井戸の中の領主夫人
私の話を聞いてください。誰に言えばいいのか、いいえ、そもそも、もう、誰にも言えないことでございます。だって、今の私はもう、井戸の底から、浮かんでただ、ただ、丸く見える空を眺めることしかできないんですもの。
生まれたのは小さな村でした。
そこで生きて、そこで死ぬんだと思っていましたし、それに何か思うこともありませんでした。
領主様達がやってきて、そして、そこで、クリストファ様が私を見初めてくださった時は、何が自分に起きたのだろうかと目を丸くして、ただただ頷くことしかできませんでした。
だってそうでしょう?
ただの村娘が、領主様の……奥様にだなんて。何が起きたのか、えぇ、きっと、今でも、私はちゃんとはわかっていないのでしょう。
クリストファ様はおっしゃいました。
ザークベルム家には呪いがかかっていて、魔女の子供を、妻は最初に産むことになるのだ、と。
6代前の領主様が魔女の娘、ミシュレ様を誤って殺してしまったこと、それ以来、魔女の怒りに触れたザークベルム家にはミシュレ様の生まれ変わりの娘が生まれ、彼女を大切にしていれば家は安泰なのだと、そう教えられました。
私は、それがどういうことなのかわかりませんでした。
自分が子供を産むこと。それが、ミシュレ様を産む事だと、それは、聞かされたけれど、でも、よくわかりませんでした。
自分の子供、でしょう?
産んだのなら、それは私の子供だし、それが、会ったこともない大昔の方だと言われても……えぇっと、それは、何か問題があるのでしょうか?
産んだ子供の幸せを願うのは当然のこと。
愛して、その将来が幸せに包まれるようにとするのは母として当然のこと。
クリストファ様は「堪えてくれ」とおっしゃるけれど、一体何を、どう辛抱しなければならないのか、私にはわかりませんでした。
そして、産まれたのは可愛い双子。
金色の髪の、輝くような美しい私の子供を、私は心から愛しました。
セレーネとイレーネ。どちらも女神様の名前から取って付けました。私にはもったいないくらい、美しい双子は、きっと大きくなったらたくさんの男性の心を蕩かすのでしょうね、と私は二人を見る度にその将来が楽しみでした。
セレーネは少しおてんばで、イレーネはセレーネにぴったりついていないと心配で泣き出してしまう。二人はそっくりなのに、性格はまるで正反対で、私は二人を見ているだけで楽しくて、幸せでした。
なのに、それなのに、あぁ、それなのに。
クリストファ様は、二人を殺すと、そうおっしゃいました。
元々そのつもりだったと。
ここで魔女の娘を殺せば、次の世代まで生まれてこない。
……あの人は、何を恐れているのでしょう?
ミシュレ様の生まれ変わりがどちらかと、私に何度も聞きました。私は、わかりませんでした。どちらも、ただの可愛い赤ん坊です。それを言っても、クリストファ様は信じて下さらなかった。
「どうせ覚えているんだ。そして、ただの赤ん坊のフリをしている……!!」
クリストファ様は双子の娘を抱き上げてくれませんでした。
化け物を見る様な目で、あぁ、父親が、娘に向ける目ではありませんでした。
そして、娘たちが五歳になると言う頃でしょうか。
ついに、クリストファ様が双子を殺すと、大声をあげながら部屋に入って来たのです。その勢いは恐ろしく、私は助けを呼びましたが、誰もこの部屋には入ってきてはくれません。
夫の顔は、憔悴していました。この五年間、どちらが魔女の娘か疑い、恐れていたのです。両方殺す、という夫を、ロビン卿がずっと止めてくれていました。魔女ではない娘は、戦略結婚に使えると、そういう必要性も語ってなんとか止めてくださいました。
けれどその日は、ロビン卿が不在でした。なんでも、拾った子供を初めての遠乗りにつれていくとかで終日留守にしているとか……。
私は夫から子供たちを守ろうと、二人を強く抱きしめ、そして奥の部屋で隠れているようにと言い聞かせました。双子は怯え、私から離れようとしませんでした。
あぁ、なんて小さく、愛しい子供たちでしょう。
どちらかが魔女の娘の生まれ変わりなどと、どうして、思えましょう?
私は二人が私の子供であることは間違いなく、そして、たとえ血が繋がっていなかったとしても、こんなに幼い子供を、狂気に満ちた男の前にやるなど、そんなことはありえませんでした。
「だいじょうぶ、だいじょうぶですよ。ずっと、目を閉じて、いい? イレーネはセレーネの手を握ってあげていて。セレーネも、イレーネの手を握ってあげて。だいじょうぶ、お母さまが、あなた達を守りますからね」
さぁ、歌いましょうと、促せば怯えながらも二人はいつも歌う子守歌を口ずさみ始めた。私は笑顔をずっと浮かべ、そして、部屋の鍵をしっかりと閉め、夫の前に向かい合った。
「育てた私にはわかります。あの子たちのどちらも、ミシュレ様という方ではありません」
魔女の呪いとは何なのだ。
本当に、代々生まれてきたのだろうか?
……バカげているわ。
たとえ、そうだったとしても、それでも、また生まれてきたのだとしても、それでも、やり直しではないわ。それは、ただの「始まり」でしかない。
夫は私を殴り倒した。
感情が、恐怖の感情が夫を完全に支配していた。
夫は何を恐れているのだろう。
喚く言葉は支離滅裂で、意味がわからない。
ただ、聞き取れたのは「姉上は私がわかっているんだ!!」「なぜ、私に微笑んでくださらない!!」「貴方の為に領主になったのに!!」と、もはや受け取り手のいない言葉のように思えた。
私の体は段々と動かなくなって、それでも、部屋の奥の子供たちのために、私は言わねばならない言葉があった。
「貴方が、私の子を殺せば、私は貴方を呪う。この傷を忘れるな」
自分でも、こんなに低く、憎しみの籠った声が出るなどとは思ってもいなかった。
私は喉を掴まれ、潰されながら、何とか体を動かして、クリストフア様の手首に噛み付いた。
そして殴られ、ずるずると、髪を掴まれ引きずられながら、井戸へ落とされた。
夫は私の言葉を信じるだろうか。
いいや、信じるだろう。
あの傷は消えない。そういう確信が私にはあった。
呪いなんてものを信じているのだから、私の言葉と、そしてあの手首の痛みを信じる。
夫にとって、私は魔女の娘を産んだ女。
だから井戸で、念入りに殺しているのだ。
あの子たちは無事だ。
二人は、自分達のどちらかが何か、ありえてはいけないものなのだと肌で感じ取っているようだった。そして、それがどちらかかを、気付かせないように、そう振る舞っているように母の目にもわかった。
だから、守りたかった。
あの子たちは、互いを思いやれている。それは素敵なことだ。素晴らしいことだ。
段々と、視界が暗くなってきた。
私はゆっくりと、つぶれた喉で子守歌を口ずさむ。
湧き上がるのは憎しみではない。
悲しみも、苦しみも、そんなもの、私には必要なかった。
ただ、心配だった。
あの子たちに幸いを。
どうか、どうか、どうか、お願いします。
守ると言ったけれど、守り続けられはしないから。
あの子たちが幸せに、微笑んで太陽の下に出られるように。
セレーネとイレーネが大きくなった姿を見たかった。
二人に、あぁ、二人に、ちゃんと伝えきれただろうか。
貴方たちは、私に望まれて生まれきたって、私は、ちゃんと、伝えられていただろうか。
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