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かしこまりました、社長様  作者: じゅり
― 本編 ―
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04.スイーツ争奪戦

「おーほっほっほーっ! 悪いわね、木津川晴子! 今日のスイーツは私の物よ!」

「……くっ。む、無念……」


 社員食堂限定スイーツ、本日はチョココロネをゲットした佐倉絵美さんは高らかに笑い、私は息を切らしつつ、肩をがっくりと落とした。


「まあまあ、木津川ちゃん、また懲りずに買いに来てねぇ」

「はぁい……」


 食堂のパティシエ、御年六十五歳の久留間絹子さんが目尻にしわを作りながら笑った。いわゆる食堂のおばちゃんと呼ばれる彼女だが、侮るなかれ、彼女が作るスイーツは絶品なのだ。一つ一つ丁寧に作られて、その分限定数しか販売できず、あくまでも久留間さんの余裕がある時しか出来ないらしいので不定期販売となっている。


 だからお昼になると一度は社員食堂へと全力ダッシュするのだけれど、何分、秘書室から社員食堂まで遠いし、やはり業務が入ると行けない日も多い。一方、彼女の部署も遠いらしくて、いつも最後の一個を取り合う形となっている。


「だけど、アンタらの戦い、この食堂ではすっかり名物になったねぇ」


 社員食堂に集まる社員さんは私たちの争奪戦をすっかり面白がって、限定スイーツを何があってもいつも一つだけは残してくれているらしい。


「ホント、いつも二人がお騒がせしてスミマセン……」


 佐倉さんのお友達の三木さんが苦笑した。


「ちょっと騒がせているって酷いわね! これは私たちの終わりなき清き戦いなのよ」

「そうよ。これは二人の聖戦なのだから」

「これからも手加減しないわよ、木津川さん」

「望むところよ、佐倉さん!」


 私と佐倉さんは目を合わせて頷くと、お互いがっつり拳を合わせた。


「はいはい。お二方、周りの方々にご迷惑ですよー、お早めにお引き取り願いまーす」


 三木さんはいつものように私たちを窘めて、場を収めるのだった。



「はぁ……」

「木津川君」

「……はい」

「なぜそんなに肩を落としているんだ」


 気落ちした私に気付いた社長が鬱陶しがったのか、動かしているペンを止めて仕方なく尋ねてきた。


「っ! 聞いて頂けますか、社長」


 社長のデスクに手を置いて前のめりになる私に若干引く社長だが、一応頷いてくれた。


「実はですね、今日お昼の事です。この社員食堂はね、通常のスイーツとは別に、不定期に限定スイーツが販売されるのですよ」

「……ああ」


 社長はそう答えると書類に目を落として、再びペンを動かし始めた。


「ここの社員食堂のスイーツは全部美味しいんですけどね、中でもその不定期に出るスイーツは久留間パティシエこだわりの一品として数量限定で提供されるのです。そのスイーツ争奪戦で、最近よく火花を散らしているライバル女性社員さん、佐倉恵美さんという方がいるんですけど、その方に今日は競り負けしたんです……。スイーツ食べ専マイスターの私が競り負けただなんて、悔しくて、悲しくて、情けなくて夜しか眠れません! ああ、前回は私が勝ったんですけどね」


 少し胸を張ってそう言うと、社長は書類をこちらに寄越した。


「そうか。ゆっくり休めているようで何よりだ。ではこの書類のコピーを二十部頼んだ」

「……社長、今、適当に聞き流しましたね?」


 それでも承知しましたとすぐに書類を受け取ってしまう辺り、職業病かもしれない。


「流すだろう、普通」


 冷たいなーっ。まあ、でもそれもそうね。尋ねられたからって、社長様相手にこんな愚痴っぽい話を聞いてもらうこと自体、大それたことだったかもしれない。


「そうですよね……。私にとっては悲しみのどん底に落ちる出来事でも、他の方にはほんのちっぽけな悩みですよね……」


 そう言うと社長は一つため息を吐いた。


「不定期とは言え、社員食堂の従業員はさすがに把握しているだろう。聞く事はできると思うが」

「ちっちっち」


 私は指を振った。


「何をおっしゃるのですか、社長。そもそも不定期販売の限定スイーツだからこそ価値が上がるものなのです。そもそも社長権限で販売日を特定するというのは邪な道を歩けとおっしゃっているのと同義なのですよ。そんな裏街道をわたしくに歩ませるおつもりですか?」

「……裏街道?」


 社長は眉根を寄せる。


「そうですよ! そんな事をしたらライバルである佐倉さんに顔向けできません。わたくしはお天道様に恥じない真っ当な道を歩きます。では失礼致します」


 呆れ顔の社長を放置して、私は顔を引き締めて会釈すると踵を返す。

 ヨシ、決まった! 社長の権力に負けなかった私、超格好いい!


「木津川君」

「はい?」


 顔だけで振り返る。

 社長のお言葉の何ものをも、今の格好いい私の心を揺るがすことはないぞよ?


「明日、付き合うならデザートぐらいいくらでも食べさせてや――」

「付き合います。どこまででも社長様にお供致します」


 私はひとっ飛びで舞い戻った。


「言ったな」


 社長は笑った。その美しい笑みにざわりと背筋が寒くなるのはなぜなのか。


「では、地獄にまでも付き合ってもらうぞ」



 翌日。


「社長……聞いていないです」

「言ってないから当然だ」


 茫然と呟く私にすげない答えを返す社長。


「……酷い。詐欺じゃないですか」

「心外だな。デザートを食べさせてやると言ったのは嘘じゃない。用意させてあるから好きなだけ食べると良い」

「でもでもだからって。瀬野家の食事会でそれを叶えて欲しいなどと一言も言っていませんよぉ……」


 瀬野家のご立派な玄関を前に半泣きになりかけながら、社長にそう言った。


 今朝、社長宅に訪れるや否や車に押し込まれて、社長の運転によってどこかに向かったかと思うと、到着した先は社長のご実家、瀬野家だ。


「帰りたいぃぃ」

「ここまで来たんだ。諦めろ」


 人ごとのように社長はそう言った。


「で、ですが、ほら。こ、この格好、私の格好。一応私にとっては外出用の服ですが、瀬野家にとっては平服以下ですよ。部屋着レベルですよ。失礼極まりないですよ。部下にこんな格好で来させる社長の株、落ちまくりですよ。今日の社長の株価、ストップ安ですよ。そ、それどころかナイアガラの滝ですよ」

「問題ない。母と優華が嬉々として用意しておくと言っていた」


 いやあぁぁ。着替えなくちゃいけないくらいの食事会に参加するのはいやあぁぁ。しかも立食パーティーならまだしも、身内ばかりが集まる着座式の会食とか恐ろしすぎるーっ。


「さあ、行くぞ」


 私の肩をがっちり抱え込む社長の腕によって逃亡は許されない。でも最後の抵抗を試みる。


「ま、待って、待って下さい、お願い社長、待って」


 情けなくも完全に腰が引けている私に社長は動きを止めてくれた。意外に優しい。


「こ、心の準備に三年ほどお時間を下さい」

「無理だ」


 やっぱり冷たい。


「じゃ、じゃあ、せめて後一時間、む、無理なら五分でも」

「木津川君」


 社長は私に向き直ると、私の両肩に手を置いた。


「心配するな。君に何かあったらフォローする」

「社長……」


 真剣な社長の表情にどきりとする。が。


「君が下手を打つと俺までとばっちりを食うからな」


 ええ、そういう人ですよ、アナタって人は……。


「では行くぞ」


 そう社長が言うか否か、扉が開かれたかと思うと、弾丸が飛び出してきたかのような勢いで誰かが私に抱きついてきた。


「わっ!?」

「晴子様、お帰りなさいませっ!」


 可愛い声と柔らかな体格に優華さんだと気付く。


「こ、こんにちは、優華さん」

「連絡を受けて、玄関に駆けつけて来ましたのよ」

「あ、ありがとう」


 勢いよすぎてちょっとよろけましたよ、私。それに優華さん、今、言い間違いましたよ。お帰りなさいませじゃなくて、いらっしゃいませですよね。……あ、社長であるお兄様に言う挨拶と間違ったのか。しかしいつまで抱いていればよろしいでしょうか。


「こら、優華。晴子さん、困っているでしょ」


 そう言って優華さんを窘めるのは彼女の婚約者、二宮悠貴さんだ。彼も参加するのか。少しほっとする。まあ、彼も優華さんと婚約披露パーティーを開いたので、もうほぼ身内になるんでしょうけどね。


「こんにちは、悠貴さん」

「こんにちは、晴子さん。お元気……でもなさそうだね」


 悠貴さんはそう言うと苦笑し、こちらも引きつりの笑みを返す。


「うふふ……。悠貴さんはお元気そうで何よりね」

「うん、ありがとう」


 次に現れたのは社長と優華さんのご両親だ。社長のお出迎えに家族総出とは素晴らしい家族愛だと思う。社長はきっと、たまにしか家に戻らないんだろうな。


「やあ、木津川さん」

「こ、こんにちは」


 社長のお父様が挨拶して下さって、頭を下げる。


「優華の婚約披露パーティー以来ですね。私も久々の帰宅でね。真ん中の息子は今、海外旅行中で留守していてご挨拶できなくて申し訳ないですが」

「い、いえ、そんな、こちらこそ。ほ、本日はご家族の会食とは露知らず、お邪魔致しまして申し訳ございません」

「何をおっしゃるの。晴子さんがいらっしゃると貴之から聞いて、私も楽しみにしておりましたのよ」


 そうおっしゃって下さるのはお母様。


「あ、あり、がとうございます」

「さあさあ、木津川さん。立ち話もなんですから、上がって下さい。今日はゆっくりして行って下さいね」


 優しい笑顔でお父様に促される。


「は、はい。ありがとうございます」

「晴子様、こちらですわ。いらして」


 そして優華さんに腕を引っ張られて足を進めていると、ようやく気付いたかのように、背後で社長のお母様が社長に向かって話す声が聞こえた。


「あら、貴之も来ていたの。いいわ。あなたもお上がりなさい」

「え? あら、本当。お兄様も帰って来ていらしたのね」

「…………」


 え。えーっ……。

 苦笑いしてしまう私だった。

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