四人の聖女
――ミロスラヴァ王国において発生した、八カ所のスタンピードはすべて完全に収束。それぞれの中心となっていた魔獣たちは、すべて聖女たちが正常化に成功した。
その報告が、ルジェンダ王国で全体の指揮を執っていたオスワルドからもたらされたとき、ユーリウスは全身の力が抜けたような心地になった。
三名の聖女たちがこの国に派遣されてからの数時間で、本当にすべてのスタンピードが収束してしまうとは、まるで奇跡のようだと思う。
死を、滅びを覚悟していた。
たとえミロスラヴァ王国という国がなくなろうとも、せめて可能な限りの国民を救えたらという一心で、この王宮に踏みとどまっていたのだ。
なのに今、大きすぎる犠牲はあれども、たしかに自分たちは生きている。
生きて、いるのだ。
「……っ」
会議室の机に置いた手が震え、目の奥が熱くなる。すさまじい緊張と焦燥の中にあり続けた体は、安堵とともに鉛のような疲労を訴えはじめていた。
だが、すべてのスタンピードが収束したところで、自分たちに休んでいる暇などない。
犠牲になった多くの人々のため、それよりも遙かに多くの傷ついている人々のために、動き続けなくてはいけないのだ。
ぎゅっと両手の指を握りしめ、ユーリウスは顔を上げた。
「各騎士団に伝達。これから夜闇が深まれば、人々の間に不安が広がる。光源の設置を最優先に。非常事態特例により、民間の治癒魔導士による医療チームを編成し、各地に送る。シェルターはすべて開放、王宮の各種備蓄も残らず放出せよ。――みな疲れていると思うが、頑張ってくれ」
「はい!」
かなりの無理をさせているはずなのに、迷わず応じてくれる者たちがいてくれることが、本当にありがたくて、嬉しい。
各地の情報を収集しながら、次々に上がってくる問題に対応していると、ユーリウスの通信魔導具が反応した。つい先ほどコードを交換したばかりの、オスワルドからだ。
「はい、オスワルド殿下。何かございましたか?」
『お忙しいところを申し訳ありません、ユーリウス殿下。此度のスタンピードの原因について、少々ご相談したいことがございまして。これよりアシェラ傭兵団の団長どのがそちらに伺いますので、彼とともに一度こちらへいらしていただけますか?』
スタンピードの原因というと、オスワルドが言っていた融解寸前の魔導鉱石か。
たしかあちらからの報告では、発見したそれらは一時的に防御フィールドで封印しているということだった。
側近のひとりに視線で問うと、しっかりと頷きを返してくれる。
「こちらは大丈夫です。すぐに向かってくださいませ」
その力強い言葉の裏にあるのは、スタンピードの原因となった存在に対する恐怖。
今は封印されているそれらが解放されてしまえば、再びスタンピードがはじまってもおかしくないのだ。
「了解いたしました。アシェラ傭兵団の団長どのをお迎え次第、すぐに伺わせていただきます」
『はい。お待ちしております』
互いにまだまだ時間の余裕がないことはわかっている。
通信を切るなりアシェラ傭兵団団長の来訪を知らせられ、ユーリウスは椅子の背もたれに放りっぱなしだった上着に腕を通しながら歩き出す。
大勢の人々が慌ただしく行き交う、王宮正面玄関ホール。
そこに、一際目を引く背の高い壮年男性がいた。
長い金髪を無造作に括り、アシェラ傭兵団の団服を着た彼が、ユーリウスの姿を認めて一礼する。
彼もまた、ミロスラヴァ王国の恩人だ。
ユーリウスは、丁重に礼を返して声を掛けた。
「お待たせいたしました。アシェラ傭兵団の団長どのでいらっしゃいますか?」
「はい。ザイン・ラーズリーと申します。このたびのスタンピード災厄について、心よりお見舞い申し上げます」
優雅な仕草で胸に手を当てた彼は、元々ルジェンダ王国の子爵家の人間であったのだったか。
スタンピードが発生する直前に知ったばかりの彼の経歴を思い出し、少々複雑な気分になる。
(彼がこうしてオスワルド殿下に協力しているということは、一定の和解はされているのだろうが……)
ザインは十数年前、オスワルドの叔父に当たる人物に、愛する家族も祖国も奪われたのだという。
子爵家の当主であった彼が、こうして大陸でも三本の指に入る傭兵組織を作り上げるまでには、いったいどれほどの苦労があったのだろうか。
そんなことを考えている間に、軽く手を差し伸べられる。
「お手をどうぞ。オスワルド殿下と、聖女さま方がお待ちです」
「……はい」
どうやらこれから向かう先には、すでにこの国の恩人たちが揃っているらしい。
背筋を伸ばしたユーリウスは、少なからず緊張してザインの手に自らのそれを乗せた。
――空気が、変わる。
「お疲れさまでございます、ユーリウス殿下。突然お呼び立てして、申し訳ありません」
豪奢な椅子から立ち上がり、柔らかな声を掛けてきたのは、銀髪にペリドットの瞳のルジェンダ王国の王太子。
どうやらここは、彼が全体の指揮を執っていた会議室のようだ。部屋の隅に、背の高い騎士が控えている。おそらく聖女たちは、ほかの場所で休んでいるのだろう。
ユーリウスは胸に手を当て、深々と頭を下げた。
「オスワルド殿下。このたびは我が国のために多大なるご配慮をいただいたこと、改めて心よりお礼申し上げます。ミロスラヴァ王国をお救いくださり、本当に……本当に、ありがとうございました」
オスワルドがこれほど迅速に動いてくれなければ、ミロスラヴァ王国は間違いなく滅んでいただろう。
彼は、ミロスラヴァ王国そのものを救ってくれた恩人だ。どれほど言葉を重ねて礼を述べたところで、とても足りるものではない。
彼の言葉に、オスワルドは小さく笑ったようだった。
「どうぞ、顔をお上げください。ユーリウス殿下。貴国をお救いくださったのは、聖女さま方です。融解寸前の魔導鉱石の件をお伝えしたところ、各地の状況確認が済み次第、すぐにその対処へ向かってくださるとのことです」
「それは……我が国としてはもちろん、ありがたいばかりなのですが。聖女のみなさまは、お疲れではないのでしょうか?」
八カ所ものスタンピード、しかもその内五カ所には大型魔獣も含まれていたのだ。
そんな災厄を鎮めてくれた彼女たちは、みな十代の女性たちなのである。きっと、さぞ疲労しているのだろうと思うのだが――。
(……いや、トゥイマラ王国のウィルヘルミナさまならば、まだまだ体力に余裕がおありなような気もするが。しかし、あの方とてうら若き女性であることは間違いないわけで)
若干よけいなことを考えてしまったユーリウスに、オスワルドはゆるりと首を横に振る。
「そのように危険な魔導鉱石を、放置したままにはしておけない。聖女さま方は、そうおっしゃってくださいました」
それにしても、とオスワルドは楽しげに笑って言う。
「麗しい女性が四名も揃うと、空気がとても華やぐものですね。先ほどご挨拶したときには、エステファニアさまがガルーダより受け取ったという小さな魔獣を、みなさまとても楽しげに愛でていらっしゃいましたよ」
「……四名?」
三名の聖女たちの輪に、この国の王家の女性でも加わっているのだろうか。
不思議に思うユーリウスに、オスワルドは笑みを絶やさないまま続ける。
「はい。現在、この王宮にはスパーダ王国、トゥイマラ王国、ミロスラヴァ王国。そして、我がルジェンダ王国の聖女さまがいらっしゃいます」
「………………は?」
間の抜けた声を零したユーリウスから、その斜め後ろに立っていたザインに視線を移したオスワルドが、柔らかな声で言う。
「ザインどの。申し訳ありませんが、ナギ嬢をこちらにお連れいただけますか?」
「了解しました」
笑い含みの声でザインが応じ、退室していく。
残されたユーリウスは、ひたすら困惑しながらオスワルドに問う。
「オスワルド殿下。その、ルジェンダ王国の聖女さま、というのは……?」
「はい。昨日お知らせさせていただいた、ザインどのと我が国のご縁。その中で、聖女を騙った大罪人、ユリアーネ・フロックハートに殺されかけた少女こそ、我が国の正しき聖女だったのです」
ユーリウスは、言葉を失った。
「セト領のリンドブルム、そしてクハシュ領山岳部のフレイムドラゴン。これらの魔獣を中心としたスタンピードを鎮圧されたのは、我が国の聖女であるナギさまです。今のところ、この事実を公表する予定はございませんが……。これからミロスラヴァ王国の国主となるあなたにだけは、知っておいていただきたかった」
「なん、と……」
セト領市街地は、王都、バレク領市街地に次いで人口の多い土地だ。
そして、かつては神々のおわす山と言われたクハシュ領ラウリ山の麓には、国土の多くを潤す河川の水源となっているキーラ湖がある。
もしキーラ湖がスタンピードに呑み込まれていたなら、ミロスラヴァ王国の未来はその時点で失われていたかもしれない。
ユーリウスがぐっと指を握りこんだとき、軽いノックの音が響いた。
オスワルドの応答を待って、扉が開く。
聞こえてきたのは、軽やかな少女の声。
「失礼しまーす。オスワルド殿下、お疲れさまで……? あれ、お客さま? ですか?」
「うん。ミロスラヴァ王国のユーリウス殿下に、きみを紹介しておきたくてね。どうぞ、入って」
え、と少女が驚いた気配がした。
「ミロスラヴァ王国の王子さま!? あ、えっとあの、本当に本当に、お疲れさまです!」
ひどくまっすぐな労いの言葉に、上手く言うことをきかない体をどうにか動かして振り返る。
そこにいたのは、ルジェンダ王国魔導騎士団の制服を着た、愛らしくも可憐な少女だった。
華やかな装飾品や化粧などなくとも、その溌剌とした生命力を感じさせる少女の美しさは、些かも損なわれることがないように見える。
ユーリウスは、掠れた声で問いかけた。
「ルジェンダ王国の、聖女さまでいらっしゃいますか……?」
「はい! 聖女のナギ・シェリンガムと申します!」
やたらにキリッとした表情で挨拶をしたナギの隣で、ザインが笑う。
「ナギ。そんなに慌てなくても、大丈夫だよ」
「~~っだって、ザイン伯父さまが、ミロスラヴァ王国の王子さまがいらしてることを、教えてくださらなかったからー!」
突然の事態に慌ててしまったのはザインのせいだ、と言わんばかりの少女は、そう言えば彼の姪なのだったか。
少女――聖女ナギに、オスワルドが問う。
「三人の聖女さま方とは、仲よくなれたかい? ナギ嬢」
「はい! ウィルヘルミナさまはとってもとってもカッコよくってどきどきしちゃいますし、ディアナさまはとってもとってもお優しくてお声もきれいで理想の聖女さまーって感じですし! ニアは相変わらず魔獣が大好きで、ガルーダさんからもらったネズミさんにメロメロなんですよ。みなさんと仲よくなれて、とっても嬉しいです!」
心底嬉しそうに答えて、彼女は改めてユーリウスを見た。
「ミロスラヴァ王国に送りこまれた危ない魔導鉱石も、わたしたちで絶対キレイにしようねって聖女同盟を組んでいますので! 一緒に頑張っていきましょうね!」
「……はい。ありがとう、ございます」
声が、震えてしまいそうだ。
驚きと感謝と、そしてこんなにも華奢な少女に、途方もない負担を掛けてしまっている申し訳なさと。
さまざまな感情が渦を巻いて、ひどく頭が混乱した。
けれど同時に、胸の奥にストンと落ちたものがある。
オスワルドがミロスラヴァ王国の危機に際し、これほど迅速に動けた理由。
それはおそらく、元々ナギという聖女がこの国に存在していたからだ。
彼は聖女を擁する国の将来を担う者として、さまざまな可能性を検討し続けていたのだろう。だからこそ、今回のような不測の事態にも迷わず動けた。
そうでなければ――聖女ナギがこの国に、オスワルドという優れた王太子が立つ国にいなければ、ミロスラヴァ王国は滅びていたに違いない。
……いったい、どうしたらいいのだろう。
これほどの恩義を受けておきながら、ユーリウスには彼らに返せるものが何もない。
ふと、首を傾げた少女が近づいてくる。
戸惑うユーリウスに、彼女は右手を差し出してきた。
「ユーリウス殿下。握手、してもらえますか?」
「は、はい」
反射的に持ち上げた彼の右手を、少女の小さな手が掴む。
その瞬間、全身に重りがまとわりついているようだった疲労感が、きれいに消えた。
(は……?)
目を丸くしたユーリウスに、少女が軽く眉根を寄せて言う。
「……ユーリウス殿下。なんで立って歩けているのかわからないくらい、お体も魔力の流れもボロボロでしたよ。ひょっとしなくても、スタンピードの前から無理ばかりされていたんじゃないですか?」
たしかにこの一年ほどは、父である国王が政務を滞らせがちになっていたため、ユーリウスは寝る間も惜しんでその後始末に奔走していた。
医務官からも、ときどき注意を受けていたのは事実だが――。
「今が、とっても大変なときだというのは、わかっています。でも、ユーリウス殿下が倒れられたら、もっともっと大変なことになっちゃうんですから、あんまり無理はしないでくださいね」
真剣な顔でそんなことを言う少女に、ザインが問う。
「ナギ。きみは先ほど、魔導騎士団の方々にも治癒魔術を施したと聞いているけれど、きみ自身は大丈夫なのかい?」
「あ、はい! なんていうか……大怪我をしたときなんかは、自分に対してもオートで治癒魔術が発動するみたいなんですけど。ちょっと疲れたくらいだったら、普通に寝たほうがいいって体が判断してる感じ? なんですかね?」
自分でもよくわかっていない様子で、少女が首を傾げる。
「今のところ、あんまり眠くないので大丈夫だと思います」
「そうか。きみこそ、あまり無理はしないようにね。すべてが片付いたら、たとえ眠くなくてもちゃんとゆっくり寝るんだよ」
「はい!」
大変よい子のお返事をした少女を見つめるザインの目が、ひどく柔らかい。
きっと彼は、彼女を聖女という以前に、可愛い姪としてとても大切にしているのだろう。
だが、それよりも気になるのは――。
「ナギさまは……治癒魔術も、お使いになられるのですか?」
その問いかけに答えたのは、オスワルドだった。
「はい、ユーリウス殿下。我が国の聖女は、その固有魔術のほかに通常魔術、治癒魔術の適性もお持ちなのです。ただ、ナギ嬢は魔力の制御について学びはじめたばかりでいらっしゃるので、今は彼女の存在を秘匿したうえで、魔導学園に通っていただいています」
ですから、と彼はユーリウスを見つめて言う。
「ナギ嬢という聖女が我が国にいらっしゃることは、こちらからの公表があるまでは、どうか他言無用でお願いいたします」
「……了解いたしました。みなさまに救っていただいた我が命にかけて、この件については一切口外しないことをお約束いたします」
わずかにほほえんだオスワルドが、少女に視線を移した。
「ありがとう、ナギ嬢。それじゃあ、兄上たちのほうから指示があるまで、また聖女さま方と一緒に待機していてくれるかな?」
「了解です!」
びしりと敬礼をした少女がザインとともに退室していくと、オスワルドはユーリウスに椅子を勧めてきた。
「どうぞ、お座りください。……それでは改めて、本題に入らせていただきますね」
本題。
それは融解寸前の魔導鉱石について、だろうか。
しかしその件については、たった今聖女ナギが必ず対処すると約束してくれたところだ。
これ以上いったい何を、と不思議に思いながら腰掛けると、オスワルドがそれまでずっと部屋の隅で控えていた騎士に声を掛けた。
「アイザック。ユーリウス殿下に、お見せしてくれ」
「はい」
アイザックと呼ばれた騎士がユーリウスに手渡してきたのは、小さな箱だ。促され、それを開くと、見たこともない虹色の弾丸が入っている。
身につけている制服からして、この国の魔導騎士らしいアイザックが、低く落ち着いた声で言う。
「それは、以前我が国に送りこまれた融解寸前の魔導鉱石を、ナギさまが正常化したものを素体にして作った弾丸です。ナギさまの魔力を内包しているため、小型の魔獣であれば一発で、中型の魔獣でも二十発程度で正常化することが可能です」
この場に来てから、もう何度目の衝撃だろうか。
(スタンピードの収束が、随分早く進むと思ってはいたが……)
ルジェンダ王国が、まさかこんなものまで用意していたとは。
思わず手のひらの小箱を見つめたユーリウスに、アイザックが続ける。
「今回、ミロスラヴァ王国でも同様の状態の魔導鉱石が確認されております。現在、防御フィールドで封じているそれらを聖女さま方に正常化していただくため、被災地から離れた地点に移送させるための作業中です」
「……はい。ありがとうございます」
聖女ナギに、ずっと蓄積していた疲労感をすべて取り去ってもらえたからだろうか。自分でも驚くほどの早さで冷静さを取り戻したユーリウスは、アイザックに問うた。
「お尋ねいたします。今回、我が国で起きたスタンピードへの対処にも、こちらの貴重な弾丸を使っていただいたのでしょうか?」
「はい、その通りです。オスワルド殿下のご判断により、我が国で製造されていた弾丸はすべて供出されました。そちらは、試作品として王立魔導研究所に保管されていたものです」
それは、とユーリウスは絶句する。
オスワルドが、小さく笑って口を開いた。
「実証実験こそ済んでおりましたが、いまだ実戦投入はしたことがなかったもので、少々不安だったのですがね。各地から上がってきた報告を見る限り、概ね想定通りの効果が確認できました。――ユーリウス殿下。おそらくではありますが、ナギ嬢以外の聖女さまが正常化した場合でも、あの融解寸前の魔導鉱石をこのような弾丸に加工することは可能です」
どこまでも穏やかな声で、彼は言う。
「スパーダ王国。トゥイマラ王国。ミロスラヴァ王国。そして、我がルジェンダ王国。各国の聖女さまが正常化した魔導鉱石を、それぞれの国の所有とする旨に同意いただきたく思うのですが、いかがでしょうか?」
件の魔導鉱石が存在しているのは、ミロスラヴァ王国だ。
だからこそ、オスワルドはその基本的な所有権がミロスラヴァ王国にあると認めたうえで、その移転に関する交渉をしてきたのだろう。
ユーリウスは、迷わず頷いた。
「もちろんです、オスワルド殿下。元々が、我が国へ不法に持ち込まれたもの。どうぞ、そのようになさってください。……ただ、ディアナさまに正常化していただくものについては、ご本人の同意を得られたなら、できればルジェンダ王国に引き取っていただければと思います」
おや、とオスワルドが首を傾げる。
「よろしいのですか? 弾丸への加工技術については、すでにスパーダ王国とトゥイマラ王国には開示済みです。貴国にも、状況が落ち着いたらお伝えするつもりだったのですが……」
凶暴化した魔獣を正常化できる、貴重な弾丸。
その市場価値は、素体が非常に限定されるものである以上、通常の弾丸とは比べものにならないほどの高値になるに違いない。
しかし、ユーリウスは首を横に振った。
「お気持ちはありがたく思いますが、今の我が国には、その貴重な弾丸の製造に取りかかれるだけの余裕はありません。すでにノウハウが確立しているルジェンダ王国にお願いできるのであれば、そのほうが魔獣の脅威に怯える大陸中の人々のためになりましょう」
「……なるほど。了解いたしました」
頷いたオスワルドが、アイザックに視線を向ける。
「アイザック。ライニールに、そのように伝達を」
「了解です」
頷いたアイザックが一歩下がって、どこかと連絡を取り出す。
オスワルドが、そこではじめて少し迷うような素振りを見せた。
「先ほど彼が、すでに件の魔導鉱石の移送作業中だと申し上げましたが……。非常時とはいえ、勝手な真似ばかりして申し訳ありません。ただ、これ以上聖女さま方に、被災地の様子をご覧いただくわけにはいかないのです。どうか、ご容赦ください」
「……いいえ。当然のご配慮だと思います」
本当に、人が死にすぎた。
夜の闇を照らす人工の光の中、凄惨な光景がどこまでも広がっているだろう被災地に、十代の女性である聖女たちを再び赴かせるわけにはいかない。
……今、ミロスラヴァ王国の者たちが絶望していないのは、もしかしたらスタンピードが収束されたという喜びと興奮による、一時的なものかもしれない。
夜が明けて、改めてこれから自分たちが向き合わなければならない現実を目の当たりにしたとき、人々が絶望せずにいられるとは限らないのだ。
それでも、とユーリウスは顔を上げる。
何があろうと自分だけは、ここで絶望するなど許されないのだから。
「オスワルド殿下。此度のスタンピード災害における貴国からのご助力に、改めて心よりお礼申し上げます。今はまだお約束することしか叶いませんが、もし貴国が我が国に求めることがございましたら、なんなりとおっしゃってください。何をおいても、必ずお力にならせていただきます」
「ユーリウス殿下。今は、そのお気持ちだけで。ただ……そうですね。ひとつだけ、お願いしてもよろしいでしょうか?」
「はい、もちろんです」
即答したユーリウスに、オスワルドは考えをまとめるような間のあと、口を開いた。
「これは、未確定情報なのですが。今回の貴国におけるスタンピード災害に、黒い髪、金の瞳の――レングラー帝国皇帝によく似た顔立ちの男が関わっている可能性があります。目撃情報によると、年齢は二十代半ばの青年。髪は短髪で、ごく一般的な平民のような服装をしていたそうです」
オスワルドの声が、一段低くなる。
「この件を広く周知してしまえば、レングラー帝国皇帝に対する侮辱、あるいは敵意の表れと判断されてしまうでしょう。ですから、ユーリウス殿下。あなたのお立場が悪くなるようなことは、決してなさらないでください。ただ、どんな小さな情報であっても構いません。この条件に該当する人物について、何かあなたの耳に入ることがございましたら、すぐに我々と共有していただきたいのです」




