしれません。私はここから出ます」
「駄目だ。君は大切な人なのだから、危険な目にはあわせられない。その人物が本当に優れた魔術師なら、わざわざ君が頼まずとも行動するだろう」
確かにそれはそうだ。
スレイマンなら、エルザが危険な目に合わないよう……それこそ、この雪で寒い思いをしないように、すぐに何かするだろう。
だが、だからと言って、自分はここでただアゼルに守られているだけでいいのか?
……頭の中に、泣きそうな顔をしたエルザが浮かんでくる。
必死に、必死に、ここまで来てくれたあの子に、酷いことを言ってしまった。
確かに自分は助けて欲しいなんて言わなかった。でも、心配してくれたのだ。心配して、一生懸命、ここまできてくれた。
何も苦労がなかったわけではないだろう。
辛い思いをしたこともあったかもしれない。そうしてまで、自分を助けに来てくれたのに、迎えに来てくれたのに、自分はその事に対して、拒絶しかしなかった。
「……何かしなきゃって、思ったのね。エルザちゃんも」
マーサは胸の前で手を組む。
今、自分が出来る事などないし、求められてもいない。ただここで大人しくしているべきなのかもしれない。
だが、マーサはここでただ待っていられなかった。
アゼルをまっすぐ見上げ、己を何か綺麗な人形か何かを見るような男の目を見つめる。
「退いてください。私は部屋から出ます」
「駄目だ。君はここにいろ」
「嫌です!!!」
はっきりとマーサは拒絶した。強い言葉を自分が使うなんて、本当に……ドゥゼ村にいたころからは想像もできない。けれどマーサはこの自分を気に入った。
そう、退いて欲しいの。
邪魔されるのは、嫌なのよ!!
腕を伸ばし、扉に手をかける。
まさか大人しいマーサがここまでするとは思っていなかったアゼルの反応が一瞬遅れた。
そして部屋を飛び出し走り出したマーサに、アゼルの舌打ちが聞こえ、何かが放たれる。
獅子だ。
咆哮を上げて、マーサに向かってくる。
魔獣をけしかけられた恐怖にマーサの全身がこわばった。だが捕まるなど、絶対に嫌だ!
そもそも、この魔獣がマーサをこの地へ連れてきた。抵抗などできなかった。だが、今は、それができる。
マーサは唇を噛み、痛みで恐怖を打ち消した。再び走り出す脚だが、獣の速度にはすぐに追いつかれる。
諦めたくない! と、マーサは願い、そしてその願いは聞き届けられた。
「不滅の炎の名を知っているか……!!! 知らないなら覚えておけ! 僕こそが、テオ・ルシタリアだ!!!」
突然、廊下の曲がり角から細い青年が現れた。マーサを抱きしめ、何か大きな布を広げる。すると、その布から大量の水が湧き出て、魔獣の全身に掛かった。
「あ、あなたは?」
「今名乗ったぞ! 僕はテオ・ルシタリア! 君がマーサだな!!? 来てくれ、エルザを助けて欲しい!」
パチンとテオ・ルシタリアという青年が指を鳴らすと水にぬれた魔獣が炎に包まれた。水だと思ったそれは油だったらしい。
「あぁ、くそう! 商売用に買っていた上等な植物油が!! あとであの男に請求してやる!」
悪態をつきながら、テオはマーサの腕を掴み、走り出す。
「……エルザちゃんのところへ、連れて行ってくれるのね?」
この人は何者なのか、マーサにはわからない。だがエルザを助けて欲しいというその言葉が重要だ。
マーサはアゼルが喚く言葉を無視して、テオと共に走り出した。
Next
成長した駄目息子と反対に、駄目な方に進んだ騎士。




