サンドイッチと、書斎
あれこれ漁るのに空腹では集中力も切れるだろうと、私はサンドイッチを持参した。これは事前にラダー商会の材料をスレイマンが浄化だかなんだかをして「安全だ」とされたものを使用している。そこまでしなくてもいいのだが、しかしまぁ、それでスレイマンの気が済むのならそれでいいと私は諦めることにした。
サンドイッチ、サンドイッチ。ファーストフードの一種で、元々はどこぞの伯爵さま……まぁ、その名の通り、サンドイッチ伯爵がカードゲームの最中に気軽に食べれるものとして考えたのが始まりだ、という噂もあるが、多分違う。
定義としては両脇をパンで挟んだものならなんでもサンドイッチであり、そういうシンプルなものはわざわざ伯爵の時代、19世紀まで待たずともそこらじゅうで気軽に食べられたスタイルだ。
たとえばインドのナンや、中東のピタパン、メキシコのタコスやブリートだって、パンに類する食材に具を挟んで手づかみで食べる、という料理である。
ワンハンドで持ち運べ気軽に食べられる料理……野外での労働や戦での遠征、そういう状況がある人類の歴史で誕生しないわけがない、それがサンドイッチ、である。人類最高!
「グリフィス坊ちゃんもどうぞ」
呼び捨てにする、というのもさすがにまずいのでそう呼ぶと、グリフィスは嫌そうな顔をした。
そして私が差し出したサンドイッチを見て、更に嫌そうな顔になる。
「そんな下品な物をこの僕が食べるわけないだろう」
なんと、下品、とな。
「僕のような高貴な身分の人間は、パンに何かを挟んでかぶりつくような下品な真似はできない。そういうのは、庶民の食べ物だ」
なるほど。確かにこの世界の、お呼ばれした富豪カーシムさんの家の料理や、モーリアスさんが聖女様用と作った料理にこういうワンハンドフードはなかった。様々な料理を一度にたくさん広げて少しずつ味わう、という形式だったのを思い出しながら、私はグリフィスに勧めたサンドイッチを引っ込める。
「無理強いはしませんよ。食文化の尊重はします」
私とグリフィスは書斎に来ていた。トールデ街でも目にしたが、この世界には紙が発明されており、本も流通している。これなら記録が残っているかもしれない。
6代前まで遡れる家系図や、出生届の控え、出資やら何やらの帳簿から見えるものもあるかもしれないと、すぐさまグリフィスは取り掛かり、私はサンドイッチにかぶりつく。
「……この、パンの柔らかさ。さすがは高級品を扱うラダー商会ですよ。食パンはなかったですが、丸パンを薄めにスライスして、たっぷりと溶かしバターを染み込ませた……えぇ、最高ですよね。パンにバターってだけでもこの、鼻まで味わえる香り、パンが軟らかくなり感じる舌触り……。えぇ、シンプルにタマゴサンド……卵を贅沢に使い、茹でて潰した具ですよ……塩と、胡椒はお好みがありますが、私は胡椒をしっかりきかせます。粒の粗いままでサイコー!! この辛子!!! 辛子ですよ!! ぴりっとくる、えぇ、タマゴが甘いのに、塩で甘さが引き立つのに……この辛子というアクセント……!!! ありがとう辛子の存在する世界!!!! ありがとうラダー商会!! 負けてゴメンネ!」
スペインならボガディージョだが、私はタマゴサンドが好きだ。好きだ。大好きだ。
前世の私は母子家庭で、朝から日付が変わるまで必死に働いた母と共にとれる食事は稀。朝食文化は早々に消えて、お腹を空かせながらも給食の時間まで我慢した少女時代……時々、母が作ってくれたタマゴサンドが嬉しかった。
白と黒の四角い薄切りパンがセットで売っていて、茹で卵にマヨネーズと塩コショウ、それに辛子を入れて混ぜたものを加えるだけの簡単なものだった。けれど、忙しく疲れている母が私の為にと時折、用意してくれるそれはとても美味しかったのだ。
しかし、今思えば、大量のマヨネーズをかけて食べるギョウザと言い、たっぷりのマヨネーズで作るポテトサラダといい……母は完全にマヨネーズ信望者である。
まぁそれは今更いいとして。
タマゴサンドを全力で讃えていると、こちらから見えるグリフィスの背中がフルフルと震え始めた。
煩くし過ぎたかと反省し黙るが、続いてもう一つ、二つ、と口にし幸福とは何かを噛みしめてしまう。
次はキュウリを挟んでもいいかもしれない。
お酢に漬けたキュウリでもいいし、塩水でやわらかくしたものでもいい。キュウリに、サンドイッチに……ルールなどないのだから……!!
「~~~!!! おい!! 小娘! 僕の分はどれだ!!」
「ありませんよ、もう」
震えていた背が突然振り返り、大声で怒鳴る。大声ならスレイマンの初期状態で慣れているのでビクリともせず私はしれっと言い返した。
「……なん、だと……」
なぜかこの世の終わりのような、悲壮感漂う顔になるグリフィス。
「冗談です。私は料理関係の意地悪は……まぁ、適度にしかしません」
料理は好きだし信仰にもなるんじゃないかと思っているが、人間ありきのもので、そして手段だと割り切っている部分もあるので、そこまで神聖視はしていない。
私は布に包んだサンドイッチを広げ、グリフィスさんに進捗を聞く。
「で、どうです? 何かわかりました?」
「なぜ僕だけ調べ物をさせるんだ」
「私、字読めないので」
そこは誠に申し訳ないと思う。
見かけは幼女だが中身は大人。それならばこの世界の文字を学べばすぐに覚えられるんじゃないかと、そんな期待もしましたよ。
しかし、そもそも、私は前世でも頭が悪かった!! とても!!
そんな自分が、生まれ変わったからって、賢くなってるわけがない。なまじ前世の記憶と意識がある分、新たな言語を覚えるという抵抗感がある。
ちょくちょく、簡単な単語や文字の種類はスレイマンや、村にいた時にマーサさんやクロザさんが教えてくれたけれど、領主の家の手紙やら家系図を読める程、わかってはいない。
「……お前は一体どういう身分なんだ?」
「と、いいますと?」
「……父上は、僕の命よりも優先してお前の希望を叶えろとおっしゃった。だが、お前はマーサと同じ村の出だろう? 一緒にいたあの片足が不自由な男は……父上の昔からの友人らしいが、貴族なのか?」
字も読めない、礼儀作法もなっていない。そういう子供相手に、しかし父親には礼儀を尽くせと言われて困惑している、というのが分かった。
というか、マーサさんが気にしていたからだけじゃなくて、領主さんの差し金でもあったのか。
しかし、私はそれを問われると、答えに困る。
自分では庶民だと思っているが(馬車で転落死した両親の恰好も庶民風だった)スレイマンが王都でヤンチャしていた時に爵位を持っていたかどうかは聞いていない。
というか、スレイマンが魔王うんぬんの事を考えると、人間種の間での爵位は関係なしに、何かしら……王位というか、そういうものがあるのだろうか?
「まぁ、それは今はどうでもいいとして」
「どうでもいいのか?」
「今は坊ちゃんの家のことですよ。家系図、これ、この止まってるところが『魔女の娘』として生まれて来た女性たちってことですよね?」
「あぁ。今のところ一番新しいのは父上の子として、僕と姉上二人が並んで書かれているだろう?」
大きな木のように枝分かれしていく家系図を見ながら私は頷く。
遡って六代前の領主の子供は娘と息子が一人ずつ。この娘が、最初の『魔女の娘の生まれ変わり』だろう。
確かに必ず、記された誕生の年号から19年後に長女が死んでいる。
「……あれ? でも、これ。先代の、坊ちゃんの伯母に当たる方、ルシアさんは……18年で亡くなってるみたいですけど」
クリストファ・ザークベルムの姉として生まれた、先代『魔女の娘』の生まれから没の年数を計算すると、18年だ。
「誤差の範囲じゃないのか?年が変わる前だとか。僕が生まれる前の事で、詳しくは聞いたことが無いが」
それほど気にすることとは思えない、と言うグリフィスだが、私は引っかかった。歴代の魔女の娘が必ず19年で亡くなっているのに、なぜ先代だけ早まったのだろう。
「19歳なら、どこかに嫁ぐとかそういう話は出なかったんでしょうか?」
「出ると思うか? 我が家の魔女の呪いは有名な話だぞ」
「そもそもなんで魔女に呪われた、なんて不名誉を自白したんですかね?」
政治関係とかで色々不利になるんじゃないのか。
だが、クビラ街やトールデ街を見てきて、街の人たちが貧しかったり、差別を受けていたりといった様子はなかった。
呪われた領主の治める土地、など、異端審問官の格好の的ではないのか?
長くノータッチだったようだし、それに、結婚許可証をラザレフさん、大神官自らが書く……ザークベルムの統治や繁栄を認めているということだ。
駄目だ。
考えれば考えるほど、わからないことが増えていく。
「伯母さんはなぜ亡くなったんですか?」
「井戸で亡くなったと聞いている」
「はい、ダウト!!!」
また出た井戸での死亡事件に、私は頭を押さえて呻いた。
「な、なんだ?!」
「井戸で亡くなった人は、魔女の呪いとは無関係です。っていうか、魔女は井戸に近づけないんですよ?」
スレイマン曰く、魔女は女の腹から生まれた生き物ではない。産道を通らぬ生き物は井戸を恐れる。
これは、井戸というのはこちらの世界と、そして魂だけの世界、または死後の世界というのを繋いでいるという概念が存在しているからだろう。
だから、最初に殺された魔女の娘は井戸に投げ捨てられ、娘の亡骸を得る事も魔女は出来ずにいた。
「……まて、それでは先妻殿はどうなる」
「つまり井戸こそが凶器だったって、ことでしょうね」
一度だけなら、私は偶然かな、魔女を恐れるあまり自分で井戸の中に落ちたのかなぁ、程度に思い過すつもりだった。だが、先妻と、先代の魔女の娘、二人だ。
「殺人事件ですね、これ」
井戸を使えば魔女の所為になる。
凶器なのだ。犯人にとって、井戸は。
追い立てて、あるいは落として、あとは素知らぬ顔で井戸に食われた、とでも言えば良い。魔女の呪いだ、報復だ、なんだと騒いで悲観にくれればいい。
「これは仮説ですけど。双子の姉妹のどちらか……多分、ただの人間の方は、見たんじゃないですか? 犯人が、母親を殺すのを」
「……いや、しかし。しかし、それは……」
その時に、自分が「人間の子供」だと気付かれた。
恐れたのではないか?
魔女の呪いで死したと偽装された。
その現場を見た。
ただ殺しただけではない、何か、そこにあったのだ。
だから、犯人はその「目撃者」も殺すと、姉妹は悟った。
だから、姉妹はどちらも魔女の娘であると、手を出せば魔女の怒りを買うと、それだけを唯一の盾として、過ごしてきたのではないか?
「待て、いや、待ってくれ。それは、いや、しかし、それでは……犯人は、ただ一人しかありえなくなるではないか!」
私より速い速度で思考するグリフィスは答えに行きついたようだ。私は最初から疑っている人物の、理由づけをしているだけだが、彼は違う。
顔を青くし、しかし、真っ赤になって私を怒鳴る。
「馬鹿な! そんな、そんなわけがないだろう!! お前は嘘をついている、そんなことはただの妄想だ!!」
「思考して辿り着いた答えはグリフィス坊ちゃんの頭と、そして心です。否定するのなら、頭ごなしに怒鳴るのではなくて、否定できる道と、答えを自分で見つけているでしょう」
グリフィス・ザークベルムにはそれだけの頭がある。
「何故……? 何故、伯母上や、先妻殿を殺す必要がある……?」
大きくかぶりを振って自分の考えを否定しようとするグリフィスを眺め、私はこれまで出会った人たちを順に思い浮かべる。
一番、辻褄が会うのは一人しかいない。
「ルシア様が、子供を産んだからよ」
「愛していらしたのね、子供を産むまでは」
声が、背後からかかった。
私は素早くグリフィスを背に庇い、現れた、金の巻き毛の美しい双子をじっと見つめる。
双子は私を見て愛らしい笑顔を浮かべると、ゆっくりと揃って礼をした。長いスカートの裾を掴み、恭しくさえあるその姿。
「どうか、邪魔をしないでくださいな」
「わたくしたちと同じく、貴方も自分ではない者の記憶を持っているのでしょう?」
「わたくしたちの気持ちがわかるはずです」
「どうか、邪魔をしないでくださいな」
双子は同じ顔と、同じ声で口々に言い、私の同意をただ求める。
「あぁ、あぁ……! 父上、何故!!!」
沈黙する私の背後で、グリフィスが呻いていた。
しかし、私が転生者だって、なんでわかったんだ?
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最高気温が39度とか、もう目の錯覚じゃないかと思いました。
四捨五入したら40度ですよ。40度。
熱中症にはお気をつけてください。本当に。
こういう暑い日はスイカですね。種はクッソ面倒くさいのですが、塩をたっぷりと振ってかぶりつく、手についた汁が煩わしい事もありますが、食べきるまで気にせずいきましょう。
うちの猫はスイカ食べます。猫ってスイカ食べるんですね。




