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かしこまりました、社長様  作者: じゅり
― 本編 ―
45/57

45.手を取るべき相手は

 ちっ。


「腰抜け共がっ!」

「……木津川君、心の声が口から出ているぞ」


 呆れたように嗜める社長に、私ははっと手の平で口を隠した。


「すみません……」


 鷹見社長とのディナーから一夜明けて、今朝ありとあらゆる社の新聞を買い漁ったけれど、鷹見社長の会社関連の記事はかけら一つ見当たらなかった。街中での号外も発行されていない。

 そして現在、社長会合の場。開始から既に一時間が経過し、午後二時にまでなったが、テレビのニュースですら流れていないという結果だ。


「あーもー。悔しくて、今日はまだスイーツを三種類しか食べられていません!」

「そうか。会合を満喫しているようで何よりだ」


 学園時代に少しばかり関わったことのある大手マスコミの成田グループも、今回はスクープ記事に手を出さなかった。あまりにも情けないぞっ! 見損なった! まあ瀬野家に抑えられた過去があるから正直、期待してなかったけど。


 しかし、思わず愚痴が口から飛び出しても仕方がないと思う。ちなみに今日の会合には出席予定がなかったようで鷹見社長の姿はない。ただ、もしかしたら今頃対応に追われているのかもしれないと思うとほんの少しだけ胸がすく。


「ペンは剣より強しの看板は嘘偽りだったのか、あるいはもはや過去の栄光となってしまったのか。最近のモンは腑抜けが多すぎるわっ!」

「……君は最近の者じゃないのか。それに過去でもペンよりは権力の方が強かったと思うがな」

「マスメディアの良心を信じた私がバカでした。彼らにとって報道しない自由って事ですよね……」


 私はすっかり肩を落とした。

 こうなると鷹見社長と産業スパイとの繋がりの案件で訴える事にしかならない。それも立証できるかどうか怪しい。ええ、私の敗北決定です。黒田君が言ったようにどうやら私の勝利宣言は負けフラグのセリフだったようです。

 あー、帰りたい。帰りたいです。帰ってふて寝したい。でも、まだ早々に帰るわけにはいかない、もう少し待てと社長が帰らせてくれません……。


「そう悲観することはない」

「社長……」

「おかげで君がまた一つ賢くなっただろう?」


 がくっ。……慰めの言葉じゃないんかいっ。

 社長の言葉に追い打ちされて、さらに肩を落とした。


「社長……傷心の私を労る気、あります?」

「ない」

「あーもー、正直だなー」


 私が呆れていると、会場で小さなざわめきが起こった事に気付いた。そちらに視線を向けて、身体がびくりと反応する。


「どうして……」

「途中参加だったようだな」


 そう、件の人物、鷹見社長のお出ましだ。いつものように自信に満ちあふれている姿で、横にはモデルばりの綺麗な秘書と思われる女性が控えており、社長共々注目を浴びている。鷹見社長は初めて会ったあの日のように何一つ輝きが失われてはいない。そして彼らは相変わらず話題の中心で、周りの人々と言葉を交わしている。


「ま、また違う女の人ですね。本当に女の人をころころ変える人だこと」


 ……しっかりしろ晴子。けれど、あれだけ大見得切ったのに結果がこれだ。せめてと憎まれ口を叩いてみせるものの、情けなくも声が震えている。

 それに気付いた社長が言葉無く、ただ私の肩にぽんと手をやった。肩に温もりを感じる。それだけなのになぜかほっと心が落ち着いた。不思議な気分だ。


 鷹見社長らを観察していると、お付きの女性は早速男性陣に囲まれているようだ。顔見せもあるのだろう、そこに留められたようだ。そして鷹見社長は軽く辺りの人に挨拶を交わすとこちらに気づき、笑みを浮かべてみせる。

 せっかく落ち着いたのに、視線を向けられて再び肌が粟立つ。


 そして鷹見社長は一人真っ直ぐ、こちらへやって来た。


「やあ。こんにちは、瀬野社長」


 笑みを浮かべたまま挨拶をする鷹見社長。瀬野社長は会釈して返すので、一歩後ろに控えた私も社会人として仕方なく形式上会釈する。


「瀬野社長、今回は随分とご迷惑を掛けてしまったようで謝罪申し上げます」


 と言うことは伊藤さんたちが情報を盗んだという事は認めているのかと考えていると、鷹見社長は肩をすくめた。


「伊藤加奈という女性だが、俺の熱心な信望者だったらしくてですね、どうやら勝手に行動したようですね。こちらとしてもはた迷惑な話だが、瀬野社長にも多大なご迷惑を掛けた事は揺るがしようのない事実だ。うちとは関係が無いとは言え、礼儀として詫びを入れないと気が済みませんからね。本当に申し訳ありませんでした」

「なっ!」


 思わずカッときて足を一歩踏み出そうとすると、瀬野社長はそんな私を肩越しで少し振り返るだけで制する。

 ……うっ。わ、分かりました。

 瀬野社長の視線に怯んだ私を確認すると、鷹見社長に視線を戻して言った。


「……そちらの言い分は分かりました。しかし訴訟はさせてもらうつもりです」

「ああ、もちろんそうして下さい。こちらとしても彼女を訴えたいぐらいですよ」


 このー、いけしゃあしゃあとっ! 分かっていたけど、やっぱり伊藤さんを切り捨てたのね。伊藤さんはあなたを信じて身を張ろうとまでしていたのに、あなたはそうやってまた人を切り捨てるのねっ!

 彼女の心中を思うといたたまれなくなる。伊藤さんも、そして森中さんもきっと純粋に鷹見社長に恋していただけなのだろう。彼女たちもまた鷹見社長によって傷つけられた犠牲者だ。

 睨み付ける私に鷹見社長は視線を合わせてくると意味ありげに笑った。


「やあ、木津川さん。未来永劫、ごきげんよう? 今日の君は毛を逆立たせて威嚇している子猫みたいで可愛いね」

「っ!」


 その笑顔と言葉がむかつきます! そう言えば、ごきげんようって『こんにちは』と『さようなら』の意味が含まれていたわね。そうか、私は愚かにも自分から進んでフラグを立てていたのか。


「それにしても瀬野社長」


 鷹見社長は腕を組むと、その言葉を切っ掛けに最初の取り繕った言葉を崩す。


「じゃじゃ馬を手懐けて乗りこなすのは難しいんじゃないのか? 俺なら乗りこなす自信があるぞ。何なら俺が引き取ってやってもいい」

「気遣い結構。手綱はしっかり握っている」


 ……どうでも良いんですけど、お二方、もしかしなくてもそのじゃじゃ馬というのは私の事なんでしょうか。


「それでは君はどうだ? 木津川さん」


 鷹見社長の視線が私に戻った。


「今回の結果に君はどう思った?」

「……この世は理不尽に溢れていると思いました。そして腐敗していると。正義なんてどこにもない」

「違うね。正義はあるよ。力がある者によって作られるんだ。たとえそれが真っ黒でも白だとね。勘違いしている人間が多いが、正義という言葉は弱者のために存在するのではない。強者のために存在するんだよ」

「なっ!」


 ……いや、確かに鷹見社長の言う通りかもしれない。事実、鷹見財閥が圧力をかけた事で、マスコミは報道しない事こそが正義として認めたのだろうから。


「君の強者に対しても躊躇しないやり口を見ていると、黒を白にしてみせる素質があるよ。磨けば光る原石だ。――全ての色を飲み込む黒光りする黒曜石みたいなね」


 彼の暗い笑みで背中に寒気が走る。私が鷹見社長と同じ側の人間だとでも言うの。


「だって君も伊藤加奈を切り捨てただろう?」


 私が彼女を……。

 心臓を掴まれたように胸が苦しくなる。


「俺の言うことが間違っているかい?」


 鷹見社長の言う通りだ。そう、本当は分かっている。彼女を助けたいと口で言いながら、私は彼女を切り捨てた。本気で止めようと思えばきっと止められたはずだ。だけど鷹見社長を直接叩くために彼女を利用するしかなかった。力不足を言い訳に私は彼女を切り捨てたんだ。

 屋上で彼女に会ったあの日、手を伸ばしてみせながら本気で手を掴もうとしなかったのは私の方。他の誰でもなく私がそう、選んだ。


「どうだ? 俺の方針の方が君の力を存分に発揮できると思うが?」


 鷹見社長が一歩私の方にコツンと踏み出してきて、身体が硬直した。その足音がまるで悪魔の道への誘いのようにすら聞こえる。

 これが数々の修羅場をくぐり抜けてきたであろう者の風格なのだろうか。自分とは経験値が違いすぎる。冗談じゃないと言いたいのに、彼の威圧感に言葉が喉にはり付いて出てこない。


「品行方正なやり方で大切な物が守れると本当に思うかい? いいや、手段を選ばない相手に対して後手後手に回るだけだ。俺は君の想像する通り人格者でもないし、手段は選ばない男だ。欲しい物を手に入れるのに何をしでかすか分からないな」

「……っ」


 そこまで言うと鷹見社長はふっと薄く笑みを浮かべた。


「俺の今一番の興味は君だ。そして俺は君を手に入れたいと思っている。君を手に入れるまで、瀬野社長に今回以上にどんな手段を仕掛け続けるか分からないよ? 果たして品行方正な瀬野社長がいつもいつも対処できるかな?」


 血の気が引く。鷹見社長は恐ろしい男だ。彼は私の能力を買っているのではない。彼の矜持を傷つけた私を跪かせたいだけだ。仮に私が彼の元に行ったとしても、きっと私は飼い殺しにされるだけだろう。けれど私が側にいる限り、瀬野社長は狙われ続ける……?


「いいね。その絶望の色に染まった顔」


 唇に蠱惑的な暗い笑みをのせる鷹見社長に、握った拳が震えるのは怒りのためか、恐ろしさのためか。

 それでも。私が瀬野社長の側にいることで迷惑を掛けるなら。私のせいで社長に迷惑を掛けてしまうなら。社長を傷つけてしまうのなら……。


「さあ、俺の手を取れ」


 手の平をこちらに差し出し、だめ押しのように高圧的な低い声で囁かれて肩が跳ね上がった。

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