私はこの世界で、料理人に向いていないらしい
目の前に見えてきたのは、トールデ街の外壁よりもずっと立派な、巨大な壁だった。
領主クリストファ・ザームベルクが住む館のある、クビラという名の街だそうだ。
領主の館、というのはどこぞのポツンと孤立してあるものとばかり思っていたが、それを言うとスレイマンに「いつの時代だ」と呆れられた。
「日々の食料の仕入れや住み込み以外の使用人が通うことを考えれば、街中に居を構える方が効率がいいだろう」
それに、領民たちは領主のおひざ元の街が栄えてればその統治力を知ることができる。
なるほど。
私の知る「領主」というか、領主と領民について、荘園制とは異なるのかもしれない。
おおざっぱに言えば、中世のヨーロッパでみられた独自の社会、封建社会の特徴ともいえる荘園制。
貴族や騎士が国の王から土地を与えられ、領地内での農民たちを支配し、基本的には農業をして自給自足の形態をとる。
農民たちは領主の館を中心とした、直営地での労働を義務とされており、その他に貢納、結婚税、死亡税など多くの税が課せられている。
家族や農具、家の所有は認められたものの職業選択の自由はなかったはずだ。
だが、この世界の領地は、そう言えばドゥゼ村はドゥゼ村でわりと確立された社会であったし、イルクも自分の職業を選択できるような発言をしていた。
トールデ街でもカーシムさんが子供たちのために学校を、などと考えていたり、広場にも様々な行商人が出ていたので、比較的自由があるように感じる。
どうにも前世の知識があるので、そちらに引っ張られてしまいがちだが、そういえば異世界なのだ。
「ヨーロッパっていうより、アラビアンナイトの世界に似てると思えばなんとか」
幼いころ読んだアラビアンナイトでは、漁師がいきなり大臣になったり、貧しい木こりが船乗りになったりと、そういえばクラスチェンジし放題だったし、大きな街は栄えていて、そこを治める領主さまが出て来た。
確かにこの世界は西洋というよりは、食べ物、香辛料文化、ゆったりとした衣服など文化的にはそちらに似ていると思える点が多い。
あ、どうも、おはようございますからこんにちは、野生の転生者エルザです。
クビラ街の近くまで来て、スレイマンは一度馬から降りると、私に両腕を出すようにと言ってきた。
「なんです?」
「……お前は料理というもの対して愚かなまでに熱を上げているが、お前は自分の作る料理が魔法や魔術の域であることをどう思っている」
「前にスレイマンが言ってた、魔力が回復したり、結界を張れたりする、そいう、ちょっと変わった効果がある、ってことですよね」
そうだ、とスレイマンは頷いて私の答えを待った。
なるほど、私の料理は聖女パワー的なもののお陰か、それとも魔力や魔力食材を使うことが多いからか、なんか変な効果があるらしい。
調理というのは、栄養を摂る為に、見た目よく、効率よくしているという点もある。
私の視点からしたら、魔力食材、魔力調理をすることにより特殊な効果が起きるとしたら、それはアミノ酸の入ったジュースを飲んで疲労回復!というものがより早く効果が表れるようになった、という認識なのだが。
どうも、何か違うようだ。
「お前の料理は、大まかにいえば神性が宿る。お前が料理することを望むのであれば、お前はただの料理を作るだけにしろ、ということだ」
スレイマンは私の両腕に魔術式を書き込み、神性を封じると言った。
私に異論はない。
元々料理はそういうものだし、ちょっと特別な効果があったらファンタジーだなぁ、というのは思ったが、ただの料理人には不要なものだ。
しかし、封じられては魔力による食材の変化は出来なくなるのか、と心配になったが、それはないそうだ。
あくまで私の神性のみを封じる、とか、神性ってそういえば何なんだと突っ込みたいところはあったが、まぁいいか。
魔術式を書き込む、腕、というか人体にも出来るものらしく、スレイマンは指でさらさらと何かを描いていく。模様のようなものが肌に描かれていく。不思議な感覚だった。刺青のように痛みがあるのかと思えばそうでもなく、スレイマンはサラサラと描いていく。
私がじっと見ているので一度顔を上げて「その頭では理解なんぞできんだろう。説明はしないぞ」とだけ言った。
それを眺めながら、私は先ほどスレイマンが私には伝えなかったことをなんとなく考える。
私の料理に神性が宿る、というのなら、それは、人によっては毒になったのではないだろうか。
何か、起きた。
だからスレイマンは今こうして私の腕に魔術式を描いている。そういう考えが私の中に浮かぶ。
「どうした」
「いいえ、なんでも」
思い当たるのは、トールデ街で振る舞った香草入りのホットミルク。
教会の人たちが死んだ、と聞かされたが、あれは本当に私の所為だった、ということなのだろうか。
行きつけば、頭が殴られたようなショックがある。
料理が人を不幸にするものか。
私はそう、ラザレフさんに啖呵を切った。
けれど、だけれど、そうか、そう、か。そう、だったのか。
ぎゅっと、私は唇を噛み締める。強く噛み過ぎて口の中が鉄の味でいっぱいになったが、そうでもしないと喚き散らしてしまいそうだった。
何を、だろう。
自分の所為ではないと?
知らなかった、と?
それとも何か別のことか。
そういうものを、自分が吐くことを私は罪と感じ、ぐっと腹に力を入れる。
そんな私にスレイマンは何を言うわけでもなく、黙って魔術式を書き込み続けた。
===
「と、いうわけでやってきましたよー!クビラ街!」
「はしゃぐな。見苦しい」
きちんと門のチェックも受け、私とスレイマンは無事に街に入る事が出来た。
前回のトールデ街の時は私はドゥゼ村の村長さんの孫娘その2、という身分の詐称をした。今回はスレイマンもいるのでどうするのだろうと思っていると、スレイマンは懐から何か紋章の入った布を出して兵士に見せると、門の兵士さんは蒼白になり、慌てて上官らしい人が現れ、直々に手続きをしてくれた。
「あれって、何をしたんですか?」
「これはあのニヤけ面の大神官の依頼だからな。以前の役職を使った」
スレイマンの前職ってなんなんだろう。
悪代官とかそういうのか。
聞いても教えてくれないのでそれ以上は聞かず、私はクビラの街を眺めた。
さすがは領主直営の街である。
トールデ街も私の目から見たら大きかったが、クビラ街には華やかさがあった。
行きかう人々の顔は輝き、笑い声も聞こえる。
女性たちはベールのような長い布を被って顔は見えないものの、見える足首やサンダルから見えるつま先は赤く染まっていたり金属製のアクセサリーで飾られている。
男性たちも皆、農民ではなく何か商売をしているものが殆どなのだろうか。恰幅が良く、綺麗に整えられた髪型に、頭にターバンのようなものを巻いている。
「あれはカフェとかですかね!?」
私はすぐに、男性が集まってコーヒーを飲んでいる小さなお店を発見しスレイマンに尋ねる。
「カフェ?」
「えぇっと、飲み物とか簡単な食べ物を出すお店です」
「あれは男が仲間と世間話や情報交換をするための休息所だ。飲み物は持ち寄ったり、一人が家から全員分用意したりする」
特にお店というわけではなく、領地の集会所、のようなものだという。維持費は町会費とかなんだろうか、やっぱり。
「女性はそういうのはないんですか?」
「女どもに必要か?」
あ、なんだろう、今私はスレイマンを殴りたくなったな?
「女は家を出られんだろう。長時間家を空けるなど、常識のない女のすることだ」
女性は基本的に家の中にいるもの。先程私が見た女性の集団のように、買い物で出ることはあるが、殆どは直接家に売りに来る者から買うか、外での買い物は男の役目だと言う。
「女は家での仕事や子供や父母の世話がある」
「裕福な家でもですか?」
「使用人を取り仕切るのは女主人の役目だ。身分の高い女は人前に姿を現さないものだ」
なるほど。
どうりで外食産業や料理の専門家というのが生まれないわけである。
それにこれまで私が出会った人たちも「男性率高いな?」とは思っていたが……そういうことだったわけか。
小さな子供であれば男女関係なく出歩くが、それでも女の子も七歳くらいからはベールをかぶり、母親の手伝いをして家に籠るらしい。
スレイマンはそういう文化で生きて来たのに、私が料理人になる! 店を持つ! ということに反対的な意見を持っていない、というのは、それからしたら凄いことなのだろうか。
「女性同士で美味しい物を食べたり、おしゃべりできる場所はないんですか?」
「貴族の女どもなら家に招くこともあるだろうが、未婚の女は母親同伴でなければ出歩かないし、夫を持つ女が夫を放って他所で飲食をするなど褒められたものではないだろう」
もしかして外食産業、かなり難しいのか、これ。
ドゥゼ村はかなり特殊な環境だったようだ。
私はやはりラザレフさんの「教会で食事を提供する」という食堂案から始めていくべきなのかと頭を悩ませた。
「でも、それじゃあ……未婚のマーサさんを攫うとかって、領主はかなり酷いことをしているのでは?」
ここまで女性が奥にいることを望まれる文化であれば、村から無理矢理連れ去られたマーサさんの扱いはどうなるのだろう。
もしや傷物扱いされて今後困るんじゃ、など私が心配になって聞くと、スレイマンは首を傾げた。
「領民は領主のものであるのだから、何も問題はあるまい」
「あ、だめだ。そもそもそういう人だった」
スレイマンはマーサさん奪還作戦にそもそも乗り気ではなかったのだ。
ただ今回は、魔女狩りという目的があり、マーサさん奪還はついでのような扱いになっているのだろう。
「どうやってマーサさんを助け出すんです?」
「お前は一人でノコノコ領主のところへ行ってどうするつもりだった」
「そうですね、下働きにでもなってお屋敷に入れて貰えればと思いましたが……」
ここまで栄えた街と女性の扱いを見ていると、多分、というか絶対……身元のよくわからない幼女は雇ってもらえなかったな。
「バカ娘が。常識がないのはわかっていたがここまでとは。お前は妙に小賢しいが、人並の教育を受けていない。この街ではこれまでの様な振る舞いは頭のおかしい破廉恥な娘としてしか見られんぞ」
良い機会なのでちゃんと勉強するように、と言われ私は嫌そうな顔をした。
けれどテーブルマナーのようなものだ。
きちんとその料理や文化にあった食べ方を学ぶことは、礼儀として当然であり、そして自身のためでもある。
「お手柔らかに……」
それだけ言ってがっくりとうなだれる私をずるずると引き摺り、スレイマンは街の人間に「二番目に大きな商会の店はどこだ」と聞いて、該当する大きなお店へと向かったのだった。
「まずはその小汚い身なりを整えるところからだな」
スレイマンさん、なんだか楽しそうである。
Next
次回、ついにスレイマンは髪とか髭を剃るのか。しないのか。しないんじゃないのか。どっちだ。しないな。絶対しない。




