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ワカイア


どうも、どうやら悩んでいるらしい。

悩んでいるのか。どうも、どうにも。そうか。


「我々」の泉に来る事がただ一人許された村の娘。母親によく似た顔の、やさしさが瞳によく出ている。可愛い「我々」の大切な×××。いつも柔らかな目をして「我々」の体を撫でラグの葉をそっと寄せてくれる。その娘。なんだ、どうも、どうにも悩んでいるようではないか。


「おじいちゃんは、そんなに難しく考えなくてもいいっていってくれてるけど」


泉の傍に腰を下ろし、娘が呟く。「我々」に語り掛ける時の声音よりも低く硬いものがあり「我々」は娘を不憫に思った。

悩んでいる。とても悩んでいる。それを「我々」は知っていた。

別段珍しいことではない。「我々」の村にいる人間種はこのくらいの年頃になると必ず同じことで悩み、ぼうっと一人立ち止まってはぶつぶつと誰ともなしに話しているのである。


深い深い森を前にした小さな村。土は粘つき自然の作物は育たない。こんなところ、まともな生き物が長くいられるわけはないと、そういうところ。


そこに「我々」は逃げ延びた。何に追われてのことではない。追われていたのかもしれない。しかし「我々」が恐ろしかったのは「我々」の命を奪わずこの皮だけ剥いてあとは野に捨てる人間種が、あたりまえのように増えてきたことであった。


「我々」は大地がまだ平たい頃からいた御方がたとは違い、例のあの恐れ多くも天空にひときわ輝く天狼どのが無残にかみ殺された、その血を浴びた大地から生まれた。それゆえ人間種が「魔法種」などと「獣」とは違うという目で見ていようと「我々」はそれほどたいそうな生き物ではなかった。


だから我々は古より寄り添い、我らの毛を大事に腕に抱き祝辞を述べ、森だけでは取れぬものを運んでくれる人間種と共にあった。

互いを食い合うことしかできぬ血の獣どもよりも、穏やかで優しく「我々」を慈しんでくれる人間種の方が、おなじ生まれのものどもよりも遥かに良いもののように思えたのだ。


それであるのに、いつのころからだろうか。

今からさかのぼれば、大体三百年程前だろうか。それよりももっと前から、そんな予兆はあったようにも思うが、いかんせん「我々」はーーー代目であるからして繋ぎ繋ぎとなった記憶であっても正確なところはわからないこともある。まぁ、それはいい。


とにかく、いつからか、優しく穏やかだった人間種の顔つきが変わっていった。風と共に歌った声は他人への罵倒や妬み憎しみだけを発し、大地を撫で命を湧かせた手は恐ろしいものを作り上げて他の命を奪った。明日に向かい進んだ足は他の生き物の体を踏みつぶしその場から動かずいつまでも同じところで足踏みをしていた。


変わってしまった。あまりにも、あまりにも、むごい有様に、「我々」の愛した彼らは成ってしまった。

「我々」の毛を在り難いものと思わず、乱暴に皮を剥ぎ、いっそそのまま首を絞めてくれれば良いのに、皮さえ剥げばあとは打つ価値すらないとばかりに捨てられた。むごいことだ。惨めなことだ。なんと酷い有様だっただろうか。その痛みばかりではない。何よりも、「我々」が痛みとして感じたのは、あれほど優しかった彼らが変わってしまい、「我々」をただの喋る獣だとしか思わなくなったことだった。


「あぁ、ごめんなさい。私ったら、ぼうっとして…」


「我々」の愛しい×××が微笑む。

思考に沈むのは彼女だけではなく「我々」もであった。引き上げられ「我々」は彼女の周りに集まる。


「慰めてくれるの?うん、大丈夫。怖いことなんかないの。だって、村の女はいつもそうしてきたんだもの。それに、隣町の村長さんが選んでくれた人たちなら、きっと誰を選んでも優しい夫になってくれるはずよ」


村の長の娘はそう言って、水面に映る自分の姿を確認していた。

もうじきに、この村に隣町からの品が届けられる。その品を手に入れることが人間種で15年生きたこの村の娘の役目だった。


300年前、「我々」はもはや我慢がならなかった。

これ以上「我々」の愛が踏みにじられることが、穢されることが、「我々」には耐えられなかった。


だから、攫った。


並の生き物が住むには難しいこの場所に、まだやさしさを残していた人間種を攫った。

赤ん坊とその母親たちを攫った。いいや違う。そうではない。それは、「我々」の考えではない。「我々」は護る為に彼女らを連れこの場所に来た。人間種の中では「夫を失い逃げ延びた女たちが連れていった獣」と我々は考えられたが、そうではない。それは違った。


行き場がなく、怯え怯え、もう他の人間種と同じように心を穢すしか生き延びれないと慄く彼女らを「我々」が守った。


この村は我らの村である。

この村には穢れのない人間種だけがいる。


「我々」が愛し、「我々」を愛してくれた人間種は、たとえ人間種の世に再び夜の使者が現れようと、賢しい顔をした狼の子が地の国の食べ物を勧めてこようと、ずっと変わらず、優しく、穏やかで「我々」と共にあるのだ。


そうして生きてきた。

そうして300年「我々」は愛しい人間種たちを守ってきた。


「我々」にとっては我が子も同じ。


「でも、本当にそんなに簡単に村に来てくれるのかしら?おじいちゃんや村の皆は、私が気に入った傭兵の男の人をここに連れてきて、あなたたちに紹介したらそれでいいって。そうしたらその人は私のいう事をなんでも聞いてくれる素敵な旦那様になってくれるって、本当かしら?」


娘が言う。不思議そうに首を傾げ、けれどどの娘もそうだったように「なんだか、御伽噺みたいね。王子さまじゃないけど」と夢を見るように微笑む。


その微笑みに「我々」は小さく鳴き、愛しい娘に何も心配することはない。全て、何もかもうまくいく、と。「我々」はいつまでもいつまでも、お前たちを愛していると、そう込めた。



Next




スレイマン大正解~。

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