※案の定……
……というわけで、私は廊下を一人で突っ立っているのだ。
理由? もちろん遅刻。原因はベッド。やつが私を永遠の眠りに誘い込んだのよ。
さながら絵本の中の登場人物のように、私は、夢の中でベッドを支配する悪い王様をやっつけていたんだから。
最後はけーくんが現れて、王様を退治してくれたんだけど。そうして目が覚めた時、私は遅刻を確信したというわけ。
あの感覚はなんだろうね……。直感で遅刻だと分かってしまう感覚。
けーくんやサマリお姉ちゃんがいなくなった直後は大丈夫だった。なんたって、その時はちゃんとしないとって気持ちがあったし。
数日経ってしまった今はどうかと言われると……うーん、弛んでるのかな。早く寝て、起きようって意思はあるんだけど、朝目覚める時にもっと寝ていたいって気持ちが溢れるんだよねえ。
「……アリー。教室に入りなさい」
先生の声が中から聞こえる。このままジッと立たされるのかと思ったけど、どうやらその様子はない。
良かった……。でも、遅刻した私が悪いんだからしょうがないんだけど。
バツが悪そうに、私は教室へ入る。クラスメートに呆れ返っているのが何名かいるのは、いつか私がやらかすとでも思ってたの?
むう、心外だな。
自分の席に座り込む間、ふと目が合ったのはブロンドヘアのあの子。きめ細やかな肌に地頭が良さそうな雰囲気。
そして、勝ち気な目つき。……苦手だからあんまり相手にしたくないんだけど、名前を覚えてしまったから仕方ない。彼女の名前はソフィアちゃんだ。
「……はぁ」
彼女は私と目が合ってから、大きくため息をついてぷいっと顔を背けた。
うぅ……私、何か悪いことしましたかあ?
とりあえず席について、先生の話に耳を傾ける。さすがにぼーっと窓の外を見てたら怒られるに決まってる。それだけはダメだからね。
「……さて、みなさん。くじは引きましたね?」
くじ? 何の?
今日の授業が何かをすっかり忘れていたため、何のためにみんなでくじをしているのか分からない。
だけど、一応手を上げておかないと。私だってくじしたい。
「あの、私まだ――」
「遅刻したのであなたはくじ無しです」
「あ……うぅ……」
立ち上がった体を再び椅子に座らせる私。
あぁ……なんてことを。
「それでは、各々開いて確認して下さい」
私以外の全員が引いたくじを開いていく。
四つ折りになった紙が、かさかさと広がっていく。いいなー。私もしたかったなー。
先生はみんなくじを開き、中身を見ていることを確認してから話を始めた。
「それが本日の校外学習のパートナーとなります。さ、席を移動して」
先生は番号を言いながら、机を指さしていく。多分、くじには番号が書いてあって、それがパートナー分……つまり二つあるんだ。
……ってそんな誰でも分かるような考察しても意味がないよね。けーくんやサマリお姉ちゃんみたいに、するどい洞察力が欲しいなあ。二人ならここから更に情報を引き出せるはずだから。
「あの、私はどこ――」
「アリーは一番後ろの席で待ってなさい」
「あ、はい」
食い気味で先生から言われた私はおずおずと後ろの席に移動する。
さて、私は誰と一緒になるのかな。オリーブちゃんかレーリーちゃんがいいな。
でも、私の席に近づいてくるのはそのどちらでもなかった。……ソフィアちゃんだったのだ。
彼女はあからさまにがっかりしたような表情で私を見下ろす。逆に、私は感情をどう表現すればいいのか分からなくて乾いた愛想笑いをしてこの場をやりきろうとしている。
「……ハァ。まさか、あなたとご一緒になるなんて」
「ご、ごめん……」
「謝ってすむ問題ではありませんわ。まったく……」
ブツブツと小言を言っているソフィアちゃん。
ああ……遅刻の罰がこんなところで発揮するとは……。
で、でも一緒になったわけだし、校外学習はちゃんとやりきらないと。サボるのはいけないこと。
それはソフィアちゃんだって分かってるはず。要はあまり会話しなければいいわけだ。
「はい。これから校外学習するために山へ向かいます。ですが、その前に……」
ん? 先生が一旦教室を抜ける。
そして、外で何やら話し声が聞こえてくる。
あ、もしかして、私の他に遅刻してきた人が……?
「そんなこと、あるはずがありませんわ」
「え? ソ、ソフィアちゃん?」
「……顔に書いてましたわ。あなたのお仲間がいるという期待感が」
「私って顔に出やすいのかな?」
「さあ? そんな毎日見ているわけないじゃないですから」
再び先生が教室に入ってくる。そして、その後ろに男の人が一人くっついてきた。
長身の整った顔立ち。清潔感を全面に押し出した爽やかな出で立ち。彼はメガネをくいっと上げて、生徒である私たちを見回していた。
「こちらの方は、本日の校外学習に協力してくれる新任の先生です。自己紹介をお願いします」
「はい。マーティスと申します。本日、このような形でこの学園に関われることを嬉しく思います。今後とも宜しくお願いします」
ずいぶん礼儀正しい人だね。
顔もかっこいいし、好きな人は好きだろうなあ。私はけーくんがいれば……って、けーくんにはサマリお姉ちゃんがいたんだった。
彼の容姿と言葉から感じ取れる気品に、クラスの女の子たちはメロメロだ。まあ、しょうがないかなー。
「……あれ?」
私の横で座っているソフィアちゃん。
彼女もマーティス先生のことがよっぽどのタイプだったらしい。何故なら、彼女はぽーっと顔を赤らめさせて胸に手を当てているからだ。
うーん。乙女だね、これは。恋してるよ。
「もしかして……好みだったりする?」
「ひぇ!? そ、そんなことありませんわ!」
突然声をかけられてびっくりしたのだろう。素っ頓狂な声を出して彼女は顔を真っ赤にして否定している。
ちょっと可愛いかも。少しだけ、仲良くなれそうな気がした。
「でも、あの殿方……いえ先生に何も思いませんの?」
「え? うん。特に何も」
「かっこいいとか……魅力的とか……」
「そうは思うけど、私はタイプじゃないなあ」
「……おかしいですわ。あなた」
「そうかな? ソフィアちゃんの言う通りかっこいいとは思うけど、別に……ねぇ」
「ゴホン。ま、まあいいでしょう。ライバルは一人でも少ない方がいいですからね」
「うん。頑張ってねソフィアちゃん!」
「……!」
目を見開き、そして私から目をそらす。
からかった時の反応がサマリお姉ちゃんと一緒だよ。好きな人ができたら、みんなこうなるのかな。
まあ、自分のことは今は気にしない。
「さ、本日はマーティス先生と校外学習へ出ますよ。準備のできた人から学園の門前に集まるように」
未だぼーっとしているソフィアちゃんをほったらかしにし、私は先に教室を出ることにした。
だって、また何か言ったら怒っちゃうかもしれないし。積極的なら、マーティス先生に話しかけることだろうし。
私はそんな彼女を密かに応援しつつ、そっと出ていったのだった。
先に門前へ集まった私だったけど、先生が言うにはパートナーが揃うまで出発は許されないとのことだった。
まあ、当たり前だよね。ここで自由に出発できたら、何のためにくじを引いたのか分からなくなっちゃう。……私はくじ引いてないけど。
そんなわけで、私はパートナーが揃った先発隊を見送りながら、ソフィアちゃんを待つことにしたのだ。
「先生、少し質問してもいいですか?」
「何ですか? アリー」
「校外学習と聞きましたけど、どこの山に向かうんですか?」
「ハァ……そう言えば、あなたは朝の説明を聞いてなかったんでしたね。仕方ありません。端的に言いますので頭に叩き込んでおくのですよ」
「はーい。ごめんなさい」
しょうがないような顔をしながら、先生は私に今回の趣旨を教えてくれる。
これは本当に遅刻してはいけない時に遅刻してしまったようだ。あぁ、普段からちゃんと起きられればこんなことにはならなかったのに……。猛省だよ。
「本日は、ステル国の領土内の山に登ります」
「山? ここにも山があったんですか?」
「国ですから山の一つや二つはあります。あなた達は、山に入って一日を過ごしてもらいます」
「山で過ごすんですか? 何のために?」
「山で一夜を過ごすことは、外の危険さを少しでも理解するのに必要です。生徒のほとんどは、この国から出たことがありません。国から一歩出てしまえば……昔はモンスターがいました。今は盗賊の方が多いかもしれません。そのような者と実際に会うことは危険極まりありませんが――」
「山で暮らすことで、その辛さの一端を感じることができるというわけですね?」
「そうです。……ハァ」
なーんだ。私は元々国の外で暮らしてた人間だし、こんなの楽勝だよ。
ふふふ、ソフィアちゃんびっくりするだろうなあ。私のサバイバル術の数々に。
意外と簡単な授業ということで、私は心が軽くなった。だからこそ、先生の落ち込んだ姿に気づいたのかもしれない。
先生は私に説明を終えた後、どうも浮かない顔をしているようだった。
その原因は私にあるのだろうか。やっぱり、もっと謝るべきかな?
そんな心配そうな表情で覗き込んでいたのが影響したのか、先生は表情を元に戻した。
「……どうしました? アリー」
「いえ……どうされたんですか? 先生。何か、浮かない顔……してましたけど」
「ああ。あまり気にしないでください」
「やっぱり……私が遅刻したせいですか? それなら謝ります。本当にごめんなさい」
「いえ、それはもういいんですが……生徒にこんな愚痴を言っていいものかどうか……」
「私なら大丈夫ですよ。ソフィアちゃん、何か来るの遅いし。遅刻した罰として、愚痴ぐらい聞きますよ」
本当にどうしたんだろう。ソフィアちゃん、いつになったら来るのかな?
「……では」
コホンと一つ咳をして、先生は己の愚痴を語り始めた。
「実は国から、この学園の存在意義を問われ始めたのです」
「存在意義? そんなの、戦える人を育成するためとか、そんなんじゃないんですか?」
「ええ。魔王やモンスターとの戦いに備え、戦力を増強する意味合いがこの学園にはあった。しかし……」
「あっ。魔王はもういない」
「そうなんです。この世界はもう大規模な戦いはない。よって、この学園も座学や教養を中心とした方針に変えられそうなんですよ」
「先生的には、戦いの方が好きなんですか?」
「好きというより……今までの教育が無駄になってしまうのが残念で……」
「そうですか……」
「本日の学習も反対があったんですが、折角の機会ですし、生徒にも色々体験してもらいたいから頑張ったんですが……。この学園を創設した護衛隊のリーダーも、護衛隊自体解散になったようですし、これからどうなるのか……」
あのリーダーさん。もう護衛隊にいないんだ……。
先生から間接的に聞いた事実に、私は少し衝撃を受けた。
「かと言って、マーティス先生のような戦闘に詳しい方を転任させてくるし、上の人間の考えていることは分かりません」
「へぇ。マーティス先生は戦闘関係に強いんですか」
「おっと。お喋りが過ぎました。それに、ソフィアが来たようですよ?」
「え? ソフィアちゃんが!?」
先生の視線を追っていく。
そこには、不安げなソフィアちゃんがトボトボ歩いてきていた。
「あ! ソフィアちゃん! こっちこっちー!」
私の声に反応したソフィアちゃん。彼女は私と目が合うと一瞬だけ顔を緩ませた。
けど、すぐに怒りの表情に変わって足音をわざと立てながらこっちに近づいてきた。
「ちょっと!! 今までどこに行ってたんですの!?」
「え? あ、先にこっちに来ちゃってた。悪かったのかな? だって、空想の中で幸せそうだったから邪魔しちゃ悪いかなーって……」
「わ、悪いとは言いませんが、あなたが急に消えたので心配したじゃありませんの!」
「心配してくれたの? 私を」
「えっ? あっ……そ、そんなことありませんわ!」
じっくり話してみることで、ソフィアちゃんに対する印象がずいぶん変わったように思う。
もしかして、ソフィアちゃんは私のことを……大切に思ってくれているのかな。
彼女はあくまで否定しているけど、目をそらしつつもこっちを気にしている時点で否定は嘘になる。
私は、そんな彼女に応えるようににっこりして門の外へと飛び出していく。
「ほら、行こうソフィアちゃん! 私たちが最後尾なんだから!」
「そ、それはあなたのせいですわっ! ……まったく。では、行ってまいります。先生」
「ああ。私とマーティス先生も監視してはいるが……気をつけてな」
「ええ。当然ですわ」
ソフィアちゃんの自信たっぷりな声色を後ろに聞きながら、私は先導して道を歩いていく。
でも、ソフィアちゃんはすぐに追いついて私を追い抜いていく。
「私に任せなさい! 道の場所くらい知ってますわ」
「ん? 私だって知ってるもん。……じゃあ、どっちが先に山に入れるか勝負でもしてみる?」
「……ふっ。いい度胸してますわね。当然、私が先に付きますけど」
「それはどうかなー? 私だって色々修羅場くぐってきてるんだから」
追い抜き追い越され。
こんな感じで、これからも仲良く切磋琢磨できればいいなあ。少なくとも、昨日よりはそう思えるようになった。




