異端審問さん、モーリアス・モーティマー
歩きながらぽつぽつと、若い兵士さんが話してくれたのは現在のこの街の状況だった。
これまで長く街を仕切ってきた人物が病で亡くなり、後を継いだのは二人の息子の兄の方。
しかし兄は昔から素行が悪くあまり賢くなかった。
それで兄の補佐として弟も重役になったのはいいけれど、その弟は街のあまり良くない連中と繋がっていたらしく、昼間のようにあぁしてチンピラたちが大きな顔をするようになったらしい。
大きな街を運営する能力はあったようだが、子供の教育は完全に間違えたな、その人。
「悪い事はダメですよね。なんで放って置くんです?」
「最初はね、皆抵抗したんだよ。でも、町長の弟が権力を持ってるから、気に入らない奴らはありもしない罪を擦り付けられて牢に入れられるんだ」
そんなことがまかり通るのか。大丈夫かこの街。
私とアルパカさんが何かしなくても放って置けば自滅しそうなほど腐っているようだ。
他にも、そんな弟と通じている商人の独占販売とか、ワカイアの体毛が密売されているとか、聞けば聞くほど「駄目だこの街、滅ぶ」としか思えない数々を聞かされ私は頭を抱えた。
現実的な話をすれば、この街に滅んで貰っては困るのだ。
何しろドゥゼ村はこの街から食料を買っている。自給自足の方法が確立していない状況で、自滅は止めて欲しい。
とりあえず頑張って生き延びてください。
ドゥゼ村が準備万端になったらこちらから滅ぼしてあげるので、本当頑張って。
心の中でエールを送っていると「着いたよ」と兵士さんが声をかけてくれる。
あ、ほんと?と私は顔を上げ……。
真っ白い外装に三角の屋根。
扉は重々しい鉄製。
窓には初めてみる事に、透明なガラスまで張り付けられていて、まさにまさしく、私がイメージできる『教会』そのもの。
「教会だー!!!!」
「え?あ、うん、そうだよ、教会だよ?教会に行くって、言ったよね?」
今まで見なかった木造の建築物が目の前にあり、思わず声を上げた。
どうもこんばんは、こんにちは、ごきげんよう。料理がしたいです、エルザです。
そういえばこの前、村にも神官さんたちが来たのでこの世界にも宗教ってあるんですよね、と今更ながらに実感しています。
教会に案内され通されたのは質素な造りの一室で、そこにいたのは二人の男性だった。
一人は人のよさそうな恰幅の良い老人。こちらは前に見た神官さんに似た服を着ている。この教会を任されている神官さんらしい。
にこにこと穏やかな顔で兵士さんから私の事情を聞いていたが、やがて険しい顔になり「なるほど、それは……申し訳ない。この街を嫌いにならないで欲しい」と私に深く頭を下げてくれた。
そしてもう一人は若い青年だ。
赤を基準とした凝ったデザインの神官服を着ている。偉いのか?偉い人なのか?と私が身構えていると、その青年は細くて開いているのかわからない目をにっこりと細め、幼女にも丁寧にお辞儀をしてくれた。
「私はモーリアス・モーティマーといいます。お会いできて光栄ですよ、聖女様」
=====
「聖女様、何かお困りのことはありませんか?快適にお過ごしいただけておりますか?」
「聖女じゃないです」
「祈りの時間なのでお暇致しましょう。あぁ、聖女様もご一緒にいかがです?それとも聖女様の祈りは神に捧げられるもの……御一人の方がよろしいでしょうか」
「聖女じゃないです」
私が何を言おうとつらつらと「聖女様」「聖女様」とついてくるモーリアスさんは、異端審問官だという。
え、やだなにそれ怖い。
異端審問官ってあれでしょ……なんかこう、ファンタジーだとめっちゃ狂信者で異教徒は見つけ次第即火刑台送り!っていうような……やだ怖い。
出来る限りお近づきになりたくないので愛想笑いをすることもなく、只管距離を置こうとしているのだがそんなことお構いなしにモーリアスさんはついてくる。
「あの……モーリアスさん」
「はい、なんでしょう、聖女様」
「その聖女様っていうの、本当に止めてください。嫌なんです。私は聖女じゃありません」
本気で嫌がっていると告げれば少しは大人しくなってくれるだろうか。そんな期待を込めてじっとモーリアスさんを見つめる。が、肩まで揃えた黒髪をさらりと揺らし、細い目をわずかに開いて異端審問官は私を見つめ返す。
「なるほど、でなければ魔女となるのですが、そちらでよろしいのでしょうか?」
魔女。
この世界でこの単語を聞くのはこれで二度目だ。
魔女、魔女。賢い女。
この世界での魔女とはどういう意味なのだろう。
木の精霊さんは魔女を「一柱」と数えた。それはこちらの世界でも神様を数える時のものだ。
魔女という……悪魔を使役する悪に落ちた女、と私の世界で考えられた存在を数えるには相応しくない。
「魔女って……すいません、知らないんです。なんなんでしょうか」
「……なるほど、己が何者かわかっていない。それは人間誰しもそうです」
モーリアスさんは勝手に頷いて、それではよろしいですか?と優しい教師のような口調で私に語り始める。
「この世界の成り立ちについて、神代の出来事は誰もが知ることですから今は省きましょう。神代が終わり、魔法種や魔族たちが生まれました。我々人間種は無力でしたが、神を信仰するということにかけては他の種族より圧倒的に強い意思と心を持っていました。そのため、神は我々人間種に、魔族たちに侵されぬ結界を張れる聖女を遣わしたのです。これが300年前の事」
それはなんとなく、わかっていた。
そして300年間ずっと、代が変わりながらも聖女たちが結界を維持してきたのだろう。
「そして魔女とは神代の神の骨や髪、歯から生まれた存在です」
……そっちの方が聖女っぽくないか?
神様から生まれたんだよね?
疑問に思ったが、魔女という存在を庇う発言を異端審問官の前でしたらどうなるか。危機管理能力、大事。私は黙って話を聞くだけに徹する。
「魔女たちは元々は神子と呼ばれ神殿に祀られていました。しかし己の力を驕り高ぶった彼女たちは自分たちこそが神なのだと勘違いをしたのです。そして教会の神官たちと戦い、それぞれはかつての神殿に封じられています」
異端審問官目線の話なので、これをまるっと信用することはできないが、なんとなく大まかな流れはわかった。
つまり、力があってもそれを正しいことに使おうとしない、あるいは教会にとって都合の悪い者は魔女になるってことじゃないか?
私はモーリアスさんに「教えてくれてありがとうございました」とお礼を言い、そして「どうしてモーリアスさんは私を聖女だと言うんですか」と問いかける。
「ドゥゼ村からこの街まで新しい結界が張られていました。えぇ、結界を張ることができるのは真の聖女のみ。つまり貴女は聖女です」
いや、どうしてそうなるんだ。
そもそも、まぁ、確かに道々の結界を張ったのは私だ。
だが、結界が出来たことは一々異端審問官は感知するものなのか?
そしてなぜそれを私だと思ったのだろう。
「簡単なことですよ」
不思議な顔をしている私に気付いたのか、モーリアスさんはピッと人差し指を立てる。
「ドゥゼ村からこの村に来たのは、ワカイアを連れた貴女しかこの街にいません」
そういえば村にしかいないんだったわ。ワカイア。
街の人たちはワカイアを見たことがない。だから「ちょっと食べ過ぎて育ち過ぎたカブラです」と言っても「へぇ。魔物は変わってるなァ」という顔をされただけだった。
村に物資を届けに来た事がある人がいても、ワカイアは客が来たときは「危険だから」と村人たちが案じて村の外れに避難させている。村人以外は、ワカイアの体毛しか見たことが無いはずだ。
だが神性属性のワカイアの体毛は神官たちに人気がある、とスレイマンが話していたことがあるので、神官や、モーリアスさんのような異端審問官ならワカイアの姿を知っているのも当然かもしれない。
「そして貴女は光の神や、風の神の加護を受けている。お気づきでない?そうですか。信心深い私の目にははっきりと、貴女の光輝く魂が命の風に優しく包まれているのが見えますよ」
まるで恋するかのような熱心な瞳で見つめられ、私は顔を引きつらせる。
この人、あれだ。やばいタイプの人だ。手を掴まれ、跪かれ私はゾワリと背筋に悪寒が走る。
「300年前の聖女以降、結界を維持できる程度の聖女は作り出すことができました。けれど真に、新たに結界を張れる真の聖女様にこの私の代で出会うことが出来るとは……!!!貴女の張られた結界をずっと追ってきました。あれこそまさに神の御業。神をその身におろす聖女様だけが創れる最大の神性魔法……!!」
料理したらできただけです!!
うっとりと手を頬にこすりつけないでください!!
追って来たってストーカーかアンタ!!!
言いたいことは多々あった。
だが、人間本当に恐ろしいとドン引きすると……声が出ないらしい。
私は口をただパクパクさせ、興奮がエスカレートしていくモーリアスさんがついに私の爪を食べたいとまで言い出した瞬間、恐怖が頂点に達して意識を失った。
気を失う瞬間、そういえばドゥゼ村から街まで追って?アルパカさんの足で速く行動できた私がこの街についたばかりで、モーリアスさんも今日着いた、ということだろうか。
疑問に思いそして、どこかで「モーティマー」という名前を聞いた覚えがあるように、なんとなく、思った。
あれは確か……洞窟で最初に出会ったときに、スレイマンが呼んでいた名前だったような……?
Next




