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かしこまりました、社長様  作者: じゅり
― 本編 ―
46/57

46.手を取りたい相手は

 ……自分の虚勢もこれまでか。

 強く握りしめていた手を開いて、鷹見社長の手に重ねようとしたその時。


 少し前に立つ瀬野社長から大きなため息が吐き出された。こちらに振り返った社長に視線を移すと、皮肉気に笑っている。


「俺が品行方正とは随分と過大評価されたものだな。そして君は」


 瀬野社長は永久凍土のように凍てついた視線を私に投げかけてきた。


「俺の事を過小評価しすぎだ」

「っ……」


 そして手を伸ばしたままの状態で固まっている私の心を探る様に目を細めて見つめる。


「それに君の覚悟はその程度のものだったのか?」

「……あ」


 そうだった。私は鷹見社長を返り討ちにしてやろうと決意したのに。瀬野社長が生涯守り抜くと誓ってくれたはずなのに。瀬野社長と一緒に頑張ろうと思ったのに。また私は周りを見ずに、社長の気持ちを考えずに全てを放り出そうとしていた。

 私はゆっくり息を吐き出すと首を振った。


「いいえ」


 そして鷹見社長の手を取ろうとしていた自分の手を下ろすと左手で包み込む。すると、瀬野社長が黙ってこちらに手を差し伸べてきた。


「社長、私は」


 人を切り捨てたこの手で瀬野社長の手を取る資格は無い。そう言おうとした私の言葉を社長は遮る。


「俺も彼と同様、地獄に落ちる身だ」

「え?」

「地獄にまで付いてくる気があるのなら、俺の手を」


 何だか胸が熱くなって、そして切なくなって、夢中で社長の手を両手で握りしめて身を寄せた。

 社長はそんな私に少し笑みを零すと、鷹見社長に向き直った。


「さて、鷹見社長。今後一切、私の秘書に関わるのは止めて頂こうか」

「……なるほど。瀬野財閥の御曹司が手放したくない女性か。ますます欲しくなるね」

「そうか。だがこれから君は方々駆け回る事になるだろうから、彼女をつけ回す暇も無いと思うがな」

「何だと?」


 瀬野社長が淡々と話す一方、鷹見社長は眉をひそめた。


「そもそもご丁寧にウイルスがマスコミを限定して流出させたと考える方が間違いだろう。鷹見社長ともあろう者が木津川君と関わったことで、彼女の馬鹿正直な性格に毒されたか?」


 え? 一体どういう事? それに今、馬鹿とか聞こえましたけど? しかも毒って何。


「まさか……。他に検出されたと聞いていないぞ」

「コンピューターウイルスも潜伏期間があるタイプが存在すると聞く。その間は余程優秀なセキュリティプログラマーでも注意を払って検査しない限り、感知できないらしいな」


 その時、鷹見社長が連れてきた女性秘書が青い顔して彼の元へ足早にやって来るのが見えた。


「た、鷹見社長、大変です。会社に至急お戻り下さい。今、会社から連絡が入り――」

「何だと?」

「大衆が普通に目にすることができるネット上にでも情報漏洩し出したか? 便利な、いや、怖い時代になったものだ。今や発信の場はマスコミに限らないからな」


 瀬野社長が先に回って言うと、鷹見社長は振り返って目を見張った。


「対集合は一つの大きな権力で抑える事も可能だろう。だが、対一般大衆はどうだろうな。どこまで抑えられるのか、こちらの危機管理の手本としても君の手腕を高みの見物させて頂く事にしよう」

「瀬野……君が」

「勘違いしてもらっては困る。違法な手段で情報入手しようとしたのはそちらだろう。こちらは一切手出ししていない」

「……確かにな。どうやら今回は負けを認める他ないようだ。君の言う通り、俺は彼女の馬鹿真面目さに毒されたらしい」


 鷹見社長は自嘲して瀬野社長の顔を見、そして私を見た。

 また馬鹿って言いました? しかもまた毒って何。


「鷹見社長、お車を回します」


 鷹見社長の秘書が焦りを見せながらそう言って促す。


「ああ、分かった。だが――」


 鷹見社長が私を真っ直ぐに見つめてくる。私は思わず瀬野社長の手を握りしめる手に力を入れると、社長は握り返してくれた。


「俺は諦めた訳じゃない。次こそは君を手に入れてみせよう」


 強い瞳で見据えられると怯むけれど。でも瀬野社長は私を守ると言ってくれた。だったら私も一緒に戦うと、社長を守ると誓おう。

 私は一歩足を踏み出して、社長と肩を並べた。


「次会うときは私もステップアップしておくので無駄足ですよ。来ても返り討ちにしてやります。と言うか、むしろ二度と私の前に現れなくていいです!」


 いーだっ!


「ははっ。本当に面白い女を手に入れたな、瀬野社長」

「ああ。だから彼女を手放すつもりはない。――絶対に」


 社長の強い宣言にどきりと胸が高鳴り、思わず顔を伏せた。

 でも面白い女って。あの、社長。せめてあなただけは否定して下さい。女として面白くない言葉なんですけどもそこは無視ですか。


「……瀬野。君がそんな表情をするとはね」


 鷹見社長の息詰まるような声に顔を上げる。


 え? どんな表情!? そう思って瀬野社長の横顔を慌てて伺い見るが、表情を戻したようだ。いつもと同じ感情を見せない表情だった。……み、見逃した。


「今度は心してかかることにするよ。じゃあ失礼させて頂く、瀬野社長。……木津川晴子さん」


 そうして艶やかに笑うと鷹見社長は去って行った。なぜか彼らの姿が見えなくなるまで見送ってしまっていた自分に気付く。


「あの、思うんですけど。結構酷い事をされているのに何で去り際、あんなに爽やかなんでしょうね。まるで敵と書いてライバルと読むみたいな」

「君のキャラのせいだろ」


 なぜに私?

 首を傾げる私に社長は小さく笑った。


「さて、今日の用事は終わったことだし、帰るか。ご苦労様、木津川君」

「はい!」


 力強く返事するも。


「あ。待って下さい!」

「何だ? まだ何か」

「いえ。安心したら急に空腹感が。今、運ばれて来たばかりのスイーツ、頂いてきます」


 私は社長の手を離すと、目の前でカートを押して通り過ぎたお兄さんの背中を追った。


「…………。はぁ」



 偉大なる社長様に車の運転をさせつつ、帰宅途中で尋ねてみる。


「そう言えば社長、先ほどの話はどういう事ですか? 途中からついて行けなかったんですけど、情報が一般人にまで流出したというのはどういう事です?」

「ああ。君の弟さんが仕込んだウイルスは二種類だったんだ。一つは昨日の即発現するウイルスと、もう一つは今日の遅効性のウイルスと。いわゆる後者は時限爆弾だな」

「え?」


 そんなの、弟から聞いてないよ? 一体どういう……。


「君は弟さんにはマスコミに限定して情報流出するウイルスを仕込むように頼んだだろ。しかし、それでは押さえ込まれる可能性が高かったからな」

「高かったからなって、まるで社長が指示したみたいな言い方ですね」

「ああ。俺が追加してもらうよう頼んだ」

「はっ!? な、何でその時に知って……」


 弟にアクセス制御してもらうのを忘れていたから急遽黒田君に頼む羽目になったけれど、ウイスルを仕込んだ事を私が家に戻った夜まで社長は知らなかったはずだ。


「君の弟さんから俺に相談の電話があった。姉がこんな事をしようと企んでいる様ですが、どうしますか。どうにも姉はいつも詰めが甘いので、と」

「ひ、陽太が!?」

「こちらは君に有休を取らせている間に処理をしようと思っていたので、弟さんから電話をもらって驚いた」


 陽太めーっ! 姉に黙って社長に連絡ってどういう事よ。口止めしたはずでしょう。しかも詰めが甘いとは何!? ええ、その通りでしたね!


「おかげでこちらは急遽、計画変更だ」


 少し疲れ気味に言う社長。……何だかすみません。


「なお、弟さんからの伝言だ」

「え?」

「社長に伝えていない事は分かったが、伝えてはいけないとは聞いていない、と」


 陽太めーっ! 口ばっかり達者になりおってからにーっ。


「ああ。こうも言っていた。アクセス制御の必要性には気付いていたが、言われなかったから何もしなかった。もし完全に忘れているようだったら、それとなく姉に伝えてほしいと」


 陽太ぁぁぁっ!


「はっ。と言うことは、もしかして黒田君も……」

「ああ。俺から伝えておいた。さすがに君の方が先に気付いたようだったが」


 黒田くーんっ! だったら詰め寄って来たのは何だったの。


「万が一失敗した時、全てを背負うつもりだったのか?」


 そう尋ねられて黙り込む私に社長は本当に馬鹿な事をと、ため息を吐いた。


「弟さんもそれに気付いたから、わざとしなかったんだろう。そして黒田君も君の口から白状させて、こちらに協力を仰ぐよう仕向けたんだろう」

「うっ……。でも社長だってリスクが高い選択をしたじゃないですか」

「俺は以前、君の入院中に弟さんが随分と優秀なセキュリティプログラマーだと知った。だから俺は彼を信頼して依頼した」

「そう、なんですか」


 いいな。陽太は今まで接点なんて全くなかったのに社長から信頼されているんだ。

 何となく気落ちしていると、社長は少し笑った。


「何よりも……君の弟さんだからな」


 それは私の事を信頼してくれているからと自惚れても良いのかな。

 笑みを少しこぼした私に、社長は一息を吐くと話を続けた。


「それで俺が頼んだ。二種類のウイルスを作ってくれと」

「そんな事、一言も私に言ってくれなかったじゃないですか」

「君に言ったら、鷹見社長の前でうっかり口にされると困ると思ってな。弟さんの言う通り、詰めが甘いようだし?」


 ――だから詰めが甘いって言うんだよ、バカ姉貴。

 

 陽太が片目を伏せて、舌を出している様子が目に浮かんだ。何ですって、この裏切りモノー!

 想像上の陽太に憤る。


「何より情報送信している者を捕まえる人間を配置しないで、君はあの場に一人でどうするつもりだったんだ」

「え? それは。マ、マスコミに流れたら、それで勝ちかなぁと……」


 社長から盛大なため息が漏れた。

 陽太、ごめん。やっぱりお姉ちゃんが間違っていました……。詰めが甘いです。甘々です。極甘スイーツ脳でした。

 あ、でもそうなると。


「社長って、私よりはるかに鬼ですね。悪魔ですね。暗黒の魔王様ですね」

「だから過大評価しすぎだと言っただろう? 品行方正な社長でなくて悪かったな」


 にっと笑う社長に、つられて笑ってしまった。


「それに俺は君を……」

「ん?」

「いや」


 そう言って口を閉ざす社長。

 ……まだ何か隠しているようだ。だけど、とりあえずここは話を変えてみようか。


「と言う事は、社長は最初からマスコミに全く期待していなかったのですか」

「ああ。まあ、俺としても不正の真実を明るみにさせるマスメディアが一社でもあればと思って、一応彼らに一日の猶予を与えていたつもりだったんだがな」

「確かに一社でも出し抜けば大スクープ記事だったでしょうに。今となっては、一般人にも広がってしまったから、むしろ取り扱わざるを得ない状況になってしまいましたね」


 まあ、大衆にばれた以上、彼らも隠し立てする意味もなくなったのだろうけど。だけど彼らの気持ちも分かる。権力に押さえつけられながらも、どこかの社が取り扱うだろうかとお互い顔色を窺いあっていたに違いない。


「でもなぜ二種類のウイルスを用意しようと?」

「一つは先ほど言ったようにマスコミが信用できなかった事。もう一つは囮だ。マスコミ限定の流出だと気付いた事で鷹見社長はそちらに集中して他を疎かにしてしまった」


 まあ、こちらとしてはそれを期待したんだがと社長は続けた。


「瀬野社長にとっては先のウイルスが囮じゃなくて、私が囮だったわけですね」

「うまいことを言うな」


 うまくないわっ! 普通だわ!

 拳を作ってみせる。


「今から社長をぐーでナグります。いいですね」

「待て。後でいくらでも殴られてやるから運転中は止めろ。今すぐ地獄に行きたいのか?」


 ハンドルを手にして苦笑いする社長に、私はふっとため息を吐いて拳を解いた。


「でも今回はたまたま鷹見社長が手落ちしただけですよね」

「ああ、だけど馬鹿正直な君を前に相手も油断してしまったんだろう」


 ……それって、私の立場としていいのだろうか。結果オーライか。


「あ。それと鷹見社長はワンマン社長のようでしたから、社長に進言する人間が存在しなかったのかもしれません」


 きっと鷹見社長の指示が無ければ、社員達は何も動けなかったのだろう。


「なるほどな。それと鷹見社長の会社は君の弟さんを超える優秀なプログラマーがいなかったのも幸運だったな」


 弟の話が出て、笑みに変わる。


「弟は天才ですから。黒田君は別にしてあの子を超える人はそうそういませんよ。それは信じていました」

「そうか? だったら俺に言わないか?」

「うっ」


 そう言う耳の痛いことは流して下さい。


「と、とにかくね。私の端末はウイルスが入っているのに、感染はしていないんですよ。そう設定してくれたんです。凄いでしょう」 

「そうだな」


 今の私は弟自慢でドヤ顔しているだろうに、社長は素直に頷いてくれた。そんな状況がとても心地良い。

 ああ、でもこれでようやく一段落だ。ホッとして肩の力が抜けた。何だか疲れちゃったわ。さらに適度な心地よい揺れに瞼が次第に重くなってくる。


「あ、そう言えば、よくよく考え――」


 ――ると、社長が最後美味しいところ全部持って行っちゃったね。まあ、いいか。格好良かったし。うん、ホント。


「……瀬野社長、格好良かった」

「え? 今」


 我知らず頬が緩む。そんな私を誰かがふと笑った気がした。


「……おやすみ、木津川君」

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