お兄ちゃんに、教えてくれる?
自分たちから微妙に視線を逸らしたオスワルドがそんなことを考えていたとはつゆ知らず、凪は緊張していたこともすっかり忘れ、聖女たちと楽しく語らっていた。
用意されていた軽食もとても美味しくて、つくづくこの国に生まれてよかったと思う。
途中、伯父のザインに連れられてミロスラヴァ王国の王太子と挨拶をすることになったけれど、大人たちはやはりまだまだ忙しいらしく、本当に短い時間のことだった。
(ユーリウス殿下、インテリ系の眼鏡がめっちゃ似合いそうなイケメンさんだったなー。中身は、肩こりと腰痛が大変なことになってるおじさんだったけど。治してあげたときのビックリ顔は、大変美味しかったですありがとうございます。あんな素敵な王子さまの妹さんが、なんでディアナさまの婚約者を略奪するような、残念すぎる女の人なんだろ。謎過ぎる)
なんにせよ、知的なクール系イケメンは、肩こりや腰痛に悩んではいけない。
そんなことを考えながら聖女たちの待つ応接室へ戻れば、再び話に花が咲いていく。
「え? それじゃあディアナさまの旦那さまって、ずーっとディアナさまを対象に空間全部を書き換えるような幻術を展開したうえで、スタンピード全域をフォローする防御フィールドを維持し続けていたんですか?」
話題になるのは、やはりそれぞれが担当した現場でのできごとだ。
中でも、一番意外というか想定外だったのは、ディアナの夫の非常識――もとい、とんでもない活躍ぶりである。
凪は一般的な魔術については、まだまだ勉強をはじめたばかりだ。
それでも、ディアナの夫が行使した魔術が、通常では考えられないほどハイレベルなものであることはわかる。
聖女たちの中で最も魔術に詳しいであろうウィルヘルミナも、ひどく驚いた顔をしていたが、ディアナはおっとりと頷いた。
「はい。わたくしにはよくわからないのですけれど、夫は幼い頃から防御系と幻術系の魔術がとても得意だったそうですの」
そんなディアナに、ウィルヘルミナが問う。
「イグナーツどのがそれほどの腕利きでいらしたとは、驚きました。彼は、いったいどちらでそのような技術を身につけられたのでしょう?」
(ありがとうございます、ウィルヘルミナさま! ディアナさまの旦那さまは、イグナーツさんでしたね!)
ディアナに関する公式発表で聞いていたはずの、彼女の夫の名をすっかり忘れていた凪は、密かに胸をなで下ろす。
改めて尋ねるには、なかなか気まずい質問である。
「申し訳ありません、ウィルヘルミナさま。わたくしも、夫がどこで魔術を学んできたのかはよく知らないのです。ただ、ドランスキー侯爵家にわたくしの従者兼護衛として迎えられるまでは、ルジェンダ王国の孤児院で過ごしていたと聞いています」
(……へ?)
初耳の情報に――しかも、『ルジェンダ王国の孤児院』という、ものすごく聞き覚えのあるワードに、意識が強く引きつけられた。
とはいえ、この国にある孤児院は、凪の育ったノルダールのものだけではない。
いくらなんでも、そんな偶然があるはずが――。
「夫はその孤児院で、基本的な魔術や魔導武器の扱いを学んでいたそうです。ミロスラヴァ王国の孤児院では、子どもたちにそういった教育を施すことはなかったので、その話を聞いたときは少々驚いてしまいました」
(……っはぁあああああーっっ!?)
そのとき、全力で絶叫しなかった自分を褒めてやりたい、と凪は思った。
ウィルヘルミナとエステファニアも困惑した表情を浮かべているが、そんな特殊な孤児院が、そうそうその辺に転がっていてたまるものか。
空転しそうな頭をどうにか動かし、リオの記憶を検索する。
イグナーツという名前。ディアナと結婚しているということは、年齢は十八歳以上。
魔導武器の扱いを学んでいた、つまり戦闘タイプの『商品』であった子ども。
(あ……)
凪の脳裏に、濃褐色の髪に藍色の瞳の、明るく穏やかな笑みを浮かべる少年の姿が浮かぶ。
体の大きな少年たちの中でも一際背が高く、そして誰より落ち着いた声で話す彼の記憶は、リオの中でとても優しいものとして残っている。
年齢が、少し離れていたからだろうか。幼い頃からおとなしくどんくさかったリオを、彼はいつも気に懸けていてくれた。そんな彼のことを、リオもとてもよく慕っていたのだ。
――リオは、いい子だね。もう、泣かなくていいんだよ。
――大丈夫。おまえにイヤなことをしたおばかさんたちには、俺がきっちり言い聞かせておいたから。
――うん? 年下の女の子をいじめるような男には、人権なんてないんだよ?
(ハイ、イグナーツ。アナタが、リオに対して『好きな子に意地悪しちゃう』系男の子たちの視界をいじって、神官たちのおデコに『褒めたら伸びる子』とか『わがままボディ』とか『可愛い担当』とかいう愉快な文字が見えるようにしたことは、意味がわかるようになった今から思えば、優しいというより笑える記憶ではありますが! え、ご本人ですか!? ご本人なんですかー!?)
凪がひとりパニックを起こしかけたとき、応接室の扉を軽く叩く音がした。
振り返ると、オスワルドが真剣な表情を浮かべて立っている。
「大変お待たせいたしました、聖女さま方。これより、ミロスラヴァ王国にて発見された、融解寸前の魔導鉱石正常化措置に入っていただきます。今後の魔導鉱石の扱いを鑑みまして、みなさまにはそれぞれ個別の防御フィールド内で作業していただくことになります。お手数をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします」
淡々とした説明を受け、真っ先に立ち上がったウィルヘルミナが口を開く。
「了解いたしました。直ちに作業へ入らせていただきます」
「ありがとうございます。――それでは、イザークどの。バートランドどの。イグナーツどの。聖女さま方を、お伝えしたポイントにお連れください。シークヴァルト、頼んだぞ」
各国の聖女たちを現地へ連れていくための面々が、オスワルドの背後から現れる。
彼らの中で初対面なのは、トゥイマラ王国の魔導騎士団団長だというバートランド。
そして、ディアナの夫である――。
「やっぱり、イグナーツー!? 嘘でしょ、世間が狭いにもほどがあるよ!?」
両手で頬を押さえて絶叫した凪に、その場のすべての視線が集中した。
当然ながら、ひどく驚いた顔をしたイグナーツと、彼をガン見していた凪の視線が正面からぶつかる。
光の加減によっては紫にも見える、きれいな藍色の瞳。
この瞳を、知っている。
そしてこの瞳の持ち主も、自分のことを知っているのだと、すぐにわかった。
何度か瞬きをした彼が、はく、と口を開閉したあと、ひどく掠れた声で言う。
「……リオ?」
「はい! ノルダールの孤児院で一緒だったリオです! あ、でも今の名前はナギ・シェリンガムなので、これからはナギと呼んでもらえると嬉しいです!」
半ば以上パニックを起こしながらも、反射的に自己紹介をすると、少しの間のあとイグナーツの顔から表情が抜けた。
「……シェリンガム? まさか、この国で、聖女を騙った女に殺されかけた?」
「うん……?」
なぜだろう。
急激に、室内の温度が下がった気がした。
完全に無表情になったイグナーツが、ふらりと近づいてくる。
誰もが凍りついたように動けずにいる中、彼の両手が凪の頬をそっと挟んだ。
「俺の、可愛い妹を……? 刃物で殺して、森に捨てたって……?」
イグナーツの瞳から、完全にハイライトが消えている。怖い。
「ねえ……どこ? その、おまえにひどいことした女は、どこにいるのかなあ? リオ。お兄ちゃんに、教えてくれる?」
(ひー!)
頬に触れる彼の指先から、伝わってくるもの。
ドロドロとマグマのように煮えたぎる、灼熱の怒り。
まさかイグナーツが、リオに対してここまでお兄ちゃん属性を拗らせていたとは、想定外だ。
ガクブル状態で蒼白になった凪が固まっていると、イグナーツの腕に細い手がのった。
「あなた」
ディアナの柔らかな呼びかけに、イグナーツがふっと瞬きをする。
どこか虚ろな瞳で、彼女に問う。
「……ああ、ディアナ。この子、俺の妹なんだ。おまえも、仲よくしてくれる?」
「ええ、もちろんよ。……驚いたわ。ナギさまは、あなたと同じ孤児院にいらしたのね」
ナギさま、とイグナーツが呟く。そして、不思議そうに凪を見た。
「リオ。ナギ……ナギ? 新しい名前、もらったんだ?」
「う、うん……」
――マズい。これは、マズい。
もしイグナーツに、リオがユリアーネ・フロックハートから受けた仕打ちを知られたなら、ものすごくマズイことになる気がする。
イグナーツが、にこりと笑う。
「そっかあ。うん。それで? ナギ。おまえにひどいことした女は、どこに――」
「失礼、イグナーツどの」
ゴスッ! といい音がしたのと同時に、イグナーツの体が真下に沈む。
驚いて瞬くと、真顔で拳を握るウィルヘルミナの足下で、イグナーツが後頭部を抱えてしゃがみこんでいた。
よほど痛かったのか、涙目になった彼がくわっと喚く。
「~~っウィルヘルミナさま! いきなり何をなさるんです!?」
「それはこちらのセリフです、イグナーツどの。ナギさまは、ルジェンダ王国の聖女です。そして我々聖女は、これより融解寸前の魔導鉱石の正常化作業へ赴かねばなりません。妹君との旧交を温めるのであれば、すべてが片付いたあとにしていただきたい」
きっぱりとそう言い切った彼女は、そのとき間違いなくこの場で一番のイケメンだった。
聖女さまの旦那さまを殴れるのは、聖女さまだけでした(´・ω・`)。




