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かしこまりました、社長様  作者: じゅり
― 本編 ―
13/57

13.優しい社長命令

「木津川君、二時からの会議の資料だが」


 社長からそう問いかけられ、私は振り返った。


「はい、ただ今お持ち――二時!?」


 社長の言葉に気付いて、思わず驚きで叫ぶと社長は眉をひそめた。腕時計を確認すると現在一時半だ。血の気が引く。三時だと思い込んでいたから、まだ会議室の準備が出来ていない。まずい、急がなきゃ。


「す、すみません。時間を間違えてしまいました。し、資料は、す、すぐお持ちします。では失礼致します」


 慌てて頭を下げて引き上げようとした時、社長に手を掴まれて身体がぐいっと引き戻される。


「落ち着け。まだ時間はある」

「……あ」


 そうだ。焦った状態で行動しても余計に失敗を生むだけだ。落ち着かなければ。秘書は何があっても動揺してはいけない。

 私は目を閉じて一つ息を吐いた。


「はい。……申し訳ございません」


 落ち着きを取り戻した私に社長は手を解放した。


「それでは資料のご用意と会議室を準備に参ります」

「ああ。頼む」


 私は自分のデスクに戻り、一部を社長の元へ資料を届ける。そして秘書室に行って菅原室長に声を掛けた。


「室長、実は二時からの会議を三時と間違ってしまいまして、今から会議室の準備をしなければならないのですが、どなたかお手伝い頂けないでしょうか」


 室長はすぐさま頷いた。


「ええ、分かったわ。急ぎの用事なんだけど、今、手が空いている人いる?」


 部屋にいる秘書さん方に声を掛けてくれた。


「あ、はーい。大丈夫です」

「こちらも大丈夫です」

「私も大丈夫ですよー」


 宮川さん、澤村さん、野田さんが次々と声を掛けてくれた。


「伊藤さんは……今、いないわね。うん、じゃあ、皆行って来て頂戴」

「申し訳ありません、皆さん」


 私は彼女たちに頭を下げた。


「全然オッケー」

「ええ、大丈夫よー」

「こちらこそいつも手伝って頂いておりますので。この資料ですね」


 そして私たちが会議室へと向かうと既にそこに伊藤さんがいた。


「伊藤さん!?」

「あ、お疲れ様です。木津川先輩、あとはお茶と資料の用意だけとなっています」

「……え?」

「え? に、二時からでした、よね。会議。違いましたか?」


 伊藤さんは少し狼狽えた表情で尋ねてくる。


「え、い、いえ。そうだけど」

「良かった! 先に来て準備していました!」

「そ、そう……あ、ありがとう」


 他のメンバーも拍子抜けしている。


「ああ、だから部屋にいなかったのね」

「ま、まあ、とにかく良かったわね」


 彼女は微妙な空気を読み取ったのか、申し訳なさそうな表情を浮かべた。


「……す、すみません。何かご迷惑お掛けしました?」

「う、ううん。ありがとう。一人でさせちゃってごめんなさいね。私、時間を間違えていたものだから、今から皆さんに手伝って頂こうと思っていたの」

「そうだったのですか。何だか行き違いになってしまったようですね。すみません」

「う、ううん。伊藤さんが謝る事じゃないわ。私が悪いんだし。皆さんもありがとうございました」


 私は他の秘書さん方にも頭を下げた。


「ううん、まあ、結果オーライよね」

「そうね。では一度戻りましょうか」


 澤村さんだけは何も言わず、部屋をただ黙って見ていた。


「澤村さん?」

「いえ。戻りましょう」


 そして皆と一度秘書室へと戻る途中、最後尾で並んで歩いていた澤村さんが足を止めて手で呼び寄せる仕草を見せるので同じように足を止めると、彼女は背伸びして耳打ちして来た。


「――ましたか?」

「え? いいえ」

「……そうですか」

「あの、どういう――」


 私が彼女に質問の意図を尋ねようとした時。


「おーい、お二人さん。何やっているの」


 野田さんから声が掛かった。


「……行きましょうか」

「え、ええ」


 すぐに秘書室に戻った私たちに室長は呆気に取られた表情を浮かべた。


「あら、早かったわね」

「え、ええ。伊藤さんが既に準備をしてくれていたようで」

「伊藤さんが?」


 菅原室長は伊藤さんを見た。


「はい。会議は二時だとお聞きしていたので」

「……そう。でも一人で行かないで、まずは木津川さんに声を掛けるべきだったわね」

「す、すみません」


 私の失敗で伊藤さんにまで迷惑が掛かってしまい、頭を下げる。


「あ、で、でも結果的には良かったかもしれませんね。私は時間を間違えておりましたし。本当に申し訳ございませんでした」

「……そうね。とにかく社長にご報告してくれる?」

「は、はい」


 準備を済ませたことを社長に報告しに行った。



 そして無事に会議を終えて、私と伊藤さんは社長室に呼び出された。


「話は聞いた。まず伊藤君、君は一般秘書だろう。これは社長秘書の仕事で、木津川君に相談も無く無断で行った事は越権行為だ。感心しない」

「す、すみませんっ」


 伊藤さんは改めて頭を下げた。一度菅原室長に咎められていたので、ある程度は覚悟の上だったようだ。私のせいですと申し出たいけれど、原因の張本人である私がそんな事を言える立場でも無いので同じく頭を下げるだけに留めた。


 続いて社長はこちらに視線をやる。


「そして木津川君。君は職務怠慢だ」

「……申し訳ございません」


 社長にきっぱり言われて、息が詰まる。しかし、すぐに社長は表情を緩めた。と言ってもほとんど変わらないが。


「と、言いたいところだが、そう硬いことを言っても仕方がないな。実際、木津川君の仕事量は多いから補助は助かる。これからも無理のない範囲で彼女を助けてやってくれ」

「はいっ!」


 彼女はぱあっと表情を明るくして返事をする。


「木津川君もいいな?」

「……はい」


 一拍返事が遅れる私を一瞥すると、社長は伊藤さんに視線を移した。


「では、伊藤君は下がって良い」

「はい、失礼致します」


 伊藤さんは社長と私に会釈すると退室した。


 伊藤さんと私はまるで明暗を分けるような結果となった。いくらミスが続いて落ち込んでいたとしても、私情を職場に持ち込むべきではなかったのに。


 俯いている私に社長が声を向けた。


「木津川君、今日はもう帰れ」

「……え?」

「君は業務を与えた分だけ全てこなしてきたから、そのペース配分で行ってもらってきた。しかし俺が仕事を押しつけ過ぎていたようだ。疲れているんだろう」


 社長の言葉に目を見張る。恐れていた事が起こってしまった。社長の信頼を失うと思うだけで身体が冷たくなり、硬直してしまう。


 それにこれがきっと門内さんだったなら例えこの量でも完璧にこなしていたはずだ。


「わ、私は大丈っ――」

「木津川君」


 社長は落ち着いた声で私の言葉を遮った。


「これまで君が頑張って来ていたのは知っている」


 そんな言葉が欲しいんじゃない。私は――。


「だが、君は門内じゃない。門内と同じ事をやろうとするな」

「っ!」


 胸をぐさりと抉られる。それは門内さんには遠く及ばないと真実を突きつけられたようで、自分の足下が崩されるような感覚だ。

 胸の痛みで言葉が出ない私に、社長は少しため息を吐いた。


「勘違いするな。君が門内より劣っているという訳では無い。彼と自分を比べようとするなと言っている」


 社長は私の心をお見通しだ。私が門内さんと比べて劣らないように必死で背伸びしているのに気付かれている。


 耳の痛い言葉に再び俯いてしまうと、ぎしりと小さな音が耳に入る。顔を上げると社長がデスクを回って私の前に立っていた。そして社長は私の肩に手を置くともう片方で私の顎に手をやって仰ぎ見させる。


「……酷い顔色をしている。いいから今日は帰れ。それと日曜日はゆっくり休め」

「で、でも日曜日はホテルでの懇親会――」


 表情が強ばり、前で重ねた手をぎゅっと握りしめる。そんな私の様子を見て、社長は小さくため息を吐いた。


「出席しなくていい」


 絶望を覚えて、目を見開いて固まってしまう。見放されたような気がした。

 ……ううん、そうだよね。今の私なんて仕事に使うのは危なっかしいよね。分かっている。分かっているけれど胸が詰まった。だから抵抗してしまう。


「わ、私はまだ――」

「いいか。これはお願いをしているんじゃない。社長命令だ」


 言葉は反抗を許さない強制力があるのに声は落ち着いていて、それが今は優しく聞こえて泣きそうになる。


「分かったな? 社長命令だ」


 社長は念を押すように再度穏やかな命令を下した。


「……はい。承知致しました」


 そう答えると、社長は黙ってただ私の頭をくしゃりと撫でつけた。社長にここまで気を遣わせてしまうなんて、本当に今の私は秘書失格だ。


「申し訳ございません。……社長、それでは」

「ああ」

「お先に失礼致します」


 社長より早く帰るなんて久しくない。少しばかりの罪悪感を覚える。いつもは一緒に会社を出るのに。

 苦い思いをしながら私は会釈すると踵を返した。


「木津川君」

「え?」


 小さな声に振り返ると、社長は目を伏せた。


「いや。道中、気をつけて帰れ」

「……はい。ありがとうございます」

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