シンデレラ手越
演劇の配役を決める当日の朝。
俺と押耳、そして首藤は教室の端に集まり雑談をしていた。
「なあ……こんな堂々としてて大丈夫なのか? いくらその指宿さんって人に和解したとはいえ、猪頭の影響力が衰えた訳じゃ――」
「あら、同じ諜報員としてその台詞は聞き捨てならないわね、降格かしら」
「はぁ? いやだってどう見ても何か変わった様子なんて――」
「本当にそう思うのか? もっと猪頭の動きを観察してみたらどうだ」
「そんなこと言われてもな……」
そう言いつつも首藤は再度定位置にいる猪頭へと方向視線を送る、するとようやく気づいたのか「あ」と小さく声をあげた。
「何か……ソワソワしてないか?」
「視線も泳ぎっぱなしで、身体の動きと表情がちぐはぐね」
「女王様とは思えない落ち着きの無さだ」
何なら猪頭は時折スマートフォンを確認しては視線だけを俺の方へと向ける仕草を何度も繰り返していた。
まあそれも無理はない。
送りつけた最終兵器から一切の連絡がない上に、至って健康な俺が学校に登校しているのだから訳も分からなくなるというものだ。
「そういえば……今朝鼻山先輩を見かけたけど、なんかすげー暗かったな」
「普段理不尽を受けない奴が理不尽を受けるとそういう顔になるものだ」
「……? お前本当に和解――」
「足達、遥が学校の近くまで来たって」
「ん、そうかでは迎えに行ってくるとしよう」
そんな余裕綽々な会話も早々に、俺は押耳からそう伝達を受けると鞄を背負って一旦教室を後にし、石爪教諭に気づかれぬよう裏門から学校を抜け出す。
そして指定された場所まで行くと、そこには実に不審な動きで顔を隠す手越の姿があるのだった。
「何をしている」
「えっ!? あ、いや、その……まだ気づかれる訳にはいかないから……」
その方がよっぽど注目を浴びる気がしてならんが……まあバレていないというのであればとやかく言う必要もないだろう。
「しかしそれでは俺も顔が見えんな」
「え! で、でも、恥ずかし――」
「どうせこの後すぐに全員に見られるのだ、俺で慣らしておいた方がいいと思うが」
「そ、そういう事じゃなくてな――あっ!」
半ば強引になってしまった感は否めないが、俺はそれでも顔を見せようとしない手越の腕をぐいと掴むと、その全貌がついに明らかになる。
「! ――……いやはや、可愛い以外の言葉が見当たらんな」
「……べ、別にあるだろ他にも」
「ちゃちな言い回しをする方が失礼な程可愛いから仕方あるまい」
「……ばかやろう」
メイク越しでも分かるほど頬を赤くした手越はそのままそっぽを向いてしまう。
だが可愛いものは可愛いのだからお世辞など言う意味がない。
寧ろシンデレラと比肩する程までに美しくなった彼女を、あんな稚拙な舞踏会に上がらせるのは気が引ける程だった。
「で、でもよ」
すると、感慨深さを覚える俺に対し、手越がやや不安げな声を上げる。
「ayumiさんとも何度も練習をしたし、その……お前からもアドバイスを貰ったから……上手く出来た自信はあるんだが――」
「言いたいことは分かっている、髪の毛だろう」
「! そう、なんだ……こればっかりはどうしようもなくてさ……」
手越はショートな前髪をグリグリと触ると、困ったように笑う。
だがそんなことは無論想定済みである。寧ろあの姉はそのことを話していなかったのか……全く意地の悪い奴だ。
まあ、俺達もここまで黙っていたのだから言えた台詞ではないのだが。
「心配するな。その為に俺が来た、お前にガラスの靴を届ける為にな」
「は? 何を訳の分からない――」
「ふむ、どうやら手越は一つ大事なことを忘れているようだな。本来メイクなど徹底していなくとも、クラスメイトを驚愕させた経験があることを」
「……? そんな経験をした覚えなんて――――あ」
手越は何を言っているんだコイツはと言わんばかりの表情を見せたが、俺が鞄の中から出したモノを見て、合点がいったかのような声を上げる。
だから、俺は小さく笑ってこう言った。
「これさえあれば、お前の魔法は一生解けることはない」
○
『え? あの子誰……?』
『いや知らないんだけど……って、あの席ってもしかして』
『え、うそ、て、手越く――さん……?』
『ふ、雰囲気が違い過ぎねえか……つうか可愛過ぎ……』
手越が教室内に登場した途端、クラスメイトの間には驚嘆と感嘆の声が渦巻いていた。
「ま、マジかよ……あれが本当に手越なのか? まさかここまで……」
「俄に信じられないわね、足達はこの姿が最初から見えていたの?」
「それは首藤に聞けば分かることだ。そもそも論、俺は手越が小林高で一番可愛いと言い続けていたからこそ、猪頭にあんな目に遭わされたのだからな」
「……そこに関しては否定の余地がないな」
「それはそうかもしれないけれど……でも私が一番近くで遥を見ていたのに、こんなポテンシャルがあったなんて全く気づかなかった」
そして友人として身近にいた、辛口な彼女ですらこの反応である。
如何に前代未聞の事態が起こっているのかは言うまでもない。
まあ俺にとっては想定内でしかないのだが。
「!? な……あ……?」
ただし。
そんなクラスメイトの中でも誰よりも驚きを禁じえないでいるのは、つい数秒前まで『可愛い』の称号を恣にしていた猪頭だろう。
実際彼女は口をパクパクとさせ、言葉もなく一歩二歩と後退りをしていく。
……これが責任を逃れ続けながら、驕り高ぶっていた者の末路か。
「哀れなもんだな」
本当は、猪頭が俺を潰そうとするのであれば徹底的に手越を攻めるべきであった。
だがそれをしてしまうと最悪自分が被害を受ける可能性がある。何せ劇の主人公は『手越くん』でなければ失敗する可能性があったから。
だからこそ彼女は脅し程度にしか手越を使えなかった。だがそれでも俺だけは何としても潰したい、そう固執するあまり手越のことは念頭から離れていく。
こうして寝首をかかれることなど知る由もなく。
『て、手越さん! その髪の毛ってもしかしてウィッグ?』
『ショートボブ似合ってるね! 凄く可愛いよ!』
『というかメイク上手だよね、どうやってやってるの?』
『て、手越さーん!』
「あ、え、ちょ、ちょっと皆落ち着いて……!」
そうこうしている内に、手越の周りには猪頭とは直接関係のない無党派層がどんどん集まり始め、大いに盛り上がりを見せ始める。
どうやら押耳の手筈も完璧だったらしい、こうなってしまえばもう誰も猪頭のことなど眼中に無いだろう。
この時点で、俺としても手越の可愛さが証明されたことに大いに満足である。
とはいえ。
「残念ながら、まだこれで終わりではないのだが」




