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かしこまりました、社長様  作者: じゅり
― 本編 ―
28/57

28.目覚めたら記憶喪失でした……

 な、何事っ!? 身体が浮いて足がブラブラおぼつかない……。えーっとえーっと。な、何? お、落ち着け私。こ、この体勢はもしや俗に言う、お、お姫様抱っこなのでは……?


 茫然としながらもどこか冷静な部分で考えていると、すぐ近くから社長の低い声が耳に入り、びくりとした。


「歩くにはバランスが取れない。腕を回せ」

「え、あ。は、はい」


 思わず声の指示に従い、その方向へと仰ぎ見ると間近にある社長の端整な顔。


 どくんっ!

 心臓が大きく跳ね上がる。


 何だこの威力。心臓を破壊する……。細胞のいくつかは壊死したのではないだろうか。こ、このサイレントキラーめっ! 私の愛しい細胞たちを返せ!

 そう睨み付けたいが、やはり直視に耐えきれず、顔を伏せてしまう。

 

 社長はそんな私に特に何も言わず、歩き出した。


 え。いやいや、待って。この状態で運ばれるの? 米俵で出荷されるのも恥ずかしいけど、このお姫様抱っこはさらに恥ずかしすぎないですかっ!? と言うか、こんな所を人に見られたらどうするのか。


「しゃ、社長。お待ち下さいっ!」

「何だ」


 言葉は返してくれるが、足は止めない。回した腕を外して社長から距離を取る。


「あの。お、下ろして下さい」

「下手に動くと落とすぞ」

「しゃ、社長、お願いですからっ。こんなの社内の人に見られたら――」


 何を噂されるか。考えただけで肝が冷える。……そうだ。見られたら何を言われるか。

 怯えて顔が青ざめていたのだろうか、社長は私の固い表情を見ると一つため息を吐いて頷いた。


「……そうだな。分かった」


 そして社長は素直に私を下ろしてくれた。

 ほっと息を吐く。良かった……。


 社長は強引な所もあるけれど、本当に相手が困るような事はしない。ちゃんとこちらの考えを尊重して適度な距離を取ってくれる。それが安心できる。……だから急に消えた温もりに寂しさを感じただなんて思っていない。


「では、ゆっくり歩こう」

「ありがとうございます」


 社長は横暴だって思うこともあるけど、こういう時って何でこんなに優しいんだろう。――優しい? そっか、社長って優しかったんだ。基本的に女性には甘い人なのかも知れない。いいのかな、こんな私が秘書でいいのかな……。


 社長がどこかに電話しているのを横目で眺めながらそんな事を考える。心が弱っている時に優しくされると余計に後ろ向きな気持ちになるのは、きっと自分を肯定されたいからなのだろう。


 すると電話を終えた社長がこちらを見た。


「何を考えている?」

「え?」

「またどうせろくでもない事だろう」

「ろくでもない事では、な、ないです……多分」


 苦笑いする私を一瞥し、いつの間にか着いていたエレベーターホールの操作ボタンを押した。この階で止まっていたらしくすぐに開放され、促されて中に入る。


 社長は地下のボタンを押したので、駐車場の階に向かうのだろう。……はぁ、いいのかな。社長にタクシー代わりみたいな事をさせちゃって。我ながら何とも図々しい秘書だ。


 ちらりと社長の顔を覗うと、何だとでも言いたげに見下ろしてくる。


「あ、えーと。こんな時間に診療してくれる病院ありますかね」

「ああ。連絡しておいた」


 あ、さっきの電話かな。さすがに手回しがいいですね。


「ありがとうございます。あ、あの場所さえ言って頂ければ一人で――」


 チンと鳴って、エレベーターが地下駐車場へと到着する。

 早いな! 異常に早くない!? 私がのんきに考え込んでいたのだろうか。


「あの。それ、――うきゃあっ!?」


 エレベーターから出た途端にまた抱き上げられた。


「しゃ、社長っ!」

「ここなら人に見られる事もないだろう」


 そ、そういう問題じゃないしっ。


「無理すると悪化するだけだ。明日からの仕事に支障をきたされては困る。それに……君に何かあったら親御さんに顔向けできない」


 ……うっ。そう言われたら何も言えない。社長は実際、入院中に私の両親に会っているわけだもんね。以前、社長は事故に対して負い目はないと言っていたけれど、それでも私の両親に対しては何か思う所があるのだろう。


「で、では。お言葉に甘えて……」

「ああ」


 大人しくなった私に社長は小さく笑って車まで運んでくれ、そして助手席に押し込まれた。発車して、ふと疑問に思う。


「そう言えば社長はご自分で運転されるのですね」


 社長付きの運転手とかいないんだ。あ、でも。お家では運転手さんがいたかな。


「ああ。その方が気楽だからな。君は車の運転をするのか?」

「車の免許ですか? ええ。取っています」

「運転は?」

「ええ、お任せ下さい。ドライバー歴八年です」

「……それは運転歴か?」

「ええ、お任せ下さい。ペーパードライバー歴八年です」

「そうか。君は運転するな」


 冷たいな! まあ、私も自分の運転に自信は一切無いですけど。


「一応、大学生の時に皆が取っているから私も取ってみたんですけど、実際は交通機関が発達しているものですから車はあまり必要ない事に気付いたんですよね」

「まあ、それもそうだな」

「でも車の免許を取って良かったと思っています。役所で書類を取り寄せるのに免許証を使っておりますし、銀行口座を開くのにも必要ですからね」

「……分かっていると思うが、それはもう車とは何の関係もないからな」

「ですねー」


 そう言って笑うと、社長もふと笑う。


「ようやく笑ったな」

「え」

「最近めっきり君の笑顔を見なくなったからな」

「そんな事……」


 社長から視線を外して、俯いてしまう。


「何があった?」

「最近、自分でも自分が信じられなくなっていて……」


 何か事が悪い方、悪い方へと向かっている気がしてならない。


「体調でも悪いのか」

「……いえ」

「だが、報告を受けている中で特に大きな失敗はしていないと思うが」

「それは伊藤さんが補助してくれているおかげでして」

「……ああ、研修中の伊藤君か」

「はい。とても優秀な方で」

「なるほど。後輩があまりにも優秀なので落ち込んでいる訳か」

「違っ! ……わないですけど、でも」


 そうではなくて。彼女と一緒にいるとなぜかミスを頻発してしまう。私の油断か。

 つい、ため息を吐いてしまう。


「木津川君……」


 社長は一瞬口を噤み、そして再び開いた。


「ビザの件だが」

「ビザ? ああ、貴弘様のビザですね? 今週末に出発されるんでしたよね」

「……今、何と?」


 目を見張る社長に首を傾げながらもう一度言う。


「え? 貴弘様、今週末に出発され――」


 私がそう繰り返すと、社長は急に車線変更し、路肩に車を停めて自分のシートベルトを外した。


「社長? 一体どうし――」


 肩に手を置かれ、顎を持ち上げられる。真剣な瞳でこちらを覗き込んでくる社長に息を呑む。


「今日は何月何日か言ってみろ」

「え、何言って……」

「いいから」

「え、えっと。七月の二十、え、えーっと二十二、二十五? あ、あれ? ど忘れしちゃいました。いつでしたっけ」

「……では、明日の予定は」

「あ、それならお任せ下さい。明日は十時から十一時半まで営業会議で、十二時には白州工業の取締役松原様と会食で、二時から三沢様がごほ――」

「分かった。もういい」


 社長は私の言葉を遮った。そして私から離れると車の座席に身を任せた。


「社長?」

「それは先週の事だ」

「……え? ――ええっ!? い、一体」


 はっ。ま、まさか……。まさかですよ。あれですか、あれ。そうそう。せーのっ。


「記憶……喪失?」

「先週の事は覚えているようだし、ごく最近の部分的な記憶障害と言ったところだろう」


 まさかまさかまさか。も一つまさかっ! 人生で二度も記憶喪失ってアリですか!? 誰かと入れ替わりしていないだけマシ? もしやここ、喜ぶべき所なの? いや、喜んでどうする。

 密かにパニックを起こしていると、社長はこちらに視線を向けた。


「君は階段から落ちたと聞いたが、それについては?」

「い、医務室の先生からそう伺いましたので知っています」

「落ちる前については? 落ちた場所は屋上に続く階段だったらしいが、なぜ屋上へ?」


 なぜ屋上に? お昼でも屋上に行く事はこれまでほとんどなかった。屋上へ続く階段を想像してみる。

 なぜか私は屋上へ向かい、そこで誰かと出会い、そして――。


「あ」

「どうした?」

「もしかしたら、誰かと言い争いしていたかも……しれません」


 階段での一シーンが不意に思い起こされた。


「君が?」


 社長は眉を上げる。


「……多分」


 言い争いと言えば、相手が当然いるわけだけどその相手が誰だか分からない。もしかしたらそれはもっと前の記憶、優華さんだった頃の記憶が混ざっている可能性もあるかもしれない。


「もしかしたら違うかもしれません。やっぱり……分かりません」

「誰か目撃者とか。ああ、そう言えば、君を医務室まで運んだ人物は誰か聞いたか?」

「はい。でも相手は名乗らないまま立ち去ったそうです」

「……そうか」

「社長?」

「いや、とにかく病院へ向かおう。見た目に外傷はなくても確実に影響は出ている」


 そして社長はシートベルトを装着すると発車させた。

 私は鞄から手帳を取り出して、中をぱらぱらと開いてみる。


「何か書いているか?」

「あ、いえ。明日の予定を確認しておこうと思いまして。それで今日は何日ですか?」


 一週間も記憶がずれているのだから、情報の更新を行わなきゃいけないわよね。

 私がそう言うと、社長はため息を吐いた。


「明日の予定より今の自分の身を案じろ」


 いや、だってねぇ。明日の予定を知らないでいる方が何だか不安で恐いし。


「いいのか。順調に社畜として育って行っているぞ」

「うっ!?」


 確かに言える。そうか、これが洗脳か。恐るべし、ブラック社長め。


「口から心の声が出ている。それに俺のせいにするな。あと、そろそろ着くぞ」

「あ……」


 私はいつの間にか随分と流れていた景色を見やった。

 この場所は……そうだ。昨年私が優華さんになって初めて目覚めた場所、瀬野グループが設立したという病院だ。


 なるほど、ここに来たかーっ。

 妙な感動を抱いている内に社長は車を停めて運転席から降りる。私も慌てて追おうとしてシートベルトを外した所で、助手席を開けられた。


「あ。す、すみません。今降ります」


 鞄を手にして足を車の外に出した所でまた抱き上げられる。うきゃーっ。


「しゃ、社長社長、私、歩けます、歩けます、歩けます」


 旧式のロボットのようになぜか片言になってしまう。


「いいから黙って抱かれておけ。騒いで余計に目立ちたいのか?」

「うううっ……」


 それでなくても注目されている。若いっていいわねぇと患者さん方が囁き合っているのが耳に入っていますよ。恥ずかしすぎますっ。誰か私の顔にハンカチでも掛けて下さい。


「そんなに恥ずかしいなら顔を伏せておけば良い」


 ああ、そっか。なるほど。

 社長の肩口に顔を寄せて伏せていると、今度は社長の香りが間近に感じられて、どきりと胸が高鳴る。

 やばい、離れても近付いても心臓がやばい。って言うか、あれ? この格好、何だか社長に抱きついているみたいでおかしくないだろうか。


 その内、ばたばたと誰かの足音が聞こえてきた。

 誰ですか、病院内で走る人は。


「た、貴之様、お待たせ致しまして申し訳ございません」


 ん、この声は。


「いえ、こちらこそ突然お願いして申し訳ございません」

「何をおっしゃいますか。貴之様のご依頼ならいつでも。……そちらの方で?」


 私に視線をやったのだろうか。彼はそう言った。


「ええ。よろしくお願い致します」

「この上野はこの病院一とも言える腕の良い優秀なドクターでしてね。安心してお任せ下さい。もちろん、看護師も精鋭をそろえさせて頂きますので」


 んん? かつて聞いたことのあるセリフ。


 ようやく視線をやると、その方々は私が優華さんだった頃にお世話になった主治医と病院長だった。


 オゥ。またしてもデジャヴーっ。

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