チンピラ二人は、縛り首?
りんご、リンゴ、林檎。真っ赤な丸い被子植物の実。白か薄紅の可愛らしい花で、バラ科リンゴ属に分類されている。
最初の人類アダムとイヴを追放させた切欠の、知恵の実が林檎で描かれていたり、そういえば黄金の林檎を巡って女神さまたちが争った、なんて神話の小道具にも登場している、林檎。
日本では平安時代に林檎と思われるものの名前が記録されており、江戸時代はあの葛飾北斎の絵に林檎の花が描かれていたりもする。昔の日本では花が観賞用にされていたり、実は食用というよりは仏事用として広く栽培されていたらしい。
食べ方としては加賀藩の記録には、ジャムのようにして小さな餅につけて食べたとか……。それを聞いたとき私は一瞬真顔になったが、よく考えれば餡子も広い心で見れば小豆のジャムだ。日本人の、とりあえず餅につけて食べる文化、仕方ない。
どうもこんばんは、ごきげんよう、グーテンモルゲン、野生の転生者エルザです。
トールデ街滞在二日目。
まだ二日目です。昨日の夕方に到着したばかりだというのに、荷物は取られるわ街の権力者のクソっぷりを知らされるわ教会で異端審問官に出会うわ暴徒がやってくるわでとても濃い一日でした。
とりあえず私としてはモーリアスさんに弟子入りしてこの世界でレストランを開くための下積みとしていきたいのですが、そんな私の私利私欲は我らが聖女マーサさんを無事にワカイアたちのいるドゥゼ村に帰してからだ。
昨晩眠るのが遅く、私とアルパカさんは揃って寝坊した。
「ワカイアってこう、規則正しい生活のイメージありましたけど……寝坊するんですね、アルパカさん」
私はあくびをしながらアルパカさんにラグの葉を差し出す。
ムッシャムシャと食べるアルパカさんは何の反応も返してくれないが、食事中は毎度のことである。催促されるまま二枚目、三枚目と葉を渡していると、扉が控えめに叩かれた。
どうぞ、と声をかけると、やはりというかなんというか、入ってきたのはモーリアスさんだ。
「おはようございます、聖女様」
「はい、おはようございます。聖女じゃないです」
もう言っても無駄な気がするが、否定しておかないとそれはそれで私が気になる。
皺ひとつない赤の神官服っぽいものを(そういえば、異端審問官、というのは神官じゃないような……。この世界の聖職者の表現の仕方が私にはまだよくわからない)着ているモーリアスさんは、相変わらず細い目をにこにこさせて私に頭を下げる。
そして昨日の見習いさんたちに指示を出して私の朝の支度を、としてくれるが顔を洗ったり着替えをしたりなんかは自分ひとりで出来る。私は断ろうと口を開きかけたが、見習いさんたちが「ぜひ手伝わせてください!!!」と、青白い顔でそれを遮って言うもので、気付けば水のたっぷり入ったお盆の前に座って、あれこれと世話を焼かれていた。
何枚もある立派な絨毯に、壁に掛けられた刺繍たっぷりの布。銀細工や真鍮の調度品。なんだかアラビアンナイトの世界にでもいるようだった。
「あの、お召し物ですが……」
「服はこのままでいいんです」
私は眠るときは麻のゆったりとした大き目のシャツ。日中はマーサさんのおさがりのクリーム色のワンピースのようなものに、大きい布をエプロンのように巻いている。この恰好が楽で気に入っているので、見習いさんたちが豪華な衣装箱の中から出してきた綺麗な服は断る。彼らは困った顔をしてモーリアスさんに視線をやる。
判断を求められた異端審問官殿は私が「これがいいんです」と再度強く告げると、少し考えるように口元に手を当ててから「わかりました。王都へ行くまでは」と妥協してくれた。
……一宿一飯をお世話になってしまった身としては、言う通りにした方がいいとも思うのだけれど、私は聖女じゃないので、聖女様に、と用意された綺麗な服を着るのは抵抗がある。
「朝食ですが、本日はこのようなものを作らせて頂きました」
身支度を終え、大きなクッションに凭れて寛げるよう準備された私はアルパカさんに隣に座って貰い、本日の朝食を前にする。
銀の楕円の大皿に乗っているのは焼きたてて湯気の上がっているパイのようなものだ。バターと林檎の香りがする。アップルパイかと思ったが、取り分けられた断面は緑色のフィリングがぎっしりと詰まっている。
緑!?
味の想像が出来ない。
ピスタチオだろうか?だが匂いは林檎だ。
どきどきしながら、小さく切って口の中に放り込んでみる。
「……弟子入りさせてください」
咀嚼し、漏れる言葉はそれに尽きる。
バターの香りは生地からだ。
生地はパイに似ていた。だが、幾層にも薄い生地が重ねられていて、その間にはクルミやピスタチオに似た実がぎっしりと挟まっている。
そしてフィリング。緑色だが、これは林檎だ。だが私の知る林檎と少し違う。食感はアップルパイの林檎のよう、だが味は桃だ。甘くまろやかなあの桃の味が、少し硬めの林檎の食感で楽しめる。
サクサクとした食感に、この甘さ。しかしクルミやピスタチオの塩気。
……天才だ。
この絶妙な味のバランスに、パイの層の数と薄さ。
クロワッサンを作った事のある人間なら分るだろう。層を薄く、何層にもするのは難しいと。高い技術に、適切な温度管理、ただ生地を折ればいいだけではできない、バターとの比重。
私は目を伏せて神々に感謝の祈りを捧げる。
これ作った人、天才。
「聖女様は甘い物がお好きなようでしたので、今朝思いついて作ってみました」
「思い付きで!!!?」
しかし感動に浸る私をモーリアスさんがあっさりと引き戻す。事も何気に言うその顔は自分の実力をまるで理解していない!!!
なんでこの人異端審問官やってるんだろう!!?
料理人やったら絶対滅茶苦茶繁盛するのに!!!
「お口に合いましたら光栄です」
にこやかに微笑むモーリアスさんは、とても昨晩、素手でチンピラどもを血だるまにしていた人と同一人物とは思えない。
私はどうしたらこの人に料理を教えて貰えるんだろうかと真剣に考えながら、食後に入れて貰ったお茶を楽しむ。
モーリアスさんが途中で材料に使った小麦粉などを持ってきて見せてくれた。
この街で手に入る小麦粉はきちんと白く精製されており、パンについても聞いてみれば白パンなどもあるらしい。しかし発酵させた丸いパンよりは粗い粉を使い平たく伸ばして窯で焼いたナンのような物が好まれるそうだ。
ソース文化ならそうだろうな。
そして私が食後ゆっくりと落ち着いてきた頃を見計らったのか、モーリアスさんが私の向かい側に座り「そういえば、聖女様にお見せしたいものがございます」と言ってきた。
「見せたいもの?」
「はい。―――こちらへ」
ぱんぱん、とモーリアスさんが手を叩くと、いつのまに控えていたのか扉の向こうから二人の男性が連れてこられた。
どこかで見た覚えのある……。
「あ、昨日のチンピラ!」
背の高い目つきの悪い男と、小柄のスキンヘッドは広場で私の荷物を盗った二人組だった。
思わず立ち上がって二人を指さすと、モーリアスさんが嬉しそうに「はい、聖女様に無礼を働きました異端共です」と頷く。
「……あの、なんか……昨日は、隻腕でしたっけ……?」
だが私は二人が昨日とは違うことにすぐに気づく。
……二人とも片腕がない。
私はビクビクとモーリアスさんに顔を向け、まさかアンタが切ったんか、という意味の視線を投げるが、黒髪に糸目の穏やかな異端審問官さんは「いいえ?」と小首を傾げて、ドガッと男たちを蹴り飛ばす。
「ぐっ……!!」
「兄貴!!!」
「私の手で罰を与えたいところだったのですが、どうもこの二人、奇妙な話をしましてね?さぁ、もう一度お聞かせいただけますか?なぜあなた方がそのような姿になったのか」
乱暴に転がされ、兄貴分の男の体が壁にぶつかった。呻いて、それでもきつくモーリアスさんを睨み付ける。
「フン、しらばっくれる気かよ!どうせわかってるんだろ!そっちのガキの荷物にテメェらが妙なまじないをしたくせに!俺らが荷物を売りさばこうと物色していたら、突然変な布から黒い骸骨みてぇなモンが出て、逃げる俺たちの腕を斬り落とした!おかげで痛くて痛くてたまらねぇと叫んでいたらテメェに見つかって捕まったってわけだ!!」
スレイマンンンンンンンンン!!!!!!!!!!!!!!!!
叫ぶ兄貴分の言葉を聞き終える前に、私は頭を抱えて床に額を打ち付けた。絨毯なので痛みはちっともない。
モーリアスさんに蹴られてのたうちまわる二人に私も混ざりたい!!!
スレイマン!!!!私の知らない間にテーブルクロスになんて物騒なセ○ムつけてんの!!!?
黒い骸骨!!!?腕が切り落とされた!!!!?
怖いよ!!発想が怖い!!!!!
発動条件は何ですか!!!?私みたことないんだけど!!!!?
一定時間私の傍から離れるととかか!!!!?怖いよ!!!
「さて、聖女様?」
うっかり私の荷物を盗んだばっかりに片腕がなくなったチンピラ二人に同情する気はない。しかし自分の知らないところで付けられていたおっかないオプションに私が混乱していると、この場で唯一冷静な、モーリアスさんの声が水を打ったようによく響く。
私はゾワリと背筋に這いあがる悪寒があったが、心はアラサー。それを何とか押し殺し、ゆっくりと異端審問官を見上げる。
「こちらの布に編み込まれた魔法陣。とてもよく見覚えがあるものです。聖女様は何か御存知でしょうか」
問う声は穏やかだ。まるで大学を出たての新任教師が初めての授業で生徒に質問をするような。そんな優しささえ感じられる。
だが私は掌からじんわりと汗が出てきており、それをぎゅっと握りしめ、気付かれないようにと必死だ。
どう答えるのが正解か。いや、どういう答えを相手が受け入れるのか、その判断がつかない。
モーリアスさんはスレイマンの魔術式を知っている。これは、誤魔化せないことだ。
どういう関係か、それを問うているのか。それとも、どこで手に入れたか、ということであればまだ私は安全だろうか。
「私はね、聖女様。真の聖女である貴女にはぜひとも王都へ来て頂き、神の栄光と教会の威信を広く世に知らしめて頂きたいのです」
「……」
「これの出所については後ほどじっくり伺いましょう。ですが今はただ一つ、貴女が聖女としての魂を持つ者か、それとも、聖女の力を持ちながら異端の心を持つ魔女か。――この二人の異端者の命を持って証明して頂けませんか」
言って差し出されるのは鋭利なナイフだ。
モーリアスさんは暴れる二人の男を縛り上げ、わめかぬよう口に布を噛ませる。
あとは首を掻き切ればおしまいですよ、とにこやかに言う様子は悪魔のようだった。
私はじっと、こちらを睨み付ける男と、懇願するように見つめる男を交互に眺めた。どちらも殺されてたまるか、死にたくない、という目をしている。
モーリアスさんの方はただ穏やかな顔で、私がどちらを選ぶのかを待っている。ただその表情からは、私が聖女であることを疑っていないのに、二人を殺せず異端の道を行くのだろうなと、そういう予想をしているのが見て取れた。
あれだけ私を聖女様、と呼び世話を焼いていながらのこの態度。
まるで、聖女だからこそ魔女になるべきなのだというような、矛盾がある。
いや、私を聖女として立てて王都へ連れて行きたいという気持ちは本物だっただろう。けれど、スレイマンとの関与を知って、それまでの私に対する感情は一切消え去った。それほど、スレイマンとモーリアスさんの間には何か、そうだ、洞窟に打ち捨てられてさえ、スレイマンはモーリアスさんが自分に協力するだろうと、いう言葉を発していた。
二人はどういう関係なのか?
………まぁ、今はわからないね!!うん!
「何度も何度も何度もな・ん・ど・も!!言いましたけど!!!」
私はアルパカさんを引き寄せ、素早く二人の縄を切る。貰ったナイフででは時間がかかりそうだったので、肌身離さず持っている母さんの爪でで、だ。料理以外に使っちゃったよ!母さんごめんね!!!
スレイマンの魔法のテーブルクロスを床に広げ、アルパカさん用のラグの葉を押し付ける。
「私、聖女じゃないんで!!!!魔女でもないし!!料理人なんで!!!」
そして食後に見せて貰った小麦粉のお盆を、発火する魔術式中にぶちまけた。
これぞ粉塵爆発!!!!
良い子は真似しないでね!!!!!
スレイマンの魔法陣で出る炎は私を傷付けない。それは小麦粉によって引き起こされた爆発でも同じなのか、強い爆発音に飛び散る大量の粉!!!!!しかし私はノーダメージ!!!っていうかそもそも粉だからね!!!
「走って!!!」
私はアルパカさんの背に飛び乗り、チンピラ二人に叫んだ。
昨日はこの二人からもこうして逃げたが、今日はまさか一緒に逃げることになるとは、人生わからないものである。
モーリアスさんは粉をもろに吸い込んだようで、ゲホゲホとむせている。
できれば一緒に料理したかったけれど!!!
申し訳ないが私は魔女裁判も火刑台もノーセンキュー!
それにスレイマンの生存を知られるわけにはいかない。
だってスレイマンには私のレストランの副料理長兼技術顧問になってもらうのだから!!
とっても素晴らしい料理の腕を持つ人だったが、仕方ない。
この世界の料理は自力で学ぶとして、今は命を大事に!!!!
教会を飛び出した私は、さて、どうやってマーテルさんに連絡をつけようかとか、異端審問官を敵に回した場合、この街で私が身を隠せる場所はどこかとか、そういうことは全く考えていなかった。
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