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外道料理人(1)



神崎竜二郎シェフ。

私の前世の記憶。

料理人という自負のある人間で、その名を知らないものはいなかっただろう。


生まれは昭和。戦時中に疎開先で田舎の子供たちが握り飯をたくさんほおばる中、東京生まれの竜二郎シェフは芋の切れっ端をしゃぶって飢えをしのいでいたという。


戦争で父を失った竜二郎は、アメリカ兵の愛人になった母に育てられそこで様々な料理を口にしたそうだ。

そして『日本人が米や芋を食べている中、外国人は肉を食べ綺麗なガラス瓶に入った酒を飲んで騒いでる。そりゃあ、勝てるわけがねぇ』と子供ながらに悟ったと、そう雑誌のインタビューで答えているのを読んだ。


彼は、一言でいえば、昭和のコロンブスだ。


母のツテを使いフランスに渡って、フランス料理を学び、日本で店を開いた、と、そう話してしまえばそこまでの、どこぞにもいるような経歴だ。


日本とフランス料理の関係は、戦前と戦後で大きく左右される。


戦前、1870年、日本最初のフランス料理店とされる精養軒が開かれ、日本で本格的な西洋料理が食べられるようになった。そして欧化政策の極みともいえる「鹿鳴館」が1880年代に立てられ、華族豪族上流階級の人間たちはこぞってヨーロッパ風になろうと、洋装を取り入れ音楽や食文化をそっくりそのまま仕入れた。

1890年には帝国ホテルが誕生し、多くの外国人料理人を招き日本にて本格的なフランス料理を日本人が学べるようになった。


西洋化を。西洋化を。強い西洋のように!

と、そう目指した日本だったけれど、戦争がはじまるとそれまで優遇されていたフランス料理は一気に、見向きもされなくなる。


贅沢は敵だ。質素に、質素に、お国の為に。西洋かぶれなぞ非国民。

急にそんな風潮になる。フランス料理は美食文化。戦時中の日本人は、受け入れてはならないものと忌避され、すっかり日本でのフランス料理文化は衰退していった。

その後戦争が終わっても、かつてフランス料理を披露した有名ホテルはアメリカ軍に接収されたままであるので民衆へフランス料理を振る舞う暇などなく、日本ではアメリカからもたらされた大衆的なアメリカ料理、ハンバーガーやステーキ、といったものが「外国の料理だ」と思われるようになっていった。


神崎竜二郎は、そんな時代に生まれ育ち、偶然にも母の恋人のアメリカ人が美食家でフランス人の料理人を国から連れてきて屋敷で料理をさせている人物だった。


『美味いと思ったかって? いや、別に。ただ、あいつらのごつごつした手で作れるってんなら、おれらの方がもっと上等なモンを作れるだろうな、とは思ったさ』


疎開先で竜二郎は醤油作りを手伝っていた。


『日本人ってのはよう、生真面目なんだよ。馬鹿正直にな、じっくりじっくりやって、それが苦にならねぇ。むしろ、難しい面倒な物をテメェができるってことに妙な悦びさえ感じやがる、まぁ、妙な人種だよ』


竜二郎は考えた。

国がありがたそうに扱うアメリカ人の食事は単純なものだ。でも、そのアメリカ人の、気取ったヤツら(竜二郎にとっては母の恋人)はフランス料理を「きれぇに食えてる」自分をお上品だと思っている。


だから、これは日本人が売れる、とそう、竜二郎は考えた。


1960年代になると、あちこちで「調理専門学校」というのが開かれるようになった。衛生概念と、調理技術をもつ専門家を育てようと言う試みで、そこで学んだ生徒が昭和後期から平成の「日本のフランス料理」を作っていった。

有名な帝国ホテルやホテルオークラのシェフはフランスから料理技術を学び、日本でその腕を惜しみなく振るって後継者を育て、そして日本に「フレンチ」を定着させた。1964年の東京オリンピックではフランス料理でもてなす事が必須となったため、国を挙げてフランス料理人が育てられたことも追い風になったのだろう。


そして、そんな、偉大な料理人たちが当時の日本に尽くす中、竜二郎は自分の弟子たちを海外に出して「売って」いた。


『フランス料理ってのは、ようはスープやソースの文化だ。ブイヨンってのがキモさ。なら、醤油や味噌を作る日本人の手先や神経質さ、味覚ってのが売れるだろうよ』


竜二郎はフランス料理を学んだ。

日本でフランス料理を広めるためではなく、学んで、それがどんなものか知って、それをどう、日本人が合わせられるか理解するためだ。


神崎竜二郎シェフ。

私の前世で、料理人という自負のある人間で、その名を知らないものはいなかっただろう。


見習いや下働きとして海外のレストランで働ける、向こうで修業したらこっちに戻って箔が付く。

給料は出ないが、住むところと食事は出してくれる、なに、タダで星付きの店で働けるんだ、それも海外で。良い話だろう?

なぁに、怖いことはねえ。儂の知ってる店だ。何か困ったことがあったらすぐに戻ってくればいい。


そう、人の良い老人の顔で近づいて、年間百人以上の料理人を「労働力」として海外に売り飛ばした、犯罪者だ。




+++




「お知り合いですか? 聖女様」


前世の記憶を手繰り寄せながら、私は現れた老人を睨み付ける。私が敵意を露わにするのが珍しいのか、モーリアスさんは少し口の端を上げて、スッと私と竜二郎シェフの間に入る。


「その赤い服、あんた異端審問官か」

「モーリアス・モーティマーと申します。貴方が何者かはあとでじっくり伺いますので、ひとまず連行されて頂けませんか」


なぜ異世界に、竜二郎シェフがいるのだろう。


言葉は普通に、この世界のものを喋れている。顔は私がニュースで見たものより少し若く見える。捕まった時は九十歳の老人だったと記憶しているが、今は自分の足でしっかりと立ち、生気の漲った、六十歳程度にしか見えない。


「アン? なんで儂がテメェらみてぇなおっかねぇ連中と一緒にいかにゃならん」

「《緋色の空》で出されていた料理に毒が混入されていた疑いがありますので、抵抗されるならどうぞ? その方が色々面倒が省けます」

「儂ァあの店のねーちゃんたちと美味い酒を飲みに来ただけじゃ。料理? っは、ならうちの工房を調べるなりなんなりすりゃあいい。何も出てきやしねぇだろうがな」

「貴方はご自分のされていることに、自覚がおありですね?」


笑い尊大な態度を崩さない竜二郎シェフに、モーリアスさんは氷のように冷たい微笑を浮かべて見せる。


証拠などどうにでもできる、という意味だそうそれに私はちょっと引いた。


「竜二郎シェフ……なぜ、あなたがここに?」

「誰だテメェ。儂をそう呼ぶ……発音も正しい。お前も飛ばされたクチか? いや、銀髪の日本人なんぞいねぇか」


飛ばされた。

手段や経緯はわからないが、竜二郎シェフは転移者ということだろうか。

捕まって、無期懲役になっているはずなのに。


「……」


私はじっと、日本料理人として最も恥ずべき男を見上げる。

その腕は一流。知識も経験も豊富で、構えた店は繁盛しあちこちに支店を出した経営手腕もある人物。


《緋色の空》のキャバクラ化に関与し、そして貴族の間で流行っているテリーヌドパテを作り出したであろう人物。


「おーおー、よぅく燃えてるなァ。なんだ、すっかり萎えちまった」


竜二郎シェフは言ってくるり、と背を向ける。


「待ちなさい」

「おっかねぇなぁ、異端審問官ってのはあれだろう? 無実の人間でも燃やしちまうんだろう?おっかねぇなぁ。まぁ、儂は無理じゃがな」


捕えようとするモーリアスさんを、馬鹿にしたように一笑し、老人は懐から丸い鉄の板のようなものを取り出す。


「……」


ぴたり、と、モーリアスさんの動きが止まった。

三本の剣が刻まれたその板の意味はわからないが、何か身分を保証する、紋章、か何かだろうか。


「この街の水にゃ妙なモンが混ぜ込まれてる。お陰でちっとも面白くもねぇ世界になっちまって。なら、なんとかして人間サマ本来の姿ってやつにするのが儂の使命だろうさ」


使命、など立派なことを言う口ではあるが、その目は物事をひっかきまわすのを楽しむ外道のように三日月に歪んでいる。飄々と言って、そのまま夜の街に消えていく。


「……異端の屑が」

「モーリアスさん怖ッ」


手出しできない存在である、らしいので、モーリアスさんは竜二郎シェフを追うことはせず、しかし呪詛のように低く呪われそうなほど怨嗟の籠った声で低く呟きその背を見送った。


そして、モーリアスさんが捕えた見世の関係者たちも翌日には「お咎めなし」として全員が無事に解放された。



+++



《緋色の空》が燃えてから一週間。

竜二郎シェフの所属する魔術工房から出される保存食の数々は、相変わらず貴族や、少し質を落とした物が平民の間でも流行っているらしい。


仕事が出来るモーリアスさんが「怪しい」と思った物なら即座に規制がかかると考えていたが、そういう様子もないらしい。


それアゼルさんにその魔術工房について調べて貰った。


「元々は《色》も持てない下位の魔術工房だったようですね。魔術学校で魔術を学んだ全ての者が成功するわけではありません。生活必需品であるランプや竈の火おこし用の魔術式を刻んだ品を細々と売ってなんとかやっていけるような、どこにでもある小さな工房です」


魔術工房について少し補足すると、ようは技術開発研究所兼、お店だ。扱うものは魔術という、私からしたら特殊なものだけれど、この聖王都では「特別」でありこそすれ「特殊」なものではない。


たとえば、鍛冶屋を兼ねた魔術工房は鉄製品に様々な魔術式を刻んで強度だったり、特別な効果を与える。薬屋を兼ねた魔術工房なら魔法薬を研究して作ったり、売ったりしている。


「その魔術工房は二流の魔術師が少ない徒弟とやっている平凡なものであったようですが、十年ほど前、魔術の使えないあの男が工房主となってこれまで扱っていた仕事を全て辞めて食材や調理道具の開発をするようになったそうです」

「その資金はどこから出てるんでしょう?」


異世界でフランス料理を作れる環境、材料の再現。元々の知識があるのだから、それはそう難しいことではないだろうが、たくさんお金がかかる筈だ。


まさかこっちでも労働力を売ったのだろうか。

魔力を持つ人材なら、商品になる。そう考えたところで、ミシュレがぽつり、と口を開いた。


「妙ね」

「何です?」

「そもそも、ただの魔術工房がいくら珍しい品を作ったからってなんのツテもなく貴族の間で流行らせられるかしら?」


資金のことより、現在のことをミシュレは疑問視していた。


「良いものであれば流行になるのでは?」

「馬鹿ね、流行っていうのは人が作るものなのよ。特に、この世界の情報が制限されてるような所なら尚更じゃない」

「テオ・ルシタリアくんに手紙を書けば詳しいことを聞けるかもしれません」

「馬鹿ね。そんなの聞かなくっても考えればわかるでしょ?」


ミシュレ、さっき自分で「妙ね」って疑問系にしてたじゃないか。

しかし、もう答えが出ているらしい。赤い目を細め、あれこれと思考を巡らせる。


「考えられるのは、上流階級の女性……基本的に女性は表に出ないものだけど、女同士なら家に招いて情報交換をしたりするわ。それに、食べ物は女性の領分ですものね」


外食文化がないこの世界なら、食事は女性の管轄だ。

貴族の男性が友人への手土産に、とするにしても用意するのは妻だろうし、それに関しては発言力もあるだろう。


「なるほど、竜二郎シェフと繋がっている貴族がいて、その人、あるいはその人の知る女性の、発言力のある方がテリーヌドパテを広めてる。故意に、でしょうか」

「さぁね。どこまで把握してるかは知らないけど」


モーリアスさんを怯ませた鉄の板も、あれはスポンサーとなっている貴族から貰ったもので竜二郎シェフの身の安全を保証している、と考えれば納得できる。


「ちょっと食べてみたいですね」

「ご主人様、怪しいと思われるものですので口にされますのは如何かと……」


そう言えばクビラ街の料理対決でも、私はルシタリア商会のテリーヌを食べていない。

それで興味を持って言えば、アゼルさんに窘められた。


しかし、制限された人の欲を開放する料理……対、人の精神と欲を抑圧するガニジャ……どっちも応援したくないし、これ、どっちが正しいとか、この場合あるのだろうか。


「で? どうするの、エルザ」


《緋色の空》が燃えたお陰でキャバクラ騒ぎは落ち着き、見世に出入りするお客も元通りになっていくだろうと店主さんは言っていた。私は学業に専念すべきだろうし、モーリアスさんが追ってるのなら竜二郎シェフには関わらない方が良い。


「そうですねぇ、とりあえず、竜二郎シェフの魔術工房に見学に行こうかと」


しかし、それはそれ、これはこれ。


異世界転移した日本人、フランス料理人が十年かけて整えた調理関係をぜひとも見たいし、性格は屑だが腕は一流の竜二郎シェフのその料理を、私は食べて見たかった。




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100話目です。(/・ω・)/


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