よろしい、こちらのターンだ!
目の前にいるのは、私の今や前世を含めても到底敵わないほど濃く複雑な人生を送って来た人物だ。
なるほど、けして威圧してくるわけではない。
だというのに、従わない自分が犯罪者であるような、そんな、罪悪感を抱かせる言い回しと口調を徹底している。
私はこの世界のことを何も知らないので、確かにラザレフさんの言い分というのは大義があり、正論であるのだろう。
それはわかる。
理路整然とされているのに嫌味に感じさせず、まるで心の底から私に親愛を感じてくれていて、私の幸福を考えてくれているからこその発言のように思えるのだ。
なるほど、なるほど、これが宗教人か、と私は何度も頷く。
そうして暫く、やっと自分の中で腑に落ちるものができたので、短く「わかりました」と言ってから顔を上げる。
「わかってくれたかい?」
「はい、えぇ、はっきりと、言いたい事と伝えたいことを理解しました」
和解の印に、と今度は私からラザレフさんに手を伸ばす。
「言葉でわかり合えるって素晴らしいね。君が賢い子で嬉しいよ」
「えぇ、貴方は私とスレイマンの料理を食べるべき、と、そういうことですね」
これで万事解決だね!と笑うラザレフさんに私も微笑んで続ければ、大神官様はピタリ、と真顔になってしまった。
「はい?」
まぁこの反応は想定通りである。
私はつとめて当然のことを言っているだけ、という風に言葉を続けた。
「料理人になるって言っているのに、なんでその結果が人類皆不幸ルートなんです? 話ちゃんと聞いてます? スレイマンと私はレストランを開くんですよ?」
私が聖女であったり、スレイマンが魔王であったとしても、そう決められていたとしても、どう生きるかは決められるはずだ。
私はスレイマンと一緒に料理を作る、提供する、商売にする、そういう、それだけでいい。
「ラザレフさんや、その他の色んな賢い人たちが必死に守ってる世界って、たかが飲食店一つで変わるほど、隙だらけなんですか? ぬるい政治してるんですか?」
料理が、人を不幸にするものか。
一度食べてみればいいのだ。そうしたら、これが脅威でもなんでもないことをわかるだろう。魔王だなんだと危険視された男が、これからはこうして生き続けるのだと知れば、きっともう、誰もスレイマンを恐ろしいなどと思わないはずだ。
じっと、私はラザレフさんを見つめる。
そうしてどれ位経っただろうか。私を見つめ返していたラザレフさんがふと、何かに気付いたように、誰に対してのものではない、独り言を呟く。
「どうしてガニジャが消されたのかと思っていたけれど、へぇ、うん、そうか。君は魔法を作れるわけか」
「話は終わったか?」
その呟きに、これまで沈黙していた私の背後に座っているスレイマンが口を開く。ずっと後ろにいたので、どんな顔で聞いていたのか、それはわからないが、その声は私とラザレフさんのやり取りを「どうでもいい事を話している」としか思っていない、そんな響きがあった。
「今君の話をしてるんだけどなぁ」
「どうでもいい。お前たちがどう考えようと思おうと、それがどうした」
本当に言いやがった。
スレイマン、だから洞窟に棄てられるんだって……。
どう考えても、今の話はスレイマンからしたら「どうでもいい」わけがない。
私は脱力し、また沈黙が続いた。今度は先ほどよりも長い。
しかし何を言うか迷っている私と違い、スレイマンと、ラザレフ大神官は見つめ合い互いに何か心の内を探っているように見えた。互いに瞬き一つしない。
しかし、私が辛抱できずツイッとスレイマンの服を引っ張ると、一度ポン、と私の頭に手をやって、そして何か考えるように首を傾けてから、私を膝の上に乗せる。野郎の太ももとか硬いだけなので降りたいが、多分今、そういう雰囲気ではない。
「神代が終わり随分と経った。魔獣どもは言葉を失い、かつて最高種であった竜族さえ知性を失いつつある。このまま瘴気が浄化され続ければ、この世界そのものの在り方が変わるだろうな」
突然、なんの話をしているのだろう。
ここで話すべきはどうやってラザレフさんにカレーうどんを食べて貰って、多分大神官様だから白とかそういう色の服だろうそれに惨劇を引き起こす、という重要なことではないのか。
「魔法がおとぎ話に、魔術式がただの模様となって発動しない時代が来るね。でも、魔法種が消え、魔物がただの獣となったとしても、それでも爪や牙、体の大きさは変わらない」
戸惑う私と違い、スレイマンの言葉を受けたラザレフさんは一つ頷いて答える。
え、ごめん、私だけ全然わからない話が頭上で交わされてるんですけど。
「白亜の大神官、貴様はその未来を予見している筈だ。そして恐れている筈だ。だが神の死骸を再び大地に捧げようとも、もはやこの世界のどこにも、殺せる神がいない」
「そんな、恐ろしい時代、弱い人間種はどう生きていけばいいんだろうね」
二人は真剣な顔で黙り込む。
やめて! 置いて行かないで! 私にもわかる話をして!!!
その話、今する必要あるの?! あるなら私が参加できるように話して!
などと叫びたいのだが、二人があんまりにも深刻そうにしているので、さすがに突っ込みが入れられない。
「……これのくだらない思い付きや戯言に付き合っていて、俺も考え方が変わってな。世界なんぞいつ滅んでもよかったが、今は困る」
あ、やっと私にもわかる話だ。
「ですよね! 困りますよね! レストラン開くんですから!」
「バカ娘が。もう少し黙っていられなかったのか」
折角会話に参加できる! と、喜び勇んで口を開いたが、ぱしん、と軽く頭を叩かれる。
「君が? まさか、人間種に都合の良い行いをする、とでも?」
「勘違いするな。ついでだ」
胡散臭いものを見る様なラザレフさんの視線に、スレイマンはフン、と鼻を鳴らす。
「このバカ娘の望む未来には平穏な世界とやらが必要なのだろう。なら先に救っておいた方が、後々このバカ娘にみっともなく泣き喚かれないで済む」
なるほど、やっと私も話が分かって来た。
神様たちが生きていた時代が終わって、神様たちの体から作られた魔力の元や、魔術や魔法が発動する法則というものが、どんどん薄れてきているらしい。
例えるならば、石油みたいなものだろうか。
私は料理以外の知識はからっきしなので、小学校の時の夏休みこどもかがくかん! で学んだうろ覚え知識しかないのだが、確か石油とは大昔の生物遺骸から長い年月をかけて作られたとかなんとか……。
神様の体を動物の遺骸と考えて、そこから魔力や生まれて使えるようになった、とかそういう話だろうか?
大地から生える魔法樹や、大地のものを食べている魔法種などはその恩恵によるものか?
しかし、人間も魔力を持っていて、魔術式が使えるようなのだが……。その辺りはどうなんだろう?
「君ならどうにかできると?」
「魔女どもを滅ぼして、その腹の種を植えれば世界樹が芽吹く。一粒で千年。あの小娘どもはまだ十人はいるはずだ」
時々、会話に出てくる魔女。これで三度目くらいだろうか?
確か……天狼の骨だかなんだかから生まれた存在と。元々は神様みたいに祀られていたってモーリアスさんは言っていたような……。
いいのか、そんなの滅ぼして。
「……まぁ、君なら、魔女の一柱に喧嘩を売っても、大丈夫かもしれないけど。つまり、世界を救ってやるから自分のことは見逃せ、ってことかい?」
「俺ではない。エルザをだ」
「これはまた。すごい名前を付けたね。彼女、エルザちゃんっていうのかい」
「ちゃん付けやめてください」
何が凄い名前なのか知らないが、突然ちゃん付けされて呼ばれ、私は鳥肌が立つ。
「……女の子一人がお店をするためだけに、魔王が世界を救う、かぁ。現実味がないなぁ」
「どうせこのあとここの領主の所へ行く予定だった。あの家を呪ってる魔女を一匹始末してくるから、それを見てからでもいい」
「ザークベルムのところへかい?へぇ、なんだってまた?」
ここの領主はザークベルムというらしい。なるほど、敵の名は、クリストファ・ザークベルムか。覚えた。
「うちの聖女が拉致られたんですよ」
そういえばアルパカさんは姿が見えないが……もしかして、ゾットさんを泉の方へ引っ張ってって、一族にお披露目でもしているのだろうか。
新婚になっちゃったら、マーサさん奪還チームに入れられないよな……。やっぱり。死亡フラグとか立っちゃうかもしれないし。
「あぁ、もしかして、マーサとかいう名前の?」
「御存知なんですか?」
「うん。というか、さっきね。ちょうど、ザークベルムのところから手紙が届いて、結婚許可証を書いていたよ。ドゥゼ村の村長の孫娘。出生届を探すのに時間がかかってたなぁ」
…………あ?
「ザークベルムのところはホラ、ちょっと特殊だろう? だから僕が直々に結婚許可証を作るんだけ、」
「燃やしてください今すぐに」
私はラザレフさんの言葉が終わらない内に詰め寄って懇願した。
いや、もしかしたらスピード恋愛の末に電撃結婚かもしれない。
だが、まだ二週間だ!
ラザレフさんのところに「許可証ください」という話が来たのが昨日今日だとして、それならその申請が出されたのはもっと前の筈だ!
「落ち着けバカ娘」
「スレイマンは!私が突然いなくなって結婚許可証の申請がされてたらどうします!!」
「俺は貴様のように見苦しく取り乱しはしない。――聖皇庁を灰にするだけだ」
発想が怖いよ。
あまりに冷静に聖皇庁、というか、多分規模的には一国まるまる焦土と化しそうな回答を聞いて私は正気に戻った。
聞いていたラザレフさんも「やっぱり幽閉しようかなぁー」と言っているが、さすがにこれに関しては弁護できない。
「……それで、相手は?」
とりあえず私は、マーサさんの夫候補のことを聞いてみる。
マーサさんはこの村の次代の指導者だ。彼女の優しさと芯の強さはこれから変わっていくドゥゼ村になくてはならないもの。
その伴侶となる人物は、ドゥゼ村にお婿さんに来れる立場の人なのだろうか。
「領主の彼の跡取り息子だね」
よし! だめだ! マーサさんが村を捨てる筈がない! マーサさんは脅されてる!
まだ、確定! とするには証拠は殆どないが、しかし、この村から無理矢理連れていかれたマーサさんが、この二週間で真実の愛を掴み、育った村を捨てる程の大恋愛をしている、と思い込むのは難しい。
私が……トールデ街でバーベキューにされかけてたばっかりに……!!!
自分の無力さに打ちのめされ、がっくりと肩を落としていると、一人で「聖皇庁一発炎上の魔術式」についてあれこれ計算していたらしいスレイマンが「三回に分けないと取りこぼしがありそうだ」と結論を出していた。
「まぁとにかく、ザークベルム卿のところへ行くというのなら、許可するよ。というか、これは大神官からの依頼だと考えてくれていい」
とりあえず、場をまとめようとラザレフさんが姿勢を伸ばす。
「魔法と魔術の継続は人間種にとって最重要事項だ。本当に、魔女を滅ぼし、その腹の種を手に入れられるというのなら……聖皇庁はその少女の身の安全を保証しよう」
まずは魔女を滅ぼしてから、話はそれから、というのは念を押された。
スレイマンはそのあと、とりあえず今、村にいる一個中隊はそのまま寄越せ、とのたまい、ラザレフさんは当然のことながら難色を示した。けれど、便利過ぎるスレイマンがいなくなった村のことが、スレイマンなりに心配なのだろう、あれこれと交渉をして、結局ラザレフさんは、折れた。
「それじゃあ条件として、異端審問官モーリアス・モーティマーを五体満足で返してくれないかな?」
「え、嫌です」
「……条件、なんだけどなぁ」
「嫌です」
頑なに首を振る私に、ラザレフさんは首を傾げる。
「もしかして何かやらかしたのかい?」
「えぇ、トールデ街でちょっと」
「無辜の人間を殺した数ならスレイマンの方がはるかに多いのになぁ」
それを言われるとどうしようもないのだが、しかし、私は私に掴みかかったあの老婆の小さな背中を思うと、どうも、自分はモーリアスさんを何もなかったかのように放って置くのは……どうなのだろうか。
「それで? 君が彼を裁くのかい?」
問われても、答えは見つかっていないので返事が出来ない。
そもそも、裁くといっても、モーリアスさんは異端審問官としての職務を全うしたと、そう本人が思っていて、大神官が認めてしまえばそれまでだ。
私に他人を裁ける物差しがあるわけでもない。
「……私を焼き殺そうとしたのでスレイマンに豚にでも変えて貰って森に放す、っていうのは……私怨からの、丁度いい嫌がらせでしょうか」
「間違って食べちゃうかもしれないよ?」
「細胞が豚そのものなら割り切って食べます」
「逞しくない?ねぇ、当代の聖女、逞しくない?」
300年前はどうだったかなぁ。彼女は歌が好き過ぎておかしいところはあったけど、こんなに逞しくなかったような……などと、実際に知っているかのような口ぶりで語りながら、ラザレフさんは頬をかく。
「まぁとにかく、彼は帰してね。優秀な異端審問官だし、こうして彼らは五感のない僕の目でもあるんだ。軍人190人よりも価値がある。彼が街でしたことが気に入らない、というのは君の感情だからどうしようもないけれど。街には賠償金を支払うし、きちんと事後処理はするよ」
と、まとめられた。
これに関してスレイマンは「あれは神殿に戻してやるのが一番だ」という考えがあるようで、私の味方に回ってはくれず、結局一個中隊と引き換えに、異端審問官モーリアス・モーティマーさんはラザレフさんが寄越す飛竜のお迎えに乗って帰ることとなった。
私はスレイマンと二人で久しぶりに食事をし、その日のうちにドゥゼ村を出発した。
スレイマンがいる事をお迎えの騎士たちに見られてはまずいということもあるが、一番はこれ以上マーサさんを待たせていたら……既成事実とか出来てしまっているかもしれないという、その恐怖からだ!!!
まぁ、とにかく……これで下準備は整った!!
ドゥゼ村、後顧の憂いなし! オーケー!
スレイマン! 元気! オッケー!
星屑さん! 滅茶苦茶ついてきたがったけど説得できた! オッケー!
移動手段! 中隊長さんが使ってた足が鉄の馬! オッケー!
行き当たりばったりで飛び出した前回とは違う!
待ってろよ、領主クリストファ・ザークベルム!!!
Next
色んな人に感想で「マーサさんを……」と心配されまくったエルザの二週間ですが、やっと!やっと!「冬の踊り子編」ができます!
さて、次章は呪われた領主一族、そこの嫡男とマーサさんが結婚?どうしてそうなった。
魔女って何だ?呪いって何?次のお話は恋愛モノ(予定)です。
ところで魚屋さんでノルウェーサーモンのお刺身買ったんですけど、脂がのってて滅茶苦茶美味かったです。
お醤油付けてワサビさんに最高の仕事をしてもらう……。刺身の厚さは薄すぎず…厚すぎず……。白いご飯と一緒に食べると、白米の熱で脂が溶けてご飯に絡み合い……最高ですね。
キンキンに冷やした白ワインで頂いたら、もういけませんね。美味しすぎる組み合わせでした。




