仮面の告白 後編
何度も何度も燭台が、私に向かって振り下ろされた。そして血まみれになっていく体、そのぬめぬめとした、生暖かさを感じながら、仰向けになって、私は溜息を吐いた。
「それで、私にどうしろと言うんです?」
これは、私の記憶じゃない
どうも、こんばんはから御機嫌よう、そうめんにはミカンが入っているとテンションがあがる、野生の転生者エルザです。
領主の書斎にてグリフィス坊ちゃんと調べ物、その後現れた双子の存在を意識した途端、何か妙な、意識を奪われるような、感覚があった。
そして気付いたら、誰かの一生をじっくりとゆっくりと、その瞬きする睫毛の先まで理解できるようにしっかりと見せつけられて、どれほどか。
自分の体と認識、いや、誤認していた魔女の娘の体。そこに、乗り移ったというよりは、彼女の体験、活動記録を彼女の目線で始終見せられていた。
中年のオッサンにねっとりと愛撫される感覚までなぜ私が知らねばならないのか。これ、私の心がアラサーじゃなかったらショックで吐いてるぞ。
私が自分の意思で、自分の言葉を発した途端、ぴたりと世界が停止する。これは私がなんぞしたわけではない。
ここまで見て貰えれば十分と、そういう、それだけのことだ。
勿論答えはない。ただ、発狂する領主の真っ赤な顔と、鏡には黒髪の娘が血に塗れている姿が映っている。
「まぁ、言いたいことは、えぇ、まぁ、わかりましたよ。つまり、わかるでしょう、ってことですよね。私なら、わかるから、だから、邪魔するな、と」
殺された魔女の娘。彼女の言い分、被害者からの言い分はなんともわかりやすい。
自分は幸せになるために正しいことをしてきた。
のに、理不尽に殺された。
約束された幸せを、奪われた。
そして、その自分の正統性を私に伝えた。
同じだから、わかるだろう、と。
なるほど、確かに、確かにそうだ、と認める部分が私にも確かにある。
前世の記憶を持って、そして、前世のままの自分の意識を持って生まれた私だ。
理不尽に殺された、奪われた、これまでの、行い全てを無残に台無しにされた。
その、嘆きについて、なるほど、確かに、私には理解できる種のものだろう。
魔女の娘は私が『同類』であると判じたらしい。
まぁ、私の転生が彼女とそっくり同じと言えば、私は世界を越えての転生だし、彼女は呪い……いや、ここまで来れば私にもわかる。彼女の呪い、それは執念だ。
「私は幸せにならなければならない。お母さまに、顔向けできない」
がらり、と景色が変わった。
場所は、屋外。
鬱蒼と生い茂る林を背に、井戸がある。そしてその真横には、黒髪の女性。
「貴方が、最初の魔女の娘ですか」
「そうよ。お母さまは私をミシュレと呼んだわ」
「私はエルザと呼ばれています」
「……なぜ別の名を名乗るの?」
現れた女性は、魔女の娘という仰々しさが似合わぬ大人しい雰囲気の人だった。彼女の名乗りに対し、私も名を告げると、不思議そうな顔をされる。
「貴方が母親から貰った名前は別にあるでしょう? そんな……今の体の名前なんか」
ミシュレ。
魔女に拾われ大事にされて、その幸福を約束されていた筈の娘。
彼女は氷の魔女を心から愛していた。恩を感じていた。
だから、自分が幸せになることが、母への恩返しであり、母が自分を拾い育てたことに理由と価値を、証明したかった。
まぁ、わかる。
それは、わかる。
私の、前世のことと『同じ』という、それ。どこまで理解されているのかわからないが、確かに私にも、覚えがある。
女手一つで私を育ててくれた母。自分の事など二の次で、私を愛し守ってくれた母。
私が殺された後、母はどれほど悲しんだだろう、苦しんだだろう。誰よりも私の幸せを願ったくれた母に、私は何も遺せなかった。
それを思うと、考えると、息が出来なくなるほど辛い。
ミシュレの言い分を、私に当てはめるのなら、まぁ、次の様になる。
『前世で幸せになれなかった。努力したのに。その為に頑張ったのに。理不尽に奪われた、終わらせられた。だから、だから私は証明する。この生き方で、この人格で、この意識で、幸せになる。――そうでなければ、それまでの自分の人生が無価値なものになってしまう』
まぁ、わかる。
それは、わかる。
ミシュレは、だから、同じ人格、同じ、魔女の娘のそのままの記憶を持って何度も生まれ直したのだろう。
それは意地だ。執念だ。
自分自身が否定されたというだけではない。自分を育ててくれた母への侮辱とも受け取れた。だから、己の魂にかけて証明しなければならなかった。
「私は私のまま、倖せにならなければ、嫌だ」
生まれ変わった自分の新たな能力、新たな環境、新たな要素などいらない。そのままの自分で一度、幸せを掴まなければ納得できない。
何か一つでも、新しい自分で得てしまえば、『前の自分が幸せになれなかったのは、足りなかったからだ』ということになる。
「えぇ、そうよ。そうなの。その通りよ」
「結論が出てるので言いますけど、貴方とは解釈違いですね。貴方の目的は、私には共感できるものではありません」
しかし、『私の気持ちをわかってくれて嬉しい』と目を細めて微笑むミシュレに、私ははっきりと宣言する。
「え?」
「殺された事、母へ恩返しが出来なかった事、自分の考えた幸福への道が閉ざされたこと、まぁ、悔しいですよ。恨んでますよ、私を強姦して殺しやがったあの変質者マジ許さねぇ」
その気持ちはわかる。
痛いほどわかる。
あぁ、どうして、どうして私がと、喚き散らして泣き崩れて恨みの言葉と憎しみの感情をただただ吐き続けてしまいたくなるほどの、思いはある。
私があのお店を持てるまでに、どれだけの人に助けられたか。
どれだけの人が、私を応援してくれて、支えてくれたか。
母がどれほど、喜んでくれていたか。
デキのいい子供ではなかった。
頭は良くなかったし、特別美人でもなかった。卑屈で卑怯なところもあったし、自分で自分が嫌いだという、そういう本音もあった。
そういう自分だから、せめて『好きなことを仕事にして、それでお店を持って、立派にやっている娘』になれれば、―――あれ?
「そうよ、それが貴方の芯。貴方の胸の内。貴方の泥。マーナガルムの光を受けて、夜の王の庇護を受けて、自由に前向きに、ただ進んでいるような顔をしている貴方の、本当」
私は、彼女の主張を否定するはずだった。
そう、はっきりと、解釈違い、と、そう、まっすぐに背筋を伸ばして、正々堂々と、向かい合い、彼女を、否定するつもりだった。
あれ?
……あ、れ?
……ドロリ、と、どろっと、何かが、沸いてくる。
あ、れ?
「だって、あなたも、同じだから、だから、私の悪夢が届いたのよ」
その声は魂を素手で触るような、無遠慮さがあった。
私は浮かべていた笑みを消し、相手をじっと見つめる。
「自分の程度を、わかってた。私が、本当は私は偉大な魔女のお母さまの娘としては相応しくなく、賢くもないなんの取柄もない、男に足を開くことでしか、人間の世界で生きて行けない、能無しだってことを、わかっていたように。貴方も、自分の程度をわかっていたんでしょう?」
彼女の言葉は優しかった。歌うように、抑揚のある声は心地よく、頷いて、泣き崩れ、そうだ! とわめいて楽になってしまいなさい、というような、甘さがあった。
「……」
あぁ、これは毒だ。
深く入られてはいけないと、そうわかっている自分がいる。
考えるな、いや、思い出すな。
それは、それは、それは、惨めな事実だ!!!!!
====
あぁ、白状しよう。
告白しよう。
認めよう。
料理は好きだったが、けれど。
別に、料理に対して高い志は、なかった。
ただ、簡単だった。
飲食業界はどこも人手不足で、学も資格も、経験もない私でも雇って貰えた。
長時間労働、サービス残業は当たり前。給料は安く、環境は最悪だ。
それでも、簡単に入れる世界だった。ちょっとの努力を、しなくても入れた。
頭が良くなくて、人とのコミュニケーションも、上手くなくて、努力する気概もなくて……。
あぁ、正直に、本当に、言ってしまおう。
料理人に『なら』なれると、そう、思って、その世界に、安易に入ったのだ。
そして外面では誤魔化した。料理が好きだからと。料理人として大成したいのだと。
そう、志があるように、振る舞った。
だって、そうすれば、惨めにならずに、済んだから。
男社会に交じって、罵声を浴びせられ、長時間ずっと、休憩もなしに立ち続け働き続ける、そういう、仕事しかできない自分を、惨めに……思われずに、済んだ。
だから、楽しく嬉しそうに幸福であるように、振る舞おうと思った。
そうでなければ、申し訳なかった。
料理人としていきる人生を、幸福としなければならない。
それが、私の被った仮面。私の内側。
私の前世の、真実。
=====
ゆっくりと、ミシュレの手が私に伸ばされる。にっこりと微笑み、手を取って、そして共に望みを叶えましょうというその慈愛に満ちた顔。
私は掘り起こされたそのドロドロと腐って腐臭がし、顔をそむけたくなるような過去の自分の記憶に顔を顰める。
これが毒か。
魔女の娘の、毒か。
人の心の奥底の、嫌な部分を無粋に暴き立てる。
親しい友人に懺悔するならまだしも、見知らずの、知ったような顔をする気に食わない女に無遠慮に掴まれ優しく撫でられるなど、嫌悪感しか沸いてこない。
がっくりと崩れ落ちる膝。
井戸の前で微笑む魔女の娘。
私は必死に、泣き出しそうになる自分を堪えた。
あぁ、あぁ、ごめんなさい。
取り繕ってごめんなさい。
本当は、私は大した人間ではなく。
大した志もない。
ただの底辺の低俗で、低能な人間でした。
けれど、そういう自分が惨めで、ずっと、その生前誤魔化していました。
殺された時に、これで終わるとホッと……
「それはない!!!」
しかし、私は一喝した。
この思考は、違う。
それは、絶対にありえない。
(だって、私は楽しかったのだから!!)
私は自分の頭から、星屑さんに貰った花、白い花を掴み取り口の中に入れ咀嚼した。
白い花は、私に対して誠実になる効果。私が、私自身に奉げ、口にしそれを飲み込んだ。
体の中が、洗われるような涼しく優しい感覚が走る。私は絶望と苦しみにいっぱいだった胸が懺悔のようにあれこれと吐き出す思いが一気に消え失せ、かわりに沸いたのは、砕かれた仮面の奥の、私の素顔の本音だ。
すぅっと息を吸い、私は立ち上がる。
「ネタが古い!!!」
はっきりとしてくる思考。
泥で汚れていた心が、私本来の、ある種のふてぶてしさを取り戻す。
「そう、鮮度。鮮度、何事も、えぇ、鮮度が大事ですよ。海の近くに私は住みたい、そうなぜならば、お刺身がいつでも食べたいから!!!」
「え? え??」
この言葉、今は全く関係がない。
だが、こういう、意味の分からないことを堂々と言うと、私はなんだかこう、強く、立てる気がした。
確かにそういうきっかけだったり、内心、飲食業……ブラックだよ、とか思ってる部分もあった。 えぇ、ありますとも!!!
でも、それであっても、それは、私の心を、私の人生を汚す泥にはならない。
だって、楽しかったのだ。
私は料理が好きだ。大好きだ。
誰かと作るのも、食べるのも、あれこれ考えるのも、それを商売とするのも。ようは、最初がどうあれ、ハマったのだ。私は。
「どうも、こんにちはからこんばんは! ごきげんよう、野生の転生者エルザです! 料理は文化で文明です! 前は残念ながら終わってしまったけれど! それでも私は料理がしたい!!!」
「……駄目ね、話しが通じないわ。あの双子みたい」
よし、言い切った、と私が晴れやかな気持でいると、呆れ溜息を吐いたミシュレが額を抑え、そして、ぐるん、と私の胸倉を掴んで、井戸の淵に押さえつける。
見える、夜空。
そして、私を見下ろすミシュレの瞳。
「邪魔をしないで欲しかったの。わかってくれると思ったけど、無理なら、仕方ないわ。終わるまで、そこにいて貰うから」
ドン、と、そのまま突き落とされる。
井戸の中。
ここ、幻とかじゃなかったのか?!
段々小さく遠ざかる、丸い空。私が落ちる全てを見る気もないのか、ミシュレは顔を見せてもおらず、バシャン、と、井戸の底に落ちた。
あ、よかった。
現実じゃない、ここ、と安心するのは井戸に、いくら水があるからといって落ちたら普通は大けがをする。
だが、痛いという感覚はない。
つまり、私の意識だけ囚われて、ここに閉じ込められたということだ。
……それはそれでまずい。
水に浮かびながら私はぼんやりと空を見上げる。
つまり、ミシュレの目的、何度も何度も生まれ変わったのは『魔女の娘の自分のまま倖せになる』ためだ。
……なるほど、魔女の呪い、ではない。
殺された娘の執念だ。怨念だ。意地だ。
そして、ミシュレの願いは双子の一代前、領主クリストファ・ザークベルムの姉、ルシアとして生まれた時に、半分叶っているのだろう。
「ルシアは子供を産んでる。これまでの生まれ変わった人生では、どれほど物を与えられ環境を整えられても彼女は満足しなかった。奪われた子供を取り戻していないから」
子供を産んだルシアはクリストファによって殺された、とあの双子は言った。ひとまずそれを信じるとして、その他人事のような言葉。
双子は、どちらもミシュレの意識を持っていない。
だが、ミシュレに憑りつかれている。
子供を産んだから、ミシュレの執念が薄くなったということだろうか。そして、それでもまだ、完全にではない。
まだ残っている。
何が?
産んだ子供の幸福と、氷の魔女ラングダへの恩返し?
「魔女から預かった娘を、幸福にしなかったザークベルム家への報復」
これが魔女の呪いではなく、魔女の娘の執念なのだとすれば、魔女を母と敬愛する娘が、母への愛の証明として得ようとした幸福が奪われたことに対しての憎悪なのだとすれば、行き着く先はそこだろう。
「……井戸で寒中水泳してる場合じゃないですね、これ」
クリストファ・ザークベルム一人の命を奪って終わり、では済まない気がした。
以前一度、私が魔女ならどう復讐するかと考えたことがあるが、私なら『何もかもを許さない』だろう。
もう一度幸せになる為、生まれるための産道としてザークベルム家は生かして置く必要があった。だが、彼女はもう息子を得た。自分を殺した一族の娘の体で生まれ、その血で息子を得た。だからもう、ザークベルム家はいらない。
ザークベルム家が存続する為に必要な領地も、いらない。
===
「姉上……この少女に何を……?」
「……」
「姉上!!」
突然倒れたエルザの体を抱き起し、グリフィスは姉二人を睨み付ける。
顔色は変わらない。寝息を立てている、わけでもない。呼吸はしている。心臓も動いている。だが、これが寝ているのではないということはわかった。
二人が何かしたのだという予感がグリフィスにはあった。
魔女の娘と、どちらかは自分の姉という二人。
だがグリフィスは二人の見分けが付かないし、こうして前にして見て感じるのは親愛の情ではなく、得体の知れない化け物がいるという恐怖だ。
「騒がないで、グリフィス」
「直ぐに終わることだと、ルシア様はおっしゃっているわ」
「あら駄目よ、セレーネ。ミシュレ様と呼ばないとお怒りになられるわ」
「そうね、イレーネ。伯母上だと思う心が強いから、どうしても、そう呼んでしまうの」
双子は感情の籠らない瞳で淡々と話す。
そしてツイっと、窓の外を指差した。
「始まるわ。えぇ、始まるのよ」
「予定より遅くなってしまったけれど、やっと始められる」
窓の外。
グリフィスは双子からエルザを庇いながら、外に視線を向ける。
「……雪……?」
季節的には、まだ早すぎる。
だが窓の外には、真っ白い雪がハラハラと、踊っている。
目を疑った。
霊峰から、白い衣装を着た踊り子たちが……大勢降りてきている。
音が一切しなかった。
ゆっくり、ゆっくりと、踊り子たちが街の上空に現れる。
去年の比ではない。
魔女の館にはこれほど多くの踊り子たちがいたのかと、想像できなかったほど、五十、百、いや、それよりももっともっと、多くの踊り子たちが上空に集まり、大きな輪を作る。
何をするのかはわからない。
だが、恐ろしい予感しかなかった。
全ての音が吸われた街の空の上、輪になってぐるりと街を見下ろす踊り子たちは歌い始める。
≪エーンヤ・ソリヤー・ソイソリャソイヤ・ソーラ・ローザーラー・エーンリャヤ・ソイヤリャソイヤ・セ・オルセリャ≫
「……止めろ……」
グリフィスは窓に張り付き、小さく呻いた。
歌と共に踊り出した精霊たちが、腕を振り下ろした途端、街が雪に覆い潰された。
Next
1日が40時間くらいほしい。




