戦いが終わって。
「……終わったな」
ネタマの消滅を見届け静かに呟いた進七郎。胸に去来するのは安心感、それとやりきれなさであった。
(''超絶クソ迷惑魔霊''……倒すべきはずの敵に俺はこんな感情を抱いて良いのだろうか)
進七郎は思わず自分に問いかけていた。
''超絶クソ迷惑魔霊''は人々の恐怖や負の感情を餌にするクソ迷惑な存在だ。それは疑いようのない事実である。
だが今回のネタマのように、餌として人間を利用するのではなく別の何かを追い求めている個体もいるんじゃないか、ということを考えずにはいられなかった。
(いや、これ以上考えるのは止めておこう。ネタマが特殊だったのかもしれない。……これから必ず戦うことになる残りの五体に対しては、慈悲を抱いた隙を突かれるかもしれない。……俺は弱い。少なくとも敵である''超絶クソ迷惑魔霊''を気にかける余裕なんてない。俺は……俺とまるちゃんを絶対に守る)
進七郎は気持ちをすぐさま切り替えた。
今回の戦いを通じて知った''守る''ということの本質。それを忘れないように胸に刻みながら天を仰ぐ。
濁流も何もない青空が広がっていて、晴れ晴れとした爽やかな気持ちになる……かと思いきや。進七郎の脳裏にまた一点、気になることが出来ていた。
(そう言えば、ネタマはまるちゃんのことをあの義経の血を引くと言っていたが、あれは一体どういう意味──)
「進七郎君っ!」
だが、その思考は瞬く間に隅に追いやられた。
背後からした声に振り向けば、目に飛び込むのは自分にとって命に代えても守り抜きたい大切な人。
息を切らして顔を汗まみれにしながら、今にも泣きそうな表情をしている円佳が立っていた。
「……まるちゃん」
「はぁっ……はぁっ……怪我はっ……してないの……?」
恐らく自分の姿を見て全力疾走で来たのだろう、円佳は呼吸の合間に言葉を紡ぎながら話していた。
円佳の問いに対する答えに窮しつつも、進七郎はありのままを伝えようと決意する。
「えっと……怪我は……ごめん、した。それもかなりえげつない重傷を」
「えぇっ!? そ、そんな……本当に……!?」
「うん、本当だよ。ほら、左胸の所に穴が開いてるだろ? 一直線上に背中の方も」
「う、うん。ってことは……もしかして心臓貫かれたの!?」
「……あぁ」
進七郎はあわあわと口をまごつかせる円佳を見ると、どうしても衝動的に行ってしまっていた。
土下座、という行動を。
「進七郎君っ……!?」
「ごめん、まるちゃん。俺は約束を破ってしまった。まるちゃんが傷ついて欲しくないって言ってくれたのに、俺は死を覚悟するほどの怪我を負ってしまった」
「でも……なんかよく分からないけど治ったんだよね?」
「あぁ。だがそれは結果論だ。俺はまるちゃんとの約束を破ってしまった……大バカ野郎だ……」
土下座をしたまま、進七郎は両手をグッと握り締める。
己の命を捨てようとしたこと、それは間違いなく円佳を泣かせてまですべきことではない。その運命を一度は辿ろうとした自身を、進七郎は恥じていた。責めていた。
「俺が傷つくことをまるちゃんは望んでいない。だったら、俺は無事であることが大前提なんだ。なのに俺は……弱くて本当にごめん……」
力強かった声が尻すぼみにトーンが落ちていく。自責の念の大きさ故にであった。
同時に、自身を守ることすら出来なかった自分が果たしてこれからも円佳を守ることが出来るのか、という疑念が心の中に棲みついて仕方がなかった。進七郎は血が出そうなほど固く拳を握り締めた。
「顔を、上げて。進七郎君」
心の闇を晴らしたのは、どこまでも優しさが宿る円佳の声であった。
隅々にまで慈悲が感じられるその声掛けに、進七郎はゆっくりと身体を起こす……まさにその時。
円佳が身体に寄りかかって来た。ふわりとした良い香りが鼻腔を満たすと共に、進七郎は驚いて固まってしまっていた。
「ま、まるちゃん……?」
「……進七郎君の心臓、動いてるよ。力強く、ドクンドクンって。進七郎君は……こうして生きて帰って来てくれた。私は……それが凄く嬉しいの」
左胸に耳を当てている円佳は、微笑みすら浮かべながらそう告げる。不安そうだった先ほどまでの表情がまるで嘘のようであった。
「……わがまま過ぎたよね私。いくらなんでも傷つかないでなんてお願いは……無理があったよね。ごめんね、進七郎君……」
袖をギュッと掴みながら、円佳が謝る。
申し訳なさが痛いほどに伝わってきて、進七郎は思わず声を出さずにはいられなかった。
「違うッ! わがままでもなんでもないッ!! まるちゃんが気づかせてくれたんだッ、''守る''ということがどういうことなのかをッ!!」
「どういうこと……?」
「俺はまるちゃんを守ることばかりを考えて、自分を守ることを一切考えていなかった。今回の怪我は、それが原因だったんだ。まるちゃんを守る為にはまず俺自身を守らなければならない、そのことに気付けたのは他の誰でもないまるちゃんのおかげなんだッッッ‼ ありがとうまるちゃんッ‼」
「ぴゃあっ!?」
熱が入り過ぎたあまり、円佳が思わず声を上げるほど手を握り締めていた進七郎。その直後に「ご、ごめんッ‼」と急いで謝り、深呼吸。気を取り直して話を続ける。
「まるちゃんはまるちゃん自身のことを”不甲斐ない主人”だって言っていたけれど、俺はそうは思わない。だって俺が気づけなかった”守る”ことの本質を、新しい強さの引き出し方を教えてくれたんだから」
「そ、そうなのかな……?」
「そうだともッ‼ 他の誰でもない俺が保証するッ‼」
「……えへへ。そう言って貰えると嬉し……あ、あれ……?」
円佳が驚いたかのような声を出したその時、ちょうど進七郎も驚愕に顔を染めていた。
微笑んでいるのに何故か、円佳が涙を流していたからだ。
「おかしいな私……どうして涙なんか……」
「ごめんまるちゃんッッッ‼」
「えぇ!? ど、どうして急に謝るの!?」
「だって俺はまるちゃんを泣かせないって約束したからッ‼ うおぉぉおおぉおおごめんまるちゃんッッッ、まるちゃんごめんッッッ‼」
「べ、別に謝らなくて良いんだよ!? これはその……悲しかったり、傷ついた訳じゃないから……」
「む? じゃあその涙は一体……?」
「……嬉しいから、泣いてるんだ。進七郎君に言葉を送ることしか出来なかったのに、そんな自分でも進七郎君を守ることが出来てたんだって思えて……」
嗚咽を漏らすこともなく流暢に話す円佳。しかしその瞳からは綺麗な涙が溢れて止まらずにいる。
「改めて、伝えるね。進七郎君、私達を守ってくれて、ありがとう」
涙を吹くことはなく、円佳はそのまま進七郎に微笑みを向けていた。
どこまでも心が安らぐような温かくて優しい微笑み。それをドがつくほどの至近距離で目の当たりにした進七郎はもちろん見惚れてしまっていた。
ただ、今回は見惚れるだけでなく──衝動が身体を突き動かした。
「まるちゃん……好きだ」
「ふえっ……ええっ!?」
進七郎は急に神妙な面持ちになったかと思えば、優しく円佳を抱き寄せる。
円佳は一瞬にして顔を紅潮させると口をぱくぱくと動かすことしか出来ずにいるが、そんなのお構いなしに進七郎は抱き締め続ける。
(離したくない、離れたくない。ずっとずっと、まるちゃんとこうしていたい……。いや、もっとその先に──)
溢れて止まらない想いは進七郎の身体をさらに突き動かす。
抱き寄せた円佳を少し引き離すと、彼女の顔をじっと見つめる進七郎。その意識は特に、顔の下の方……艶のある円佳の唇へと向いていた。
「まるちゃん……」
円佳の頬に手を添え、静かにその名を呼んだ進七郎。
その後は──ただ、本能の導くままに自らの想いを解き放っていた。




