進七郎渾身の言い訳
キス、チュー、口づけ、接吻。
要するに唇を重ね合わせる行為は、ここ日本においては特に愛情表現として知られている。
それが初めてとなると、極めて重要な意味を持つ。多くの人がその''初めて''を好きになった人に捧げたいと思うものであるが、うら若き学生達にとってはそうならないこともままあったりする。若さ故の過ちと言うべきか勢いで告白した相手とだったり、大して好きでもない相手と付き合ってみたりとかで。それが後に大きな後悔になったりする場合もある。
だが……お互いがお互いを心から好きな場合は──進七郎と円佳は、今まさに理想的なファーストキスを迎えようとしていた。
ゆっくりと近づいていく顔。
かかり合うお互いの吐息。
お互いの心音以外は何も聞こえない静寂。
進七郎が衝動的に始めたとはいえ円佳の方も嫌がってはおらず、瞳をギュッと閉じてその時を待った。顔はかつてないほど紅潮し、心臓も今にもはち切れそうなほど鼓動を繰り返している。
そんな円佳を見て己の興奮が最高潮にまで高まりつつも、進七郎は急がなかった。
ただ優しく、ただ静かに、乱暴なものとならないように細心の注意を払った口づけ。それを衝動に突き動かされる中でも決して忘れずに……遂に進七郎は円佳と己の唇を重ね合わせる──。
「おやおや~とても激アツっすね~お二人共」
だが、唇が重なり合うまさにその直前だった。
どことなく気の抜けた声が、進七郎と円佳の耳に届いたのは。
「──ぴゃぁああぁあぁああぁああああっっっ!?」「──わぁぁああぁあぁああぁああああッッッ!?」
「うわっ、びっくりしたぁ~。いや~申し訳ないっす。そんなに驚かせるつもりはなかったんすよぉ~」
今度は驚きで心臓がお祭り騒ぎをしている二人に対し、あんまり申し訳なさそうにしていないどころか少し楽しんでいそうに笑っている少女がそう言う。
進七郎からすれば千載一遇のチャンスを潰されてしまったが、怒鳴る訳にもいかなかった。何せその少女は自身の先輩にして生徒会庶務兼書記兼会計兼そして副会長の──九百九十九だったのだから。
「九百先輩ッッッ……!? どうして邪魔を……じゃなくてッ‼ いつの間に目を覚まされていたんですかッ!?」
「あはは~気軽につくもん先輩って呼んでくださいっすよ~。で、質問に対する答えっすけどついさっきっす。いやーあんまりにも気持ち良く眠ってたので、目覚めてしまって少し損な気分っすよ~」
「は、はぁそうだったんですね……じゃなくてですわね。ところで、あなた以外にも目覚められた方はいらっしゃいますの?」
「もちもちのロンっすよ。というか私は千頭会長のご命令でお二人を探しに来たんすから。今日の主役が二人共いなくなって、ついでに学園長もいなくなってるで大騒ぎなんすよあっちは。とりあえずお二人はここにいたから良いとして……おや? あれは学園長……?」
(しッ、しまったッッッ‼)(しっ、しまったですわっ‼)
円佳もしっかりと”義経院円佳”としてのスイッチを入れたのも束の間、事態は非常にヤバいことになっていた。
取り憑いていたネタマを倒したは良いが、学園長は未だに意識を失ったまま倒れている。それを九百に見つかってしまっていた。
「そういやさっき、私が見た感じだとお二人はちゅーしようとしてたっすね? もしかして……恋愛禁止の校則を撤廃の許可を学園長から得ずに我慢出来なくなった結果、学園の生徒も教師も全員昏倒させた挙句に学園長は実力行使で黙らせて、そしてお二人だけの世界に浸ってちゅーしようとしてたっすか……?」
普段はすっとぼけた顔と気の抜けるような声で話す九百が、まるで名探偵のような鋭い瞳で追及してくる。進七郎と円佳は、再び心の中でしまったと阿鼻叫喚大絶叫。
もちろん、九百の指摘は的外れである。だが”超絶クソ迷惑魔霊”の存在を表沙汰には出来ない以上、学園長が意識を失っている理由として最もあり得るのはその指摘であった。
「 」
「 」
「 」
「 」
九百に聞こえないほどの小さな声で何とか作戦会議をするも、パニクっているせいでまともな日本語が使えていない進七郎と円佳。
このまま沈黙を続けても、ますます怪しまれる。九百は生徒会に所属しているため、その気になれば生徒を処罰することも出来る。もしもそうなった場合は、二人共停学する可能性すらあった。
(嫌だッッッ……‼ せっかくまるちゃんと一緒にグレートマーベラススタンダード部を創ったのに……活動もせずに廃部になるなんて……‼)
そんな最悪の未来を想像して進七郎は震えていた。
円佳とイチャラブが出来ない未来は絶望の地獄と同義。進七郎にはそう思えてならず、気がつけば、「嫌だッッッ……‼」と思考が言葉となって口から漏れる。
「嫌だッッッ‼ まるちゃんとせっかくGMS部を創ったのにッッッ、活動すら出来ずに終わりだなんて嫌だッッッ‼」
「では、この現状をあなたはどう説明するんすか? 武蔵ぼ……武蔵進七郎君?」
「それはッッッ……‼ ぐくッッッ……‼ あれですッッッ……あのッッッ……‼」
「なんすか?」
「ッッッ──思春期だったからですッッッ!!!!!」
耳を塞ぎたくなるほど進七郎の声が反響した後に、静寂が訪れる。
その最中で言葉の意味を嚙み砕こうとするもそれは叶わず、円佳と九百は同時に「はい?」と首を傾げていた。
「俺は全校集会をしている時ッッッ、まるちゃんとキスをしたくなったんですッッッ!!!!! ですが俺は思春期の健全な男子高校生ッッッ!!!!! だったらキスをする所なんて他の人に見られたくないというのが自然なことではないでしょうかッッッ!!!?? だからこそ俺は生徒や先生の皆様方を昏倒させてッッッ体育館を出てまでまるちゃんとキスをしようとしたんですッッッ!!!!! そうしたら眠りが浅かった学園長が追いかけて来たので、仕方がなく再び眠って頂いただけだったのですッッッ!!!!!」
どんなB級ミステリーの犯人だろうがもう少しまともな言い訳を思いつく。そう思わざるを得ないほどに進七郎の言い訳が苦し紛れなものであった。
そのことは進七郎自身も自覚しており、汗まみれの顔がそれを物語っている。だが、全力を尽くして伝えた叫びに賭けるしかなかった。
鋭い瞳は変わらないままの九百と視線を交錯させ合う進七郎。彼女の圧は凄まじく、まるでネタマと戦っている時と同等かそれ以上のプレッシャーすら感じていた。
「なるほど、そうだったんすね。だったら……」
表情も声色も変えないまま、九百が口を開く。
進七郎と円佳に下される、彼女の判決は──。




