表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【書籍化】野生の聖女は料理がしたい!  作者: 枝豆ずんだ
第五章 冬の踊り子編
60/162

瞼の裏の、歌声



目を開けたら、顔の焼けただれた赤ん坊が私の首を絞めていた。


体がズシンと重く、手足が自分の意思に反していっこうに動かない。

私は生えそろわぬ小さな歯をむき出しにして、その爛れて肉の見える赤い顔がケタケタと笑う、その様子をじっと見つめた。


辺りは暗い。真っ暗な闇の中の筈なのに、赤ん坊の頭に刺さった細い釘のようなものが光を受けて光っていて、その光はどこにあるのだろうかと不思議に思う。


赤ん坊に見覚えはない。赤ん坊など私の生活に縁が。


私の?

私。わたし、は。


自分が自分であるという自覚はある。けれど、私は誰だったのか。いや、違う。私は、今、ここはどっちなのだと、そう思う頭があった。


ここはどこだ。

この、暗く湿ったにおいのする、ここはどこなんだろう。いや、それは今はいい。どうでもいい。とにかく、首を絞められている。不気味に笑う赤ん坊。その握力は強く、ぎりぎりと喉が締まっていく。首を絞める、というよりは、その小さな手は私の首の肉を引っ張り掴み、そのまま喉ごと引きちぎるのかと思うもの。


あぁ、苦しい。痛い。苦しい、痛い痛い。呻く私が、ついに痛みと苦しみで意識を手放した。


あぁ、夢、か。


そして、そのままハッと、気付けば寝台の上。真っ白い柔らかな寝台には触り心地の良い布が何枚もかけられている。この体には重くて不気味な夢を見たのかもしれない。そう思い、体を起こせば銀の髪がサラリと揺れる。光を受けて輝く髪。だが部屋は暗く、どこに光があるのだろうか。私はギクリ、として傍にあった水差しから水をカップに注ごうとするが、出てきたのは小さな蜘蛛の群れだった。


うじゃうじゃと、寝台に広がる蜘蛛の子に怖気が立って滑り落ちる。無数の虫に生理的な嫌悪感を覚え、喉から悲鳴を上げるのだけれど、まるで喉は絞められ潰されたように掠れた声を出しただけだった。


私は一目散に部屋を飛び出し、階段から転がり落ちた。


あぁ、夢か。


目を覚ます。

いつのまにか、森の中を歩いていた。霧の深い、鬱蒼と生い茂った深い深い森だと、知っている。


私は裸足で、あちこち汚れ、小石や枝で皮膚を傷付けていた。それなのに構わずに歩いている。どうしてだったか、思い出せない。


思い出せないし、この状況は明らかにおかしい。


また夢か、何かしらであろうかと判じて、私は立ち止まる。


「スレイマン?」


絶対的な保護者の名を呼んでも、周囲に変化はない。だが、その名を呼んだ途端、私は自分が何者かを思い出す。そうだ、そう、私はエルザ。エルザとスレイマンが呼ぶ、名付けてくれた、そういう、年端もいかない子供。それが私だった。


私は自分の腕にスレイマンの髪で編んだ腕輪がないことに気付き、そして、毎朝魔術式が編み込まれる私の髪が今は短く、肩まで切られていることに気付く。両腕に、神性封じの魔術式の模様もない。


これは妙なことだ。それならと、再び口を開こうとして、トスンと、背後からの衝撃、いや、刺さった。


「……っぐ」


衝撃で膝をつき、恐る恐る背中に手を回せば、細長い、矢のようなものが私の背に刺さっている。貫通してはいない。呻き、そのまま私の意識は途切れた。


が、今度は水の中にいた。


冷たい、水の中。顔は出ている。周りは、石のような、壁だった。ずっと上の方に、ずっとずっと上の方に、光が見える。


ここは井戸の中だと、そう気付いた。


井戸の水は何か嫌なにおいがして、私がもがき沈む度に、鼻や口から入る水は胃の中でずっしりと重くなり、その分私の体を沈めるようだった。


私は井戸の中にいて、落ちたのか、落とされたのか、わからないまままっすぐに、まっすぐに、高く頭上に見える丸い月を眺める。


丸い井戸の中から見える月は青白い。


そうしてどれほど経ったのか。私は、私の視界は何の変化もしないのだと、天にある月が動かぬ、それを不思議に思う事を忘れていると、視界が変わった。一瞬、誰か、人、そう、人のようなものが井戸を覗きこみ、私と目が合ったような気がした。


目が合った。その、白い歯が見えた。


(あぁ、あれは憎い―――だ)


見えた途端、私の中にボコりと泥のように浮かび上がる感情がある。憎いといいながら、それだけではないような、もっともっと、どす黒いドロドロとした爛れた何かであるような、しかし私はその人物に心当たりがなく、ただじっと、私を見つめるその顔を眺めた。


相手は何事か言い、そして、私に向かって何かが落ちてくる。井戸に何かが投げ込まれた。

それは私にぶつからず、ばしゃりと大きな水音を立てて沈み、待っていると浮かんできた。


ゆっくりと、浮かび上がるそれは、焼けただれた顔の赤ん坊だった。


私は恐怖よりも深い、深く、深い、ああ! 嘆いた!

水の中をもがきながら、投げ込まれた、息絶えた赤ん坊をかき抱いて、物言わぬその顔を、ちぎれた髪を、必死に抱きしめる。


この子を殺したのが誰かわかっている。だから、上を見上げた。私と、この子を投げ込んだ男はもうおらず、ただ白い月が見えている。


私はそうして、自分の子供が水の中で膨らみ腐り、蛆が沸くのをただじっと、じっと、ずっと、ずっと眺めていた。



====



「あぁああ、許さない、それほど×××が欲しいか!! 殺してやる、ザークベルム!」

「エルザ! エルザ!!!」


呪いの言葉を叫ぶと、肩を大きく揺さぶられた。


「…………あなた、誰です?」


荒く乱れた呼吸のまま、私の顔を覗きこむ黒髪の男を睨んだ。

彫りの深い顔に、血の様に赤い瞳の得体の知れぬ男は恐ろしい形相のまま、私を見つめ、て。


あれ?


「寝ぼけましたすいませんごめんなさい嘘です冗談です本当すいませんわかってますすいませんそんな顔しないでくださいよスレイマン!!!!!!!!!」


私の言葉に大きく目を見開きくスレイマンを見て、反射的に抱き着いた。


どうもこんばんはから、こんばんは、硬めの歯ブラシが好きです、野生の転生者エルザです。


ルシタリア商会のテオ・ルシタリア君の体に染み込んだ薬とその副作用は、レヤクさんが調合した解毒薬によってあっさりと解決した。


直ぐに元の体に戻る、というわけではなく、徐々に女性らしい膨らみや艶を取り戻していくという。そのゆっくりと、という時間の中で必要なことをしてしまうつもりらしく、私とレヤクさんがあれこれ衣裳を選んでいる間、ルシタリア君はラダーさんやスレイマンとあれこれ話し合いをしていた。


そして領主様の晩餐会に招かれたルシタリア君に私とスレイマンはついていく、ということになったのだけれど、幼女の体力と気力を考え、晩餐会で寝てしまわないように、私はお昼寝タイムを取った。


うんそうそう、そうだった。そうそう、思い出した。


私はラダー商会の待合室にクッションや布をたくさん使って簡易ベッドを作り、そこですやすやと寝ていたのだ。


「何か怖い夢見たんです」


まだ心臓がバクバクと鳴っている。

私は私の額や脈や首に触り、異常がないかと調べているスレイマンに説明をする。


「とても現実味があったので、ちょっと、混乱しました」

「ただの夢ではない。お前は呪いを受けていたのだ」

「……自分でいうのも何ですが、私って呪えるんですか?」


スレイマンが念入りに、私には魔術や魔法の防御をしてくれているし、星屑さん曰く稀有な血らしいので、たとえ呪いを受けても呪い返すくらいのことはしそうだと思っていたが……。


「お前には上位魔族が精神界から干渉をかけてきても影響を受けないだけの守りをかけている。――不可能なはずだが、現実に、お前は悪夢に引きずられた」


あれこれと、私にかけた魔術や魔法の説明をされるが、理解できるのは一割にも満たない。しかし、それらを聞きながら、私には心当たりがあった。


夢の中で、私は最初自分が何者か決められなかった。


そこがどこか、いつかわからないから、私は自分が今、スレイマンがエルザと呼ぶ幼女なのか、それとも、前世の自分であるのか、判断が付かなかったのだ。


スレイマンはエルザに魔術式を展開してくれているし、エルザである私にも、神性が付随しているのだろう。けれど、私が「今」を意識せず、そこがどこだか、いつだか、意識できなければ、私は、私の意識や魂は日本人の凡人前世のアラサー単品になるのかもしれない。


あれか。おにぎりみたいなものか。

前世の私が梅干しで、お米が野生の幼女だ。それを今の私が包み込んでおにぎりの形になって、スレイマンが海苔を付けてエルザになった、というイメージか。違うか。


「以後気を付けます」

「お前が気を付けてどうにかなる相手か」


まぁ、それはそうだが、心に留めておけばそれなりに効果があるかもしれない。私がにへら、と笑うとスレイマンが嫌そうな顔をした。そして一度目を伏せて、ゆっくりと息を吐く。


「で、何を見せられた」

「赤ちゃんに甘えられる夢と、小さな生き物がたくさんいる夢、あとドッキリをしかけられる夢と、最後は着衣水泳でしたね」


要約するとそんな感じで間違ってはいないだろう。


あれは私の記憶にはない。夢は確かに、私の知らないものを見ることもあるだろうが、それにしては異質だ。


それに、今更だが、私は転生した今でも、夢で見るのは前世の日本で見たのと同じ、現代日本の夢だ。


この辺りを突き詰めていくと、私は転生した第二の人生、第二の人格が「前世を覚えている」という混色なのか、それとも塗りつぶされたものなのか、わかってきそうだが、結局のところ私は私としてしか意識がないし、私として生きる気しかない。細かい事はどうでもいい。


「最後の方で、自分が自分ではない第三者の意識をそのまま受け入れたような、変な感じになりましたよ。それで、スレイマンのことがわからなかったんです」

「ふん、別にどうでもいい」


嘘つけ。

めっちゃショック受けたような顔してたじゃねぇか。

こっちは思わず一瞬で正気に戻ったよ。


などとは突っ込まず、私は喉が乾いたので水差しを手に取る。


また蜘蛛の子でも出て来たらどうしようかと思ったが、その時は潰そう。全力で。蜘蛛の子に罪はないだろが、生理的に無理だ。


幸いにも水差しからはごくごく普通の水が出て来たので、喉を潤す事が出来た。


「とにかく、目的は魔女の娘っていう領主の長女さんに会って、氷の魔女をどう誘い出すかとか、魔女の呪いについて話を聞くってことでいいんですよね?」

「伝え聞く呪いの内容はあくまでザークベルム家の主張だ。人間種の都合と、魔法種や人ならざる者の都合は違う。お前を呪ったのが誰かも、明らかにし殺してやらねばならんからな。やる事は多い」


後半物騒なことを言ったが、私の予想では私を呪ったのは多分、××××だろうと、なんとなくわかっている。


その後、私はもう大丈夫だと判断したスレイマンにより髪を結われ、レヤクさんにあれこれ着飾って貰い、テオ・ルシタリア君と領主の晩餐会へ出席するため、館へ向かった。





===




「あら、お客様だわ」


コロコロと喉を震わせながら、豪奢な金の巻き毛の美少女が、格子付きの窓から外を眺める。


領主の館の本館とは違う場所にある、作りこそ立派で贅を散らした離れは美しい薔薇の花に囲まれている。


街で大きなお祭りがあったことを、使用人から聞いていた。そこで何事かあって、誰かが特別なお客様として屋敷に招かれたらしい。


「あら、細いけど素敵な方ね。短い髪は珍しいわ」


最初に見えた細い女性を評し、クスクスと笑い声を立てる。


「でも素敵だわ。あんなに短く髪を切っても、瞳は挑戦的よ」


そしてもう一度窓の外を見れば、今度は珍しいものが見えた。


「まぁ! 銀色の髪の、マーナガルムの魂と同じ色だわ!」


見たことはないが、言い伝えとして母に聞いている。そういう存在と同じ色をした少女がいると、美少女は驚く。


「それに一緒にいるあの方! えぇ、きっとそうだわ。夜の国の方に違いないわね!」


長身の黒衣の男を見て、壁から背を放し美少女は手を叩いた。


「素敵なお客様ね。えぇ、とっても素敵よ。ねぇ、わかるかしら? わかってしまうかしら?」


窓際に座る美少女は、問われて首をかしげる。


「どうかしら? かしら? わかるかしら?」


部屋の中には、金髪の美少女が二人。

クリストファ・ザークベルムの最初の妻の産んだ、双子の姉妹。


あの男は、父はどういうつもりなのだろうか?


あの銀の少女と、黒の男。あんな生き物を屋敷に招いて、どういう結果を望み始めたのだろうか?


姉妹は両手を合わせ、互いの額にぴったりと額を付けて囁き合う。


「いいえ、いいえ、イレーネ。わからないわ。きっと誰にも、わたくしたちの見分けなんかつかない」

「そうね、そうね、セレーネ。そうなのだわ。きっと誰にも、わたくしたちの命は奪えない」


魔女の娘が生まれるという呪いを受けた、ザークベルム家に同時に生まれた二人。


姉妹は己らの、どちらが「魔女の娘」で、どちらが己の娘かわからず、母親は精神を病んで自殺したと、知っている。


そして自分達のどちらがどちらか、わからないから生かされていることも知っている。


誰にも知られず、気付かれず、ただ黙っていればいい。

双子は互いに互いのほっそりとした、しかし柔らかな体を抱きしめ、暴かれる恐怖をごまかすように互いの存在を確認し合った。




Next

犯人はヤス。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ