教育方針が変更されたそうです
凪としてはごく当たり前のことを言って、脅迫――ではなく、自分を守ることを義務づけられている人々にお願いをしただけである。しかし、そんな彼女を少しの間呆然と見つめたザインは、完全に血の気の失せた顔でライニールを見た。
「……ライニール?」
「……はい、ザイン伯父上。ナギは聖女としての固有魔術だけでなく、治癒魔術、そして通常魔術も問題なく使用できる――と言いますか、理性が吹っ飛んだ状態であれば、先ほどご覧になったようなドラゴンクラスの大型魔獣を、単騎討伐できてしまう魔力量の持ち主でございまして」
つまり、と目が笑っていない笑顔でザインを見ながら、ライニールが言う。
「ナギの言っていることは、十二分に予想されうる未来だということです。……なるほど、通常の聖女がその固有魔術しか使えないのは、こういった危険を回避するためだったのですね」
それはなんだか違うような気がするぞ、と思ったものの、自分の主張が問題なく通りそうな様子なので、ここは黙っておくことにする。凪としては、自分の護衛を命じられている人々が、あまり無理をせずにいてくれることが一番なのだ。
よしよし、と思っていると、軽く眉間を揉む素振りをしたアイザックが、低く落ち着いた声で口を開いた。
「ナギ嬢。きみの、我々の身を案じてくれる気持ちについては、本当に心から嬉しく思う。だが我々は、この国に生きるすべての者たちが幸福に生きられる未来のため、騎士となる道を選んでいるのだよ」
「あ、はい。騎士さんのお仕事って、本当に危険がいっぱいで大変ですよね。そんなお仕事を頑張っているみなさんは、とても立派ですごい人たちだなあと、いつも尊敬しています!」
基本的にビビりで、想定外のことが起こるとすぐにテンパってしまう凪には、とてもできない職業選択である。毎日凪が居心地よく過ごせるよう気を配ってくれる彼らは、同時に当たり前のように厳しい訓練をこなしてもいるのだ。何かあるたびすぐにベッドでダウンしてしまう身からすると、彼らの鍛え上げられた体力や自身を律するストイックさは、同じ人間とは思えないほどだった。
両手をぐっと握りしめ、心からのキラめく尊敬をこめて見上げた凪に、アイザックはなぜか片手で目元を覆ってしまう。凪は、小首を傾げて問いかけた。
「アイザックさん? どうかしましたか?」
「……いや。無垢な子どもからの純粋な賞賛というのは、実に心が温かくなるものなのだという崇高にして厳粛なる事実を、久方ぶりに思い出しただけだ。何も、問題はないとも」
ふう、と息を吐いたアイザックが、少しの間のあと改めて凪を見つめて言う。
「ナギ嬢。……そうだね。きみの魔力制御については、学園での学びで充分かと思っていたのだが。今日のきみのやんちゃな振る舞いを見るに、少々認識を改めたほうがよさそうだ」
「ひょっ」
すっかり流してもらえていたと思っていた本日の問題行動について、突然話を蒸し返されてしまった凪は、その場で軽く跳び上がってしまった。
思い出すのは、この国の王太子であるオスワルドとの初対面のときのことだ。聖女発見の報を聞くなり、王宮を単独飛び出してきた彼は、それはそれはすさまじい剣幕でアイザックに叱られていた。もしや自分もあんなふうに叱られるのだろうか、とビクビクしながら話の続きを待っていると、彼はにこりとほほえんだ。
「いいかい? ナギ嬢。きみがシークヴァルトやライニール、我々魔導騎士団を大切に思ってくれているように、我々はきみのことが大切だ。そして、聖女であるきみを守ることは、それすなわちこの国を守ることと同義なのだよ」
「……えぇと、ありがとうございます?」
たしかに、聖女という稀少な生物兵器を守ることは、この国を守ることに等しいのだろう。それだけの価値が、聖女に――聖女の持つ固有魔術にはある。だからこそルジェンダ王国の王室は、自身が持つ最強の戦闘集団である魔導騎士団を、聖女の護りとして付けているのだ。
「うむ。そこで疑問符を付けてしまう辺り、やはりきみはいまだに自分自身の価値をしっかりと認識していないように思える。……ノルダールの孤児院の教育は、つくづく罪深いな」
そして、小さく息を吐いたアイザックは、ちらりとシークヴァルトを見てから言った。
「きみがきみ自身を上手く大切にできない以上、きみを守るために我々はそれなりの対処をせねばならん。今日のような恐ろしい事態を二度と起こさないためにも、多少の無理を通すことは必要だと思われるのでね」
「……すみません」
いくらキレてしまった結果とはいえ、凪が単独で危険な場所へ飛び出していってしまったのは、申し開きようのない問題行動である。ここは、ダメなことはダメなのです、と叱責されてもしかたのない場面だ。それだけのことをした自覚はあるので、たとえどんな大声で叱られようと――その結果鼓膜が破れてしまったとしても、治癒魔術でどうにかなるだろう。たぶんきっと。
しかし、かなり本気でビビりながらアイザックの叱責を待っていた凪に告げられたのは、若干想定外の言葉だった。
「今日のきみの行動パターン及び魔力変化、何より魔術の構築状況から見て、きみの魔力の使い方はかなり――非常に感覚的なもののようだ。ならば、きみの訓練をシークヴァルトが担当しても問題はあるまい」
「へ?」
思わず顔を上げた凪に、アイザックは穏やかな笑みを絶やさないまま続けて言う。
「きみは、誰にも教わっていない状態で防御フィールドを展開し、暴走状態のアースドラゴンの外殻を完全破壊した。おそらくだが、身体的接触のある状態でシークヴァルトが使用した魔術を、感覚で覚えていたのだろうね」
防御フィールドはともかく、あの大型魔獣を破壊したのは単純に魔力をぶつけただけだったのだが――まさかシークヴァルトも、ああいった雑な戦い方をすることがあるのだろうか。
(そう言えばシークヴァルトさんって、結構面倒くさがりっぽいとこあるし。いやいやでもでも、この国のトップエリートを集めた魔導騎士団の一員ともあろうお方が、魔獣相手にそんな省エネとは真逆の戦い方をするとかね?)
思わず胡乱な眼差しをシークヴァルトに向けてしまいそうだったが、そんな彼女にアイザックは告げる。
「ナギ嬢。きみが聖歌を歌えない以上、今後きみが国外への派遣事業に参加する際には、ほかの聖女たちよりも遙かに危険で血なまぐさい戦場を経験することになるだろう。そこで、今後はより確実にきみの安全を維持するために、きみには護衛騎士であるシークヴァルトの指示を、たとえどのような状態であっても必ず守れるようになってもらう」
「……はあ」
アイザックがあまりにも真剣な眼差しで言うものだから、いったい何を言われるのかとビクついていた凪は、正直ものすごく拍子抜けした。それくらいのことであれば、別に訓練などしなくてもいいと思うのだが――。
「おい、団長。ちょっと待てよ、いくらなんでもそこまでする必要はねえだろう?」
「シークヴァルトの言う通りです。ナギの兄として、そのような事態はさすがに看過できません」
思いきり顔を顰めたシークヴァルトと、表情を強張らせたライニールの主張に、凪は困惑して首を傾げる。
アイザックは、淡々とした口調で彼らに言った。
「私は、ナギ嬢をお守りするために最善の方法を選択しただけだ。もしおまえたちが、これ以上に確実な方法を提示できるというなら、喜んで検討するぞ」
だが、とアイザックが一段低い声で問う。
「おまえたちは、今回の騒動がこの屋敷で――ナギ嬢の日常生活の場で起こったことを、まさか忘れているわけではあるまいな。それともおまえたちは、ナギ嬢が心を寄せる人間を作ることを禁じるつもりか?」
その言葉に、ふたりがぐっと黙りこむ。凪は、なんだか不安になった。そんな彼女に対し、アイザックはどこまでも穏やかな笑顔で言った。
「それでは、ナギ嬢。今後の詳しいことは、シークヴァルトとライニールから聞くように。申し訳ないが、これ以上王妃さまをお待たせするわけにはいかないのでね」
「え? あ、はい! そうですね、王妃さまがお待ちなんですもんね!?」
わたわたと慌てた凪は、勢いよくザインを振り返る。
「あの、ザイン伯父さま! あとひとつだけ! いつかお時間があるときに、レイラさんの――お母さんのお話を、聞かせてもらってもいいですか?」
「……ああ。もちろんだよ」
頷き、ザインはわずかに目を細めた。
「ナギ。きみがこの国の聖女である以上、聖女としてのきみを守るのは、ここにいる彼らの仕事だ。だが――」
ザインの指先が、軽く頬に触れる。
「私にとってのきみは、レイラが残してくれた可愛い姪だ。私は、きみがレイラのぶんまで幸せであってくれればいい。……それだけは、覚えておいてくれ」
どこか切なげに告げるザインの表情に、凪は小さく息を呑む。
(これが……これが、さまざまな苦労を乗り越えてきたナイスミドルの色気というものですかッ!? マクファーレン公爵のナヨナヨと薄っぺらい色気とは、比べものにならない濃厚さですね!)
思わずグッと親指を立てたくなったが、今は断じてそんなことをしていい空気ではない。ザインにとっての凪は、かつて守れなかった妹の忘れ形見。しかも、凪の顔はどうやら母親譲りであるという。
(……うん。ごめんね、ザイン伯父さま。この体の中身が、プリティスイートエンジェルなリオのままだったら、たぶんザイン伯父さまも大満足の可愛い姪っ子だったんだろうけども。今のわたしは、うっかりキレると素手で大型魔獣をぶん殴って大暴れしちゃう、とってもバイオレンスでポンコツなお子さまなのでござるよ……)
己の新たな一面を知ったばかりの凪は、妹の面影を自分の上に見ているのだろうザインに、スライディング土下座で詫びたくなった。
しかし、すでにこの現実が覆しようのないものである以上、悩むことは無駄である。せめて、今後ザインの前ではできるだけいい子で過ごすことにしよう、と決意した凪は、可能な限りの親愛の情をこめてほほえんだ。
「はい。ありがとうございます、ザイン伯父さま」
そうしてアイザックとザインが王妃との面会のために去っていくと、凪はほう、と息を吐いた。
「むー。ザイン伯父さまには、ぜひともマクファーレン公爵を一発と言わず、全力でタコ殴りにしてやってほしいところだけど。王妃さまが、あの人の右腕を切ったって……なんで、そんなことになっちゃったの?」
シークヴァルトとライニールに向けた問いかけに、一拍置いて答えたのはライニールだ。
「王妃さまは、お若い頃からマクファーレン公爵の振る舞いに、大変憤っていらした方だからね。いよいよ完全に彼と縁切りできるとなって、少々浮かれてしまわれたのじゃないかな」
(……え。浮かれた結果、弟の腕をぶった切るんだ?)
思わずドン引きしてしまったものの、考えてみれば無理もないことなのかもしれない。
この国の王妃殿下は、双子の弟の歪んで澱んだ生き様のせいで、おそらく何十年もの間、とんでもないストレスに晒され続けてきたのだろう。それだけの長時間に渡って熟成された恨み辛みがあれば、別れの駄賃代わりに腕の一本くらい欲しくなるのかもしれない。……よくわからないが、きっとそういうこともあるのだろう。たぶん、きっと。
とりあえず、近い将来訪れる王妃との対面の際には、できるだけしっかりと猫を被っておこうと心に誓った凪に、シークヴァルトがいつもより低い声を掛けてきた。
「ナギ。さっき団長が言っていた、おまえの教育方針の変更についてなんだが。基本的に、この国の騎士団に王室出身者、もしくは有力武門貴族の後継者が入団したときの新人教育カリキュラムに沿って行うことになる」
「あ、うん。……って、騎士団の新人教育カリキュラム?」
たしかに今の凪は、魔導騎士団に世話になっている身ではあるが、あくまでも彼らの護衛対象であって、彼らの一員となっているわけではない。そもそも、国の防衛を担うゴリゴリの戦闘集団に、素人の子どもである凪が入れるわけもないだろう。
さっぱりわからんどういうこっちゃ、と思いきりクエスチョンマークを浮かべた凪に、シークヴァルトは何やらものすごく不本意そうな顔で言う。
「ああ、そうだ。騎士としての経験はきっちり積ませる必要があるが、断じて死なれてはいけない者を戦場へ連れて行くには、どうすればいいか。新人特有の無鉄砲さや判断の甘さひとつが、あっという間に命取りになるんだ。――ならば、そんな軽挙が決してできないようにすればいい。もしくは、そんな振る舞いをしかけたとしても、そばにいる担当教官の制止命令に条件反射レベルで従うよう、徹底した訓練を施してしまえばいい。それが、この国の王室が定めた、特殊入団者に対する教育方針だ」
「へ……?」
間の抜けた声を零した凪に、眉間に深い皺を刻んだままのシークヴァルトは、淡々と告げる。
「これからおまえには、戦闘訓練時や魔力が一定レベル以上に放出された状態においては、何があろうと最優先でオレの指示に従うようになってもらう。学園側に交渉して、おまえが放課後に受けているミルドレッド教諭の課外訓練時間を、オレとの個人訓練に充てることになるな」
「えっと……シークヴァルトさん。話は、なんとなくわかったんだけど。なんで、そんなにイヤそうなの?」
恐る恐る問いかけると、シークヴァルトは一瞬どこか遠いところを見てから、ヤケになったように大声で喚いた。
「だからな!? おまえがどんな状態であろうと、それこそ今回みたいにキレた状態になろうと、オレの指示には条件反射レベルで従えるようにするってことは、だ! めちゃくちゃキッツい訓練の中で、それを体に叩きこむってことなんだよ!」
そうだね、と半ば光を失った瞳で、ライニールも言う。
「今回、きみの突発的な戦闘行動に、シークヴァルト以外の団員は誰もついていくことができなかった。だから、コイツがきみの担当教官役をするのは、仕方のないことだとは思うんだが……」
ふう、とため息を吐き、ライニールはシークヴァルトに向けてにこりと笑った。ただし、目は相変わらずまったく笑っていない。
「団長の判断には、従うさ。ただ――ナギの体に、傷のひとつでも付けてみろ。殺すぞ?」
「そう思うなら、代わってくれてもいいんだぞ。ライニール」
同じく、まったく目が笑っていない笑顔で返したシークヴァルトに、ライニールはキリッと真顔になって片手を挙げた。
「それだけは、断じて御免被る」
「……っ畜生ーっっ!!」
シークヴァルトが、シャウトする。
なんだかよくわからないけれど、凪に訓練を施すのは彼らにとって、よほどいやなことであるようだ。申し訳ない。




