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かしこまりました、社長様  作者: じゅり
― 本編 ―
21/57

21.友人、水無月早紀子の主張

「それでね。とにかくとても気が利く子でね。いつも本当にタイミングが良くて、社長にも目を掛けられているわ。私は反対。最近よくぽかミスするようになって来て落ち込んでいるの」


 ため息が漏らしながら愚痴をこぼしていると、パンケーキと紅茶を持って店員さんがやって来た。


「お待たせ致しました」

「はいっ! ありがとうございます!」

「途端に元気ね、晴子さん。でも確かに美味しそう」

「でしょう!」


 私は目をキラキラさせて、パンケーキに視線を落とした。


 このカフェのパンケーキはスフレ系で、ふんわりと焼き上げているため通常のパンケーキよりも数倍厚みがあって見た目のボリューム感がある。重ねられたパンケーキの形のいびつさに可愛らしさを感じる一方で、淡いきつね色に焼かれた表面にシュガーパウダーがまぶされている様は繊細さえも感じさせられる。


 そして温かいパンケーキの上に乗せられたアイスクリームは緩やかに溶け始め、上にかけられたカラメルソースと絡み合っている。


 側には生クリームだけがそっと添えられていて色目の派手さこそないが、口に入れれば明らかにじゅわりと溶けるだろうと想像させる絶妙な焼き加減でシンプルながらも、私の視覚と味覚を刺激してくるのが何とも憎らしくも愛おしい。


「……うむ。これぞ侘び寂びの世界である!」

「ごめんなさいね。ちょっと何言っているか分からない」


 感嘆の声を吐いていると早紀子さんからすかさずツッコミが入った。


「まあまあ、お一つどうぞ」

「ええ、頂きます。――っ!」

「どう?」

「ええ、本当にとても美味しいわっ!」


 私は大仰に胸張って腕を組むと、こくんこくん頷いた。


「そうでしょう、そうでしょう。私が認めたパンケーキですからね」

「……晴子さん、すっかりスイーツ評論家気取りになっているわね。でもまあ、良かったわ」

「え?」

「昨日の電話では少し余裕がなさそうな感じだったから。スイーツで元気になれるのはいいことよね」

「ん……。ありがとう」


 そして私もパンケーキに手を付け始めた。

 うん、とっても美味しいっ! 最高の気分です。


「ところで晴子さん、さっきの続きだけれどね」

「ふむん?」


 早紀子さんはふむんって、と私の返答の仕方に苦笑しながら続ける。


「その新人の彼女、タイミングが良く現れるって言っていたじゃない」

「ああ、ええそうよ。本当にびっくりするくらいタイミングがいいのよ。まるで計ったみたいにね。気が利く子なのよね。色々助けてもらってはいるんだけど、余計に自己嫌悪に陥るって言うか」

「それってまさかと思うけど……」


 早紀子さんの声が少し低くこもる。


「ん?」


 私がきょとんとしていると、眼鏡をきらりと光らせた。……今日は眼鏡を掛けてないけど。


「それって、ずばり乙女ゲームの世界よ!」

「……は?」

「あなた今、乙女ゲームの世界にいるのよ。そしておそらくその新人秘書である彼女は転生ヒロイン。多分、オフィスラブ系乙女ゲーね。だから彼女が目指す攻略相手は大財閥の御曹司、瀬野社長といったところかしら」


 しばし目が点。直後、ぶはっと吹き出して、大笑いしてしまった。いつとは言わないけど、確かに私もそういう考えを持った中二病時代の黒歴史がありました。でもやっぱり駄目、お腹が捻れて痛いよー。


「やだ、早紀子さん、何を言っているのよー。小説、それもライトノベルじゃないんだからね。あー、分かった。私が落ち込んでいたので、笑わそうとしてくれたのね。ありがとう、うん、笑った笑った」

「いいえ。私は本気で言っているの。事実は小説より奇なりよ」


 何ですと。早紀子さん、本気なの? 才女の深刻そうな声にこちらまで思わず笑いが止まってしまったではないか。


「ちょっと待ってよ。自分が言っている事が分かっている? だったら今、私と話している早紀子さんも乙女ゲーム内の世界にいるって事なのよ?」

「きゃー、本当!? じゃあ、私はさしずめあなたのお助けキャラって事ね!?」


 ……喜んでいる場合じゃないです。こちとら真剣ですよ。ギンっと音がしそうなくらい睨み付けてみると、早紀子さんは苦笑した。


「ああ、ごめんなさい。少しはしゃぎすぎたわね」


 その通りですよー、早紀子さん。


「でもまあ、よく考えてご覧なさい。確かに気の利く子はいくらでもいるでしょう。でも偶然は何度も続くものでは無いわ。一度目は偶然、二度目は奇跡、三度目は必然って言うでしょう。これは必然なのよ」

「あれ? 確か、三度目は運命じゃなかった?」

「その点に関しては諸説あるみたいね。でも三度目に運命が来てしまったなら、それこそ乙女ゲーム内の世界って事になるわよ」

「……随分、極論ですけど」


 つまり何? 私の今の立場は社長秘書よね。もし仮に彼女が社長狙いだとしたら、私は乙女ゲームやら小説で言う所の彼女のハッピーエンドを阻止しようとする悪役令嬢ってこと!? ……あ、令嬢ではないから、ただの悪役か。まあそれはいいとしましょう。あ、いえ、でも待って。確か彼女はお慕いする人がいると言っていたけれど、その人は――。


「もう一つ」


 早紀子さんの言葉で考えが遮られた。


「え?」

「晴子さんは、人が聞けば今のあなたのように笑ってしまうようなありえない出来事を体験しているご当人でしょう?」


 え、ま、まあ、そうですよね。人格の入れ替わりだなんて、まるで漫画か小説みたいでしたもんね。やばい。早紀子さんの言葉がいよいよ真実味帯びてきたぞ。あれ? もしや私、洗脳されている?


「で、でも。仮にそうだとしたら。いや、別に信じている訳じゃ無いですけどね、か、仮にそうだとしたらよ? 順調に私は評判が悪い女として成長していっているんですけど、これから一体どう行動したらいいと言うの……」


 社長の私に対する信頼も落ちてきているような気がして、落ち込んでしまう。


「落ち着いて。これが乙女ゲームであなたに情報がないなら、あなたにとってはオートモードになっているはずよ」

「うんうん」


 こういう事は様々な本をたくさん読んできた彼女の方がきっと詳しいだろう。私はカバンから手帳を取り出して、必死でメモを取る。


「だったら、あなたがどう行動しても破滅になるはずだから大丈夫よ。嫌でも後の自分の人生は乙女ゲームという名の運命が決めてくれるわ」

「うんうん――はあっ!?」


 こっちが真剣にメモっていたら、この人は何てことを言うのだ。破滅になるはずだから大丈夫って何事か!


「あなたはお助けキャラなんでしょっ。友人の私を絶望させてどうするっ!」


 すると早紀子さんはふふふと笑う。


「そうそう、その意気よ」

「え?」

「その勢いがなくっちゃね、晴子さんは」

「……っ!」


 わざと発破を掛けられたのか。してやられた気分だ。でも……悪い気分ではない。

 だから自然と怒りの眉が下がってしまう。


「気弱なことを言って……ごめんね」

「いいのよ。今日はその為にここにやって来たんだもの」

「……ありがとう」


 早紀子さんは一つ微笑むと、ふっと笑みを消した。


「あのね。私は職業上、いえ、趣味の上で色々なライトノベルを読んできたけれど、悪役令嬢転生のお話はね、やっぱり悪役令嬢が主人公なのよ」

「え? そりゃあ、そうだよね?」


 彼女はこくんと頷く。


「主人公である悪役令嬢はね、転生後、今後の自分の立ち振る舞いによって未来がどうなるかを情報として持っているのよ。つまり予知能力者と一緒ということ。そうならないように行動すれば最初から勝ち組なわけ」

「あ……」

「もちろん彼女たちが生きる世界とゲームの世界では彼女たちが行動することによってズレが生じてくるから、結局ハッピーエンドに導くその過程には努力が必要になるのだけど」


 そこで早紀子さんは少し困ったように笑った。


「でもね、本当は人生って誰も先のことなんて分かるはずないでしょう。記憶を持って転生した人物はやっぱり主人公気質で、選ばれた人間だということなのよ」


 ……なるほど。そういう意味か。


「私はね、悪役令嬢のお話は大好きよ。主人公達は皆、それぞれバッドエンドにならないように必死で頑張っているもの。でもね、それでも彼女たちは初めから自分の未来が見えている分、他の人よりずっと有利なの。だって人生の修正個所が見えているんだもの。そこを避けて通ることができる。だけど、現実はそうじゃないわよね。皆、手探りの中で生きている。そして間違ったからと言ってゲームのようにリセットはできないわ」


 なぜか最後の言葉にどきりとした。


「自分が歩いた後ろにはもう道が出来ているの。それは誰にも消すことはできないわ。例え自分自身でもよ」


 私は逃げて……いたのだろうか。過去を無かったものにして前だけ見て走ることは、ただ過去を恐れ、それから逃げていただけだったのだろうか。間違っていたのだろうか。


 その答えを出すように早紀子さんは続けた。


「ゲームと違って現実の良い所はね、結末は決まったものではない事。例え過去に戻ってやり直せなくても、それを教訓として生かし、いくらでもこれからの道を自分の手で描き直すことができる事よ」


 そうじゃないかしらと笑う彼女に私はただ頷いた。


「この世界が乙女ゲームであろうが、現実世界であろうが、私は見られると思うの。未来の事が何にも分からなくても、普通の人間が自身の手で筋書きを書いて辿り着くハッピーエンドというものを」


 声も無くじっと見つめていた私に、ふと我に返ったのか、熱く語って恥ずかしいけれどねと頬を染めた早紀子さん。


 ひねくれた考えをすれば、早紀子さんも恵まれた環境で選ばれた人間だからこそ言える上から目線の言葉だよねとか、まるで他人事だよねとか、ハッピーエンドって何をもってハッピーエンドにするのよとか、ツッコミを入れようと思えばいくらでも入れられる。


 それでも口から付いて出ないのは誰もが未来の見えない状況でも、ハッピーエンドに向かって頑張っている事を改めて気付かされたせいだろうか。


「そうね。どんな世界だったしても、私は私という人間でしかいられないものね。だから今自分のできることを精一杯やってみるわ。……ありがとう」


 そう言って私は早紀子さんに笑みを向けた。

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