学園に巣食うモノ、学園を救う者。
「ぐっ……ぎぎィ……あり得……なイぃ……‼」
「俺だって未だにそう思っている。だがこうして現実に起きていることなんだ。心臓ごと貫かれた傷も癒えて、出血多量による意識の混濁も今はない。信じられないが……」
(また俺は……まるちゃんに守って貰ったんだな)
ギリギリとネタマが歯軋りをしているのとは対照的に、進七郎は穏やかな心地で円佳への感謝を抱いていた。
つい先ほどまでは、自身の命に代えてでもネタマを倒そうとしていた。だが真に守るべきものに気づき、自身の覚悟を改めた今──最早、目の前の強敵には恐怖も実力差も、微塵も感じていなかった。
「ネタマ」
「っ……!?」
「覚悟は出来ているだろうな? 決着をつけるぞッッッ‼」
地面を踏みつけながら構えを取る進七郎。たったそれだけで地面が揺れ、その衝撃が空間にも響き渡る程の力強さに、ネタマは思わず圧倒される。
恐怖という感情。人間が抱くそれを餌とし喰らう側である”超絶クソ迷惑魔霊”。さらにその上位種である”圧倒的超絶七大神魔霊”。
長らく恐怖という感情とは無縁だったはずのネタマは、およそ1500年ぶりに襲われていた。全身が総毛立ち鳥肌が立ちその感覚を覚えさせられたのは忌まわしきあの男──武蔵坊弁慶との邂逅以来であった。
「ふざ……ケるなぁあぁああぁぁああぁあああっっっ‼」
絶叫と共に、背後からこれまで以上の濁流を出現させるネタマ。その量はこれまでとは比べ物にならず、進七郎の腰から下まではあっという間に飲み込まれた。
「お前のようナ若造がぁっ! 何故それほどまでの力を手にスるゥ!? 何故”忌まわしきあの男”の姿と重なるゥうぅうぅううぅううゥ!? ふざケるな……ふざけるなふざけるなふざけるなぁあぁああぁああっっっっっ‼ 人間如キがぁあああ捕食者足る我々に比肩するなどぉおぉおおおぉおおヲヲヲヲヲウォ‼」
ネタマの力の根源は”嫉妬”。
進七郎への嫉妬が最大限に達し、その力を限界を超えて強化したネタマはさらに濁流の量を増やした。水位は瞬く間に上昇し、進七郎は既に顔だけが水面より上にある状態であった。
だが、その状態になっても進七郎の強い眼差しは変わらない。一点の焦りも恐怖もなく、ただただネタマを黙って見つめ続けている。
それによって遂に、ネタマの堪忍袋の緒が完全にブチ切れた。
「気に要らねエんだよォ……‼ てめェみたいなクソガキ共がワーキャー騒ぐ学校って場所がよヲ……‼ だから私ハ学園長に取り憑キ続けて、てめえラの恋愛とかいう下らねえお遊びの邪魔ヲしてやったんだよォ……フヘへへへ楽しかったぜェ……恋を諦めザるを得ないガキ共を見るのはヨぉ……‼」
「……」
「これからモ、私はずっとズっとここに巣食ってやるゥ‼ てめェを殺しテ、あの義経の血を引くメスガキを喰らった後でなぁあぁアアぁああアあああァあぁあっっっ‼」
それまで使っていた慇懃無礼な敬語も使わなくなり本性と殺意を剥き出しにしたネタマは大技を繰り出す。
濁流の形状を変えずひとまとめにしてぶつけ、シンプル故の圧倒的な重量で相手を跡形もなく押し潰す【水砕河・覇龍葬】。
それも今回はさらに特別製。進七郎が身動きを取れないようにした上での発動だ。ネタマは満を持してとどめを刺し、勝利は決まったも同然だった。
だがそれは──”常識”で考えればの話だった。
(……妙だ。絶体絶命のはずなのに、心がまるで一切の波紋もなく落ち着いている)
目の前を覆い尽くすほどの圧倒的な濁流が迫る中、進七郎は不思議な心地に身体を委ねていた。
(一度死を覚悟し、そこから戻ってきたことが影響しているのだろうか。今は何故か……死の気配をまるで感じない。だがそれにしては……この鼓動の高鳴りは何なんだ?)
無音の中で唯一聞こえるもの、それは己の心臓の鼓動のみだった。
ドクン、ドクンッ、ドクンッッ、ドクンッッッ! と徐々に強さを増していくそれは、まるで何かを導かんとしているようで。
『俺が……一生をかけて守ります。必ずあなた様を、守り抜いてみせます……義経様』
そして、見たことがないはずなのに懐かしい光景が脳裏に浮かんだその時──進七郎の身体は自然と動き出していた。
「”武蔵ボーン流格闘術”奥義──【七天覇討】ッッッ!!!!!」
声を張り上げ拳を突き上げたその瞬間。
目の前を覆い尽くしていた濁流の天蓋は、跡形もなく消え去っていた──、
「……私ハ……負けたのデ……すか……」
「あぁ。断言する。お前の負けだネタマ」
取り憑かれていた学園長が生きていることを確認すると、進七郎は静かに告げた。
ネタマは身体が真っ二つとなり、今にも消滅しかかっている。その哀れな姿に、敵ながら進七郎は僅かに憐みを覚えていた。
「く……マさか……この私が……”圧倒的超絶七大神魔霊”の私が人間風情に敗レて……死ぬことになるなんて……かつてない嫉妬に襲われてますヨぉ……もう手遅れでスが……」
「お前は強かったぞネタマ。だが、俺には負けられない理由があるんだ。傷ついてはならない理由もな」
「……そンなに……あの女……義経院円佳のことが……大事ですカ……?」
「あぁ。俺にとっては世界の誰よりも大切で、一番大好きな人だからな」
迷うことなく自分の想いを言葉にする進七郎。
そのあまりにも真っ直ぐな所に、ネタマはしばらく黙り込んでいたが自然と笑みを零していた。
「何故笑っている?」
「イやぁ……愚直とはまさにこのことを言ウんだろうなと思っていタだけですよ……。人間を見ていルと、私はどうしても愚かだと思わざるを得なカったのです。だが……そウか……私は……愚かなほど真っ直グに生きるコとが出来る人間を……──何よりも嫉妬してイたのでシょうね」
その時、進七郎は目を見開かざるを得なかった。
どれだけ傷を負っても手を流さない、ましてや己の欲求を満たす以外の目的など持っていないと思っていた”超絶クソ迷惑魔霊”が、涙を流す瞬間を目の当たりにしたのだから。
しかしそんな衝撃を覚えていたのも束の間、遂にネタマの身体は消滅を始めていた。
「ネタマ……お前は……」
「あァ、憐れむのは止めて下さいネ。もう既に死ぬほど嫉妬してますンで……これ以上嫉妬しテしまうと気が狂いそウなので……ってもう、狂った後でしたけどネ……ハハハ」
「……分かった。ならば敵として正々堂々ととどめを──」
「いやちょっと待ってくダさい!? それはおかしいのでハ!?」
「む? そうか……」
「……ハァ。最期に一つ、忠告しておきましょウ。私以外の──”圧倒的超絶七大神魔霊”について」
「!」
声色を変えたネタマに対し、進七郎も顔色を変える。
「マず、私以外の”圧倒的超絶七大神魔霊”は、あと5体いマす」
「5体だと? 嫉妬を除けば残りは”強欲”、”傲慢”、”憤怒”、”怠惰”、”色欲”、”
暴食”で6体ではないのか?」
「確かにソうなのですが、500年ほど前かラ”怠惰”とは誰も連絡が取れなくなり、生死すらも不明でス。まぁ元々お互いに仲間意識も皆無でシたし、誰も気にしてはイませんが。それから隠さずに言いますガ……実に妬ましく認めたくない事実ではアりますが……」
「何だ?」
「……残りの5体は……全員が私より遥かニ強いでス。それこそ歯牙にかけないほどに」
「……そうか」
言葉は落ち着いていたが、進七郎の心はざわめいた。
今回のネタマですらも一度自分は死の淵に追いやられた。そんなネタマを遥かに超える強さを持った奴らが、あと5体もいる。
だが、それでも。進七郎の想いは、決意は変わらなかった。
「たとえそうだとしても、俺は必ずまるちゃんを守り抜く。どんな強敵が襲ってこようとも、どんな困難が待ち受けていようとも、絶対にまるちゃんを守り抜いて泣かせたりしない。そして俺は──まるちゃんとイチャラブえっちをしてみせるッッッ!!!!!」
感情が高ぶり、最後の一言が学園中に轟くほどの大声で叫んだ進七郎。
それを聞いたネタマは呆けたような顔を見せた後、これまでに見せたことのなかった爆笑をしてみせていた。しかし、その身体は既にもうほとんど消えかかっていた。
「はァ……。全クあなたは……常識が一切通じないとんでもナい男ですねェ……。せいぜい、足掻いてみせるコとですね……。こんなこと言うのハ全く以て性分じゃないンですが……あなた方の幸せを願っておりますヨ。では……」
嫉妬を糧にし、嫉妬に狂い、嫉妬に拘り続けて生きて来たネタマ。
そんなネタマは、誰かの幸福を呪うのではなく祝うものとして最後を迎えたのだった──。




