師弟
残酷な描写とかグロとかあります。
具体的に言うとスレイマン師のモーティマー君への拷問シーンです。
印象深いのは窓のない蝋燭の灯りだけの部屋の中、ぶつぶつと独り言を呟く男の姿だった。
薄明りに照らされた精悍な顔だち、彫りの深い目鼻は色濃く影を作りその存在を主張している。
それは、たとえば美しい種族として真っ先に上げられるエルフ族のような美しさではない。
大輪の花や輝く宝石の類とも違う。例えるならば、宝石を散りばめた黄金の腕輪だ。単一の、個の美しさではなく、様々な輝かしい物が集められ、一つの芸術品となっている。そんな、もう他にどう手を加えることも出来ないほど完成された存在。それが、モーリアス・モーティマーの師であった。
そんな、同性のモーリアスでさえ息を飲むような美貌の男は、しかし口を開けば不平や不満。悪態をつくだけのつまらない男だった。
扱う魔法、魔術式は超が付く程の一流。古今東西のありとあらゆる魔道を極め、さらに独自で次々と魔術式を生み出す天才。
しかしそれは当然。何も特別なことなどではない。
師はあの夜の国の主、魔の王の魂を封じられた存在である。最初からただの人間などではなく、人が100年生きても出来ぬことをあっさりとできてしまう、そういう類の存在だ。
神の代理人である聖皇様を頂点とし、神事や神々への祈りをささげる神殿を束ねる大神官様、全ての人間種の信仰心を管理される枢機卿様方が両脇をしっかり支え、有事に備える職業軍人たち、神の鉄槌である異端審問官たち、神殿を守る神官たち、教会にて民衆に神の教えを広める司祭たちがいる。
その8割が神殿によって管理され生まれる「白い人」であるが、モーリアスは東の大陸から海を渡って移り住んできた移民の子であった。
彼は自分の両親や、同じ顔だちの人間を見たことがない。気が付いた時には真っ白い美しい神殿の中で繰り返し繰り返し何度も何度も、白い灰のようなものを体中にかけられていた。
恐ろしいと思ったこともあったはずだ。だが、その奇妙な儀式めいた何かの前に飲まされる白い暖かい液体が体の中に染み込むと、不思議と己の心が己のものではないような、どこか遠くにいる自分をゆっくり眺めているような、そんな感覚になった。
それで、そこで読み書きや礼儀作法、モーリアスにとっては何よりも尊い神の教えを授かる。
モーリアスは12の時に、スレイマン・イブリーズの弟子となった。共にスレイマンの工房に来た20人、その前後に送られた15人は些細な理由で無残に殺された。
モーリアスは自分がなぜ生き残ったのか、それを今でも不思議に思う。
優秀であるからだと師は言ったが、他人に興味のない男が弟子など取ってどういうつもりだったのか。
優秀といっても大神官や師には遠く及ばない。神性を持つわけでもないただの平凡な人間を、なぜ傲慢で尊大で癇癪もちで有名な異端審問官局長スレイマン・イブリーズが、あの最後の最後の瞬間まで傍に置いたのか。
モーリアスにはわからなかった。
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「久しいな、モーリアス・モーティマー」
パシャリと水、いや、油をかけられて異端審問官は夢の中から浮上した。目の前にはこの三年、毎晩のように夢に出て来た男が、自分の記憶にあるよりもずっと粗末な身なりで座っていた。伸び放題の髭に、櫛を通されず絡まった黒い髪。王宮ではあれほど身なりに気を付けた男の、まるで乞食のようなみすぼらしい姿。
「ご無沙汰しております。師におかれましてはご健勝のこととお喜び申し上げます」
「あぁ、貴様があのニヤけ面の大神官に命じられこの俺を見捨てたお陰だ」
向かい合い、同じく椅子に座らせられているモーティマーは自分が縛られることもなく、また薬を盛られているわけでもないことを不審に思う。しかし久方ぶりの対面に、躾けられた言葉が自然と出てくる。忌々しい。
スレイマン・イブリーズは嫌味のような言葉を吐いて、そしてじろじろとモーティマー眺める。
あれほど切望した存在が目の前にいる。というのに、モーティマーの心に歓喜はない。
こんなものではだめなのだ。
魔王はこんな、粗末な土作りの家の中で己と二人きりという状況で出てくるような、そんな程度ではだめなのだ。
真夜中の、暗闇を魔女を焼く炎が煌々と照らし、善良な住民たちが正義を叫ぶ中。その狂喜の中に暴れ狂う見境のない刃物のようでならねばならない。無残に無常に残酷に、血だまりを作りながら、夜の王は降臨しなければならないのに。
そうして真実、ただの悪となり果てた存在が、火刑台の聖女の灰を浴びながら絶叫する、その様をただ眺めたい、モーティマーの願いはたったそれだけの、純粋なものだった。
その後、魔王によりどれほどの被害が出ようと、後々に増援が派遣され斃す事が出来れば何の問題もない。
「見捨てるなど、それはあまりにも酷いお言葉です」
不服に思う事は多くあった。だがモーティマーはまずは先ほどの言葉の訂正をと求める。
「ではなんのつもりだった?」
「王都から逃れた貴方様を死なせぬよう必死に考えた結果です。最高に苦しみながら生き続けていただくには、あの聖なる森が一番だと。あの森ならば十年は死なず、腐り続けるだけで済む」
神殿の追っ手を逃れ、あの地へたどり着くのはモーティマーであっても並々ならぬ苦労があった。共に旅をした師であれば、その苦労をわかってくださるだろうに、真面目な顔で言うモーティマーをただ無表情に見つめるだけである。
暫くの沈黙の後、スレイマンが溜息を吐いた。
「俺に逆らわぬよう心は折ったつもりでいたが、足りなかったか」
パチンと指を慣らせば、モーティマーの体が燃える。
絶叫。
だが、痛みはあるのに、燃えているのに、焼かれていない。衣服も皮膚も髪の毛も、炎を纏っているが、それだけだ。
「ただ熱を与えるだけのつまらん魔術式だ。温度を調節し雪の中でも凍傷にならぬようにと編み出したが……見た目が悪いな?」
体が炎で燃える激痛にのた打ち回る弟子を一瞥することもなく、スレイマンは顎に手をやって首をかしげる。
そしてパチン、とまた指を慣らし、今度は人差し指でゆっくりと、モーティマーの腹を撫でた。
「……ぐっ、ぅああぁあああああああああああ!!!」
「あぁ、血は吐くなよ。床が汚れる。大声を出すな、ただ内臓を潰しただけだろう。これで尻か鼻からうまく出せれば、丸焼きを作るという時に余計な刃物を使わずに済むか?あぁ、煩いぞ。モーティマー。もっと酷いことをしてやってきたというのに、俺がいないうちに打たれ弱くなったんじゃないのか。内臓は戻してやるから黙れ」
パチン、とまた指が鳴らされた。
まるで幻覚でも見せられたかのように、モーティマーの体は何事もなくなる。だが痛みはしっかりと体に残されており、ギリギリと唇を噛み締めた。
「あの少女を火刑台に上げたことを、それほどお怒りですか」
「俺が本気で怒っているならこんなもので済むものか。それに、お前が仕事熱心なことはよく知っている。あれが神官どもを毒殺したのだから、まぁ、正しく、火刑台に上げられるべきではあったのだろう」
「……お気づきで」
「俺は愚か者ではない」
スレイマンの眉間に皺が寄る。
モーティマーは、師にとってあの聖女はどのような存在なのか、それを確かめようとじっとその顔を見つめる。
関わり合いがある、それは間違いない。だが、師はあの少女を守ろうとは考えていないのだろうか?街の人間たちから罵られ石を投げられても、そのまま火刑台に縛りつけられても、師は少女を救う為に現れはしなかったし、魔法を使うこともしなかった。
モーティマーはあの場で確かに一瞬は意識を失った。だが、白い灰を身に受けている彼は即座に意識を取り戻していた。しかし魔王は現れず、どこぞのチンピラ風情が自分のこれまでの生き方を恥じる気もなく喚いている広場の様子に興ざめし、それならばこのまま意識を失ったままのようにして、捕虜となり師がいる場所へ案内してもらおうと、そう思ってのことだった。
「話は聞いた。あれが教会で、よかれと思って作ったものは魔力を回復させるだけではなく、神官どもの体内に蓄積されていた『神の血』を浄化させたようだな」
「はい。ガニジャによって特殊な体となっていた彼ら神官らは、体内のそれを失えば血の流れが止まり、命を落としました」
モーティマーは異端審問官であるので、彼らとは体の作り方が異なる。それゆえただ魔力を回復させただけで済んだ。
突然倒れていく神官たち。彼らの死体を探れば、神官たちの血液や肉からガニジャの恩恵が消えていた。そういう経緯で、モーティマーはマーテル商会を通じ、聖女の作った飲み物の「効果」を理解したのである。
「間違いなく、あの少女は神官殺しの魔女です。彼女を教会へ連れて来た兵士を、魔女を連れて災いを齎した者として処したことは私に許された職務の上でなんの問題もないことです」
「そうだろうな。俺は神官どもなどどうでもいいし、そもそも元々半分死んでるのをガニジャで動く死体にしているようなものだろう。そんなことよりも、俺が今日まで我が儘を聞いてやって甘やかしてきた愚かな小娘が、くだらん命を知らぬうちに奪ったことを気に病んで食が細くなることの方がはるかに問題だ」
ギシリと椅子を軋ませて、スレイマン・イブリーズはゆっくりとモーティマーを眺める。
「よって、貴様が余計なことを言う機会のないよう豚にでも姿を変えて森に逃がしてやろう。俺は殺さん。お前には一つ借りもある」
短く言って、スレイマンが立ち上がろうとする。
なるほどここで己は無残に豚に変えられてその辺の魔獣にでも食われるのか。モーティマーはあっさりとそれを認めた。そもそも、師に己が単身で会えばこうなることはわかっていただろうに、なぜ広場で気絶したフリを選んだのか。
モーティマーは時々、自分らしからぬ行動を取る事があった。料理もその一つだ。神の鉄槌。異端審問官。灰の儀式を受けた存在であるならば不要なことを、時々する。
その度に頭の隅で何か祭囃子のようなものが聞こえたが、もはや、もう、どうでもいいことだ。
「師よ、なぜ聖なる森から出られたのです?」
「……お前には関係のないことだ」
最後にそれだけ聞いた。聞いてどうなるということでもなかったが、なぜ、せっかく隠したのに、出てきしまったのだろう。それだけが気になって、口を突く。
しかし師の答えは素っ気のないもので、仕方ない、とモーティマーは笑おうとした。
「そういわれてもねぇ。こっちからしたら悪夢のような数か月間だったんだよ?」
だが、己の口から出て来たのは、己の声ではなく、軽薄そうな若い男の声だった。
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