落ち着け魔王
正直な所、スレイマンはマーサの事も、魔女の種も何もかも、どうでもよかった。
ただ、あのニヤケ顔の大神官がエルザに興味を示し、そしてエルザを敵と認識したら、それは世界中から拒絶されるということだ。この世界で生きて行けないのなら、それこそスレイマンの本体がある夜の国に落ちて、そこで生きて行くのも一つと、そう思ったこともある。だが、太陽のない地下であってもエルザの銀の髪は輝くだろうか。いや、どう考えてもエルザは太陽の光が似合うし、そもそも太陽はエルザの為にあればいい。
そして何より、地の国は料理というものがそもそもない。そこにいる魔族たちは食事を必要としないのだから当然で、それゆえ食料、食材がない。
そんな世界ではエルザは嫌だろう。
だからスレイマンは、エルザとこの世界で生きるために必要ならば、マーサを助けに行くし、魔女の腹を裂いて種を手に入れ、絶対に無理だろうとどうせ思っているラザレフの顔面に叩きつけてやろうと、そう思った。
「あのバカ娘はバカなりに謎解きやらなにやらをしようとしていたが、そんなことはどうでもいい。俺は貴様を殺すし、クリストファ・ザークベルムも殺す。この領地は俺が貰う」
雪を降らせる踊り子たちを半分生かして置いてやったのは、今後も領地内に魔力の雪を降らせるという仕事を続けさせるためだ。
これまでは氷の魔女の元で行儀見習いに、という名目で精霊たちが己の娘を寄越していただろうが、別に、女主人などいなくても構わないだろう。
「服従か死のどちらかを、精霊どもには選ばせてやる」
そのあたりの説得はレヤクとかいう鳥娘がやるだろうという心当たりもあった。
「……ぅ」
「なんだ、クリストファ。文句でもあるのか? そもそも、貴様が己の姉に懸想して子なんぞ孕ませたから呪いが中途半端に解けたんだろう。この俺に双子の始末をさせようなどというその腹も、全くもって不愉快だ」
「……其方、クリストファを拷問したのか」
先程聞き出した情報を口にすれば、ラングダが目を細める。
拷問などと人聞きの悪い。己がクリストファに行ったことは異端審問官時代に行ったあれこれに比べれば、子供をあやすようなものだ。
目も耳も聞こえているし、指の爪の一枚も剥がれていないではないか。
「俺も最近、娘を育てていてな。貴様のように放任はせず、きちんと危険からは遠ざけようとしているのだが……子を育てるというのは中々難しい。少し目を離した隙に、タチの悪い小娘に悪夢を見させられたりする」
「それでわらわを殺す道理とするつもりか? それは其方の不始末じゃ。娘の守りが不十分であった故じゃろう」
「なぜ俺が道理を持って貴様を殺す必要がある」
「道理もなく魔女を手にかけて、無事で済むものか……!!!」
その声には氷の魔女の必死さがあった。
心を持たないと言われる魔女にも恐怖があるのか。
道理、道理、魔女はそう考える。
命を奪うことには理由があると。それには、奪われるだけの理由があり、意味があると、魔女はそう考えるのだ。
そして魔女は、自分の命に意味があると、価値があると考えている。それはそうだ、確かにそうだ。氷の魔女は尊き存在であり、神代の忘れ形見の一つ。
「理不尽なものだろう、殺されるってことは、あぁ、理不尽なことだ。俺も、お前も、殺されるときはきっと、道理などない」
そもそも道理なんてものは、片面の主張に過ぎないのだ。その辺りをスレイマンは重視しない。
「まずは半殺しにしてやるから、精霊共の元へ逃げ帰りあれこれ言い訳をして来い。その上で、きちんと殺してやる」
精霊共に脅しをしておかねばならない。
スレイマンは精霊種から嫌われているが、同時に連中が自分を恐れていることも知っている。だから、少し脅してやれば従うだろう。従ってさえいれば、これまで通りなのだから、精霊たちに損はない。
スレイマンはクリストファの髪を掴み、自分の目線まで釣り上げた。
「貴様の息子は生かして置いてやる。そして領主として今後も土地を治めさせてやるから安心しろ」
自分の領地にしても良かったが、そうなると領主経営をしなければならず、エルザのいうレストラン開店に専念できない。そもそも領主ともなれば領民の命を背負う必要もあるので、それはスレイマンの望むところではなかった。
ケチのついた現領主は魔女と共に消す。
そして操りやすそうなバカ息子と、エルザの気に入るマーサにこの土地を任せる。ドゥゼ村の生命線であるトールデ街にはルシタリア商会を移転させ、テオ・ルシタリアをカーシム辺りに嫁がせればあの街もまともになるだろう。
邪魔なのでマーテル商会は潰すが。
あれこれ考えながら、スレイマンは苦悶の表情を浮かべるクリストファを床に落とした。
エルザは魔女の娘の悪夢に引きずり込まれ、暫くは戻ってこれないだろう。己が助けに行ければいいが、領分というものがある。
では、領主を殺すかと氷魔法を唱えたスレイマンは周囲に自分より勝るものがいないという油断があった。
それであるから、背後に忍び寄った双子の娘が、それぞれ手に持った小さな刃物で己の背を刺したことも、気付くのに少しかかった。
「……ッ」
「駄目よ、お父様は。殺させない」
「お父様は、駄目よ。殺させない」
双子の金髪の少女、イレーネとセレーネは口々に言い、どさりと倒れたスレイマンを見下ろす。
「……ぉ、まえ……たち」
双子の娘の登場に、クリストファが驚き目を見開いた。しかし、その驚きは、双子の手の刃物が、自分に振り下ろされたことで違う種の驚きへ変わる。
「ぐっ……!!! あ!!!」
既に十分、スレイマンによって痛めつけられ、抵抗する力などクリストファには残っていなかった。双子はそれぞれ右と左に、自分の父親の脇に座り込み、何度も何度も、何度も何度も刃物を振り下ろす。
その顔には何の感情も浮かんでいない。ただ繰り返される動作は、そうしなければならないという、義務感めいたものがあった。
「なにを、している……貴様ら」
刺された背の止血をしながら、スレイマンは問いかける。能面のような表情だった双子はそこではっとして、そして刃物を投げ捨てる。
「お父様は言ったわ。わたしたちを産んで、お母さまは気が狂ったって」
「わたしたちを産んだから、お母さまは気が狂って、井戸に身を投げたって。お父様が言ったわ」
「でも、でも、違ったの。お母さまは、わたしたちが、どちらが魔女の娘で、どちらがただの娘でも、構わないって」
「違ったのよ、お母さまは、わたしたちを愛してくれていた。大事に、大事にしてくれて、そして、お父様から守ってくれていた」
双子は泣き出した。互いの体を抱きしめ合い、これまで堪えていたものを全て吐き出すように、大声で泣き始めた。
その騒がしさに顔を顰めるより、スレイマンは言いたいことがあった。
「今、俺を刺す必要があったか……?!」
Next
刺されることに理由なんてないんだよ、スレイマン氏




