世界一、幸せな花嫁
ドゥゼ村の聖女の結界を、一度力技で無理やり破ってからというもの、スレイマンは歴代の聖女たちに呪われているらしかった。
私といればその呪いは抑えられる、と星屑さんは言い、スレイマンもそれを認めたけれど、それではどの程度の距離一緒にいる必要があり、どの程度は離れられるのか?
調べてみてもなんとも答えは曖昧で、はっきりとしない。百メートルほどで呪いが発動することもあるし、一キロでも発動しないこともあった。
私とスレイマンはお互いにどこにいるかはっきりと所在を感じられるように、と互いの髪で作った紐を腕に巻くことにした。髪というのは魔力を帯びるもの。そうすれば極端に離れていない限りは呪いも発動しないのではないかと、そういう考えだった。
「あら、今日は随分と珍しい。ラダー商会にこんなに綺麗な子がいたの?」
どうも、こんばんはからこんにちは、お米が食べたいです、野生の転生者エルザです。
私は、領主の奥方に新商品を見せに行くというレヤクさんにくっついて、領主の館へ入る事ができました。
案内されたのは大きく立派な館の奥、美しい中庭を更に進み風通しの良い渡り廊下を抜けた先には、領主の奥方の住む部屋があった。
何人もの美しい腰元たちを従え、長い薄紫色のベールをかぶり光沢のあるさらさらとした布の衣裳を纏う人は、私を上から下までじっくり観察するなり、面白そうに声を立てて笑った。
「綺麗な銀色の髪だこと。その髪を私に奉げなさい。それほど美しい髪だもの。きっと立派なカツラが出来るわ」
あ、この人マジで言ってる。
じっと私の髪を見つめる目が捕食者のソレであったので、私は顔を引きつらせ、レヤクさんの背に隠れる。
「あら、嫌ですわ、ローゼリア様。こんなに幼い子供の皮を剥いでカツラを作ろうなんて」
「わたくしはそこまでは言っていないわよ。腰ほど長いのだから切ればいいでしょう、切れば」
「そうだったかしら?」
きょとん、とレヤクさんは首を傾げる。
人と違う彼女はこういう価値観が違うのか、それともレヤクさんの性根が過激派というだけなのか。私は考えるのを止めた。
領主クリストファ・ザームベルクの正妻、ローゼリアさんは黒髪の美しい女性だった。とても子供を一人産んだとは思えない若々しい美貌に、何十にも重ね着された上からであっても抜群とわかるプロポーションの、控えめに言って、絶世の美女である。
しかし、残念ながら、ドゥゼ村の星屑さんがあまりにも美しすぎるため、これほどの美女を前にしても私は「へぇ綺麗な人だなー」程度の感動しかない。とても悲しい。
ローゼリアさんは、レヤクさんのお得意様だそうだ。
レヤクさんは精霊種の中でも天女に近しい存在のため、特技は機織り。昔は羽衣を持っていたそうだが、ラダーさんと結婚するために捨てたという。
それなんて羽衣伝説だと言いたくなるが、それはまぁいいとして。
「いつもながら見事だわ。色使いといい、技術といい、見事なものです。腕のいい職人というのは数多くいても、何かを作り出すのはたった一人の感性。王都にも貴方ほどの感性の持ち主はそうそういないでしょうね」
早速並べられていくレヤクさんの新商品、美しい布の数々を一つずつ手に取ってじっくりと眺めてから、ローゼリアさんは溜息を洩らした。
そして自分が今着ている衣裳をつまんで見せてくる。
「王都ではこのような軽い布が流行りなの。絹といったかしら。光沢があってとても綺麗でしょう? でも、わたくしはレヤクの布の方がずっと好きだわ」
って、絹、あるんか。
聞いてみれば、蚕ではなくて蜘蛛のような虫が尻から出す糸から作られるらしいが、その布の特徴は私の知る絹そのものである。
「日の光に弱いからすぐに色が変わってしまうし、汗を吸わないのよね。虫食いもするし……わたくしはちょっと、持て余してしまうわ」
領主の奥方ともなれば家事炊事をすることなく館の奥でのんびりと暮らしている事が多いだろうが、しかし、それでも、この地域は暑いので汗を吸いにくい服は、あまり歓迎されないらしい。
なるほどなるほど、と私はこっそり頷く。
「ところでローゼリア様。ご子息の花嫁になられる方はもう貴方のところで花嫁修業をしているの?」
ひとしきりおしゃれの話をし終えて、お茶を三回ほどお代わりした後、レヤクさんは私がお願いした質問をしてくれた。
「あの田舎娘の? どうして?」
「どうしてって、普通はそうでしょう?」
いきなり知らない家に嫁ぐ、のではなくて、嫁ぎ先の姑の所で一か月ほど、あれこれ作法を習い生活に慣らしていく、それが習慣らしい。
しかしローゼリアさんは、それまでレヤクさんと楽しそうに話をしていた表情を一変させ、氷のような顔で目を細める。
「あれにそのような無駄な時間を使う必要はないわ。どうせただの生贄だもの」
「生贄?」
「えぇ。貴方も知ってるでしょ? ザークベルム家の長男が最初に授かる子供は必ず魔女の娘の生まれ変わり。正しい血筋の女の胎から、そのような呪われた化け物を産ませるものですか。わたくしだってあんな化け物を産みたくないから、クリストファには適当な娘を最初の妻に迎えて貰ったわよ。――あら、あなた、どうかしたの? 手からカップが落ちたけれど」
言われて私は、感情を堪えようと手を強く握りしめた為、持っていたカップを落としてしまっていたことに気付く。
慌てて謝罪し、頭を下げながら思うことはただ一つ。
ぶっ潰すぞ、この家。
なるほど、つまり、マーサさんと長男の結婚は、なるほど、なるほど、これはつまり、完全にあちらさんのご都合によるもの、ということか。
ローゼリアさんはどこぞの、由緒正しい家柄の娘さんで、昔から領主の妻になると、そう決められていた。しかし、ザークベルム家の魔女の呪いのため、正式に決められた婚約者は、最初の妻にはならない。
最初の妻となり、魔女の娘を産むのは、身分のない適当な女と、そういう……。
ぶっ潰すか、この家。
私はふつふつと沸き起こる苛立ちを、奥歯を噛んでなんとか堪える。そういえばまだ乳歯だが、最初に抜ける歯ってどこかな! とか、そういうどうでもいいことを考えれば、なんとなく怒りも収まってくる。
「残念だわ。遠い村から来たという花嫁さんにも、私の布を見て貰いたかったし、それにこの子がね、領主様のご子息に見染められるなんて御伽噺みたいで素敵、って憧れているから、ひと目会わせてあげたかったんだけれど」
「その子が?」
レヤクさんの言葉にローゼリアさんが再び私を見る。
私は大人の話を聞いてはいても、理解できていない無邪気な幼女の顔でにっこりとローゼリアさんを見つめ返す。
「宜しいのではありませんか、母上」
ローゼリアさんが何も言わずにいると、部屋の入り口から青年の声がかかった。
「これは、グリフィス様」
素早くレヤクさんはベールをかぶり直し、私の頭にも厚手の布を被せる。
現れたのはローゼリアさんに似た顔立ちの、それなりに美形の青年だ。グリフィス、というのは領主の息子の名であるので、なるほど、こいつが、と私は心の中の抹殺リストの上の方にその顔と名前を記して置く。
「なにがです?」
「あの田舎娘、もう部屋から随分と出ていませんから。こういう子供が相手なら、気分も変わるでしょう」
「あんな手駒如き、気に掛ける必要があるの?」
ローゼリアさんとグリフィスさんは母子のはずだが、母親が息子に向ける視線にしては、随分と冷たい。
グリフィスさんもそれを分っているのか、母親が自分に情らしいものを向けてくれるとは思っていない様子で肩をすくめる。
「仮にも僕の花嫁ですよ? 気にかけて不思議なことなどないでしょう」
さぁ、と、グリフィスさんが私の手を取った。一瞬レヤクさんが警戒するような様子を見せたが、私はこれはチャンスだと判断し、その手を取る。
レヤクさんはローゼリアさんと一緒にいて貰い、私はグリフィスさんに案内されて、館の更に奥へと進んで行く。
「……お前は、マーサと同じ村の人間だろう」
歩きながら、グリフィスさんは唐突に問うてきた。いや、問いの形ではあるが、確信しているという響きである。
私は答えずに黙って歩く。
グリフィスさんは私の歩幅が小さい事に文句をいう事なく、同じ速度で歩いた。
「マーサが時々……僕が怒鳴らないで一緒にいる時に、村の話をする。銀色の髪の、妙な子供というのはお前だろう」
不思議なことだが、私は一瞬、グリフィスさんが「マーサ」と呼ぶその響き、まるでキラキラと己の中に輝く宝石箱からそっと小さな原石を取り出すような、そんな愛しいものを見つめうっとりとしている子供のような響きを感じた。
まさかこの息子、マーサさんに惚れているとか、そういうわけはあるまいな、と私は疑問に思う。
マーサさんは明らかに利用目的があっての誘拐に、この結婚話だ。
先程のローゼリアさんの言葉に嘘らしい響きはなかったし、このグリフィスさんには本来マーサさんではない、どこぞの良家のお嬢さんが婚約者として決まっているのだろう。
だから、この青年がマーサさんを気にかける、わけがない。
罪悪感からか?
それとも実は息子は良い人間だったとかそういうオチだろうかと、私がぐるぐる考えていると、「ここだ」と到着した部屋。その扉を開けて飛び込んできたマーサさんの顔、やせ細った体に、それらの考えは一気に吹き飛ぶ。
「マーサさん!!!」
「……あら、エルザちゃん?」
カチャリ、とマーサさんの足元から鎖の音がした。
「……は?」
駆け寄る私に歩み寄ろうとしたマーサさんは、繋がれた鎖の長さが届かず中途半端な位置で立ち止まり、困ったような顔をした。
「ここの人たちを怒らないでね、エルザちゃん。これは私が、悪いことをしてしまったからなのよ」
「いや、すいませんけど、若い女性を鎖につないでこんなにやせ衰えさせてもいい理由とか私の中に存在しないので。すいませんけど、えぇ、すいませんけど、料理勝負とか細かいことあれこれ全部もうどうでもいいので、えぇ、もういいです。マーサさん、私と村に帰りますよ」
私は懐から母さんの爪を取り出し、マーサさんの鎖を切った。
その間、グリフィスさん……いや、グリフィスが邪魔してきたら防犯ブザーという名のスレイマン召喚装置を鳴らすと警戒したのだが、バカ息子は私がマーサさんの鎖を切るのも、その手についている縄を解くのも、黙って見ていた。
「エルザちゃん、私は村には戻らないわ」
「どうしてそんなこと!」
そのまま手を引いて行こうとする私を、マーサさんは振り解く。
悲し気な顔だが、その意思は固いとわかる。
私はじっとマーサさんを観察した。
殴られたようなあとに、服からわずかに見える肌には鞭の後もうっすら見えた。豪華な部屋、美しい衣装を与えられていても、ここでどんな扱いをマーサさんがされていたのかは、想像するに難しくない。
なのになぜここに残ろうと、そういうのか。
こんなところにいても、良いことなんかあるわけがない。
私は自分の思い通りにならず苛々としてきたが、しかし、どう言えばマーサさんを説得できるのかわからない。
「逃げるなら、さっさと逃げろ。お前など、どうでもいい」
何を言えばいいかわからず沈黙していると、部屋の隅に立ったままのグリフィスがそっぽを向いたまま、口を開く。
「グリフィス様……でも、私がいないと…」
「お前などいなくても、なんとでもなる。お前のことは、僕が殴り殺して井戸に棄てたとでも父上に話す」
普段からそういう態度だったので、怪しまれはしないだろうとグリフイスは自嘲気味に笑った。
そして逃げるなら、と最短ルートの説明までしてくれる。
今しがた思い付きで提案している、とは思えない。いつから考えていたのか、その指示は的確だ。
「さぁ、行け」
促し、私とマーサさんを追いたてる青年の瞳はずっと、マーサさんだけを見ていた。
Next
今日も日付変わる前ギリギリ更新ですよ奥さん。




