''守る''ということ
(あっ──)
思考も口も、同じ言葉を描いていた。
だが、口からはそれは出なかった。思考の方も、それ以降に言葉が続かない。
ただ身体を襲う感覚は圧倒的な異常であった。心臓に穴が開いたという、揺るぎない異常から進七郎は逃れる術はなかった。
(おれ、しんぞう、どうな……た?)
痛みと認識することすら出来かねないほどの激痛の最中、進七郎は悲劇的な今の自分の状態を把握する。全ての意識が心臓に向くと、自覚せざるを得ない現実が突きつけられる。
制服越しに左胸に出来た傷は背中までを易々と貫通していた。心臓もまともに動いておらず、ドックドクッンドッ……クンと不整脈を起こしている。
(……死……)
凝縮された時間の中で次に自覚したことはそれであった。
心臓に穴が開く。どんな生物にとってもその後に待ち受けるのは死のみ。助かる可能性はゼロだ。左胸からは命の源がどんどんと垂れ流されていき、自分の周りに赤色の水たまりが出来ていく。頭の中を死を象った暗闇が覆い始め、進七郎はそのまま意識を失った──
「……なンと! まだ立ち上がれルのですカ……!?」
が、進七郎は倒れなかった。実際には倒れかけたのだが、右足で何とか踏ん張ったのだ。左胸に右手を当てて圧迫止血も試みている。
それを目の当たりにしたネタマも驚愕せざるを得ず、先ほどとは異なり自然に拍手を送っていた。
「ま……だ……だ」
「なんとまァ敵ながら天晴れという他にナいですよ。普通、生物であレば心臓に穴が開けば即死するモノですが……これもあの忌まわしき業の使い手だからかでスかね。常識からは考えられない生命力で──!?」
ネタマは更なる驚愕に襲われた。
心臓を撃ち抜かれたのにまだ生きて立っているというだけでも奇跡。しかしさらに進七郎はネタマの常識を超えて来たのだ、左拳を振るうという攻撃によって。
だが、今にも倒れそうな覚束ない足取りではまともに攻撃など出来るはずもなく。進七郎の左拳は虚しく空を切る。ネタマもゆーっくりと避ける余裕があるほど、進七郎の動きは鈍かったのだった。
「……はァ。溜息が出ますネ本当に。いや、呆れている訳ではありませんよ、寧ろ感心しているのでス。なんて健気なのだロうかと……おヨよ……」
ぐすっぐすっとわざとらしい泣き真似をするネタマに対しなお、超絶クソ迷惑魔霊は決して泣くことなどない。奴らは人間から餌となる生命力を奪うことしか考えてない、己の欲求を満たすことが第一の存在だった。
(諦める……な……死ぬその時までッ……!)
進七郎は今にも消えかけている意識と命を必死に繋ぎ止める。最早ネタマの姿すらも見えないほど視界も霞んでいた。
だが、諦めるという選択はしなかった。死ぬのならせめてこいつを絶対に倒す……その意志を拳に宿し、幾度も拳を振り続ける。
「ぐッ……あぁッ……!」
「自身の命が今にモ途切れそうな状況の最中、それでも主人である義経院円佳の為に戦おうとするあなたの姿……あまりにも健気で涙が出そうですヨ……」
(……まる……ちゃん……?)
進七郎の拳をいとも簡単に避けながら、わざとらしい泣き真似を続けるネタマ。
しかし、ネタマは知る由もない。勝利を確信した余裕からか、自らの墓穴を掘っていたことを。
「今のあなたを義経院円佳が見たのなラ、きっと涙することでしょうネ。それはモうあまりの健気さに子どものようにえんえんと泣クことでしょう……」
(まるちゃんが……泣く……?)
「そして私に乞うノです……『どうかお願いですから命だけは助けて下さい! わたくしの身を差し出しますので‼』と……あの綺麗な顔を涙と鼻水に染めた無様なものにシながら……」
(まるちゃんが……泣いてしまう……俺の……せいで……?)
徐々に愉悦を帯びた声色となっているネタマの言葉は意に介さず、進七郎は円佳のことを考えていた。先ほどまで脳裏を埋め尽くしていた死の気配も消え去り、今となっては円佳の顔ばかりが浮かんでいる。
(そうだ……俺は約束したじゃないか……まるちゃんを守るって、もう二度と……泣かせたりなんかしないって……。それに……この戦いの前だって……)
『わたくしを守って下さるのは、本当に有難いことです。ですがわたくしは……もう二度と、あなたが傷ついた姿を見たくはありません。わたくしに力があればそれが出来たのかもしれませんが……今はこうして、あなたにお願いすることしか出来ません。不甲斐ない主人であるわたくしを、どうかお許しくださいませ。そしてどうか……無事に帰って来てくださいませ』
(……帰らなきゃ……俺は……傷ついちゃ駄目なんだ……まるちゃんを泣かせちゃ駄目だ……だからまずは──俺自身を守る)
円佳の元に帰る。傷を負った姿を見せることなく、円佳を泣かせずに。
その想いが進七郎の中で輝く光として全身を満たした時──新たなる奇跡が起きた。
恍惚の笑みを浮かべていたネタマもそれには気づかざるを得ず。声を震わせて尋ねた。
「……どうシて……血が止まっていルのです……!?」
傷口から溢れ出していた血が、ピタッと止まっている。
心臓はそれこそ血液の循環器でありタンクそのもの。しかもあの傷は直径にして3cm大というもので、自然止血は不可能である。というか、生物の体の仕組み上は……常識では決して考えらないことである。
だがネタマが目にしている現実は……”武蔵進七郎”という男は──常識の遥か外に存在していた。
「……圧倒的クソ親父から、聞いたことがある。”武蔵ボーン流格闘術”の基礎を。創始者である武蔵坊弁慶が持つ逸話の中でも、最も有名な話をお前も知っているだろう」
「……”弁慶の立ち往生”……‼」
「そうだ。主君の源義経を守る為に、どれだけの斬撃を受けようとも、どれだけの矢を撃ち込まれようと、決して倒れずに命尽き果てるまで立ち続けたという話だ」
絶え絶えだった息もいつの間にか正常なものに戻っており、血色も明らかに良くなっている。
どころか、今の進七郎は……生命力に満ち溢れており、全身から生気を漲らせている。驚愕で固まるネタマに対し、進七郎は静かに呟く。
「”武蔵ボーン流格闘術”、奥義にして基礎──【金剛不壊の不撓不屈】……俺はもう決して倒れない」
血が止まった、どころの話ではなかった。
あちら側が完全に見えていた左胸に出来た穴が、最初から傷がなかったかのように塞がっている。つまり……再生しているである。
これには長年人間を見続けてきたネタマですらも顎を外して「なン……だと……!?」と言わざるを得ないほど衝撃的なことであった。しかし、進七郎はさも自分の身体の超回復ぶりには少しも驚いておらず、さも当然と言った顔をしていた。
「……全く、俺という者はまだまだ未熟者だな。まるちゃんが言ってくれたじゃないか、『どうか無事で』って。それを守ろうとせずに何がまるちゃんを守る、だ。何がまるちゃんを泣かせない、だ。……ようやく分かったよ」
進七郎は円佳と彼女が言ってくれた言葉を思い返しながら、瞳を閉じた。
あのまま戦っていたら、まず間違いなく死んでいた。そして、円佳を泣かせてしまってい。己の不甲斐なさと弱さを噛み締めつつ、それでも再び進七郎は前を見据える。
「まるちゃん……君を守る為に、まずは俺自身を守ること。それが……''守る''ということなんだな。気づかせてくれてありがとう」
静かに構え直した進七郎。
その瞳には恐怖も絶望もなく──ただ、円佳の元に無事で帰るという決意が込められていた。




