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かしこまりました、社長様  作者: じゅり
― 本編 ―
44/57

44.そのセリフは負けフラグです?

 再生すると、彼女が現れた所から始まり、ボイスレコーダーでも仕込んでいるんじゃないかとか、携帯を胸元に入れていて胸がいつもより大きいから気付いただの、胸がもう少し大きれば気付かなかったのに、のくだりまで入っていた。


 辺りに違う意味で沈黙が落ちる。……うん。私は何でこれを再生しようと思ったのでしょうか。


「最後……酷いですよね。酷いと思いません? ええ、ええ。これは明らかに言い過ぎだ」

「いや、それは事実だ。諦めろ」

「うん。それは彼女が正しい。真実から目をそらしちゃ駄目だよ、づかちゃん」


 ここに私の味方などいなかった……。私はとりあえず咳払いする。社長も空気を読んでくれたのか、そうだと言って話を切り換えてくれた。


「君にこれを返しておく」


 そして社長はペンをこちらに差し出す。


「これ……私のペン」

「あ、それ。もう盗聴器は取り外しているからね」


 そう言葉を追加してくれるのは黒田君。

 社長がダストボックスからわざわざ取り出してくれたのかと思うと嬉しさがこみ上げた。ペンを受け取って、胸元でぎゅっと握りしめる。


「ありがとうございます」

「いや……俺こそ悪かった。――それで盗聴器の受信機だが、彼女の耳飾りがそうだったらしい」


 あ、あの向日葵の形をしたピアスね。本当にスパイ映画の世界のようだ。


「彼女、敬愛する人から贈られたと言っていました。おそらく鷹見社長でしょう」


 伊藤さんは本当に鷹見社長に心酔しているようだった。彼女の暗い部分を刺激して不安を誘い、そして甘い言葉を囁いて彼女の心を支配していたのだろう。


「……伊藤さんは本当に仕事のできる優秀な人でした」

「そう言えば簡単なプログラムを構成する能力も持っていたね、彼女」


 そうだった。データの消去トラブルも彼女だ。


「ただアクセス制限の解除は向こうの有能なるシステムエンジニアさんとやらがやっていたけどね。ハンデを与えて緩くしておいてあげたけど。でも一時間以上って、かかりすぎだよねー」


 ああ、なるほど。そうだったんだ。そしてさりげなく自慢が入っていますね、黒田君。


「ですが、確かにアクセスしてもらうのが目的ですけど、優秀なプログラマーがうちにいると鷹見社長に言われた時は弟が仕込んだウイルスまで気付かれるんじゃないかと冷や汗をかきました」

「君は鷹見社長と伊藤君との繋がりは分からなかったはずだろう? なぜ罠を仕掛けようと思ったんだ」

「……いいえ。確信しておりました」

「え?」


 私は自分の鞄の奥から取り出すと、テーブルにこつんと小さな音を立ててそれを置いた。


「これは……彼女の耳飾りだな」

「はい。伊藤さんが常時付けていたピアスです。鷹見社長の車の助手席に落ちて……いえ、置いてありました」


 鷹見社長の車の中で、私の太ももをちくりと刺した正体はこれだったのだ。


「ああ。女性って、こうやってマーキングするって言うよね。特に鷹見社長、女性関係は派手だったみたいだし。づかちゃんは誰か他の女性に対する牽制と思わなかった?」


 黒田君はそう言うが、私は首を振った。


「彼女は私に教えたかったのよ。自分が鷹見社長と繋がっていると言う事を」

「なぜそう思ったの? 彼女は鷹見社長のスパイだよ。彼女にとってづかちゃんは敵だよ?」


 伊藤さんの真意は分からないけど、それでも彼女は良心が残っていたんじゃないかと思う。だから私にヒントを与えてくれた。そして会話の端々にも。屋上で彼女と会った時、髪を掻き上げて耳元を見せたのもきっと意図してやった事だ。そして人を信用しなければ傷つかないとも言った。自分の言葉を信じるなと言いたかったのだろう。

 ただし私がこのピアスと彼女の言葉に気付かなければそれまでだとも考えていたのだと思う。


「……ただ、分かったのよ」

「ふうん」


 黒田君は私の表情から何かを感じ取ったのか、それだけ呟いた。


「しゃ、社長。先ほど彼女を、伊藤さんを産業スパイとして訴えるつもりだとおっしゃいましたが」

「ああ」

「で、でも。鷹見社長の事です。どうせ彼女をトカゲの尻尾切りにするに決まっています! 彼女を訴えた所で鷹見社長は何の痛手も被らないでしょう」

「だから?」


 社長は私を真っ直ぐ見据える。


「だから――」


 彼女を訴えないで下さい? ……違う。会社の社長として、不利益を与えようとした彼女を見逃す訳にも行かないし、社長を補佐する秘書がそんな事を言うべきでもない。

 社長からの視線から逃れる為に目を半ば伏せた。


「……いえ。何でもございません」

「づかちゃんってホント、お人好しだねー。彼女に陥れられたのに」


 お人好し? そんな聞こえのいいものじゃない。ただ、私自身が後ろめたいだけ。私にもっと力があれば、伊藤さんを犠牲にしなくても鷹見社長の策略を阻止できたはずだ。……自分の力不足のせいで私はまた後輩を、伊藤さんを助けられなかった。彼女に私を信じてと、そう言ったのに。


 社長は口を閉ざす私にため息を吐いた。


「伊藤君には有利になるように話を持ちかけてみたが、断られた」

「え?」

「彼女自身も尻尾切りされる事は予想しているようだった。だが今の道を選んだ時点でもう後には引けないから、たとえ鷹見社長に切られようが、自分は最後まで貫くつもりだとそう言った」

「そんな……」

「でも彼女、笑っていたよ」


 そう言うのは黒田君。


「え?」

「最初はづかちゃんの事、自分の警告にも気付かず、鷹見社長にのこのこ着いて行った愚かな人だと思っていたんだって。だけど、鷹見社長と対決するために行って、おまけにウイルスを仕掛けていたと気付いて何と大胆な人だったのか。先輩って向こう見ずなところがあったのねって、涙を浮かべながら大笑いしていたよ。ここまでバカ真面目で、バカがつく程お人好しで、後先考えない人だと思わなかったって」

「伊藤さん……」


 結構、酷い言われようです。


「もう少し早くづかちゃんと出会っていれば、また違った人生になったのかなって。もう少し人を信じられたのかなって」

「え……」

「でもこういう結果になって後悔はしていないって、彼女、一点の曇りも無い笑顔で言っていたよ」


 おそらく過去に誰かに傷つけられた彼女だからこそ、最後まで鷹見社長を裏切る行為だけはしなかった。彼女なりの正義だったのかもしれない。


「しかし彼女の言う通りだ。鷹見社長の会社のコンピューターにウイルスを侵入させるとは、下手をするとかなりの犯罪だぞ」

「まあ。社長、ひどいですわ。ウイルスを侵入させたとは人聞きが悪いです。まるで私が意図的にしたみたいに聞こえて心外ですよ」


 私がにっこり睨み笑う。だって私はわざわざウイルスを送り込むような真似はしていないのだから。相手が自ら陣地にせっせと運んだだけ。


「まさか会社内に産業スパイがいて私の端末を盗み、情報を送信するなどと露ほどにも思っておりませんでした。さらに私の端末にウイルスが入っていて、そこから鷹見社長の会社のコンピューターまで荒らす羽目になるとは、どうして想像できましょうか」

「うんうん、そうだな。それに、づかちゃんの端末にウイルスが入っていたからと言って、今回の事は自分で相手に送った訳じゃ無いから、づかちゃんのせいじゃないしな」


 黒田君も頷いて後方支援してくれる。


「そうそう。そもそも私の電子端末がコンピューターウイルスに侵されていたとは、全くの寝耳に水のお話だわ。あらあら大変、いつの間に入ったのかしら。でも良かったわ。スイーツ情報が詰まっているだけの私用の端末の方で。それがまさか盗まれるとはね。悪いことは出来ませんね」

「まったくの棒読みだが……」


 私は頬に手を当てて、ふぅとため息を吐いた。


「本当は顧客情報まで流出させて、多額の賠償金を背負わせて息の根を止めてやろうかと思ったんですけどね。顧客には何の罪もありませんものね。わたくし、鬼にはなりきれませんでした」

「いや、鬼女の目にも涙って言うんだよ、それ」

「うふふ。慈悲深い女神様とおっしゃい?」


 とりあえず黒田君の頬をつねっておいた。


「痛い!」

「……あちらさんの内部機密情報を流出させたんだ、十分鬼だろう」


 社長は横目で黒田君を無表情に見つめながら言った。


「あらまあ、おまけに逆粉飾決算の情報も出てしまっているかもしれませんね? もしそうなら、とても大変な事になりますね。信頼が地に落ちますわ。株価も大暴落してしまうかもしれませんよ。コンピューターウイルスって恐いですね。明日は我が身かもしれません。恐ろしいお話です」

「失敬な。我が社において脱税は一切していない。それより君は会社一つ潰す気か?」


 瀬野社長は頭が痛そうにこめかみに手をやると目を細めた。


「まさか。瀬野財閥と肩を並べる鷹見財閥ですよ。潰れるわけがない、いえ彼らが面子にかけても潰すわけがないでしょう」

「そこまで考えていたのか?」

「いいえ。けれど女をコケにする者は女に泣くのです。少しは良い薬になったのではないでしょうか。社長、ご存知でした? 歴史上の多くの英雄は功績を残している一方、女性に足をすくわれて身を滅ぼしている者も多くいるんですって。いやー、怖いですねー、女って」


 いつの時代も女とは恐ろしいものだ。私は腕を組んで、うんうんと頷いた。


「おめでとう。づかちゃんも女性だと証明されたようだ」

「何ですって? よく聞こえなかったわ。黒田君、何かおっしゃって?」


 拳を作ってにっこり笑う私に、黒田君はいやいや何でも無いですと引きつり笑いした。そして弱っていたあの時は可愛気があったのになぁと彼はぶつぶつと呟いた。


「それにしても持つべき者は優秀な弟ですね」


 有能なセキュリティプログラマーで良かった。ちょっと私の端末にウイルスを仕込んでと頼んだら、いつも冷静なあの子が目を丸くしていたけど。相手はプロになるだろうと事情を話したら、巷で流行っているウイルスを少し改変してうまくやってやると、むしろ楽しそうに言われたっけ。さすが私の弟だね、あの子……。


「ところで、何で初めから天才プログラマーの俺に言わなかったの? 昨日、フェイクのためにアクセス制御かけてって言われた時はびっくりしたよ」

「悪いけど、うちの弟も天才なんだからね」

「づかちゃん、本当にブラコンだね……」

「そう言えば、弟さんもシスコンだな」


 最後にそう言ったのは社長。


「え?」

「以前、支社の問題で、このまま何も対処しないなら僕があいつを制裁しますと言われたよ」

「……陽太がそんな事を言ったのですか? あの子ったら、普段私の前だとそっけないのに」


 それは初耳だ。けれど嬉しさに思わず口元が緩んでしまう。


「メロメロだね……づかちゃん」

「あはは。それはともかくね、同じ会社の人間が私用の端末とは言え、ウイルスを仕込むって、あなたはもしや産業スパイなの? って事になるでしょ。それに弟曰く、プログラムにもクセが出るって聞いたわ」


 ……本当の理由は万が一、罪として立証されたとしても私一人だけの犠牲で済むと思っていたから。ぎりぎりまで誰にも言うつもりじゃなかった。


「ああ、プログラミングスタイルの事?」

「ん? ああ、そう言うの? よくは知らないけれど、あなたはその世界では有名な人らしいから調べられた時のリスクは極力下げておかないとね。アクセス制御の事は正直に言うと、帰って来た後で気付いたから黒田君に頼んだの」


 あーあ。しくじったなぁ。黒田君が理由を言わないと絶対にしてあげないと詰め寄ったから、バラしちゃったんだよね。せっかく弟に口止めしたのに、こんな事を知られたら、詰めが甘いと呆れられそうだ。


「ふーん、なるほどね。づかちゃんが褒め称える弟さんと一度お手合わせ願いたいね」

「弟に伝えておくわ」

「……ともかくだ」


 社長が私たちの話の流れを切るようにそう言った。


「弟さんにも謝礼をしたいのだが」

「ですから社長。謝礼なんてしたら、まるでこれが仕組んだ事みたいじゃないですか。犯罪と間違われてしまいますよ? あくまでわたくしは盗難の被害者ですのよ? おほほほ」

「恐いな、君は。敵に回したくない」

「そう思うなら……」


 私はこくんと喉を鳴らした。まるで無理矢理言葉を引き出すようで、少し後ろめたいけれど。


「そう思うなら、私を守って下さい」

「え?」


 私は長袖のボレロを上げて瀬野社長に左腕を見せた。痛いと思ったら、鷹見社長に握られた跡がくっきり残っている。あやつ、私のようないたいけな女性の身体に傷を付けるとは全くもって許しがたいっ!


「っ! これは……」


 社長はこちらまでやって来ると、跪いて私の腕を確認する。黒田君も横から覗き込む。


「うわ、ひどっ! 執着心強そうな男だね。こわーっ」

「鷹見社長に目を付けられちゃいましたよ。確かに黒田君の言う通りですね。ただの小市民が大財閥の御曹司に目を付けられたって、よくよく考えれば何と恐ろしいことをしてしまったのかと今更ながら怖いです」


 あの時は大口叩いたけど、仕返しされたらどうしよう。それに私だけじゃなく、親や親戚関係やら友人やら潰しにかかられたりしたらと思うと寒気がするわ。


「……分かった。君と君の周りの人間を生涯守り抜くと誓おう」


 社長がこちらを真っ直ぐ見据えてそう言った。

 い、今確かに、ま、守るって言って……くれた? よね。

 感動していると、社長は私の腕を取って、手の跡が付いている手首に口付けた。


「…………」


 社長の行動に目を丸くし、一瞬固まってしまった。


「う、うひゃぁああ!?」

「うわーっ。この状況でこんな色気のない驚き方、フツーする? ……あ、づかちゃんは普通じゃないか」


 何か黒田君にディスられてる。しかしそれが気になる前に社長の言葉の意味がようやく駆け巡った。


「えっ!? しょ、しょしょ生涯って!」


 何て長い期間を想定しているの!? そ、そこまで求めてないよっ!? 確かに社長なら私程度の庶民の一族くらい一生涯、守り抜くくらいの力があるからさらっと言えるんだろうけど。

 私は慌てて両手を振った。


「お、大袈裟ですよっ!」

「しかし鷹見社長の狙いがいつまで続くか分からないぞ?」

「うっ!?」


 た、確かにそうだ。あの人、意外としつこそうだったね。ただの庶民である木津川晴子一人では撃退できないだろう。……も、もういいや。このまま社長の厚意に目一杯甘えてやる。


「ほ、本当ですねっ!? じゃ、じゃあ、この後、い、一筆書いて下さいよ!」

「ああ。だが、君も覚悟しておけよ」


 口角を上げて笑う社長に私は頷いた。鷹見社長がまた私の目の前に現れても、怯まないで返り討ちしてやろうと決意する。瀬野社長がいるなら私は大丈夫だ。


「あらら、づかちゃん。自覚しているのかな。別の大財閥の御曹司にも目を付けられちゃっているんだけど。いや、もう鷹見社長よりとっくの前から目を付けられていたか」


 何かぼそぼそ言っている黒田君に振り返る。


「え? 何か言った? 黒田君」

「別に。づかちゃん、社長のラブコールに精々頑張れーって言っただけだよ」

「うん、ありがとう。頑張る。鷹見社長には絶対負けないわっ!」

「づかちゃんってさ、ホント、いい性格しているよね……」

「え? ありがとう!」

「いや、コレ、全然褒めているわけじゃないからね」

「何でよー?」


 巷では褒めて落とすのが流行っているの? 門内さんにもそんな事をされた気がする。


「いや、いいよ。気にしないで」


 社長をちらりと見ると、社長もなぜか苦笑している。

 二人して分かっているって、どういう事よ、もう。でもまあ今、それは横に置いておいて……。


「問題は明日ですよね。マスコミにも色々鷹見社長の悪行が送信されているはずなんですけど、どこまで取り合ってくれるかという」

「まあ、難しいだろうな。俺なら完全に潰す」

「そ、そんなの分からないですよ」


 社長にあっさり言われると、真実味があって怯んでしまう。


「いざとなったらさ、俺がマスコミのパソコンに侵入して――」

「黒田君、待って。それは犯罪よ」


 私は手で制して黒田君の言葉にストップを掛ける。


「……づかちゃんがそれ言っちゃう?」

「とりあえず明日まで待ってみましょう」


 社長は腕時計に目を落とした。


「今の時間は……九時半か。朝刊だったら間に合う時間ではあるな。それと木津川君、明日だが」

「明日は社長会合ですよね? 行って、鷹見社長に陥れられた会社の人たちと一緒に話のネタにしてやりましょう。――ええ。マスコミにも良心があると私は信じます! 勝つのは私よ。明日という日を首を洗って待っているがいいわ、鷹見社長!」

「うわぁ。づかちゃん、負けフラグのセリフ言っちゃったよ……」


 伊藤さんの為にも絶対に負けられない。

 ぐっと拳を握りしめて勝利宣言する私に対して、社長と黒田君は顔を見合わせてため息を吐いた。

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