降臨祭(3)
お久しぶりです。誤字脱字報告、本当に助かっています。
青椒肉絲。
この漢字が読めるだろうか?私は読めない。というか、知ってる人じゃなきゃ想像もつかないだろう。
青はわかる。小学生でも読める漢字だ。
しかし椒。椒ってなんだ。ショウ、と読むのはなんとなくわかる。では意味は?
ショウ、と読み方がわかれば想像もつくだろう。サンショウだ。香辛料。はじかみ。サンショウの古名である。
青い、さんしょう、肉、糸。
ここまでわかってくればもう答えがわかる方もいるだろう。ちなみに、答えを知っている私がもし何の予備知識もなしにこの質問をされたら「わからん」と一言で答える。わからん。
答えはチンジャオロースだ。
チンジャオロースを知らない方のために説明すると、カラフルな野菜(主にピーマンやパプリカ、タケノコ)を細切りにして、同じく細切りにして下味をつけた牛肉・ないしは豚肉で作られる料理だ。
中華料理というのはその地域によって味や特徴が随分と変わる。私の前世である女性の時代、生きた日本国では広東風にカキ油や紹興酒、それに砂糖で甘さを出したチンジャオロースが多く知られていた。豆板醤を使った辛みを利かせたものは四川風と分類される。
残念なことに、私の前世の女性は中華料理は「中華鍋…振れない、無理……」とそれほどレパートリーや知識はなかったようだが、広東料理、広東人といえば「大体なんでも料理にする」と言われるほど、ありとあらゆる「存在するもの」を食材としてきた方々だと、そういうことは知っている。すごいぞ広東人。泳ぐものは船か潜水艦以外ならなんでも、四足はテーブルと椅子以外、二本足は人間じゃなければ「食える」と、その判断。嫌いじゃない。
さて、チンジャオロース。ただの肉と野菜炒めではない。チンジャオロースの誰でも食べてわかる第一印象は「食感」だ。
まず主役からいこう。
もちろんお肉だ。
日本はアメリカスタイルと言われている牛肉を用いたチンジャオロースが多い。
ただ「牛肉、うまい」だけではない。
想像してほしい。赤や黄色、緑の野菜の中に細く切られた牛肉がある。牛肉ならサイコロステーキのように、大振り過ぎず口の中でしっかりと肉の存在をアピールしてくれるサイズがいい……と、そう思うものだろう。
だがチンジャオロースの肉は細い。一センチにも満たない細さだ。長さはそれぞれだが、それほど長くはない。箸でつまんでしまえる。
そんな細い肉は食べ応えがないと思うか?
野菜がたっぷりなのも肉をケチった結果だろうか?
答えはNOだ。全力でNOだ!
半信半疑で肉を口にする。
まず、普通の肉なら表面のざらりとした感触、あるいは脂が滲み出てきた湿っぽさを感じるだろう。
だがチンジャオロースの肉は違う。
まず、やわらかい。
表面に、ねっとりとしたコーティングがされているのだ。
これは下味に使われる片栗粉や、合わせ調味料になっている水溶き片栗粉が綺麗に!しっかりと!!!なんと一本一本丁寧に職人がハケで塗ったわけでもないのに!大量の水溶き片栗粉の中に肉をジャブジャブと漬けたわけでもないのにッ!全ての肉は透明な……キラキラと輝く膜によって包まれている。
それをしっかりと噛み締めた瞬間、溢れ出る肉の味。牛肉のあの、独特の「俺は牛だ」と訴えかける、臭みにもにたうま味が……駆けだしてくる。暴れ牛だ。あんなに小さな、いっそ肉のきれっぱしと言ってもいいほどの細かいものから……口内に全力で主張してくる。
そして次はピーマンやパプリカさんたちだ。
明治初期には「西洋とうがらし」と呼ばれていたことからもわかるだろう。トウガラシの品種の一つ。緑のピーマンは未成熟であり、本来はきちんと育ったものは赤や橙、紫になる。
種以外の周りの果肉を食べるものだが、成熟したものは甘みがあるのに対し、当然だが未成熟のものは苦い。青臭い。食うな、まだ成長しきってないんだ、種をちゃんと実らせろ、という自然界のお達しだったのかもしれないが、申し訳ない。人類は食った。仕方ない。
加熱すれば多少その青臭さが軽減されるとはいえ「その苦味が逆に美味いんじゃないだろうか」と人間に見つかってしまったのが悪かった。味覚の敏感なお子様には「ピーマンなんか大嫌い!」とお母様を困らせる食材第一位であるのに、大人はそんなことはなかった。
まぁ、それはともかくとして。
チンジャオロースのピーマン。その苦味が牛肉の「牛!牛!俺は牛だ!!!道を開けろ!」と主張しまくるその肉々しさをそっと包み込んでくれる。シャリシャリとした食感も良い。肉はどうしても食感が軟らかいし、口内に残る。それをピーマンの苦味がさっと、さながら……牛に踏み荒らされた大地にしっかりと生え茂る牧草のように、我々の口内をケアしてくれる。
もちろん、肉と苦味だけではだめだ。パプリカさん。名前からして、なんだかおしゃれなパプリカさんの、甘さ……優しい、果物のようなあまやかさがあって、牛肉とピーマンは仲良くできている。ピーマンよりたっぷりと分厚いパプリカさんは、牛肉の脂を表面に絡ませながらも奥までは染み込ませず「わたしはわたし」とそのパプリカ本来の甘さを、加熱してさらに素晴らしく増させ、どしん、と構えてくれている。
素晴らしい。
この三つの食材だけでもチンジャオロースという料理は完璧ではないだろうか?
しかし、ここに更にたけのこの存在も加えられる。
「えぇ、そう、タケノコは」
「何やらお取込み中のところ失礼いたします、聖女様。そちらの食材、使いますので渡して頂けますか?」
あ、どうも、こんにちはからごきげんよう、こんばんは、野生の聖女、エルザです。
モーリアス・モーティマーさんに「保護」されて「一緒に昼食でも作りませんか」という、とてもすてきなお誘いを受けたので喜びいさんでやってまいりました、異端審問局第六席の……調理場。
花街の見世の調理場は十人以上いる姐さんたちのまかないを作る為、それなりの広さがあったけれど、モーリアスさんが私を案内してくれたのはこぢんまりとした、人が二人も立てば作業で動くのにお互い気を使う必要がある、というほど手狭なものだった。
なんでもモーリアスさんが自分の食事を自分で作る、そのためだけに現在は使用されているよう。
もしかしたら、昔はスレイマンの食事を作る為にも使っていたのかもしれないが、スレイマンに愛憎入り混じった感情を持ってるモーリアスさんに下手な質問はできない。何が地雷かわからないからね!!!
私はモーリアスさんが並べて説明してくれる食材を、もう一度ゆっくりと眺めた。
「チンジャオロースが作れそうです」
「そのような名の料理は生憎と存じ上げませんね」
モーリアスさんの身長に合わせて作られている調理台には緑や赤、黄色の丸い瓜のような野菜に、竹のような植物。そして拳ほどの大きさのカブラの肉。
カラフルな瓜は「クェルシ」という名前で、不思議な事に香辛料を浸けた水で育てる事により、よりその色や味を変えるそうだ。枯れないのか。なるほど異世界ミステリー。
食感は生のままではシャクシャクとしているけれど、加熱するとやわらかく透明感が増して、食感も弾力があるものに変じるらしい。説明してくれるモーリアスさんは、さすがは見た目も味もパーフェクトな料理を作る人だ。
そして私が思わず手に取ったのは、表面は竹のように緑色の、硬い木質に変化した茎のようだが、中は空洞ではなくて……皮の部分を削り取ると、タケノコの水煮のようにプルプルとした、実というか、なんだ……私の知っている言葉では表現できないのだが、中身が食べられる。
水分を多く含んでいて、旅人はこのタケモドキを切って中身を噛んで乾きを癒すこともあるらしい。
「作り方は簡単なんですよ。細く切った材料を調味料と合わせて強い火で一気に焼くんです。炒めるっていう……熱した鉄の上で油と絡ませて加熱する調理方法なんで、モーリアスさんは馴染みがないかもしれませんね」
私は口頭で中華鍋の説明をしてみる。鉄で作られ、丸い底の鍋だ。鍋の深さや直径は様々だが、中央・周辺部分で熱の通りが異なり、まず周囲でじっくり材料を炒めてから中央に移し強火で仕上げるということが出来る。ただし重い。
「なるほど、それは中々に……面白そうな道具ですね。油を多く使いそうだ」
料理に興味があるらしいモーリアスさんは興味深そうに聞いてくれる。
「それでは折角ですから、聖女様のご存じの料理を作ってみませんか?」
「チンジャオロースですか?」
「えぇ」
にっこりと、黒髪の青年が笑う。
異端審問官としてのモーリアスさんはめちゃくちゃおっかないし、物騒だし、正直全力で逃げたいが……料理人としての腕は確かである。調理場であれば私は妙な度胸も付くのか、その提案に頷いて、それじゃあ、とあれこれモーリアスさんに自分の知らない食材の切り方を確認しながら、久しぶりだねレッツクッキング!が始まった。
++
「さぁさぁ、逃げなさい、逃げなさい。どうです?どうします?あなたがたの恐れる、忌み嫌う、悪夢のようにおっかながる、魔族がこの地に現れましたよ!さぁ、どうぞ!」
異端審問官の塔に、アニドラ・アルファスの嘲笑が響いた。
泥が、泥が、溢れ出る。
異端審問官の塔を浸食する。
派手な怪鳥のような仰々しい男が高らかに、歌声のように笑うたびに泥に人が飲み込まれ、その長い手が動くたびに、塔が崩れる。
エウラリアの配下の異端審問官は塔に随分といたはずだが、断末魔の悲鳴を上げながら、その泥を赤く染めながら、飲み込まれていく。
まるで地獄の蓋でも開いたようだった。
まるでこの世の終わりが始まったようだった。
並み居る強力な魔術師達も、駆け付けた他の塔の異端審問官たちも、泥に、泥に飲み込まれていく。
その広がりのっぺりとした泥の海の中で、無事なのはセルゲイ・ザリウスと砂の聖女の立つ所、そして現れた魔族の立つ周囲。そこだけは一切の汚染がない。
「おーやおやおや、さて、いつまで歌っていられますかねぇ。子宮を使い、年老いてあの星屑どもにも飽きられた死にぞこないの聖女モドキが」
魔族の公爵は優しく気遣うような声音で、しかし瞳は心底小馬鹿にし嘲り嗤う色で、砂の聖女に問いかけた。
この状況。
聖女が一瞬でも歌う事を止めれば、彼女の足元も泥に飲み込まれる。いや、聖女を穢そうとアニドラの泥がそちらに集中しているから、未だに泥の浸食は異端審問局の敷地内を出ずにいる。ので、あるから、砂の聖女、年老いたエルジュベート・イブリーズは気を抜かなかった。
「それが召喚者に、契約者に対する態度なのかね?」
答えぬ聖女に変わり、隣のセルゲイ・ザリウスが胡乱な目で魔族を見つめる。
最初こそ、その顔に焦りの色が浮かんでいた。しかし今は人間種の高位貴族としての矜持か、見苦しく慌てる様子はなく、むしろこの状況でも、聖女の声は泥を退ける、その事実に聖女への思いを強めているようでもあった。
「おやぁ~~、ワタクシとしたことがご無礼を」
その態度は立派だと、アニドラは素直に関心する。といっても、それは圧倒的な格下が一寸した勇気を見せたのを、強者の傲慢さで微笑む程度のもの。
形ばかりの謝罪を口にして、さて、と芝居がかった仕草で口元に手をやる。
「しかし、ワタクシを呼び出しましたのは貴方サマでございますれば、その聖女モドキは無関係。ワタクシたち魔族と聖女モドキは相性がすこぶる悪ぅございますので。えぇ、目にして即座に頭を潰さないだけワタクシ、紳士的に振る舞っていると自負しておりますよ?」
「我々人間種の「当然」と君たちの「当然」は違う。そういう事も含めて、私は君たちを知りたいと考えているのだよ」
「おや?それは、それは?」
きょとんと、幼い少年のような顏でアニドラは聖王国の宰相の顔を見つめた。
「ワタクシを呼びましたのは……誰かを生き返らせたい、などという願いではないのでしょうかァ?」
「そんなわけがないと、わかっていて問うのは私の感情を乱したいからだろう。だが、私はこの召喚に、宰相として立っている。無駄な挑発はやめたまえ」
「なるほど宰相として!それであれば、そんな大義名分があれば!えぇご立派です!亡き弟君の奥方を生贄にした事も!むしろこうなるように唆し続けたのも!こんなご立派な大義名分あってのこと!――あぁ、これは挑発じゃァありません。性分です」
「そうか。であれば何も言うまい。――単刀直入に言おう。魔族よ、人間種を代表して提案する。対話と休戦をしよう」
Next




