31:カウント、ゼロ。「つがい」(5)
(エディだ……。夢じゃない、よね……)
塔の部屋の壁を登りきって、窓の下にエディがいるのに気付いた時は、自分の目が信じられなかったけれど。
今、こうして抱き締めてくれているのは、確かにエディだった。
さらさらしている黒い髪。綺麗な青の瞳。しっかりと固くなった腕に、変わらない優しい香り。キャロルの顔がふにゃりと緩む。
「エディ、無事で良かったの。魔物が出たって聞いたから、心配で」
「こっちは大丈夫だよ。それより、キャロルの方が痛々しすぎ」
エディの唇が、キャロルのもふもふの手に触れた。温かくて優しい感触に、キャロルの頬が熱くなる。さっきまでじんじんと痛んでいたのに、その痛みがすっ飛んだ。
思わずあわあわしてしまうキャロルを、エディが蕩けるような甘い瞳で絡めとる。
「キャロル、俺と一緒に行こう。もう、絶対離さないから」
「え? え?」
「大好きだよ、キャロル。俺の、番」
「……ええっ?」
何が何だかわけが分からない。目を白黒させるキャロルの横に、シェリルがぴょこんと顔を出した。
「キャロル、いろいろごめんね。詳しい話はエディに聞いて。はい、これ。キャロルの竜石」
「シェリル?」
「じゃあ、私は王子様のところへ行くから! あと、よろしく!」
シェリルは竜石の入った袋を、キャロルにぐいぐい押しつけてきた。中には真紅に染まった竜石がある。キャロルはきょとんとして首を傾げるしかない。
シェリルが小さな羽をぱたぱたさせながら、門番と騎士たちが戦っているところへ割り込んでいく。
そして、門番の腕にぶら下がって、戦いを無理矢理中断させた。
「門番さん、ストップなの。王子様の、本当の番は私よ。この人たちはね、本当の番である私を、ここまで連れてきてくれた良い人たちなの」
「……キャロルお嬢様?」
「ううん、私はシェリル。キャロルのお姉ちゃん。ほら、すぐに王子様のところまで案内して! 早く番に会いたいわ!」
シェリルは強引に門番の手を引いて塔へと向かう。門番はおろおろしながらも、素直にシェリルに連れて行かれてしまった。
みんなぽかんとして、しばらくその場に突っ立っていた。けれど、このままここにいても仕方ないと、とりあえず引き上げることにする。どんよりと曇っていたはずの空は、帰る頃にはすっかり晴れ渡っていた。帰途につく騎士たちは、気持ちの良い風を受けながら歩いていくのだった。
王都へ戻る道中、エディはキャロルにいろいろと教えてくれた。
王都の魔物と戦うため、エディやラスも戦場に出ていること。魔物の数が多すぎて、苦戦していること。キャロルのブレスが役に立ちそうだということ。
それに、キャロルとシェリルの竜石がどうやら入れ替わっていたらしい、ということ。
「え? 入れ替わってたの? 全然気付かなかったの! ……でも、それ、本当? シェリルの番がエディとかじゃなくて?」
「うん。シェリルは俺よりも竜の王子が良いって断言してたし、これは間違いないことだと思う。番に出逢った竜は、他の誰も見えなくなるくらい、その番を愛してしまうんだろ?」
「……なるほどなの! 私、エディを一目見た時から、他の誰も見えなくなるくらい、エディが大好きだもん!」
ふにゃりと笑ってエディにくっつくと、エディは微笑みながらキャロルの頭を撫でてくれる。
「それにシェリルが言ってたんだ。キャロルは俺と一緒にいると、体調が良い日が多かったって。たぶん、番である俺が傍にいたから、キャロルの生命力が高まっていたんだろうな」
「……そういえば、竜の王子様の傍にいても、私、ちっとも元気じゃなかったの! でも、エディがいるから、今はとっても元気なの!」
「うん。だから、キャロルの番は俺だよ。他に考えられないし」
王都へ向かって走る狭い馬車の中、エディとキャロルは見つめ合う。エディがキャロルを膝の上に抱き上げ、その額に優しくキスを落とした。キャロルは嬉しくなって、エディの頬にキスを返す。
「キャロル、可愛い。大好きだよ」
「ふふ。私もエディが大好きなの」
ぎゅっと抱き締め合う二人。甘く幸せな空気が馬車の中を満たしていく。
その馬車の中、同乗せざるをえなかったラスと老騎士は、黙ってその空気に耐えていた。魔物と戦うより辛いな、と騎士二人は渋い顔をして、遠い目になるのだった。
とうとう、王都に着いた。
エディのおかげで、キャロルは元気いっぱい。ずっと抱っこしてもらっていたし、「大好き」と言ってもらえたし、キスもたくさんしてもらった。
今のキャロルは、生命力に満ち溢れている。
「よーし、私、頑張るの! 魔物をブレスでやっつけるのー!」
もふもふの手を振り上げ、キャロルはやる気満々に宣言をする。エディはそんなキャロルを少し心配そうな瞳で見つめた。
「頼もしくて可愛いね、キャロル。でも、魔物って本当に強くて厄介なんだ。いくらブレスがあると言っても、やっぱり危険だし……」
「エディ。あのね、私は王都を守りたいの。エディがいるこの王都が好きだから。私は竜だし、ブレスを吐けるし、この王都をきっと守れるはずなのよー!」
「……分かった。じゃあ、俺が抱っこしてあげるから、一緒に戦いに行こう」
「うん!」
王都は少しずつ魔物の勢力に押され、痛ましい光景が広がりつつあった。真っ黒な怪物は、人間よりも大きく、不気味な獣のように見えた。鋭い牙や、尖った爪が夕日に照らされて怪しげに光っている。
日が沈んでしまうと、魔物はより強くなるらしい。騎士たちは夜になる前に、一体でも多く魔物を倒しておこうと必死に剣を振るっていた。
何日も連続で戦ってきたためか、どの騎士の顔にも疲労が濃く浮かんでいる。ラスや老騎士も、戦況が思わしくないことを察知して苦い顔をしていた。
「エディ、本当にキャロルちゃんのブレスでどうにかなるのか?」
ラスがいつもの軽い笑みを抑えて、低い声で聞いてきた。幼い子どものような言動しかできない小さな竜を信用しきれないらしい。老騎士も微妙な顔で、エディとキャロルに一瞥をくれる。
エディはこくりとラスたちに頷いてみせた。
「キャロルは小さいけど、立派な竜だよ。俺はキャロルを信じる。……まあ、本音を言えば、戦場は危ないし、やっぱり連れて行きたくはないんだけど」
キャロルに守られるよりも、キャロルを守っていたい。その気持ちは変わっていないのだろう。それでもエディは、キャロルの意思を尊重することにしてくれた。キャロルの竜としての矜持を優先してくれた。
キャロルはエディの信頼に応えたい。
「あ、あそこ! 魔物が……!」
何体もの魔物が集団になって、家屋をなぎ倒している。そのすぐ傍には、倒れた母親に縋りついて泣いている小さな子どもの姿があった。
「危ない!」
老騎士が駆けだす。ラスも青ざめた顔で、そのすぐ後に続いた。
エディが腕の中のキャロルを見つめて聞いてくる。
「キャロル、ブレス、出せるか?」
「うん! 任せてなの!」
エディが信じてくれている。
キャロルはすうっと大きく息を吸うと、ありったけの力を込めて、ブレスを吐き出した。




