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かしこまりました、社長様  作者: じゅり
― 本編 ―
23/57

23.ビターチョコレート

 瀬野社長と電話を終えて、三十分ほど経った頃だった。私用の電話が鳴った事に気付いて手に取った。


 電話の表示は鷹見財閥の鷹見一樹社長だ。そう言えば以前会った時に連絡先だけは一応交換しておいたんだっけ。あの時はパフェを前にスイーツハイになっていたからなぁ。我ながら馬鹿な事をしたなと思いつつ、電話が鳴り続けるのでとりあえず取ってみる。


「こんにちは、木津川さん」

「……ええ、こんにちは、鷹見社長」

「突然で悪いんだけど、今日は予定入っている?」

「え? いえ、特に無いで――」


 はっ。何、素直に答えようとしているんだ。今、外出先だと言ってしまおう。


「そう。じゃあ、今からお茶でもしないかな?」

「え、あ、いえ、あのっ、私、実は今――」

「あ、今、もう家の前まで来ているんだ。窓を開けてみて」

「――は、はいぃっ!?」


 私は窓に駆け寄って開けると階下を見やった。するとドでかい車に身を任せて、鷹見社長がこちらを見上げて手を振っている。うちは二階だから余計に鷹見社長の姿が近い。


「え、ちょっ? 私、家まで教えませんでしたよね。何で家まで知っているんですか」


 携帯片手に鷹見社長を睨み付けてみせた。


「鷹見家の力をもってすればこれくらいすぐに調べられるよ」

「やだ何それ。普通に怖い」


 思わず口をついて出た。


「うん、そうだよ。鷹見財閥の人間は恐ろしいよ。と言うわけで、出ておいで」

「ここまで来て頂いて申し訳ないのですが、いえ正直な所、別に申し訳ないとは全く思ってはいないのですが、私行きません」

「素直だなー」


 鷹見社長は怒ると言うよりも面白がった口調でそう言う。事実、彼は笑っている。


「どうして? 俺と出かけるのは嫌? でもこの間会った時、約束したよね?」


 思い出してみるが、約束まではしていなかったと思う。……多分。


「どうしてって」


 どうしてだろう。本能が行くなと言っているのかもしれない。とは言え、本人を前にそんな事は言えないから。


「えーっと、そうですね。わたくしは二十四時間三百六十五日、あ、閏年の時は三百六十六日ですね、瀬野社長の秘書ですから、休みでもそうそう出掛けられません」


 まあ、今日はお休みを頂いているから出られるのだけど。

 そう思いながらつい階下に視線をやって、電話を耳に当てたまま直接話しかける形を取ってしまう。


「へぇ。君は瀬野社長に飼われているわけだ」


 買われている? 違うな、飼われているって言いたいのね。失礼な! どんな言い方よ。


「おや、気を悪くしたかな」

「飼われていると言われて喜ぶ人間もいないと思いますが」

「でも君は彼に呼び出されたらいつでも動けるようにしているんだよね。つまり自分の時間はないって事だよね。あながち間違ってないと思わないかい?」


 むむむっ。そんな事ありませんと否定できないところが辛い。


「君って嘘を吐けないんだね。感情が顔に出ているよ」

「ええ、ええ。素直だけが取り柄ですので」


 電話でそんな会話をしていると、何事だとぞくぞくと人が集まってきた。確かに素人目から見てもあんな高級車がどーんと置かれていて、それに勝るとも劣らないイケメンが立っていたら、そりゃあ注目も浴びるだろう。


「鷹見社長。とりあえず人が集まって参りましたし、今日の所はお引き取り下さい」

「いいよ。君が下りてきたらね」

「下りませんよ。お引き取り下さい。ほらほら、ご近所の方にご迷惑ですよ」

「うん、そのようだ。だから早く下りておいで」

「下りませんったら!」

「ああ、迎えに行って欲しいの?」

「もちろんそうじゃありませんよ」


 わざとなんだろうけど空気の読めない切り返しをしてきて、むっとする。

 窓際で鷹見社長とそんなやり取りしていると野次馬が増えてきた。まずいっ。早く切り上げなきゃ。


 こちらが焦る一方で、鷹見社長は余裕の笑顔だ。むしろ周りの野次馬たちと会話を始めた。


「あの窓際の女性、お兄さんの彼女かい?」

「そうなんですよ。彼女とケンカしましてね、すっかり拗ねてしまって出て来なくて困っているんですよ」


 だ、誰が彼女だ!


「岩戸の神様ってわけか。おーい、姉ちゃん、こんないい男が待っているんだ。何があったか知らんが、早く出て来てやれよー」

「そうだそうだ」


 野次馬たちの騒ぎは大きくなるばかり。こちらは冷や汗だらだらである。仕方がない。鷹見社長にとりあえず下りると言って野次馬を解散してもらおう。


「今下りますから、野次馬さん方を解散させて下さいよ」

「そう。でも君の姿を見ないと彼らは納得してくれないみたいだよ。盛り上がっちゃってごめんね」

「……分かりました。下りて姿を見せます」


 鷹見社長相手に通用しなかったか。ため息を吐くと窓を閉め、戸締まりして携帯を持って家を出た。


 私の姿を認めると野次馬はわっと盛り上がる。……何なのこれ。


「あなた、素敵な彼でいいわねー」

「羨ましいーっ」

「代わってほしーいっ」


 イエ、まったく彼じゃないです。こちらこそ、この状況を代わって差し上げたいくらいです。

 一方で鷹見社長も労いの言葉を掛けられている。


「出て来てくれたじゃん」

「とりあえず男の方が謝っておけば間違いないって」

「仲良くしろよ」

「お兄さん、良かったね」

「ええ、皆さんのおかげです」


 ……本当に何なの、この茶番。

 鷹見社長は白けている私の肩を抱くと、とりあえず車の助手席へと誘導する。


「ちょっ、鷹見社長」

「君が車に乗ったら、彼らは安心して立ち去ってくれるよ」

「……っ」


 仕方なく助手席に乗り込むと、鷹見社長は扉を閉める。彼は野次馬らに身体を向けると感謝の言葉を述べた。それでようやく野次馬が解散し、鷹見社長が運転席に回ってきて座席に座る。


「まったく。どういうつもりです。随分な騒ぎになってしまったじゃないですか」

「ごめんごめん。俺もここまで大きくなるとは思わなくてね」

「まあ、いいです。では失礼いた――」


 腰を上げようとしたら、鷹見社長はこちらに身を乗り出し、腕を伸ばして私にシートベルトを装着させた。


「えっ、な!  鷹見社長!」

「車の中ではシートベルトをしようね」


 いや。しようね、じゃないですよ。


「少しくらい時間あるだろう? 今日はお休みなんだし、ドライブに付き合って」

「いつもこんなに強引なのですか」 


 以前も同じ質問をしたが、また同じ質問をしてみる。鷹見社長も覚えていたのか、小さく笑った。


「ごめんね。いつもはそうでもないよ。……君だからだよ」

「え?」

「君に興味があるから」


 こんな魅惑的な男性にそんな事を言われたら、普通は胸が高鳴るはずだ。それなのになぜ、こんなに不安で胸がざわめくのだろうか。


「……着の身着のまま出て来てしまいましたし、今日は帰ります」


 そう言って、シートベルトを外そうと視線を落とした。


「瀬野社長のちょっとした秘密、知りたくない?」

「え……?」


 その言葉に一瞬動きが止まり、私は鷹見社長に視線を移した。彼は案の定、笑みを浮かべている。


「ドライブに付き合うなら教えてあげる」


 社長の事を人から聞いてもいいものかと迷う中でも、好奇心の色が顔に出てしまったのか、鷹見社長は私の返事を聞く前に車を発進させた。


「あの。聞きたいとは言ってな――」

「聞きたくないの?」


 彼は横目で私を見る。私は一つ咳払いした。


「……発車させてしまった以上、お聞きします」


 素直なのか、素直じゃないのか迷うところだねと鷹見社長は笑うと切り出した。


「瀬野社長は容姿も良いし、彼自身の経歴も凄いし、何よりも大財閥の御曹司だ。それなのに婚約者がいないのはおかしいと思った事はなかった?」


 確かにそれは思った事がある。あれだけの優良物件なのに婚約者の一人もいないのだろうかと。


「実は以前、いたんだよね。まあ、早い話が親同士が決めた政略結婚だったんだけど」


 ……そうか。やっぱり瀬野社長には婚約者がいたのね。考えてみれば妹の優華さんだってあの歳で婚約者がいる。瀬野社長にいなかったとは考えられない。そう言えば元カノという人を優華さんから聞いたことがあるけれど、その彼女が婚約者だったのだろうか。


「だけど直前になって婚約破棄になったんだよ」

「……なぜですか?」

「女性側の不貞。ああ、結婚前だから不貞とまでは行かないのかな。でも土壇場で彼女側が白紙に戻してくれるように願い出たらしいよ。それで合意の元、婚約破棄したってわけ」


 瀬野社長は何もしなくても下心ありきの女性が集まってくる立場で煩わしさもあったかもしれないけど、必要以上に女性を寄せ付けないのはそういう過去も原因の一つなのだろうか。


「この業界ではちょっとした話題になったよ。その彼女に対して恋愛感情を抱いていたかどうかは定かではないけれど、それ以降、女性を選ぶ事に関しては慎重になっただろうね」


 社長が瀬野のご当主様に突かれても、女性の一人も婚約者として連れて行かないのはそういう事があったんだ……。


 考え込んでいると、鷹見社長はくすりと笑った。


「ところで瀬野社長は君に優しい?」

「……え? どういう意味でしょう」


 彼の質問の意図が分からなくて首を傾げた。


「そのままの意味だよ」

「優しい? 優しい、優しい……。うーん。優しさの定義が分かりません。何をもって優しさとするか」

「深く考えすぎだよ」


 鷹見社長は苦笑する。私は逆に尋ねてみた。


「そうおっしゃる鷹見社長はお優しいのですか?」

「俺? 女性には優しいつもりだけど、仕事の上では結構ワンマンな所があるかもね」

「ああ、そうかもしれませんね。強引な所が多々見受けられますし」


 私が少し皮肉っぽく言って頷くと鷹見社長はまた苦笑いした。


「木津川さんは強引な男は嫌い?」

「ええ、きら――」


 ……あ、いや。鷹見社長と同じような強引さがあっても瀬野社長は嫌だとか思った事はないかな。何だろう、身内びいきというやつなのだろうか。


「自分の意見を尊重して下さらない方は嫌ですね」

「なるほど。なかなかはっきり言うね。瀬野社長は君の意見を尊重してくれるんだ?」

「……鷹見社長は部下の意見を尊重されないのですか?」


 そう返すと彼は肩をすくめた。


「また質問に質問で返されるとはね」

「すみません。けれど、いかがなのですか?」


 さらに問い詰めると鷹見社長は笑う。


「もちろん尊重するよ」

「そうで――」

「有能な部下の意見だけはね」


 挑戦的な強い視線を送って来る鷹見社長にどくんと嫌な心臓の音を立てる。怖いと思ってしまうのは、私が鷹見社長に自分の意見を尊重される立場にないと自覚しているからだろうか。彼と一緒にいると自分の意見まで踏みにじられそうで……怖い。


「人の上に立つ人間は大勢の人間を導く立場なのだから多少なりとも強引であるべきだ。……そう思わない?」

「……っ」


 瀬野社長とはまた違った、人を支配することに慣れた鷹見社長の強い瞳に息が詰まる。


「た、鷹見社長、あ、あの――」

「ああ、着いたよ」

「……え?」


 そう言えばどこに連れて行かれていたのだろう。


「ザッハトルテ」

「え」

「美味しいお店を知っているから今度連れて行くと約束しただろう?」


 彼は先ほどの強い光を消して、穏やかに笑った。


「……あ」


 そう言えばそんな事を言っていたような気がする。


「君はスイーツ好きなんだよね?」


 鷹見社長はそう言って甘く笑う。

 まるでビターチョコレートのような人だ。大人味の苦味をほのめかして、だけどそれを上回る甘さで脳内を陶酔感で麻痺させる。


「ええ」


 私は素直に頷いた。


「……好きです」

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