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【書籍化】野生の聖女は料理がしたい!  作者: 枝豆ずんだ
第三章 トールデ街編
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マーテル



「それではやはり、あの少女の調合した香草にはガニジャの効果を打ち消す働きがある、と。それは間違いないのですね?」


日も暮れ、訪れる者のいなくなった教会の一室。厳重な防音魔術式が展開された、通常は訪れる者の告解を聞くための部屋で、マーテルは震える掌を何とか押しとどめ、対面した青年の問いに頷いた。


「はい。商会の使用人を使い、早急に試して調べました所……ドゥゼ村から来た例の娘は、教会が使う魔女の毒を完全に無効化できる調合方法を見つけているようです」


魔女の毒、と口にした瞬間、異端審問官の細い目が開かれ「言葉を慎みなさい」とマーテルを威圧する。己の孫とも言えるほど年若い青年に窘められているが、マーテルの心に屈辱はない。むしろどうすれば彼を苛立たせる事なく、怒りに触れる事無くこの場を去れるか、彼の心に添うように行動できるか、そればかりがマーテルの胸にはあった。


「ガニジャは神殿の神官たちにより栽培されている神の庭に咲く植物です。それを恐れ多くも……何と言いました?」

「申し訳ありません!どうぞお許しください!!」


マーテルは必死に額を絨毯の上に擦りつける。街の先代統治者の幼馴染であった彼は異端審問官がどれほど冷酷で残忍か知っている。


トールデは領主クリストファ様が治める土地にある小さな村だった。何の特産もない、流通の便もない。ただ、絶滅が危惧されている魔法種ワカイアが存在しているドゥゼ村に近いというだけの村だった。


半世紀以上前、マーテルの祖父の弟がドゥゼ村の村長の娘の婿に入ったのは、当人の強い意思もあったが、一番はドゥゼ村と親戚関係になる者を作り、交流を図る為だった。


時折どこぞから婿や嫁を迎えてひっそりと生きて来た小さなドゥゼ村。


だがトールデの者たちには、貧しい暮らしに喘ぎ何とか生き延びる術を見つけようと必死だった村人たちには、ドゥゼの村が金の卵を産んでくれる鳥のように見えたのだ。


ドゥゼの人々は、ワカイアの真の価値を知らなかった。

拳ほどの大きさの体毛一つで金貨十枚にもなるなど、質素な生活を長く続けてきた彼らは知らなかった。


マーテルの祖父がドゥゼの人々に「これからは我々トールデの人間が貴方がたの兄弟となって貴方がたを助けましょう」などと親しみを込めた顔で約束し、体毛を全て預かり売りさばく。

疑う事も、金儲けをする事も知らない善良な村人たちは口々に感謝の言葉を述べたそうだ。


そしてマーテルの祖父は商会を立ち上げ、それまではドゥゼの村に運よく辿り着いて手に入れるしかなかったワカイアの体毛を毎年一定量必ず扱うとして注目を集めた。

一つでも特産品があれば、あとは死にもの狂いで働けば活路は開ける。祖父は必死だった。冬には大量の死者を出すような環境で、もう二度と飢えはしないと誓い、その為なら弟を利用する事も躊躇わなかった。


ワカイアの体毛の売り上げを一部税として納め、領主の覚えも良くなりあれこれ便宜を図ってもらえるようになった。そしてマーテルの代になる頃には高い壁を造り魔物に怯える心配もなく、聖女の結界がある地域であるからとその安全性を求めて人が多く移り住んできた。


何もかもが順調だった。


トールデ街の利益のために、ドゥゼの人々には相変わらず貧しく質素で、そして従順であってもらわねばならなかったから、苦労したといえばその点くらいなもの。

いや、ドゥゼ村が富むことのない様に、ワカイアの真価に気付かぬように、ただトールデの人間に親愛と、感謝を持って持って慎ましく生きるようにと、村の人間の結婚相手候補となる傭兵たちの選抜にも、賢い者がいないようにと気を使ったか。


例外は、領主の知人として紹介され護衛の一団に加えられた男。クロザという名だったか。あの男が村に婿に入る、そう知らされた時はマーテルは驚いた。何ゆえ領主がそんな男を寄越したのかと当時は疑い、クロザによってトールデ街に不利益な事が起こるのではないかと怯えた。


あの時は、クロザの妻となった村娘にワカイアという魔法種が村人たちに何をしているのか、その秘密をこっそりと知らせることでどうにかなった。

あの時は冷や汗をかいたものだと今なら酒を飲みつつ笑い話にできることだけれど、当時は本当に恐ろしかった。


そしてまた、数か月前からマーテルは怯えている。


戦禍に追われ、偶然村に辿り着いたという魔術師くずれとその娘。男の方は村人以外の前には滅多に姿を現さぬという。


そして、その娘が、幼いとは思えぬほどあれこれと発見をし、工夫をし、これまで木をかじってるだけで満足だった愚鈍な村人たちに要らぬ知恵を付けさせている。


厄介な娘だとすぐにわかった。


商会の長として人を見て来て、育ててきたマーテルには、噂だけでその娘が己の、トールデ街を脅かす存在であるとわかった。


だが、金をやってこっそりと娘を攫うよう指示した傭兵は、戻ってくるなりマーテルの前で血反吐を吐き、体中の穴という穴から黒い泥を垂れ流して死んだ。爪が剥がれる程、皮膚が抉れる程に強く己の頬をかきむしり、痛み叫ぶ男は絶命する一瞬前、別人のような低く暗い声ではっきりと「娘に手を出すな」と告げてきた。


そしてこれまで、金で言いなりになる筈だった傭兵どもが「アンタより金払いの良い旦那がいる」「その上とんでもなく強い方だ」「あそこまで滅茶苦茶に強い男の役に立てるならなんだってしたくなる」などと言うようになった。


街では長く共にやってきた市長が亡くなり、その後を継いだ長男は愚かだったが、次男カーシムが少々厄介だった。知恵があり、行動力があった。統率者の器だとわかったが、まだ若く、そしてマーテル商会の方が資産があった。マーテルは己の敵にはならないと判じた。


だというのに、ある時からカーシムは急激に力をつけ、どこからか金を手に入れたのか商会の後ろ盾を不要としてきたのだ。若造と侮った男が、気付けば商会を脅かす存在にまでなり、マーテルは焦った。


領主が味方に付いたのかもしれない。

ならば己は領主に対抗できる存在を味方につける必要があった。


「まぁいいでしょう。今はあの娘を早急に見つける事です。貴方の元に現れると思いますか?」


平服する老人をまるで何の感情も籠らぬ目で見降ろしながら、異端審問官は天気を知りたがるような気安さで問いかける。


マーテルが手を組んだ相手は聖皇庁だった。


聖女の結界が近く、神性を持つワカイアの体毛を神事で使う神殿がトールデ街を欲しがった。だが領主を差し置いてでしゃばる事が出来るわけがない。


だから、この異端審問官が派遣された。


「はい。私はドゥゼ村の村長の親戚筋に当たります。あの娘にも、香草の調合の知識を買うからこの街を出るための便宜を図ると、そう伝えて油断させておきました。おそらくは、私を頼り逃げてくるかと」

「おそらく、では困るのですが?」

「も、もちろん!商会の人間総出で街を探しております!」

「えぇ、それではよろしくお願いしますよ。何しろガニジャを無効化するなど、神をも畏れぬ異端の所業です」


異端審問官は約束してくれた。


カーシムを異端者として火刑台に送り、街の実権をマーテルが握れるように協力する、と。その代りマーテルはワカイアの体毛の八割を聖皇庁に寄付する。


ワカイアの体毛で得られる収入はなくなるが、聖皇庁により「聖地」とこの街が認定され、聖地を護る為に聖皇庁から神官が派遣される。


聖皇庁の高位神官がいれば、魔法種のワカイアなど恐れることはない。魔術師くずれの男も娘が魔女として火炙りになれば大人しくもなるだろう。


そしてドゥゼ村は元の従順な家畜となってトールデ街に利益をもたらしてくれる。


あの娘を捕えれば、全てが元通りになる。

マーテルはそう信じて疑わず、喜びに満ちた表情で退室した。


その背を見送る異端審問官の目が、まるで蛆の沸いた汚物を見るような目であったことに気付かぬまま。



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